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リレー講義

2008年1月30日

画像史料論のコメントシートを読ませてもらいました。多くの学生から『ラーマーヤナ』の物語がおもしろかったとか、ヒンドゥーの神話に関心がわいたといった、プラスのコメントをもらいました。『ラーマーヤナ』やヒンドゥー神話についてもっと知りたい人には、以下の本がおすすめです。

1. 上村勝彦『インド神話―マハーバーラタの神々』(ちくま学芸文庫)筑摩書房, 2003.
2. 河田清史訳『ラーマーヤナ―インド古典物語』全2巻(レグルス文庫)第三文明社, 1971/2000.
1.はインド神話の神々をコンパクトに解説した信頼のできる本。2.はインドで出版された英語で書かれた子ども向けラーマーヤナを訳したもので、長い話を過不足なくまとめています。

また、コメントシートではたくさんの質問をいただきました。残念ながらすべての質問に答えることはできませんが、いくつか代表的な質問を選び(場合によっては再構成したうえで)、答えを記しておきます。

現在のインドネシアにおけるイスラームと他の宗教の関係については、2005年度の「インドネシアのイスラーム:伝統と改革の潮流」講義のQ&Aでふれているので参考にしてください。


【01】プランバナン寺院は東を正面とするということですが、東という方角には特別な意味があるのでしょうか?

サンスクリットでは東は「最初」とか「前」を意味する「プールヴァ」で表現されます。では何に対して前とするのかと言えば、やはり東から昇る太陽に向かってだと思われます。日本語の「東」も古代は「ひむかし」と呼び、「日に向かう」の意だったとする説があることも参考になります。

ところで、東を正面にして両手を広げると右手が南を向きますが、インドでは南のことを「右」を意味する「ダクシナ」と呼んでいます。インド南部のデカン高原のデカンはこの「ダクシナ」に由来します。

太陽が東から昇るのは普遍的な現象ですから、世界の様々な文化で東という方角が特別扱いになっているとしても驚くには当たらないでしょう。その一方で、先史時代から人類は想像以上に他地域と交流を持っていたことも事実です。ある考え方が一つの場所から他の場所へ広がっていった可能性も無視できません。ただし、なにぶん遠い過去にさかのぼったできごとであるだけに、このような文化交流を実証的に論証することはかなり困難と言わざるをえないでしょう。




【02】プランバナン寺院は地震で被害を受けたので解体修復の可能性が検討されていると聞きました。ヒンドゥー教徒の中には寺院の解体に対して反対する人はいないのでしょうか。

2006年5月27日におきたジャワ島中部地震では5000人を超える死者が出るほどの被害が生じました。プランバナン寺院も深刻な被害を受けたため、解体修復が必要という意見も出ていますが、どのような修復を行うかは日本とインドネシアの専門家チームが現在検討中です。

石造建築の寺院は、石のブロックを積み木のように組み立てて出来上がっています。したがって、解体修理というのは、これを一つ一つ取り外して解体し、基礎を作り直した上に、改めて組み立てることになるのだと思います。現在のプランバナン寺院も、もともとは瓦礫の山のような状態から組み立て直して再建したものですから、けっして破天荒な試みではありません。

プランバナン寺院はヒンドゥー教の寺院として9世紀頃に建立されたものですが、その後、地震などで崩壊して、廃墟のまま放置されてきました。本格的な再建が始まったのはオランダ植民地時代の末期で20世紀になってからのことです。再建された寺院は歴史的文化遺産として位置付けられており、宗教施設としての機能は果たしていません。したがって、仮に解体が決まったとしてもヒンドゥー教徒の方から反対が出るようなことはないと思われます。

オランダ時代の修復活動の背景に、純粋に学問的な関心があったことは確かですが、それ以外に、オランダ領の植民地における自分たちの「発見」」を他のヨーロッパ諸国に対して自慢する気持ちがあったことは確かと思われますし、インドネシアの人々に対しては、イスラーム到来以前にインドネシアにあった高度な文化を再構築することによって、オランダ人にこそインドネシアの古代文化を正しく評価し保護する力があることを誇示する機会になったと思われます。

一方、現在のインドネシア共和国にとっては、プランバナン寺院はインドネシアの輝かしい過去を世界に示すショーケースとなっているばかりでなく(1991年にユネスコ世界遺産に登録)、旅行客を引き寄せる大切な観光資源ともなっています。これが、地震のあと観光客の立ち入りが禁止されたプランバナン寺院の再公開が急がれている最大の理由です。




【03】プランバナン寺院にはシヴァ神の眷属以外の神像やヴィシュヌ神の転生であるラーマ王子の物語以外の浮き彫りはないのですか?ブラフマー神に関連するものが少ないようですが、なぜでしょうか。

まず初めに考慮しておくべきことがあります。別の項目でも書いたように、再建前のプランバナン寺院は瓦礫の山でしたし、石材の中には資材として持ち出されてしまったものも少なくありません。したがって、再建された寺院は決して100%完全な再建ではないということです。

さて、プランバナン寺院の中心にあるシヴァ堂には主房と3つの側房があって、シヴァ神像の他にシヴァ神の眷属の神像が安置されています(妃のドゥルガー女神、息子のガネーシャなど)。シヴァ堂の北側のヴィシュヌ堂と南側のブラフマー堂には主房のみがあり、それぞれヴィシュヌ神とブラフマー神の像が安置されています。

一方、シヴァ堂からブラフマー堂にかけての外壁には授業で紹介したラーマーヤナの物語が浮き彫りで描かれており、ヴィシュヌ堂の外壁にはこれもヴィシュヌ神の転生であるクリシュナの若い頃の活躍が浮き彫りで描かれています。

こうしてみると、シヴァ神は彫像で、ヴィシュヌ神は浮き彫りでバランスよく代表されているのに、ブラフマー神の方は影が薄く見えます。これは、偶然ではなく、意図的なものと考えられます。というのは、シヴァ神もヴィシュヌ神ももともと民間で信仰されていた神格がヒンドゥー教の中に取り込まれたものであるのに対して、ブラフマー神は宇宙の根本原理ブラフマン(梵)を人格化したものなので神話らしい神話が存在しないのです。インドでもブラフマー神を祀った寺院はほとんどないほどですから、プランバナン寺院でブラフマー神の存在感が薄いのも当然と言えるでしょう。

同様に、シヴァ堂なのにヴィシュヌ神の転生であるラーマ王子の物語が描かれているのも、一見すれば奇妙ですが、特定の宗派にこだわるのではなく、トリムルティを表現するという全体的な構想のもとでプランバナン寺院が設計されたのだと考えれば、理解できることだと思います。




【04】プランバナン寺院では、北から南にヴィシュヌ堂、シヴァ堂、ブラフマー堂が配置されていますが、これにはどういう意味があるのですか。

ヒンドゥー教の教理では、ブラフマー神が宇宙の創造、ヴィシュヌ神が宇宙の維持、シヴァ神が宇宙の破壊を担っており、3神あわせてトリムルティ(三位一体)と呼んでいます。したがって、これら3神の堂から構成されるプランバナン寺院は全体でトリムルティを象徴し、さらにそれぞれの神々の活躍を彫像や浮き彫りで表した、一種のヒンドゥー教百科事典的な性格をもっていたと見ることができます。

神々を特定の方位に配置する考え方はインドにも見られますが、中央にシヴァ神、その北側と南側にヴィシュヌ神とブラフマー神を配置する考え方はインドネシアに特有の考え方かもしれません。この配置は、15世紀頃のジャワ語文献『コーラワーシュラマ』に見えますし、現在のバリのヒンドゥー寺院でもおこなわれています。




【05】バリ島を旅行したときに現地のガイドさんから、「ヒンドゥー教の神様は一人だけで、多数いるように見えるのは名前が変わっているだけです。」と言われました。ヒンドゥー教は多神教だと思っていたのですが、なぜこのような説明があったのでしょうか。

現在のバリ島のヒンドゥー教はインドのヒンドゥー教とまったく同じものではありません。それには二つの理由があります。

第一にバリ社会の成り立ちに由来する理由です。14世紀にヒンドゥー教を信奉するジャワのマジャパヒト王国がバリを征服し、バリはマジャパヒト王国の一部となります。その後、ジャワがイスラーム化したのに対して、バリはイスラーム化を免れ、イスラーム勢力に取り囲まれたほぼ唯一のヒンドゥー社会として独自の発展を遂げました。このため、バリのヒンドゥー教にはジャワ的ないしバリ的な土着的要素が多く見られるようになっています。

第二にインドネシア共和国の一部であることに由来する理由です。オランダから独立したインドネシアでは、特定の宗教を国教とはしない代わりに、唯一信仰を、パンチャシラと呼ばれる国家の根本原理の一つとしました。これはイスラーム勢力と非イスラーム勢力の妥協の産物でしたが、いずれにせよ、このパンチャシラがあるために、インドネシアで公認されている宗教団体は、自分たちの宗教が唯一神信仰であることを教理として主張しなくてはならなくなりました(インドネシアでは政府が公認した宗教だけが信仰の対象となります)。

質問にかかわる理由は第二の理由です。バリのヒンドゥー教徒たちは、サン・ヒャン・ウィディという至高神が存在し、その多様な現れがシヴァやヴィシュヌといった神々であると主張することで、自分たちの宗教がパンチャシラに背かないようにしました。これはバリのヒンドゥー教の公式な教理となっており、学校でもそう教えられています。ガイドさんの説明にはこのような背景があります。




【06】現在のバリで、ヒンドゥー教の寺院に神像を置かないということですが、それはもともとあったバリの習慣によるものなのでしょうか。

すでに別の項目でも書いたように、バリ島のヒンドゥー教は、その成り立ちから、インドのヒンドゥー教とは異なった特徴を持つようになりました。ヒンドゥー教がもたらされる以前のバリでは精霊信仰が一般的だったと思われます。現在のバリの儀礼でも観察できることですが、精霊(神)はふだん目に見えない世界に住んでおり、人間が祭りをおこなったりしたときに、降りてくるというものであり、常に像を安置しておく必然性はなかったのでしょう。これは、日本の神道でも仏教が仏像をもたらす以前は神の像を造ることがなかったことを考えれば、理解しやすいと思います。したがって、現在のバリで神像を置かないのは、バリ本来の精霊信仰の形態にもどったためではないかと推測されます。



【07】ヒンドゥー教の神々について絵を見ながらの解説をしてもらいました。絵を見るとヒンドゥーの神々は他の宗教の神と比較してとくに攻撃的な印象を受けたのですが、なぜなのでしょうか。

ヒンドゥー教の神々が攻撃的だという印象を受けたのは、シヴァ神が三叉戟を持っていたり、ドゥルガー女神が悪鬼を殺して仁王立ちになった図像を見てもらったことから生まれた印象だと思います。確かにそのとおりで、ヒンドゥーの神々の図像にはどこか攻撃的な雰囲気があることは否めません。

しかし、これはヒンドゥー教の神々に限ったことではありません。たとえば、ギリシャ神話やローマ神話、あるいは日本神話に出てくる神々にも攻撃的な側面があります。例としてリンク先(wikipedia)の素戔嗚尊の絵ネプチューンの彫刻を見てください。いずれも攻撃的な雰囲気を持っています。これらの神々にどのような共通点があるかと考えてみれば、キリスト教やイスラームの超越的な神とちがって、ヒンドゥー教やーマ神話や日本神話の神々は人格的な神であることがわかります。彼らは人間と同じように戦いもすれば恋もする存在として描かれています。つまり、ヒンドゥー教の神々が攻撃的に見えるのは実は私たち人間社会の攻撃性を正直に反映したものだと言えるでしょう。




【08】ヒンドゥー教によると現代はカリ・ユガだそうですが、プランバナン寺院が建立された時の時代は何時代だったのでしょうか。

ヒンドゥー教によると、宇宙が存在している時間は、クリタ・ユガ、トレーター・ユガ、ドヴァーパラ・ユガ、カリ・ユガの4つの時代に分けられ、私たちが生きている現代は、最後の最も堕落したカリ・ユガであるとされています。さて、古代インド人の計算によると、カリ・ユガが始まった年は、現代の暦に換算して紀元前3102年1月23日になるそうです。したがって、プランバナン寺院が建設された紀元9世紀は当然カリ・ユガになります。14世紀のジャワの文献にもカリ・ユガが始まった年が正しく書かれているので、プランバナン寺院を建設したジャワ人もこのことを知っていたことは間違いないでしょう。ちなみにカリ・ユガは43万2000年続くことになっており、この期間が過ぎると宇宙はシヴァ神によって破壊されます。



【09】プランバナン寺院では僧たちが修行していたのでしょうか。

プランバナン寺院そのもので修行が行われたと考える必要はないと思います。一般に寺院建築は、礼拝のために神仏の像を安置した建物と儀礼をおこない寺院を管理する僧侶たちが住むための建物とに分かれます。再建されたプランバナン寺院は礼拝のための建物と考えられますから、プランバナン寺院の周辺に、僧侶たちが生活するための建物や、新入りの弟子たちが修行をおこなうための建物があったはずです。ただ、これらの建物はより簡便に建てられる木造建築だったので跡が残っていないのだと思われます。



【10】インドネシア、東南アジア、インドの他の寺院と比べるみてプランバナン寺院にはどのような特徴がありますか。
インドネシアにはプランバナン寺院以外にも、ジャワ島の中部と東部を中心に、多くのヒンドゥー教寺院と仏教寺院の遺跡が残っています。ヒンドゥー教寺院としては東部ジャワのチャンディ・パナタランが、仏教寺院としては中部ジャワのボロブドゥールが有名です。

プランバナン寺院の特徴は多々ありますが、その中でもわかりやすいのが、中心のシヴァ堂の47mという高さが示す縦長のプロポーションと、外壁に描かれた優れた浮き彫りだと言ってよいでしょう。

47mという高さはインドネシアはもとより同時代のインドにも類を見ない高層建築です。構造的には段台ピラミッド式に積み重なっていますが、全体として垂直線を強調した砲弾型をしており、専門家はインド北部の高さを強調した砲弾型の様式とインド南部の段台ピラミッド式の様式が融合したものだと見ています。砲弾型(トウモロコシ型と言ってもよい)の塔を持つという点では12世紀のカンボジアに建立されたアンコール・ワットとも共通点があるようです。

浮き彫りのある寺院は、プランバナン寺院以外にも存在しますが、優れたものはそれほど多くありません。その中でも仏伝などを描いたボロブドゥールの浮き彫りはプランバナンの浮き彫りと並ぶ優れたものと言ってよいでしょう。先に名前のあがったチャンディ・パナタランにはラーマーヤナの壁画が残っていますが、これはどちらかというと素朴な作風です。アンコール・ワットにも浮き彫りがありますが、こちらはマハーバーラタから場面を選んで描いています。

表面の仕上げ材としては火山岩の一種である安山岩系の石材を使っているので、全体として灰色の色調になっています。ただ、アンコール・ワットには彩色が施されていたことが分かっていますから、プランバナン寺院も同様であったかもしれません。

総合的に見て、プランバナン寺院は、インドと東南アジアを通して古代ヒンドゥー教建築のなかで5本の指に入る、優れた建築であり、まさに人類全体の文化財だと言ってよいと思います。



【11】プランバナン寺院の浮き彫りが大変に繊細であることに感動した。当時はちゃんと設計図をかいて精密に作っていたのですか。
当時の作業工程を示す記録は残っていませんが、推測は可能です。石工によって石材が組まれると、最初に絵師が墨で石の上に線を描いたのでしょう。次に彫り師が、まず線に沿って大まかに彫り込んでから、さらに細かな部分の彫り込みをおこなったのでしょう。それぞれの職人が技能と熟練度に応じて作業を分担し、流れ作業のように仕事を進めていったと思われます。現代の大型プロジェクトにも通じるような専門性と組織性が発揮された事業であったわけです。


【12】なぜプランバナン寺院の壁画の題材としてラーマーヤナが選ばれたのでしょうか。
授業では、浮き彫りという「テクスト」を読み解くにあたって、浮き彫りによって語られるラーマ王子の冒険という「物語」のレベルと、「テクスト」の発信者と受信者が生きていた社会という「コンテクスト」のレベルを区別することが必要であると指摘しました。この質問はコンテクストのレベルについて尋ねた質問になります。

さて、プランバナン寺院は9世紀に当時中部ジャワを支配していた、ヒンドゥー教を信奉するマタラム王朝の王が建立したヒンドゥー寺院です。別の項目でも説明したように、プランバナン寺院は全体でトリムルティを表現しており、当時のヒンドゥー教の全体像を提示することがその建立の目的であったと思われます。したがって、ラーマーヤナの浮き彫りの第1義的な目的は、ヒンドゥー教の全体像の中でのヴィシュヌ神の活躍を描くことであったと言えるでしょう。

ヴィシュヌ神について重要なことは、宇宙の維持をつかさどる神だということです。そのため、ヴィシュヌ神は宇宙の秩序を乱すものが現れると、地上世界に生まれ変わって、その原因を取り除くために活躍します。宇宙の秩序をみだすものは、多くの場合、ラーヴァナのような化け物として表象されており、ヴィシュヌの転生はそれと戦って倒すことによって宇宙に秩序を取り戻します。このように、ヴィシュヌ神の役割は、物理的な力を行使して社会の秩序を回復し、維持するという点で王の役割と重なるところが大きいため、王族から崇拝される傾向がありました。ヴィシュヌ神の転生であるラーマ王子が理想的な王として描かれているのも偶然ではありません。マタラム王朝の王たちはラーマーヤナの浮き彫りを通じて、自分自身がラーマのようにすぐれた王であることを人々に訴えかけたのでしょう。

プランバナン寺院の浮き彫りというテクスト自体は、ラーマーヤナという物語を語るものなので、直接的に歴史叙述にかかわっているわけではありません。しかし、テクストが成立したコンテクストを分析することは、浮き彫りを史料として使うための一つの手法になります。また、この手法の応用として、物語にはあっても浮き彫りというテクストで語られていない部分があるとしたら、その部分を分析することで、発信者の意図を推測することも可能だと思われます(これは学生の一人から提案された手法ですが、今回は適当な例を見つけることができませんでした)。




【13】猿の王ヴァーリンは何の落ち度も無いのにラーマによって殺されてしまいます。これは理不尽ではないでしょうか。

ヴァーリンの殺害は確かに理不尽に思われます。よく行われる説明は、ヴィシュヌ神の転生であるラーマによって殺されることは、よりよい生に転生することが約束されているので、殺されるものにとっては喜ばしい恩寵だというものです。

ただ、この説明でもヴァーリンが殺されることの理由にはなりません。物語の中でこのような矛盾や不整合が生じるのは、ラーマーヤナが一人の作者によって構想されたものではなく、数世紀もの長い時間をかけて、いろいろな材料を取り込んで現在の形に成ったためです。もともと独立していたスグリーヴァとヴァーリンの物語は、ラーマが王宮を追われ弟バラタに王位を譲らざるをえなかったところに共通点を見出した詩人によって、ラーマーヤナの中に取り込まれたのでしょう。




【14】ラーマーヤナは国や地方によって違いがあるのでしょうか。また、欧米でも研究がされているのでしょうか。

ラーマ王子の冒険の物語にはさまざまな言語によるさまざまなバージョンがあります。サンスクリットで書かれたヴァールミーキ版のラーマーヤナは確かに古典的な地位を占めていはいますが、実際には、多くのラーマ物語の中の一つに過ぎません。インドの中にも多くのバージョンが存在していますし、東南アジアでも国や地域によって語られる内容が大きく異なっています。たとえば、ラオスには仏教説話化したラーマ物語が知られています。

ラーマーヤナはアジアのみならず世界中の人々の興味をひいてきました。欧米でも英語をはじめとする言語に翻訳がされていますし、研究も盛んです。とはいえ、ラーマーヤナは、東南アジアのほとんどの国が共通にもっている古典文化であり、人々をつなぐ共通の文化財として、これからも東南アジアで人気を持ち続けるだろうと思われます。

2007年11月28日

リレー講義「画像史料論」(2学期水曜日4限)の中で、「東南アジアの画像史料:物語の浮き彫りを読み解く」を2回にわたって担当します。第1回は本日11月14日、第2回は11月28日です。

第2回の今週は、浮き彫りという史料を読むときに意識しておくべき三つののレベルを説明したあと、プランバナン寺院のラーマーヤナの浮き彫りをスライドで紹介しました。

配付資料をもらっていない人は下からダウンロードしてください。
配付資料をダウンロード (PDF 405KB)


次回は、浮き彫りの場面を一つずつ紹介し、その内容・形式・社会的文脈を読み取っていきます。

コメントシートに書いてもらった質問には、このブログでできるかぎり回答しようと思っています。

2007年11月14日

リレー講義「画像史料論」(2学期水曜日4限)の中で、「東南アジアの画像史料:物語の浮き彫りを読み解く」を2回にわたって担当します。第1回は本日11月14日、第2回は11月28日です。

第1回の今週は、プランバナン寺院建立の歴史的背景、寺院の背景、宗教的背景を説明したあと、ビデオ映像でTBS世界遺産第208回「プランバナン寺院遺跡群」を見てもらいました。

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次回は、浮き彫りの場面を一つずつ紹介し、その内容・形式・社会的文脈を読み取っていきます。

コメントシートに書いてもらった質問には、このブログでできるかぎり回答しようと思っています。

2007年10月23日

宗教学のリレー講義「世界に現れる神」の第4回として、「インドネシアの神・神々・カミ」というテーマで講義をおこないました。日本語の「神」概念をまず整理したあと、インドネシアのジャワに焦点をあて、ジャワの固有の信仰、ヒンドゥーないし仏教的な神仏信仰、イスラームの唯一神観念の三者の間に見られる歴史的関係を説明しました。

出席者は230名弱でした。提出してもらったコメントシートについては、近く、簡単な講評をここに掲示する予定です。

2007年4月21日

2007年度には次の3つのリレー講義で分担講義をおこないます。

【1】1学期 5月17日
授業科目 総合科目VI
授業題目 多言語・多文化社会(歴史)(9444)
対象学年 1年次~4年次
開講学期 1学期
曜日・時限 5月17日(木)1限
教室 226
授業の目標 「インドネシアの多言語・多文化社会」というテーマで、インドネシアにおける多言語・多文化社会の実情と歴史を概観する。
教材・参考書等 プリントを配付する。
成績評価の方法 授業後にレスポンス・ペーパーを提出することで出席とする。成績は学期末の試験(選択制)で評価する。
注記 リレー講義のうちの1回を担当。この講義の詳細はAdd-on Program「多言語・多文化社会」の「多言語・多文化社会(歴史)」を参照のこと。問い合わせは授業代表の野本京子先生(日本語専攻)まで。
【2】2学期 10月23日
授業科目 宗教学(専修専門科目・総合文化コース)
授業題目 世界に現れる「神」(6024)
対象学年 専修専門科目だが2年次も履修可能
開講学期 2学期
曜日・時限 火曜・1限
教室 101
授業の目標 「インドネシアの神・神々・カミ」というテーマで講義をおこなう。インドネシアのジャワに焦点をあて、ジャワの固有の信仰、ヒンドゥーないし仏教的な神仏信仰、イスラームの神観念の三者の間に見られる歴史的関係を理解する。
教材・参考書等 スライドを使用。プリントを配付する。
成績評価の方法 授業後に提出してもらったレスポンス・ペーパーの内容で評価する。
注記 リレー講義のうちの1回を担当。問い合わせは授業担当の土佐桂子先生(ビルマ語専攻)まで。
【3】2学期 11月14日・11月28日
授業科目 地域・国際研究方法論
授業題目 画像史料論(521M0006)
対象学年 博士前期課程。学部生にも開講(下記参照)
開講学期 2学期
曜日・時限 11月14日(水)4限・11月28日(水)4限
教室 102(322から変更)
共通科目 専修専門「歴史学(世界史II)」地域国際コース(7136)と共通
授業の目標 「物語の浮き彫りを読み解く」インドネシアのジャワ島中部にあるプランバナン寺院は9世紀中頃に建立されたヒンドゥー教寺院建築の傑作である。この石造寺院の回廊壁面にはヒンドゥー教の叙事詩『ラーマーヤナ』の浮き彫りが描かれている。この授業では、プランバナン寺院建立の歴史的背景を説明したあと、浮き彫りに描かれた物語世界自体の分析と、物語と当時のジャワ社会の関係の分析という二つの視点を踏まえつつ、浮き彫りを読み解くことを目標とする。
教材・参考書等 スライドを使用。プリントを配付する。
注記 リレー講義のうちの2回(第7回・8回「東南アジア」)を担当。この講義の問い合わせは授業担当の吉田ゆり子先生(日本史専攻)まで。
          

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