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2月2日 【読解の授業】

【インドネシア語読解】

今日の授業では、最初にBBCの1月25日のニュースから「2002年のバリ爆弾テロ事件が映画化される」の発表がありました。これについては、別のエントリーで詳しく扱います。

Orang dan Bambu Jepangの読解では、20ページの第2パラグラフの終わりまで終了しました。来週おこなう学期末試験では、テキストの最初からここまでが範囲となります。

今日読んだ部分には、Anak-anak kedudukannya sesuai dengan jenis kelaminnya.という表現が出てきました。この中のsesuai dengan~という表現は、「~に応じて」という意味になので、「子供たちはそれぞれの性別に応じて(家族内の)位置が定まっている」という訳になります。ちなみに、sesuaiには「応」がふさわしいといったように、インドネシア語の単語(とくに基語)については、もし漢字一字で表すとしたら何がふさわしいかを考えてみると、けっこうよい語彙の勉強になります。

もうひとつ、apa boleh buatという表現がありました。この中のbuatberbuat「為す」という意味で、全体としては、「何をなすことができようか、いや、何もなすことができない」つまり「どうしようもない」「仕方がない」という意味になります。

最後に、注目したいのは、Tokyo Daigakuの略語をTodayという風にyを使って表記している点です。これは、著者の間違いというよりは、もともとアルファベットではiとyが同じ音価をもっており、交換可能であるということに基づいています。使い分けとして、母音としてはiで表記し、子音としてはyで表記をするわけです。このことは、フランス語ではアルファベットのyを「ギリシア語のi」と読んでいることからも明らかです。興味深いことに、インドネシア語の前身であるマレー語はかつてアラビア文字に由来するジャウィ文字で表記されていたことがありますが、ジャウィ文字では、iとyを区別することなく同じ文字? (ya) で表記していました。著者の心理を推し量ってみると、Todaiという風に母音が二つ続くよりも母音aのあとには子音のyを使う方が自然に感じられたのかもしれせん。

          

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