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2012年5月31日

【4年次対象ゼミ】

今週は、MYさんとSMさんが参加しました。MYさんは日本による対インドネシアODAの歴史をテーマにすることにしました。SMさんは日本の対インドネシアODAに対するMDGsの影響に関心をもっており、今回は、乳児死亡率の変化について報告をしてくれました。

【東南アジア古典文化論】

今週は、先週途中までで終わった大乗仏教と上座仏教の分離のところから始めて、密教の出現、そしてイスラームの到来までを講義しました。

続いて、配付資料とスライドを使ってジャワ島の仏教遺跡チャンディ・ボロブドゥールの説明をしたあと、映像資料『世界遺産 ボロブドゥール寺院遺跡群』(TBS, 2009年9月13日放送, 24分)の最初の10分まで見ました。

次回は、映像資料の続きを見てから、ジャワ島のヒンドゥー教遺跡チャンディ・プランバナンについて検討をする予定です。

■今週の配布物(PDF)
・配付資料:ボロブドゥールの仏教 (181KB)
・配付資料:ボロブドゥール仏教遺跡 (272KB)

2012年5月28日

【3年次対象ゼミ】

今週は、『論文ワークブック』の宿題の残った部分を検討したあと、レポートを提出してもらいました。

続いて、先週の宿題であった、アンダーソン『想像の共同体』で述べられている、ラテン語の衰退を招いた3つの外部条件と、出版資本主義の台頭を促した資本主義についての報告してもらいました。

次回は、関本照夫「東南アジア的王権の構造」伊藤亜人・関本照夫・舟曳建夫編『現代の社会人類学3 国家と文明への過程』(東京大学出版会, 1987: 3-34)を読んでレジュメを用意してきてください。

【インドネシア語読解】

最初に、第1章~第3章を対象にした小テストをおこないました。欠席した人は633のドアボックスから問題を受けとり、答案を来週の授業時間に提出してください。

応用編No.3を返却し、No.4を提出してもらいました。

テキストは第4章のp.17, pr.3の終わりまで進みました。次回はp.17, pr.4から始め、第5章に進む予定です。

2012年5月24日

【リレー講義】

6限補講の時間に101教室で、以下のスライドと配付資料を使って学術リテラシー第8回「総合文化コース・ガイダンス」をおこないました。

■スライド(Microsoft社のSkyDriveを利用しています)

■配付資料(PDF)
総合文化コースの専任教員と2011年度卒業論文・卒業研究の一覧

【東南アジア古典文化論】

今週は、配付したワークシートを使いながら、仏教とヒンドゥー教というインドに起源を持つ宗教の発展を検討しました。ヒンドゥー教の起源があるときは古く、あるときは新しく思われるのか、理解してもらえたと思います。今週は最後まで終わらなかったので、次回は大乗仏教と上座仏教の分離のところから始めます。

■今週の配布物(PDF)
インド起源の宗教の発達

【ブログについて】

5月24日に学術リテラシーの授業の一環として総合文化コースのガイダンスをおこなった。

この授業で使用したパワーポイントのスライドを、マイクロソフト社のSkyDriveのサービスを使ってブログ上に表示してみた。

SkyDriveは、オンライン・ストレージの一つだが、マイクロソフト社が提供しているだけあって、マイクロソフト社のソフトとは親和性が高い。まずSkyDriveにサインインして無料のIDを取得しておく必要がある。あとは、パワーポイントのファイルをアップして、「公開する」に設定し、自動生成されるリンク用のコードをブログに貼るだけで、ブログ上にサムネイル画像のスライドが表示される。

このサムネイル画像だけでも、クリックすることでスライドが入れ替わるので、十分にプレゼンテーションになるが、スライドのアニメーション効果は表現されない。アニメーション効果を見るためには「プレゼンテーションをフルサイズで表示」をクリックしてやる必要がある。そうするとSkyDriveのサイトに移動し、フルサイズでアニメーション効果付きのプレゼンテーションを閲覧することができる(公開されているスライドを閲覧ためにはSkyDriveのIDは不要である)。

スライドの公開に先立って、スライドの中で使用した、著作権の問題がある画像は削除している。このあたりは、教室内での使用とはことなる注意が必要である。

今回は試行的におこなってみたが、簡便なオープンコースウェア(OpenCourseWare, OCW)の手段としては十分に使えるという感触を得た。

もっとも、現在のOCWで興味深いものは、YouTubeを使った講義の配信なので(たとえばKhan Academy)、いずれはこのような教材を考えてみたい。

2012年5月23日

【地域基礎】

今週は、配付資料とスライドを使って、インドネシアの華人について説明しました。スハルト時代の政策まで話しを進めました。次回は、スハルト時代に成長をとげた華人系財閥の話しから始めます。

配付資料を読んで、復習と予習をしておいてください。とくに、資料末尾の英語の資料(BBC News Chinese diaspora: Indonesia, 2005)はきちんと読んで、華人にとっての同化政策と統合政策の意味について考えてきておいてください。

前回の地理の小テストの答案を返却しました。

次週5月30日はボート大会による休講のため、次回は6月6日です。ボート大会での好成績を祈っています。

2012年5月21日

【3年次対象ゼミ】

最初に、『論文ワークブック』で宿題にしていたpp.9-43について全員で検討しました。次回は、pp.44-50について検討する予定です。

そのあと、アンダーソンの『想像の共同体』の「共同体」概念についてあらためて振り返り、古い「想像の共同体」であるキリスト教世界(カトリック教会)について検討しました。

次回は、キリスト教世界の衰退を促したラテン語衰退の三つの要因とこれらの要因と関連する資本主義の勃興について検討します。それぞれ、調べてきて議論に参加できるようにしてください。

【インドネシア語読解】

今週は、テキストの3章の終わりまで進みました。来週から第4章にはいります。

応用問題のNo.4を配付しました。時間が十分になかったので、問題の検討は次回おこないます。最後に、応用問題のNo.2を返却し、No.3を提出してもらいました。

次回は、第1章~第3章の範囲で小テストをおこなう予定です。

2012年5月18日

【ブログについて】

ブログサイトの更新の一段階として、「過去の記録」のカテゴリーを先週から再編成している。具体的には、ブログを利用し始めた2005年度以降のエントリーについて、各年度のカテゴリーの下に授業科目のカテゴリーを新しく作成し、エントリーのカテゴリーを振り直した。これまでは、各年度のカテゴリーにすべてのエントリーが時間軸に沿って並んでいたが、今回の作業によって、特定の授業科目のエントリーを年度ごとに閲覧することができるようになった。

今回の作業はまだ途中までである。このあと、各年度ごとに時間割を作成し、時間割の授業科目をクリックすることで、その年度のその授業科目がすべて閲覧できるようにする予定である。一応、各年度の時間割は作成したが、実は2012年度の時間割をもとに作成しているため、リンク先が2012年度の授業科目のままである。これを各年度の授業科目にリンクを貼りかえる作業がまだ残っている。5月中には完了させたいと考えている。

今回の作業が完了すれば、これまで以上に使いやすくなるが、一方で、メニュー上の「過去の記録」の表示が長くなる傾向があるので、時間があれば、「過去の記録」がメニュー上で折りたためられるようにしたいと考えている。

2012年5月17日

【4年次対象ゼミ】

今週は、SMさんとMYさんに卒論指導をおこないました。SMさんは、乳幼児死亡率の低減というミレニアム開発目標(MDGs)に適合的な日本の対インドネシア政府開発援助(ODA)として、豆乳の配給事業と母子手帳の配付事業をまず取り上げることにしたので、それぞれの事業についての資料を集めるように指示しました。

また、資料としてJICAが2009年に発行した『JICAプロフェッショナルの挑戦 シリーズ6 「母子(健康)手帳」関連プロジェクト~ODAが母と子の命を守る~』を渡しました。この資料については、PARTNERCalameoを通じて提供する電子版があります(第1部第2部(1)第2部(2)第2部(3)第2部(4)第2部(5)第3部第4部)。

MYさんは、現在はまだテーマを考慮中ということなので、引き続き考えるよう指示しました。

【東南アジア古典文化論】

今週は、配付資料とスライドに基づいて「インド化」の理論について整理しました。「インド化」そのものをどう考えるべきかをセデスの理論を踏まえつつ検討し、インド化が進展した南アジア・東南アジアの状況をポロックの「サンスクリット・コスモポリス」の概念を使って検討しました。

先週見てもらった映画『レゴン』のコメントシートを返却しました。次回は、インド的宗教の発展について講義をおこないます。

今週は、配付資料にもあるように、宿題があります。以下の指示にしたがってください。

宿題(大学のオンライン・サービスを使って文献を読む)
・大学のパソコンから附属図書館オンライン・サービスのページにアクセス:
 http://www.tufs.ac.jp/common/library/guide/list/online.html
・Gale Virtual Reference Libraryに接続
・基本検索の枠に「Indianization」と入力し検索。ヒットしたリストから以下のリンクをクリック:
 Hinduism in Southeast Asia. Vasudha Narayanan. Encyclopedia of Religion. Ed. Lindsay Jones. Vol. 6. 2nd ed. Detroit: Macmillan Reference USA, 2005. p4009-4014.
(必要ならView PDF pagesをクリックしてPDFページを表示し、プリントアウト)
・この論文をよく読み、Indianizationについての議論を、現代東南アジアへの影響に注意をはらいつつ、日本語で600字以内にまとめなさい。6月7日授業時に提出。A4判、最初に氏名・学生番号を明記。

■今週の配布物(PDF)
配付資料:インド化

【リレー講義】

今日は、1限に226教室で「多言語・多文化社会《歴史と現在》:多民族国家インドネシア」を担当しました。

最初に、インドネシアの概要と多民族性を、民族、言語、宗教に分けて説明しました。あわせて、「民族」概念と「nation」概念の重なりとズレについて検討しました。

そのあと、映像資料『南の国のデパートガール』の一部を見て、ワークシートを使ってワークをおこなってもらい、それを踏まえて、インドネシア語の民族概念であるbangsaとsuku bangsaを使って、マレーシアの民族概念と対比しつつ、インドネシアの多民族性の特徴を整理しました。

最後のまとめでは、宗教の違いだけでは対立が生じるものではないことを、インドネシア固有の条件を示しつつ、説明しました。

2012年5月16日

【地域基礎】

今週は、先週途中まで見た映像資料『南の国のデパートガール』の続きを最後まで見てもらい、ワークシートに基づいてグループワークをおこなったあと、宿題にしていたインドネシアの2012年度の国民の祝日について報告してもらいました。インドネシアの祝日には6つの宗教が反映されています。映像資料とあわせて、インドネシアにおける多宗教・多民族の共存の様子が理解できると思います。

このあと、スライドを使って、宗教の多様性の要因として、歴史的な背景を説明しました。

続いて、ジャカルタの都会と比較するために、最初の10分程度ですが、映像資料『プラネット・ベービーズ インドネシア バリ島 母となる日』(NHK BS-Hi, 2011年2月24日)を見てもらい、バリ・ヒンドゥー教徒の日常生活における儀礼のあり方を見てもらいました。

最後に、海と島の名前について小テストをおこないました。

月曜1限の地域基礎I(歴史その1)のコメント・シートを返却し、2012年度国民の祝日一覧と小テストを回収しました。

次回は、外来の民族の中でも重要な役割を果たしてきた華人(中国系インドネシア人)について取り上げる予定です。

2012年5月14日

【3年次対象ゼミ】

今週は、先週に引き続いて、ベネディクト・アンダーソン『増補 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(NTT出版,1997年)の序章と第3章「国民の意識」です。先週からの積み残しとなっていた概念のうち「共同体」について時間をかけて議論しました。分析概念としてはゲマインシャフトとゲゼルシャフトがかなり有効であることがわかりました。

序章の理解がそれなりに出来てきたので、次回は国民意識の創成についての検討に入りたいと思います。

なお、『論文ワークブック』の作業も並行しておこないたいので、次回は本を持参してください。

【インドネシア語読解】

今週は、第2章の途中、p.13、pr.4から始めて、第3章の途中、p.15, pr.5まで進みました。次回はpr.6の読解から始めます。

授業の残り時間は、問題応用編No.3を配付して、解いてもらいました。授業時間内にできなかった部分は宿題としたので、次回の授業時間時に提出してもらいます。

宿題としていた問題応用編No.2を提出してもらいました。

配布物を受けとっていない人は、633のドアボックスに問題応用編No.3とテキスト第4章~第10章を用意しているので、受けとってください。

2012年5月10日

【東南アジア古典文化論】

この時間では、1930年代植民地期の東南アジアで撮影されたハリウッド映画の第1回上映会をおこないました。第1回の上映作品は以下の作品です。

題目:Legong: Dance of the Virgins(レゴン―乙女たちの踊り)
インドネシア(オランダ領東インド)、バリ島で撮影。
Henry de La Falaise監督、アメリカ作品、1935年公開、2原色式テクニカラー、65分、無声。ガムラン音楽の伴奏録音、英語による説明字幕
内容:現地ロケで制作されたバリ社会を舞台にした恋愛物語。村の少女でレゴン舞踊の踊り子プトゥはガムラン演奏者の若者ニョンに恋するが、ニョンはプトゥの妹サプラックに魅かれる。

映画の上映に先立って配付資料にもとづいて簡単な解説をおこないました。

上映会の詳細は「1930年代植民地期の東南アジアで撮影されたハリウッド映画」のお知らせのページでも紹介しています。

■配布物(PDF)
・配付資料:映画『レゴン』

コメントを読ませてもらいました。いくつか代表的なもの拾い出しておきます。

  • サイレント映画を初めて見て、その芸術的な質の高さに驚いたという人が多かったです。そう人はぜひチャップリンなどの名作も見てください。
  • 1930年代のバリの習俗を新鮮に思った人も多かったです。とくに、頭上運搬、闘鶏、上半身をはだけた女性達、ヤシの葉を使った手紙などの指摘が多かったです。闘鶏は今でも盛んですし、頭上運搬は映画で見られたほどではありませんが、今でも行われています(日本でもかつては一般的でした)。
  • 火葬の場面を印象深く見た人も多かったです。バリ・ヒンドゥー教は輪廻転生を前提としていますから、死者は、肉体が滅びたあと、その魂が再び生まれ変わってくることになっています。
  • 恋愛の結末が自殺に終わる悲劇に触れた人もいました。主人公の女性が村の良家の娘という設定なので、自殺という結末にある程度の説得力がありますが、全体として映画では西洋的なストーリーになっているように感じられました。むろん、現代では恋愛のあり方も変わってきています。
  • レゴン舞踊は体育の時間に踊ったという人が多かったようです。実際に経験してみると、映画の内容にも親近感があると思います。

【4年次対象ゼミ】

今週は、SMさんの卒論指導をおこないました。外務省の『ODA国別データブック2010:インドネシア』を資料として渡しました。

【東南アジア古典文化論】

今週は配付資料に基づいて、初期国家の条件について、『魏志倭人伝』に記録された日本の事例を参考に検討しました。さらに、前回4月26日に宿題として出した『古事記』に記された崇神天皇と大物主大神との交渉を検討し、シャーマン的性格をもった王権から祭主的機能と王権的機能が分離し、後者によって前者が統制されていく過程を見いだしました。

授業の終了時に、前回4月26日の宿題のレポートを提出してもらいました。レポートの提出は次週5月17日の授業時間まで受け付けます。

今週は、このあと6限補講の時間に、1930年代植民地期に東南アジアで撮影されたハリウッド映画の第1回上映をおこないます。都合のつく人は出席してください。

■今週の配布物(PDF)
・配布資料:初期国家

2012年5月 8日

【地域基礎】

最初に、言語集団についての作業の残りを宿題として出していたので、グループごとに答えてもらいました。華人とアラブ人が民族分布地図に現れないこと、逆に、マルク諸島やパプアの民族が主要民族の一覧表に現れないことの意味を検討しました。

続いて、スライドを使ってインドネシアの民族と言語と宗教の関係を整理しました。とくに、インドネシアの公認宗教と宗教間の関係および地方語と公用語の関係を検討しました。そのあと、映像資料『南の国のデパートガール』をワークシートで作業しながら見てもらいました。この資料は1995年に制作されたものですが、携帯電話がないこと、洗濯機がないこと、女性の化粧が少し違うことを除けば、基本的に現在にも通じる資料です。

映像資料の途中(ルバランの朝の場面まで)で時間が切れたので、見たところまででワークシートを簡単に書き込んでもらいました。ワークシートに基づくグループワークは次週におこなうので、ワークシートを完成しておいてください。先週出したもう一つの宿題であるインドネシアの2012年度の国民の祝日についても、来週に報告してもらいます。

また、来週、時間があれば、海と島の名前について小テストをおこないます。

2012年5月 7日

【インドネシア語読解】

6限補講では、テキストの第2章の途中、p.13、pr.4まで進みました(担当はモグモグ班)。次回はpr.4の説明から始め、第3章に入る予定です。

授業の残り時間は、問題応用編No.2を配付して、解いてもらいました。問題応用編No.2は次回までに完了し、提出してください。最後に、テキストの第4章~第10章を配付しました。

授業を欠席した人は、633のドアボックスから問題応用編No.2とテキスト第4章~第10章を受けとってください。

【3年次対象ゼミ】

連休前に出した論文ワークブックについての宿題を提出してもらいました。これについては後日ふたたび扱いたいと思います。卒論のテーマを考えるための参考資料として、これまでの青山ゼミで提出された卒業論文、卒業研究の題目リストを配付しました。

今週から読むベネディクト・アンダーソンの論文のレジュメを提出し、発表してもらいました。取り上げた論文は、ベネディクト・アンダーソン『増補 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(NTT出版,1997年)の序章と第3章「国民の意識」です。かなり手強い論文のようで、受講生は理解に苦労したようです。

今週は、まず、序章で言われている、マルクス主義はナショナリズムを有効に説明できないという部分について検討しました。続いて、タイトルの「想像」と「共同体」の意味について検討してみました。次回も引き続きこれら2点について議論をすることにします。

【インドネシア語読解】

連休明けの今週は、宿題を提出してもらいました。
1. 英語・インドネシア語の辞書の「凡例」の日本語訳をグループごとに作成したもの。
2. バタビアの位置を現在のジャカルタの地図上にマーカーで描いたものをグループごとに作成したもの。
3. 「応用問題 #1」を個人で解答したもの。

最初に、凡例の日本語訳をグループごとに発表してもらい、英語・インドネシア語辞書で使われている決まりの説明をおこないました。そのあと、ジャカルタの現在の地図でバタビアの位置を確認しました。

テキストは、第1章の最後まで進みました。

【リレー講義】

今日は、5月7日(月)1限に227教室で、地域基礎1A「東南アジア研究入門」:歴史(その1)を担当しました。受講生は東南アジア地域の専攻語を学ぶ1年生、114名でした。

東南アジアの歴史の枠組みを構造化年表で学んだあと、東南アジアの古代の特徴について学びました。

コメントシートはすべて読ませてもらったあと、各専攻語の先生を通じて返却します。

書いていたいただいたコメントや質問から代表的なものを整理してお答えします(2012-05-12更新)。

質問1
第二次世界大戦中に日本が東南アジアのほぼ全域に進出していたとは知りませんでした。もう少し詳しく説明してください。
回答1
20世紀中頃におきた日本による東南アジア支配は現地の人々にとって大きなインパクトをもった共通の記憶だと言ってよいと思います。

ただし、支配の状況は地域によって異なります。フランスの植民地であったベトナム、ラオス、カンボジアには、宗主国フランスが1940年にドイツに降伏し、親ナチス政権が樹立していたため、ドイツの同盟国であった日本はこの年から段階的に軍隊を進駐させていました。

1941年のアジア太平洋戦争開始とともに日本と交戦状態になったアメリカ、イギリス、オランダの植民地であったフィリピン(アメリカ)、ミャンマー、マレーシア、シンガポール(イギリス)、インドネシア(オランダ)は、開戦後、日本軍の侵攻を受けました。

東ティモールは、宗主国ポルトガルが第二次世界大戦において中立国であったにもかかわらず、オーストラリアに近いという戦略的位置から激しい戦場となりました。

タイは、日本と同盟条約を結ぶことで軍事侵攻を免れましたが、代わりに日本軍の国内進駐を認めていました。



質問2
東南アジアの多くの文字がインドの文字に由来することに驚きました。もう少し詳しく説明してください。
回答2
東南アジアの文字の系統は、大きく分けると、おおよそ古い順番に、中国の漢字の系統、インド起源の文字の系統、イスラームとともに伝来したアラビア文字の系統、そして、ヨーロッパ人が持ち込んだラテン文字(ローマ字)の系統にわかれます。

このうち、インド起源の文字の系統には、タイ語、ラオス語、カンボジア語、ビルマ語といった公用語の文字が含まれます。いずれも南インドで使用されていたブラーフミー文字が東南アジアに伝わり、それが個別に発展して現在の文字になりました。よく教科書に出てくるパッラヴァ文字というのは南インド系のブラーフミー文字の一種です。

また、現在では公用語の文字としては使われていませんが、インドネシアのジャワ文字、スンダ文字、バリ文字、フィリピンのいくつかの民族言語の文字もインド起源の文字の系統です。

東南アジアにインド系の文字が到来した最初期には、インドで文章を記録するために使われたサンスクリット語を表記するために使われていましたが、しだいに東南アジアの固有の言語を表記するようになり、現在にいたっています。ですから、たとえばタイ語とカンボジア語の文字は共通の起源を持っていますが、言語的には別の言語であることに注意してください。



質問3
東南アジアでは古くから文字があったのに、どうしてあまり記録が残らなかったのでしょうか?
回答3
今回は文字に関する質問が目立ちました。この質問は、東南アジアの古い歴史を再構成するための記録が少ないことを質問されているのだと思います。

さて、東南アジアの伝統的な文字記録は、紙、貝葉(乾燥させ短冊型に揃えたヤシの葉)、薄く伸ばした樹皮、竹などの有機物に由来する媒体あるいは石、岩、金属板などの無機物に由来する媒体に記録されていました。

このうち前者は、温暖湿潤な熱帯気候では長期の保存にはむいておらず、定期的に新しい媒体に転写しない限り、消失する可能性がありました。一方、後者は簡単に記録することは困難なので、権力者の発布する公式文書に限定される傾向があります。したがって、現在まで残された記録はきわめて断片的な事実しか伝えておらず、歴史を再構成することが困難です。

一方、王国の歴史を記録するという考え方自体が東南アジアに現れるのが比較的遅かったことも、古い時代の歴史を再構成することを困難にしています。東南アジアに年代記といえる記録として最初のものは、13世紀後半のベトナムの『大越史記』や14世紀中頃のジャワの『デーシャワルナナ』となります。ベトナムが比較的早いのは中国の影響と思われますが、それでも日本では鎌倉時代にあたる時代になってからのことです。

なお、東南アジア史の「古代」の下限が13-15世紀になる理由の一つは、このような史料の制約にあります。



質問4
上座仏教という表記と上座部仏教という表記がありますが、どちらが正しいのでしょうか?また、上座(部)仏教と精霊信仰との間にはどのような関係がありますか?
回答4
上座仏教というのは東南アジア大陸部やスリランカで信奉されているTherav?da Buddhismのことです。Therav?daはパーリ語で「長老の教説」という意味で、仏陀自身の教えにまで遡る仏教教団の長老の教説を保持するという態度を示しています。仏陀の死後、仏教教団は多数の部派に分裂しますが、その中の保守派のことを中国の仏教史では漢字で「上座部」と表記していました。ですから、歴史的な教団の名称としては「上座部仏教」と表記することが正確です。

しかし、現在では上座部以外の部派仏教は(中国や日本などに広がった大乗系の教団を別にすると)存在していないので、現代の仏教実践に関心がある研究者は「上座仏教」と表記することが一般的です。したがって、どちらかが絶対に正しいというわけではありません。この授業では現代の東南アジアの仏教という観点から「上座仏教」と呼びました。

もともと精霊信仰があった地域に上座仏教が定着していくなかで、両者が共存する形で民衆の宗教実践がおこなわれているのが、現在の東南アジアの上座仏教社会の実態です。精霊信仰の度合いは地域によっても異なります。詳しいことは「東南アジア研究入門」の「宗教と社会」で学ぶ予定です。



質問5
フィリピンには古い時代から稲作という高い技術をもっていたのに、長く王権がなかったのはどうしてでしょうか?
回答5
とても大切な指摘だと思います。

まず、最初に指摘しておかなければならないのは、授業では現在まで継続的に水田が維持されてきた例としてフィリピンのイフガオ州バナウエ棚田の画像を紹介しましたが、稲作の技術は紀元前から東南アジアに広がっていたということです。

稲のような穀物は、余剰生産物を長期に保存しておくことができるので、王権を基礎とする国家の出現の前提条件の一つとなります。それでは、東南アジアのほかの地域で初期国家の形成が見られたのに、フィリピンではなぜバランガイに代表される首長制社会が継続したのでしょうか。これは大変に重要で複雑な問題ですが、一つの答えとして考えられることは、授業でも指摘したように、フィリピンの地理的な位置が、東西長距離海上交易ルートからはずれており、より強力な権力の集中を必要とする要因(とりわけ外来の珍奇な富の独占と分配にかかわる権力)に欠けていたのではないか、ということです。

ここであわせて指摘しておきたいのは、フィリピン以外の地域であっても、初期国家の形成がどこでも起きたわけではないことです。それぞれの社会は、その社会が位置する生態環境にもっとも適した生業を選択し、かつ、周囲のほかの生業を営む社会との相互依存関係のなかで成立しています。したがって、フィリピンにおいては国家を形成する必要がない条件にあって、その環境に適応した社会を作り上げてきたと考えるべきでしょう。

この点に関連して、質問の中に「稲作という高い技術」という表現がされていますが、農業に比べてそれ以外の生業、たとえば狩猟や漁業の技術が劣っているというわけではないことに注意してください。上の文章を読んでいただければその意味は明らかでしょう。



質問6
多様な文化・宗教が混在しているなかで、なぜ大きな戦争に発展しないのでしょうか?
回答6
この問題には一言では答えにくいので、とりあえず次のようにお答えしておきます。

確かに、宗教の違いを何らかの理由とする対立は現在の東南アジアでも続いています。たとえば、フィリピン南部におけるキリスト教が主流の政府側と少数派イスラーム教徒側の対立、あるいは、タイ南部における上座仏教が主流の政府側と少数派イスラーム教徒側の対立などをあげることができます。

しかしながら、忘れてならないことは、このような宗教の違いに起因するように見える対立の背景には、所得水準の格差や政治参加の格差など経済的あるいは政治的な原因があるということです。

実際には文化や宗教の違いだけで対立が生じることはまれで、多くの場合には平和に共存しています。何らかの理由で政治的な対立が生じ、それが物理的な暴力をともなう対立にエスカレートするときに、宗教の違いが集団を闘争へと動員する大義として使われる場合が多いのです。



質問7
イスラームの文化はそれまで各地に根付いていた文化や宗教と対立することはなかったのでしょうか?
回答7
東南アジアにおけるイスラームの定着は、一般的に平和的に進行したと言ってよいです。その背景には、とりわけ民衆にとっては、イスラーム文明の威光やムスリム商人がもたらした商品の魅力が大きかったからだと思います。

もちろんインドネシアのジャワ島におけるイスラーム勢力とヒンドゥー勢力の争いや、フィリピンにおけるイスラーム勢力とキリスト教勢力の争いなどがおこりましたが、これらは上の回答で示したように、本質的には政治的な闘争であったと理解することができます。

          

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