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2007年2月21日

【ブログについて】

東京外国語大学のサーバにインストールされているMovableTypeが3.34にバージョンアップされた。現時点では最新のバージョンである。

2007年2月 9日

【ジャワ文化概説】

今学期最後の授業となる今週は、マジャパヒト朝時代に作られた仏教叙事詩『スタソーマ』を取り上げました。バリ島のクルンクンにあるバレ・カンバンの天井画のスライドを使って物語を紹介しました。インドにはない独自の物語であること、仏教を主題にしていること、舞台の設定がカリ・ユガであることなどに、ジャワ独自の創作である特徴があらわれています。バリは14世紀にマジャパヒトによって征服されることによって、文化的にヒンドゥー・ジャワの一部になりました。これが、ジャワ島がイスラーム化しても、ヒンドゥー・ジャワの伝統を残している理由です。

課題レポート1と2の返却をしました。今日、欠席した人は青山まで受け取りにきてください。

期末レポート(3)を受け付けています。今日、出せなかった人は、2月13日(火)までに青山に直接提出してください。

それでは、2学期のあいだお疲れ様でした。

【インドネシア語読解】

今学期最後の授業となる今週は、期末試験をおこないました。また、「日本史」和訳レポートを返却しました。全員がちゃんと単位をとれることを祈っています。それでは、新学期に会いましょう。

2007年2月 6日

【3年次対象ゼミ】

今日は、残った卒論案の発表をしてもらいました。それぞれ、(7)「バリ・ヒンドゥーの方角における色の象徴」、(8)「インドネシアのイスラームの受容と土着文化」、(10)「インドネシアにおける女性の教育と労働」、(11)「人名に見るインドネシア文化」、(12)「インドネシアにおける女性割礼はFGMか?」というテーマでした。

(7)は欠席でした。(8)については、正攻法のテーマですが、卒論レベルでは、もう少しテーマを絞った方がよいと思います。(10)についても、教育と労働の両方を同じだけするのは無理なので、労働を主として教育を従とした方がよいと思います。(11)では、苗字と名を最初に分けて論じておいた方がよいでしょう。(12)は、とにかくにもインドネシアの産婆さんにあたって、実態の解明をすることが先決と思います。

春休みかけて、必要な文献を読み進めてください。就職活動で忙しくなる時期ですが、新学期の最初の授業には顔を出して、状況を報告をしてください。

【地域基礎】

今日は、インドネシア映画Ada apa dengan Cinta?(日本語題名ビューティフル・デイズ)の後半を鑑賞しました。バランスのよく取れた映画だと思います。

映画の中で、ランガの父親に英語の電話がかかってくる場面があります。字幕では、ランガのアメリカ留学が決まったことを知らせる連絡のように書かれていますが、正しくは、父親のアメリカ招聘が決まったことを伝える連絡です。ランガは父親がアメリカに行くので、それについていくわけです。

今学期の授業は今日で最後です。期末レポートの提出を忘れないでください。

2007年2月 2日

【ジャワ文化概説】

2月2日の講義では、14世紀~15世紀のジャワの状況を、マジャパヒト王国の宮廷詩人プラパンチャが表した『デーシャワルナナ』(De?awarṇa)を中心に使って説明しました。来週は、最終回です。ジャワからバリに伝わった仏教叙事詩『スタソーマ』(Sutasoma)について説明します。

今週は、学期末レポートの課題を出しました。課題は以下のとおりです。

下記の設問に答え、2007年2月13日(火)午後5時までに青山研究室(633)に提出しなさい。(来週の授業時間中でもかまいません。)レポートは、全体でA4判レポート用紙1枚にまとめなさい。最上部に氏名、学生番号を明記し、末尾に参考にした文献の一覧を付けること。(2月13日は火曜日です。当初、月曜日と書いていたのは誤りです。訂正します。)

インドネシアの人口の9割近くがイスラーム教徒である。しかし、インドネシアの国章には、ヒンドゥー教の神話に出てくるガルーダの姿が描かれている(図参照)。また、インドネシアの国営航空会社の名称はガルーダ・インドネシア航空である。イスラム教徒が多数派を占めるインドネシアにおいて、このようにヒンドゥー教に由来するシンボルが使われている理由を、インドネシアの中で多数派を占めるジャワ人の文化の歴史的背景にさかのぼって、予備知識のない人(この授業を受けたことのない人)にもわかるように、説明しなさい。

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【インドネシア語読解】

今日の授業では、最初にBBCの1月25日のニュースから「2002年のバリ爆弾テロ事件が映画化される」の発表がありました。これについては、別のエントリーで詳しく扱います。

Orang dan Bambu Jepangの読解では、20ページの第2パラグラフの終わりまで終了しました。来週おこなう学期末試験では、テキストの最初からここまでが範囲となります。

今日読んだ部分には、Anak-anak kedudukannya sesuai dengan jenis kelaminnya.という表現が出てきました。この中のsesuai dengan~という表現は、「~に応じて」という意味になので、「子供たちはそれぞれの性別に応じて(家族内の)位置が定まっている」という訳になります。ちなみに、sesuaiには「応」がふさわしいといったように、インドネシア語の単語(とくに基語)については、もし漢字一字で表すとしたら何がふさわしいかを考えてみると、けっこうよい語彙の勉強になります。

もうひとつ、apa boleh buatという表現がありました。この中のbuatberbuat「為す」という意味で、全体としては、「何をなすことができようか、いや、何もなすことができない」つまり「どうしようもない」「仕方がない」という意味になります。

最後に、注目したいのは、Tokyo Daigakuの略語をTodayという風にyを使って表記している点です。これは、著者の間違いというよりは、もともとアルファベットではiとyが同じ音価をもっており、交換可能であるということに基づいています。使い分けとして、母音としてはiで表記し、子音としてはyで表記をするわけです。このことは、フランス語ではアルファベットのyを「ギリシア語のi」と読んでいることからも明らかです。興味深いことに、インドネシア語の前身であるマレー語はかつてアラビア文字に由来するジャウィ文字で表記されていたことがありますが、ジャウィ文字では、iとyを区別することなく同じ文字? (ya) で表記していました。著者の心理を推し量ってみると、Todaiという風に母音が二つ続くよりも母音aのあとには子音のyを使う方が自然に感じられたのかもしれせん。

【2006年度の記録】

最近のBBC Indonesia.comのニュースからSerangan bom Bali 2002 difilmkan (2007年1月25日)を、読解授業を受けている2年生が翻訳したものです(一部手を加えてあります)。

2002年のバリ爆弾テロ事件が映画化される

4年前バリで起こった爆弾テロ事件以来はじめて、インドネシアの映画会社がスクリーンでこの問題を取り上げた。

昨日24日火曜日から「ロング・ロード・トゥー・ヘブン」がインドネシアの各地で公開され始めた。この映画は、最近バリにふりかかった事件をフィクションの形で表しており、これらは、爆弾テロ事件の計画者の目線とこの爆弾事件を生き延びた人々の目線、つまり犯人らの目線を通して描かれている。

この爆弾テロ事件では200人が死亡し、その大部分が観光客であった。

 今年は、その爆弾テロ事件の5周年に当たる。ニナ・ディナタ映画監督は、「その爆弾テロ事件から引き出すことができるさまざまな教訓を改めて見直すいい機会である」と述べている。

 ニナ・ディナタ監督は、この新しい映画のポスターでいっぱいの会社において、「その攻撃の原因となる問題と比べて、テロリズムの問題を取り上げる映画はそんなに多くない。」と述べた。

 「私は、インドネシアで、寛容さや人間性について再び議論されることを望んでいる。」

 「そして、そのこと(議論されること)はこのバリの爆弾テロ事件に対する問題の理解につながる」

人間的側面

この映画は、爆弾テロの計画立案と実行をおこなった三人の人物について、そして爆弾テロ事件後の時代(経過)についての話を含んでいる。

しかしながら、この映画は、その計画を裏で操った集団であるジュマー・イスラミーヤの中でも急進的なムスリム・メンバーたちの間の関係を掘り起こすために多くの時間を費やしている。

エニソン・シナロ映画監督にとって、すでに知られている人物の特徴を描きだすことが、この映画を観客に届けたい大事な部分である。

「これらの人物はこの映画にとってかなり重要である。」とシナロ監督は述べた。そして全ての過程に対して(かなり重要である。)だから、私たちは、犯行を行った彼らの脳裏の中に入りたいと、とても願い、そして彼らの人間性を示したいと思っている。

それだからこそ、爆弾テロの犯人たちはインターネットでのポルノ的題材を操作したり、もて遊んだりできないことを私たちは示さ無ければいけないかった。


シナロ監督は、全ての人がその映画(「ロング・ロード・トゥー・ヘブン」)の方向性を好むとは期待していない。しかしながら、彼は、人々がこの映画に過剰な反応を起さないことを期待している。

「私たちは、人々が、私たちがイスラームの名を汚し、イスラームを貶めると考えることを望んでいない。そのようなことはないのだから。そして、私たちは、そのような圧力に降伏する気もない。」

様々な見解

今月の初め、この映画はジャカルタの限られたグループに公開され、すでにいくつかのグループがこの映画を見た。

そして、この映画の上映の後、映画館の廊下で様々な見解があった。

「『ロング・ロード・トゥー・ヘブン』は、インドネシアの様々なムスリム信徒の姿勢を描きだしている点があり、とてもよいと感じている」と何人かは述べている。

その他の人々は、「この映画の構造は複雑すぎる。その結果として観客は、方向性を見失ってしまう」と述べた。

3つ目の集団は、「この映画は、バリが、すでに行き過ぎた自由の島になってしまったというメッセージを伝えている。」と感じていた。

この映画の中で扱われた、その爆弾テロ事件を起こした3人は、現在、投獄されており、処刑を待っている途中である。

インドネシアは、地域の中でイスラーム過激派に警戒心を抱くことをすでに学んだ。また、さまざまなその攻撃以来、反テロ隊はすでに、逮捕を行っている。

しかしながら、映画『ロング・ロード・トゥー・ヘブン』によって取り上げられた様々な問いには未だ答えが出ていない。つまり、そこにおいて、インドネシアは、イスラームの意味についての論争(議論)をどのようにして克服していくのかという問いに未だ答えを出していない。

補足:
1. beragamber-agamaではなく、be-ragamなので注意。「多様な」という意味。
2. menghabiskan banyak waktuは、「多くの時間を費やしている」という意味。

          

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