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リレー講義

2011年1月27日

今週は、インドネシア映画『虹の兵士たち』を最後まで鑑賞しました。クライマックスの学力コンテストのあと、大人になったイカルとリンタンの再会で物語は終わります。

鑑賞に先立って、配付資料とスライドを使って、個人にとっての「時」について、未来の夢と過去の回想という視点から考えてもらいました。そのあと、ビリトゥン島の錫産業について錫産業の世界史的な動向を踏まえて簡単に説明しました。

今週の受講生は299名でした。コメントを読ませてもらいました、多くの人が、良い映画だった、インドネシアの自然が美しかったという感想を書いてくれました。ありがとうございます。

主題歌を歌っていたグループについて質問がありました。これはNidji(ニジ)という名前のグループで、日本語の「虹」から名前を取ったそうです。

映画のなかで挨拶の言葉が英語字幕で「Peace be upon you」となっていたことを指摘してくれたコメントもありました。これはアラビア語のAssalamualiakumで、世界中のイスラーム教徒の日常的な挨拶の言葉です。

インドネシア映画『虹の兵士たち』 第1週(1月13日)
インドネシア映画『虹の兵士たち』 第2週(1月20日)
■インドネシア映画『虹の兵士たち』 第3週(1月27日)今週

■配付資料とコメントシート
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2011年1月20日

今週は、先週に引き続きインドネシア映画『虹の兵士たち』を鑑賞しました。

鑑賞に先立って、配付資料とスライドを使って、映画における「時」について考えてもらいました。そのあと、インドネシアの教育と宗教について簡単に説明しました。今週の受講生は297名でした。

映画は、イカルが想いを寄せていた華人の少女がジャカルタへ行ってしまうという淡い失恋の場面まで鑑賞しました。次回は、この続きから最後まで見てもらいます。いよいよこの映画のクライマックスである学力コンテストの場面になります。

インドネシア映画『虹の兵士たち』 第1週(1月13日)
■インドネシア映画『虹の兵士たち』 第2週(1月20日)今週
インドネシア映画『虹の兵士たち』 第3週(1月27日)

■配付資料とコメントシート
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2011年1月13日

1月13日木曜日2限に、総合科目IIのリレー講義『表象としての映画 (テーマ「時、とき」)』の一部として「インドネシア」を担当します。1月13日、1月20日、1月27日の3回講義をおこないます。

アゴラ・グローバルのプロメテウス・ホールの大画面を使って、2008年公開のインドネシア映画『虹の兵士たち』(原題Laskar Pelangi、英題Rainbow Troops、125分)を英語字幕付きで鑑賞します。2004年に発表されたアンドレア・ヒラタの同題の自伝的小説に基づいた作品で、インドネシアでは観客動員数450万人に達し、インドネシア映画史上最大のヒット作となりました。

インドネシア西部のブリトゥン島の廃校寸前の小さな小学校を舞台に、「虹の兵士たち」と呼ばれる生徒たちと先生たちの前向きな生き方が私たちを元気づけてくれます。主人公イカルの回想という形で物語は語られます。その最後で、村を出たイカルがあこがれのソルボンヌ大学に留学することが明かされますが、村に残ったリンタンにも学校で学ぶ娘に未来を託すという形で、それぞれの希望が描かれているところに、現実を見据えながらも、夢を失うなというこの映画のメッセージが込められているようです。

今日はインドネシアについて簡単に紹介した後、予告編を見てから、本編の最初の部分を鑑賞しました。今週の受講生は316名でした。次週は、教室で子どもたちが地図を見ている場面から続けます。

■インドネシア映画『虹の兵士たち』 第1週(1月13日)今週
インドネシア映画『虹の兵士たち』 第2週(1月20日)
インドネシア映画『虹の兵士たち』 第3週(1月27日)

今日の配付資料、コメントシート、スライドはこのページからダウンロードできます。
■配付資料とコメントシート
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■スライド
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Laskar Pelangi

■参考サイト
国際交流基金アジア映画ベストセレクション(2009年)の解説
アジアフォーカス・福岡国際映画祭(2010年)の解説 [予告編]
Internet Movie Databaseの解説(英語)
・「インドネシア映画の新しい風 リリ・リザ『虹の兵士たち』」(ブログ「海から始まる!?」のエントリーで詳しい紹介をおこなっています。)
・「インドネシア映画『虹の兵士たち』」(ブログ「ジャカルタ深読み日記」のエントリー)

・第3回アジア映画大賞(2009年)最優秀作品賞・最優秀編集賞ノミネート
・第59回ベルリン国際映画祭(2009年)パノラマ部門出品 [解説]





Nidji(ニジ)による主題歌Laskar Pelangiのビデオクリップ

インドネシア音楽を紹介するブログeja cafeのエントリーでは主題歌Laskar Pelangiの歌詞と日本語訳も紹介しています。


・Laskar Pelangiを紹介するMetroTVの人気トークショー番組Kick Andy(インドネシア語):6 parts [1][2][3][4][5][6] (Youtube)

・Jakarta Post紙(2008年10月5日)のLaskar Pelangiを紹介する記事 (英語)

2010年12月 1日

12月1日水曜日4限に、総合科目IVのリレー講義『民族と民族問題の諸相』の一部として「インドネシア」の第3回を担当しました。今回が私の担当の最後です。

今週の授業では以下の3点をおさえました。
1. 「華人」、「華僑」、移民政策などをめぐる基本概念を理解する。
2. オランダ植民地期からインドネシア独立後にいたる華人をめぐる状況の変化を理解する。
3. 民主改革期以降の華人をめぐる状況の変化とその意味を理解する。

■今週の配付資料(インドネシアの華人)
ファイルをダウンロード (520KB, PDF)

第1回(11月10日) 多民族の共存
第2回(11月17日) インドネシアに対抗する民族
■第3回(12月1日) インドネシアの華人(今週)


234人分のレスポンス・シートの提出がありました。レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。出された質問・コメントの中から代表的なものを取り上げて回答し、授業の補足にしたいと思います。準備ができるまでしばらく待ってください。また、2009年度の講義での回答も参考になるので、読んでください。(回答を表示しました。2010-12-24)

2009年度第3回講義での回答


質問
 スハルト大統領退陣後、なぜインドネシアの華人政策は「同化主義」から「統合主義」へ変わったのでしょうか?

回答
 授業でも説明したように、スハルト政権期におこっていた華人に対する人権侵害に反省があったことと、アジア金融危機で経済が行き詰まったインドネシアにとって、経済力のある華人をインドネシアに引きつけておくことが最優先とされたことの二点が重要だと思います。
 統合主義というのは、簡単に言えば、華人が華人としてのアイデンティティを維持したままインドネシア人であることを認める、という政策です。具体的には、中国文化の復活、中国語メディアの公認、中国正月の祝日化といった政策として実現していきました。インドネシアの国民統合を象徴するタマン・ミニ公園の一角に、インドネシア中国文化公園の建設が始まりました。また、華人の経済学者クイック・キアン・ギーを内閣に迎えて経済担当調整大臣にしたことに、華人への期待が現れています。
 このように、インドネシア社会の一員として華人が受け入れられているという環境を醸成することが、統合主義への転換の背景にあると言えるでしょう。


質問
 インドネシアの民主化のあと、華人はどのくらいインドネシアにもどったのでしょうか?

回答
 民主化のあとにもどってきた華人の数については、データが手元にありませんが、2001年に出された報告(華人経済圏研究会)によると、インドネシアの上位20位の企業の内11社が華人系の企業ということですから、アジア金融危機のあとも、インドネシアの経済の大部分が華人によって占められていることには変わりがないと言えます。


質問
 生まれた子どもに対する国籍の付与の仕方として生地主義と血統主義があるとの説明がありました。それでは、生地主義の国の人が血統主義の国で出産すると、生まれた子どもの国籍はどうなるのでしょうか?

回答
 ご指摘のような状況では、子どもは無国籍になりかねません。インドネシアでの制度についてお答えできる資料がありませんが、多くの国では、子どもが無国籍になることを防止するために、例外を認めているのが通例です。日本では、生まれた子供の国籍が不明な場合には日本国籍を与えています。


質問
 華人がムスリムと結婚するとどうなるのでしょうか?
回答
 結婚する華人の宗教についての質問だと思います。一般的にインドネシアでは(例外はありますが)、ムスリムはムスリムとのみ結婚します。したがって、非ムスリムの華人がムスリムと結婚する場合は、イスラームに改宗することになります。むろん、ムスリムの華人もいますから、その場合は、ムスリムとの結婚には改宗の問題は生じません。


質問
 インドネシアが独立してから、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人はどうなったのでしょうか?
回答
 オランダは1940年にドイツの侵攻にあって降伏し、イギリスに亡命政権を樹立していました。したがって、このあと、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人は、本国を失った状態にありました。
 1942年の日本による侵攻を前にして、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人の一部は、インドネシアを脱出しています。残ったオランダ人は日本軍によって抑留されたり、捕虜にされたりして、収容所に入れられました。その数は民間人9万人、軍人4万人とされています。
 1945年の日本の降伏によって、収容所のオランダ人は解放されましたが、その後の独立戦争の勃発のなかで帰国した人もいます。
 インドネシアに残ったオランダ人にとって最後の打撃になったのは、1957年にスカルノ政権によって、インドネシア国内のオランダ系企業の接収と国有化がおこなわれたことです。これをきっかけに、最後まで残ったオランダ人の多くが帰国しました。
 むろん、このような状況にあっても、インドネシアに残り続けたオランダ人も少なくありません。彼らにとっては、遠いオランダよりも、生まれたり、育ったりしたインドネシアこそが故郷であったと言えるでしょう。
 このように、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人の命運は単純なものではなく、歴史の波乱にもまれたものでした。


2010年11月17日

11月17日水曜日4限に、総合科目IVのリレー講義『民族と民族問題の諸相』の一部として「インドネシア」の第2回を担当しました。次回の担当は外語祭が終わった後の12月1日です。

今週の授業では、国民国家インドネシアに対抗する民族をテーマとして、具体例としてアチェと西パプアの分離独立運動を取り上げました。

今週の授業では以下の3点をおさえました。
1. 国民・民族(nation)、エスニシティ(ethnicity)の諸概念とその関係を理解する。
2. 国民国家(nation-state)であるインドネシアの成立と国民統合の過程を理解する。
3. 国民国家に対する地域の異議申し立てとしてアチェ、西パプアの分離独立運動を理解する。

講義でとりあげた映像はYoutubeで見ることができます。
Dirty War in Aceh - Indonesia (Youtube, 23:44) Journeyman Pictures
Papua: Indonesia's silent war (Youtube, 2:36) Aljazeera, 29 May 2008.

来週は外語祭のためお休みです。次回では、国民国家インドネシアにおける外来少数民族である華人について考えます。

第1回(11月10日) 多民族の共存
■第2回(11月17日) インドネシアに対抗する民族(今週)
第3回(12月1日) インドネシアの華人


226人分のレスポンス・シートの提出がありました。レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。出された質問・コメントの中から代表的なものを取り上げて、授業の補足をしたいと思います。2009年度の講義での回答も参考にしてください。(回答を掲載しました。2010-12-24)

2009年度第2回講義での回答


質問  アチェ、東ティモール、西パプアでの状況の違いは、どうして生じたのでしょうか?

回答
 これは大変に難しい質問です。ここでは、インドネシアへの国民統合の程度という視点から説明してみたいと思います。
 1945年にインドネシア共和国が独立宣言を発したとき、現在のインドネシア全土がすべてインドネシア共和国に含まれていたわけではありません。西パプアはまだオランダ領西ニューギニアでしたし、東ティモールはポルトガルの植民地でした。それに対して、アチェは、インドネシア共和国の首都が一時的におかれていたジョグジャカルタ周辺とともに、インドネシア共和国を構成する重要な一部となっていました。
 西パプア(当時は西イリアンと呼ばれた)は、1969年になって国連による暫定統治を経てインドネシアに移管されました。さらに、東ティモールは1976年になってインドネシアによる軍事介入を経てインドネシアに併合されました。
 このように見てくると、インドネシアへの国民統合の程度がもっとも弱かった東ティモールが独立の道を選び、その次に弱かった西パプアでは独立運動が継続し、もっとも強かったアチェが特別州としてインドネシアの一部として残る道を選んだということができるでしょう。


2010年11月10日

11月10日水曜日4限に、総合科目IVのリレー講義『民族と民族問題の諸相』の一部として「インドネシア」を担当します。11月10日、11月17日、12月1日の3回講義をおこないます。

昨年度と同様に、全3回のなかでは、東南アジアの多民族国家としてのインドネシアを紹介し、第1週では国民国家インドネシアにおける多民族の共存を、第2週では国民国家インドネシアに対抗する民族、あるいは国家のなかで対立する民族を、第3週では国民国家インドネシアにおける外来少数民族である華人の位置をとりあげます。

第1週の今日の授業では以下の3点をおさえました。
1. 多民族(多文化・多言語・多宗教)国家の一例としてのインドネシアの概要を理解する。
2. インドネシアの多民族性の歴史的背景を理解する。
3. インドネシアにおける多民族共存の実状を理解する。
映像素材としては「南の国のデパートガール」を使いました。

■第1回(11月10日) 多民族の共存(今週)
第2回(11月17日) インドネシアに対抗する民族
第3回(12月1日) インドネシアの華人


228人分のレスポンス・シートの提出がありました。レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。出された質問・コメントの中から代表的なものを取り上げて、授業の補足をしたいと思います。2009年度の講義の質問に対する回答も参考になるので、読んでおいてください。(回答を掲載しました。2010-12-24)

2009年度第1回講義での回答
2009年度第2回講義での回答
2009年度第3回講義での回答


質問
 視聴した映像資料のナレーションによると、大型ショッピングセンターはジャカルタにしかないとのことでした。なぜなのでしょうか?
回答
 インドネシアに巨大なショッピングセンターがあることに驚いた人が多かったようです。実のところ、現在の東南アジアには、日本と遜色のないショッピングセンター(モールなどを含む)が多数あります(ちなみに、フィリピンのマニラに「アジア最大」と称するものがあります)。
 映像資料として見てもらった番組は1995年制作のものです。この当時は、たしかに大型ショッピングセンターはジャカルタしかありませんでしたが、現在は、ジャワ島を中心に、インドネシアの各地の大都市で建設されています。
 ショッピングセンターが成り立つには、ある程度の規模の購買力をもつ都市住民が存在することが前提となります。1995年にはまだジャカルタに限定されていたこのような状況が、堅調な経済成長を追い風にして、現在ではインドネシア各地の大都市に広がったと言ってよいでしょう。


質問
 視聴した映像資料では、食事を手で食べていましたが、手で食べる習慣と宗教とは関係があるのでしょうか?
回答
 食事を手でする場面も、多くの人の印象に残ったようです。結論から言うと、手で食べる習慣は東南アジアではごく普通のことです。これは、宗教とは無関係な習慣ということです。 


質問
 映像資料で紹介されていましたが、物価が安いことに驚きました。現在はどうなのでしょうか?
回答
 映像資料のなかでは、デパートの社員食堂の昼食が2000ルピア、日本円に換算して90円だと紹介されていました。社員食堂ということもありますが、これは確かに安いですね。一般的に、発展途上国では人件費が安いために、物価が安い傾向にあります。
 このときの為替レートは、22ルピア=1円でした。現在(2010年12月24日現在)の為替レートは、109ルピア=1円ですので、円高の傾向であることがわかります。インドネシアのルピアに対して円高であることも、円に換算したときの物価が安く観じられる要因の一つです。
 なお、現在、焼きめし一皿を注文すると10,000ルピアくらいですから、円に換算すると92円くらいで、1997年とあまり変わっていないことになります。


質問
 映像資料では、ムスリムの女性が肌を見せていたり、男性と握手をしていましが、普通のことなのでしょうか?
回答
 この点も意外に思われたことの一つのようですが、イスラームの慣習は、地域や時代によって大きく異なります。
 インドネシアでもジャワ島では、とくにジャカルタのような大都市では、ムスリムの女性が肌を見せていたり、男性と握手することはごく普通のことです。ただ、握手と言っても、手のひら同士を接触させる力強い握手ではなく、指の部分同士を重ねるような弱い握手をするのがインドネシア流です。
 イスラームが強い地域にいくと、女性が肌を隠す傾向にありますが、それでも一部の中東地域のように隠すことはありません。また、男性との握手にも抵抗はないようです。


2010年10月26日

10月26日火曜日1限に、総合文化コース専修専門(宗教学)のリレー講義『世界に現れる「神」』の第4回として、「インドネシアの神・神々・カミ」を担当しました。受講者数は227人でした。

コメントシートはすべて読ませもらいました。質問の中からいくつか代表的なものを選んで、回答したいと思います。似た質問や関連する質問は整理してまとめている場合もありますので、ご了承ください。また、過去の年度の講義でも類似したあるいは関連した質問に回答しているので、ぜひそちらも参考にしてください。【2010-11-09 質問と回答をすべて掲載しました。】

2009年度の講義での回
2006年度の講義での回答
2004年度の講義での回答


質問 1
インドネシアで多数派の宗教であるイスラームと言えば、スンナ派とシーア派のあいだの争い、あるいは、キリスト教との争いのイメージがあります。インドネシアではそのような争いはまったく起きないのでしょうか?

回答 1
複数の有力な宗教が存在する社会において宗教間の安定した関係がどのように維持されているのかを尋ねる質問がいくつかありました。今回の講義では、インドネシアにおいて異なった宗教を信じる人々が日常的に平和裏に共存している状況を提示しましたが、インドネシアでも宗教の違いを理由にした対立や抗争がないわけではありません。

インドネシアに限らず東南アジアで信奉されているイスラームは伝統的にスンナ派が中心なので、中東で見られるようなスンナ派とシーア派との間の大きな対立はありません。宗教間の抗争としてよく報道されているのは、イスラーム教徒とキリスト教徒の間の抗争です。近年ではスラウェシ島のポソでの抗争が記憶に新しいところです。

しかし、このような抗争は日常的な現象というよりは例外的な現象と考えるべきだと思います。ポソの場合には、外部の急進的なイスラーム宗教組織が介入して地元の住民を扇動したことがわかっています。基本的に、人々が宗教の違いだけで争ったりすることはまれなことであって、むしろ政治的あるいは経済的な理由で対立が生じたときに、宗教の違いが暴力の使用の口実に使われると考えた方が現実に近いと思います。

なお、日本ではあまり報道されていませんが、最近の傾向で無視できないと思われるのは、イスラームの中の少数派であるアフマディヤ派に対する一部の急進的なイスラーム教徒による迫害活動です。アフマディヤ派を異端(イスラーム教徒でありながらイスラームの教えから逸脱している)として、アフマディヤ派の信教の自由を認めない言動をとっています。同じ宗教を奉じているがゆえに、かえってその中での違いを認めることができない人々がいるのは残念なことです。


質問 2
インドネシアではイスラームがこれほど幅広く信仰されていると、他の宗教の人々は狭苦しい思いをしたり、差別的な待遇を受けることはないのでしょうか?

回答 2
この問題は、最初の問題よりは、微妙で根が深い問題だと思います。憲法や法律では信教の自由は認められているので、少なくとも公認宗教であるイスラーム、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、儒教のあいだでは、平等であることが保証されていなければなりません。

また、授業でも説明したように、インドネシアでは伝統的にそれぞれの民族が自らの領域の中に住み分けをしていたので、その領域のなかにいる限りは大きな宗教摩擦を感じなくてもよかったという事情があります。たとえば、バタック人の多くはインドネシア全体の中では少数派のキリスト教徒ですが、バタック人が多数派を占める北スマトラ州にいる限りは、他の宗教からの圧迫を感じることはあまりないと言えるでしょう。同様のことは、バリ州のヒンドゥー教徒についても言えます。

とはいえ、このような民族の住み分けは現在では崩れてきていますし、国家全体を見た場合、現実にはイスラーム教徒が圧倒的に多数であるために、制度の前提の部分でイスラーム教徒以外の信徒にとって不公平となる点があることは確かです。国家五原則の第1原則については、別の項で回答としているので参照してください。

その他の例をあげると、たとえば、結婚にあたって、イスラーム教徒と非イスラーム教徒が結婚する場合、非イスラーム教徒の方がイスラーム教に改宗するのが一般的で、その逆は原則的に認められていません。このような非対称性は、根本的にはイスラーム法の規定に由来するものですが、イスラームが多数派であるがゆえに容認されてきたと言ってよいでしょう。

また、イラクやアフガニスタンへのアメリカを中心とした有志連合諸国の侵攻は、イスラーム圏ではアメリカに代表されるキリスト教徒によるイスラーム教徒への攻撃と受け取られており、インドネシアにおいても、反発の対象であるアメリカの「身代わり」として国内のキリスト教徒に対して憎悪の念が向けられることがおきていることも指摘しておきたいと思います。


質問 3
インドネシアの国家五原則(パンチャ・シラ)の第1原則は「唯一神の信仰」となっています。ラトゥ・キドゥルやデウィ・スリのように唯一神と考えられない存在への信仰は、国家五原則と矛盾しているのではないでしょうか?また、国家五原則では、多神教であるヒンドゥー教はどのような扱いになっているのでしょうか?

回答 3
インドネシアの国家五原則の第1原則「唯一神への信仰」と、実際の宗教実践との矛盾について尋ねる質問もありました。大きく分けて、一つは、イスラーム教徒でありながら非イスラーム的な神的な存在(ここでは精霊と呼んでおきます)を信仰していることの矛盾、もう一つは、ヒンドゥー教のような多神教が公認されていることの矛盾です。

まず、イスラーム教徒がラトゥ・キドゥルのような土着の精霊に対して供物をささげたりすることについてですが、イスラームを厳格に解釈するイスラーム教徒たちは、当然のことながら批判の対象としています。しかし、土着の慣習を重視するイスラーム教徒たちは、土着の精霊もまた神の被造物であるからイスラームの世界観から逸脱するものではないとして、土着の精霊に対する信仰を容認しています。インドネシア人のなかでもとくにジャワ人は土着の信仰を容認する立場にある人が多いと言ってよいでしょう。

次に、「唯一神への信仰」の原則と、ヒンドゥー教のような多神教、あるいは仏教や儒教のように神を信仰の対象としない宗教との矛盾は、いずれの場合も、「唯一神」に相当する存在を想定することによって解決しています。ヒンドゥー教の場合はサン・ヒャン・ウィディという宇宙の根本原理、仏教の場合はアディ・ブッダという原初仏、儒教の場合は天がそのような存在にあたります。

実は、このような想定はインドネシアの中ででしか通用しません。つまり、イスラームという唯一神教が多数派であるインドネシアでは、唯一神教の基準があらゆる宗教を解釈する前提条件になっているために、イスラーム以外の宗教にずいぶんと無理な解釈を押しつける結果になっているのです。とはいえ、形式的であれ、このような基準を満たすことで、本来は唯一神信仰ではない宗教も公認宗教の地位を勝ち取ることができたと言ってもよいでしょう。


質問 4
ラトゥ・キドゥルのことがよくわかりませんでした。もっと詳しく説明してください。

回答 4
ラトゥ・キドゥルについては多くの質問が寄せられました。ここでまとめて回答しておきます。

ラトゥ・キドゥルのような現象を考えるためには、ラトゥ・キドゥルが誰であるか、何であるかという実体レベルの問いを立てるよりも、ラトゥ・キドゥルがジャワの人々によってどのように語られているかという言説レベルの問いを立てる方が有効だと思います。

ラトゥ・キドゥルについては、まず、「海に宿る精霊」なのか「海の女神」なのか質問がありました。授業の最初に、唯一神教の神、多神教の神(神々)、アニミズムの精霊を区別したので、ラトゥ・キドゥルがそのいずれに分類されるのか気になったのだと思います。しかし、気をつけてほしいことは、ここで示した区分はあくまでも説明のための区分であって、実際に信仰している人々にとっては、このような区分は意味をもたないということです。つまり、「人智を超えた超自然的な存在」という意味では、これらはいずれも共通しているということになります。

さて、現在のラトゥ・キドゥルの伝承は、イスラームを受け入れたマタラム宮廷の歴史物語の中に取り込まれていますが、もともとは古くから伝わる民間信仰の一つだったと思われます(ある人のコメントで指摘されたとおりです)。イスラームでは神は唯一無二の存在とされますが、天使やジン(魔神)のような超自然的な存在も、神によって作られたものとして存在が認められています。

したがって、イスラームが広まったときでも、イスラームの権威と規範を認める限りは、土着の民間信仰の神々に対する信仰も認められることがしばしばありました。むろんこのようなことは、イスラームの信仰を純粋に理解しようとする人々から見ると承認できるものではありませんが、イスラーム布教の少なくとも初期の段階では、インドネシアの人々に新しい宗教を受け入れてもらうためのやむを得ない(しかし効果的な)手段であったと言うことはできるでしょう。

ここで興味深いのは、マタラム宮廷はイスラームを受け入れましたが、「純粋」なイスラーム(つまり、中東から直輸入されたようなイスラーム)に対しては警戒を抱いており、ジャワ的な慣習を擁護する傾向が見られたということです。ラトゥ・キドゥルへの信仰が宮廷儀礼に取り入れられた背景には、イスラームとバランスを取るために土着の信仰を維持しようとするマタラム宮廷の宗教政策があったと推測されます。

ちなみに、ブドヨ・クタワンの宮廷舞踊を作ったのはラトゥ・キドゥルだと言われている、ブドヨ・クタワンの宮廷舞踊を9人の踊り子が踊っているといつの間にか「10番目の踊り子」が現れると言われている、と説明しましたが、これらのことは、いずれも実体レベルではなく、言説レベルで理解されるべきことがらです。つまり、そのような語りによって、マタラム宮廷は、イスラームやラトゥ・キドゥルに対する独特な関係の在り方を宮廷内外の人々に表明しているのです。

最後に、蛇足ですが、同じ「せいれい」という発音ですが、「聖霊」(Holy Spirit)はキリスト教の概念であって、「精霊」(spirit)とは表記も概念も異なることに注意してください。


質問 5
文明が発達した現在でもシャーマニズムがあることが不思議です。シャーマンは、単なる儀礼ではなく、ほんとうに神や精霊と交流しているのでしょうか?

回答 5
シャーマニズムをどう理解するかについても複数の質問がありました。

まず最初にはっきりとさせておきたいことは、シャーマニズムはインドネシア特有の現象ではなく、日本を含めた多くの地域や国で実践されているということです。日本のイタコやユタ、シンガポール華人社会の童?(タンキー)、韓国の巫堂(ムーダン)などは有名で、現在でも実践が続いています。

また、授業で説明したように、シャーマニズムが成り立つ前提として、その社会で精霊の存在が認められている、つまりアニミズム的世界観が社会のなかで共有されている必要があります。このような社会では、精霊とシャーマンが交流すること自体がなかば当然のこととされていると言ってよいでしょう。

シャーマニズムを考える場合にも、実体レベルではなく言説レベルで考えることが必要です。科学的知識を用いてもすべてが分かるわけではないので(たとえば、天候のメカニズムは科学的に説明できても、1週間先の天気は確率的にしか予測できません)、人知を超えたことを知る方法としてのシャーマンの憑依や脱魂などの現象は、その社会でそれらの現象が有効であると信じられている限り、その仕組みがどうであれ、存在し続けると行ってよいでしょう。

つまり、ほんとうに精霊と交流しているかどうかがポイントではなく、その社会が求める答えをシャーマンが提供しているかどうかがポイントだろうと思います。日本でも道端の手相占いに占ってもらう人は少なくありませんが、占ってもらう人の関心が手相の仕組みそのものよりも、占いの答えの妥当性にあることを考えてみると、参考になるかもしれません。

シャーマニズムがその社会に固有の現象であることは、シャーマニズムが世界各地で見られる現象であっても、特定のシャーマンの活動がそのシャーマンのいる社会の言語や文化を超えていくことは希であることからも理解できます。


質問 6
バリのヒンドゥー教の説明で、僧侶とシヴァ神が「同化」すると説明されましたが、どのようにして同化するのでしょうか?

回答 6
シャーマニズムとならんで皆さんにとって不思議に思われたのは、バリのヒンドゥー教の理論だったようです。同化という言葉での説明は、すこし言い足りなかったようです。

バリのヒンドゥー教では、シヴァ派の僧侶は、手に印を結び、口でマントラ(呪文)を唱え、心を瞑想状態にすることでシヴァ神と自らの身体と一体化させる儀礼を日常的におこなっています。僧侶は一体化したシヴァ神の力で水を聖化します。この水は信徒たちに頭上から散布され、信徒たちは浄化されます。バリの一般のヒンドゥー教徒たちにとって、聖水による浄化は、祭礼に参加する最大の目的と言ってよいくらい重要な行為となっています。授業の中で同化と呼んだのは、この僧侶とシヴァ神の一体化のプロセスのことです。

このような同化の儀礼の起源はインドにあり、類似した儀礼は仏教(密教)でもおこなわれています。日本の真言宗で加持(かじ)と呼ばれる儀礼がそれで、行者は、手に印を結び、口に真言(しんごん)を唱え、心を瞑想状態にする三密の行によって、仏と一体となり、仏の超自然的な力によって供物や水を聖化するとされています。

このプロセスは、日常の儀礼としておこなわれており、シャーマンのトランスのような意識の変化をともなうものではありません。しかし、その深層の部分では、霊的な存在が人間の身体に一時的に取り付くというシャーマニズムの文化とつながりがあると推測されます。


質問 7
歴史的にイスラームがインドネシアに本格的に定着したの15・16世紀だということですが、他の世界宗教と比べてわずか数世紀で国全体を席巻したのは注目すべきことではないでしょうか?

回答 7
この点については説明が十分でなかったようです。

7世紀にイスラームが始まってすぐに東南アジアにもイスラーム教徒の商人たちが訪れるようになりました。しかし、東南アジアに初めてイスラームの王国が出現したのは13世紀、その後、ジャワ島にイスラーム勢力が定着し、初めてのイスラーム王国が出現したのは16世紀のことになります。

つまり15・16世紀というのは、あくまでも本格的なイスラーム定着の始まりの時代にしかすぎません。このあと21世紀の現代にいたるまでイスラーム化のプロセスは延々と進行中であると言った方が現実をよく表しています。

インドネシアの人口の88%がイスラーム教徒だと言うと、インドネシア全体がイスラーム教徒で占められているように思われがちですが、これは人口の多いジャワ島やスマトラ島にイスラーム教徒の割合が多いことも影響しているためで、実際にはイスラーム教徒の割合が少ない地域もあります。実際、講義中に地図で示したように、東部インドネシアの多くの地域ではキリスト教が優勢であって、イスラームが国全体を席巻したと言うことはできません。


質問 8
「神」と言っても、唯一神の「神」、ヒンドゥー教にみられる「神々」、精霊である「カミ」のように、意味の違いによって用いる言葉が違うということを知りました。

回答 8
この講義では、まず初めに、日本語の「神」という語には歴史的な経緯からさまざまな意味が込められていることを説明しました。この点について触れたコメントがいくつかありました。

ただし、気をつけてほしいのは、このような区別はあくまでも研究者の視点から分析した結果であって、その言葉を使っている人たちが必ずしも違いを意識して使っているわけではないことです。概念が多義的である場合、異なった用語で区別することは分析の手段として有効ですが、(その結果として用語ごとに異なる実体があるような印象が生まれるにしても)初めから用語ごとに異なる実体があるわけではないことに注意してください。


質問 9
神とは多様な存在であり、宗教を信仰する人は、その多様な神の中から自分が信じたい神を選んでいるように感じました。

回答 9
このような感想をコメントとしていただきました。確かに多様な「神」が存在するインドネシアの状況を見ると、多くの方がこのような印象をもったかもしれません。

しかしながら、現実の世界では、「自分が信じたい神を選ぶ」ということは、けっして簡単なことではありません。多くの人々にとって、信仰は、その人が生まれた集団(家族、地域、国家、その他の共同体など)においてすでに既定であって、客観的に判断して選びとるものではないことに注意する必要があります。成人してからの改宗でもっともよくある理由は結婚によるものですが、この場合でも、結婚相手の宗教に改宗することが一般的であって、「信じたい」からおこなう改宗というよりは、経済的、政治的考慮に基づく改宗だと言うべきでしょう。

2010年7月12日

地域基礎II:東南アジア研究入門で、 「宗教 その3:イスラーム」の授業を担当しました。

東南アジアでもっとも信徒数が多い宗教はイスラームです。この授業では、ビデオを見た後、イスラームの教理と実践、東南アジアへの伝播の歴史の基本を説明し、東南アジアにおけるイスラームの主な類型について説明しました。

講義の最後には、授業の復習として小テストをおこないました。

2010年5月27日

多言語・多文化社会論(歴史と現在)で「多民族国家インドネシア」の授業を担当しました。

先週の講義で紹介されたマレーシアと比較しながら、インドネシアにおける多民族の共存の特徴を理解してもらうことが狙いです。ワークシートを使いながら、ビデオ資料「南の国のデパートガール」を見てもらいました。

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2010年4月19日

地域基礎II:東南アジア研究入門で、 「歴史 その1:古代」の授業を担当しました。

現在の東南アジアの多様性を理解する鍵として東南アジア史の構造を理解してもらうことが狙いです。写真を使って、歴史的なイメージを掴んでもらいました。全体像の説明に続いて、現代まで影響を及ぼすインド化の現象を中心に古代の特徴を説明をおこない、講義の最後には、授業の復習代わりに小テストをおこないました。

先週の宿題のほかに、コメントシートと小テストの答案を提出してもらいました。宿題は後日、返却する予定です。

2010年4月12日

地域基礎II:東南アジア研究入門で、 ガイダンスに続いて地理の授業を担当しました。

東南アジアの地形と気候の概要を、それぞれの要因にさかのぼって説明をおこないました。

白地図の作成と東南アジア11か国概要リストの作成を宿題として出しています。来週の授業時間に提出をお願いします。

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2010年4月 1日

2010年度は以下のリレー講義の分担を予定しています。担当授業日が確定しましたら、順次案内していきます。最後の数字は教室番号と授業科目コードです。
【追記】(2010-09-24 日程が確定しました。2011-01-13 表象としての映画の情報を更新しました。)

【1学期】
■月曜日1限 4月12日 地域基礎II:東南アジア研究入門 ガイダンス・地理 227 (2516)
■月曜日1限 4月19日 地域基礎II:東南アジア研究入門 歴史その1:古代 227 (2516)
■月曜日1限 7月5日 地域基礎II:東南アジア研究入門 宗教と社会その2:イスラーム 227 (2516)
■木曜日1限 5月27日 多言語・多文化社会論(歴史と現在) 多民族国家インドネシア 226 (9436)

【2学期】
■火曜日1限 10月26日 世界に現れる「神」:インドネシアの神・神々・カミ 101 (6031)
■水曜日4限 11月10日・17日、12月1日(計3回) 民族と民族問題の諸相:インドネシア 101 (9417)
■木曜日2限 1月13日・20日・27日(計3回) 表象としての映画(テーマ「時、とき」):インドネシア映画『虹の兵士たち』(Laskar Pelangi) アゴラ・グローバル、プロメテウス・ホール (9408)

          

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