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2015年5月31日

【一般】

2015年5月30日(土)~31日(日)に松山市の愛媛大学で東南アジア学会第93回研究大会が開催されます。青山も二つのパネルで趣旨説明および報告を行います。

■東南アジア学会第93回研究大会
■日時:2015年5月30日(土)・31日(日)
■会場:愛媛大学 城北キャンパス 共通教育講義棟
(〒790-8577 愛媛県松山市文京町3番)

■5月31日(日)
■9:30-11:30 パネル発表(1)
高校世界史における東南アジア関係用語の厳選 その2
司会:根本 敬(上智大学)
趣旨説明:青山 亨(東京外国語大学)
報告1:東南アジア史用語リスト案について
深見 純生(桃山学院大学非常勤講師)
報告2:高等学校地理歴史科における科目再編と用語厳選の必要性
中村 薫(大阪大学招へい教員)
報告3:高校世界史A教科書と「東南アジア史用語集検討会」作成東南アジア史用語リスト
八尾 隆生(広島大学)
討論者:加納 寛(愛知大学)、永井 紀之(愛媛県立西条高等学校)

■13:00-15:00 パネル発表(2)
9-10世紀の東アジア~イスラーム世界間の東西海上交易―文献史学と考古学の視点から―
司会:田畑 幸嗣(早稲田大学)
趣旨説明:青山 亨(東京外国語大学)
報告1:9-10世紀の陶磁器から見た東アジアとイスラーム世界の貿易
佐々木 達夫(金沢大学)
報告2:8~10世紀の海域アジア─文献から─
深見 純生(桃山学院大学非常勤講師)
報告3:9-10世紀の東アジア・東南アジアにおける中国陶磁の交易と生産地
田中 克子(アジア水中考古学研究所)、向井 亙(金沢大学)
報告4: ベトナム、南シナ海沖・チャウタン海揚がりの資料の初歩的報告
西野 範子(NPO法人東南アジア埋蔵文化財保護基金)、青山 亨(東京外国語大学)、木村 淳(東海大学)、野上 建紀(長崎大学)

【一般】

2015年5月29日(金)~31日(日)にシンガポールの南洋理工大学(Nanyang Technological University)でアジア世界史学会(The Asian Association of World Historians: AAWH) 第3回大会が開催されます。青山も以下のパネルで報告の予定です。日時が以下のように決定しました。(更新:2015-10-30)

The Third Congress of the Asian Association of World Historians (AAWH)
■Panel Title: The Ancient Studies in Vietnam: The Late Professor Nishimura's Area studies from the view of integration of Archaeology and History
■Date and Time: May 29, 2015 (Friday), 1.00 pm-3.00pm (Session 1)
■Panel No.: 1.7
■Venue: School of Humanities and Social Sciences (HSS) Conference Room (HSS-05-57)

The panel will discuss the following four topics:
1. The Lung Khe Citadel in Bac Ninh Province
2. The Champa Citadels in Central Vietnam
3. The 9th century shipwreck found off the Quang Ngai Province coast
4. The Kim Lan, Bat Trang pottery Village studies

The third topic will be presented by Noriko Nishino, Toru Aoyama, Jun Kimura, Takenori Nogami and Le Thi Lien. Aoyama will report on Indic script ink inscriptions found on the salvaged shards from the Chau Tan shipwreck.

青山は、第3のトピックについて、西野範子、木村淳、野上健紀、Le Thi Lienの4氏とともに報告します。青山の担当は、沈没船由来の陶磁器に記されていたインド系文字についての報告です。

2015年5月27日

【地域基礎】

今週は、先週に引き続いて資料とスライドに基づいてインドネシアの華人について検討しました。

そのあと、映像資料『青空がぼくの家』の配付資料に基づいて、スハルト政権時代の状況について整理をしました。

次回は、映像資料『青空がぼくの家』の鑑賞を始めます。

それから、近く、インドネシアの華人についての小テストをするので、復習をしておいてください。

2015年5月26日

【4年次対象ゼミ】

今週は、課題の文献1の書評レジュメを報告してもらい、議論を行いました。ハドラマウト出身のサイイドたちが自分たちの出自を活用して、イスラーム出版市場の中にニッチ市場を確立してくありさまを学ぶことができました。

次回は、文献2の書評レジュメを報告してもらいます。また、その後に読む文献について相談をする予定です。

文献1
新井和広「商品化するイスラーム―雑誌『アル=キッサ』と預言者一族」倉沢愛子編『消費するインドネシア』第7章、慶應義塾大学出版会、2013年。

文献2
野中葉「イスラーム的価値の大衆化―書籍と映画に見るイスラーム的小説の台頭」倉沢愛子編『消費するインドネシア』第8章、慶應義塾大学出版会、2013年。

2015年5月25日

【3年次対象ゼミ】

今週は、残っていた書評レジュメを報告してもらい、そこでの問題提起を受けて議論を行いました。問題提起は、ここで行われたように、必ずしも元の論文の中心的なテーマに基づく必要はありません。元の論文を議論を展開するきっかけとして扱ってもらってかまいません。

その後、現時点で予定している研究テーマについて報告してもらいました。ここで報告してもらった研究テーマに基づいて6月に図書館でクラスガイダンスを行う予定です。

次回は、1930年代にバリで撮影された映画『レゴン』を見てもらいます。次々回は、以下の論文についての書評レジュメを作成して報告してください。

・ホブズボウム「序論―伝統は創り出される」『創られた伝統』(紀伊國屋書店、1992年)pp.9-28.
・青木 保「「伝統」と「文化」」および前川啓治「訳者あとがき」『創られた伝統』(紀伊國屋書店、1992年)pp.471-488.

【インドネシア語読解】

今週は、第4パラグラフの説明のあと、ネ4科Rに第5~6パラグラフ、マジカルストロベリーズに第7~8パラグラフについて発表してもらいました。

この後、青山の都合で自習とさせてもらいました。補習用のテキストDari Benteng Belanda ke Istiqlalを配付しました。全テキストを日本語に訳し、次回の授業時間中に提出するか、または期日までにMoodleで提出してください(詳細はMoodleを見てください)。

次回は、第15章に入るので、予習をしっかりとしておいてください。

【リレー講義】

今週は、地域基礎1A「東南アジア研究入門」の宗教と社会(その1)を担当しました。

配付資料などといっしょに、4月20日に私が行った「歴史(その1)」の小テストの模範解答を配付したので、説明を読んでおいてください。

この講義では、配付資料とスライドにもとづいて、島嶼部を中心に信仰されているイスラームを取り上げ、イスラームの基本、東南アジアにおける展開の歴史、現代の傾向について理解を深めました。最後に、全体の整理として小テストを行いました。あわせて、次回の講義(宗教と社会 その2)で使うアンケートを行いました。

授業終了時に、小テストの答え(マークシート)、コメントシート、アンケート(マークシート)を提出してもらいました。なお、小テストの平均点は7.0点でした。予想よりもちょっと低かったです。これも模範解答を後日配付する予定です。また、コメントシートに書かれた質問にも時間をみて回答する予定です。

この講義のスライドを春学期末までの期間限定で以下のリンクからダウンロードして閲覧することができます。なお、スライドの閲覧には授業中に告知したパスワードが必要です。
「宗教と社会(その1)」講義スライド

この講義を補う情報については、『東南アジアを知るための50章』の第18章「世界宗教の地域性:東南アジアのイスラーム」を読んでおいてください。

昨年度の「宗教と社会(その1)」の授業のページで受講生から出された質問に答えているので、これらも参考にしてください。

マッカ(メッカ)巡礼については以下の記事が参考になります。
イスラームの巡礼(高等学校 世界史のしおり)

タイプAの国におけるイスラームと政治体制の関係については、以下の「中東・イスラーム諸国の民主化」サイトの記事が参考になります。
インドネシア
マレーシア

ブルネイ

タイプBの国における紛争については、以下のAsia Peacebuilding Initiativeのサイトの記事が参考になります。
フィリピン南部
タイ深南部
ミャンマー・ラカイン州

2015年5月21日

【東南アジア古典文化論】

今週は、配付資料に基づいてインドにおけるヒンドゥー教と仏教の発達を検討しました。今週は、大乗仏教の出現まで扱いました。次回はこの続きから進みます。

次週は、学内ボート大会のため全学的に休講です。次回は、再来週の6月4日です。

今週締切の課題と、再来週締切の課題が出ています。評価の対象ですから、忘れずに提出してください。

■今週の配付資料
・「インドにおけるヒンドゥー教と仏教の発達」
(Moodleを確認してください)

2015年5月20日

【地域基礎】

今週は、最初に映像資料「南の国のデパートガール」のワークシートに基づいてグループごとに活動を行いました。

続いて、先週の配付資料とスライドに基づいて、インドネシアの華人(中国系インドネシア人)について学びました。今週は「複合社会」の説明まで進みました。次回は「民族主義の台頭」から始めます。

次回は、インドネシアの華人についての検討のあと、スハルト政権時代の状況について整理をしてから、映像資料「青空がぼくの家」の鑑賞を始める予定です。

2015年5月19日

【4年次対象ゼミ】

今週は、課題の文献1の書評レジュメを報告してもらい、議論を行いました。どのような背景の中で都市カンポンから「疑似中間層」が出現しているのか、また、彼らがどのようなライフスタイルを持っているのかを学びました。

次回は、文献2の書評レジュメを報告してもらいます。

文献1
間瀬朋子「現代的消費と「インフォーマル・セクター」―ジョグジャカルタ特別州スレマン県の学生街の事例」倉沢愛子編『消費するインドネシア』第3章、慶應義塾大学出版会、2013年。

文献2
新井和広「商品化するイスラーム―雑誌『アル=キッサ』と預言者一族」倉沢愛子編『消費するインドネシア』第7章、慶應義塾大学出版会、2013年。

2015年5月18日

【3年次対象ゼミ】

今週は、提出してもらった書評レジュメの論点に基づいて検討を行いました。

次回は、残った書評レジュメに基づいて検討を行います。また、現時点で予定している研究テーマについて報告してもらう予定です。ここで報告してもらった研究テーマに基づいて6月に図書館でクラスガイダンスを行います。

書評レジュメの対象にする次の論文については次回案内する予定です。

野中葉. 2014.「イスラーム短編小説の広がりとインドネシアの女性たちのイスラーム覚醒」『アジア・アフリカ言語文化研究』87: 83-101.(PDFで閲覧)

【インドネシア語読解】

今週は、最初に連休中に出した小テストの振り返りを行い、「主語+述語」の構文と「話題+説明」の構文の関係、「yang関係節」の用法について検討しました。小テストの答案を紙版で提出した人には答案を返却しました。

続いて、第3章の振り返りを行い、各グループごとに問題を出してもらいました。また、ニャイ(現地妻)についても触れました。

そのあと、テキストの第14章に入りました。今週は、百合と石箱に第1~2パラグラフ、ニューヨークレアチーズケーキに第3~4パラグラフについて発表してもらいました。

次回は、第4パラグラフの説明のあと、ネ4科Rに第5~6パラグラフ、マジカル☆ストロベリーズに第7~8パラグラフについて発表してもらい、続いて第15章に進む予定です。

2015年5月17日

【ブログについて】

Moodleについて考えた始めたこともあり、東京外国語大学におけるe-Learningのこれまでの経緯を少し整理してみた。あくまでも、これからのMoodleの使い方を考えるための材料なので、けっして網羅的なものではないことをお断りしておく。

東京外国語大学でe-Learningが最初に取り上げられたのは、2003年以降のことのようである。当時の「東京外国語大学の教育情報化」と題された学生向け冊子の中で、東京外国語大学のe-Learningシステムとして「TUFS e-Learningシステム」と呼ばれるシステムが紹介されている。説明によると、平成15年度(2003年度)文部科学省「特色ある大学教育プログラム」(通称「特色GP」)として採択された「26言語情報リテラシープログラム」の主要な成果である1年生必修授業「情報リテラシー」のために開発されたものである。2005年度の時点で約50の授業で利用されていたらしい。

日本政府がITに本腰を入れて取り組み始めたe-Japan戦略の策定が2001年であるから、おおむねこのような潮流の中で、東京外国語大学でもe-Learningへの取り組みが始まったと言ってよいだろう。

さて、その中味だが、「TUFS e-Learningシステム Type1」と題された教員用マニュアルを見てみると、Moodleでないことは明らかである。当時はMoodleも2002年にようやくバージョン1.0が出たところだったから、まだまだ開発途上だったのだろう(Moodleのバージョンアップの軌跡)。マニュアルによると、教員が自分の講義を登録したうえで、履修生の登録、課題レポートの管理、受講生への連絡、出席管理ができるようになっているので、おおむねMoodleと同様にe-Learningの基本は押さえている印象を受ける。ただ、教員が学籍番号を使って履修者の一括登録ができるところは、現行のMoodleの仕様よりも実は優れている。

その後、2007年以降に作られた「TUFS e-Learningシステム」と題した学生向け冊子を見ると、「掲示板機能」が付加されていることが分かる(Type 2なのかもしれない)。この冊子によると、「TUFS e-Learningシステム」は、2007年度から2012年度まで続いた「世界の『言語・文化・地域』に関する最適化教育プログラム」に引き継がれて運営されていると説明されている。

ところで、ここで興味深いのは、この同じ冊子に、「TUFS e-Learningシステム」とは別に、東京外国語大学の情報コラボレーションセンター(ICC)の方で、Moodleを利用した「ICCStudy」のサービスが提供されており、両者は違うシステムであることに注意を喚起していることである。二つのe-Learningシステムの並立という奇妙な事態がこの時期から始まっていたことが確認できる。なお、この冊子にはMoodleについて「コース管理(授業併用型のネットワークを通じた学習支援や電子フォーラムの開催)が可能なコンテンツ管理システム」と紹介されている。つまりCMS(Course Management System)であるという意味である。

現在運用されているTUFS Moodleは、文部科学省の2013年度(平成25年度)特別経費「学習の可視化・多様化を指向したe-Learning 教育システムの開発と教育の高度化」に基づいて行われている。当初はTUFS Moodle 2013と呼ばれていたようだ。本格的に運用され始めたのは2015年度からということになる。

これにともなって、東京外国語大学の授業用e-LearningシステムはTUFS Moodleに一本化されることになり、ICCStudyは授業には利用されないことになった(従来、ICCStudyにあったコースはTUFS Moodleへの移行が勧告されている。ただし、学術リテラシーなどの一部授業はICCStudyに残るとのこと。)。これについては、ICCのウェブサイトページで告知されている(2015年5月13日)。

以上の経緯を振り返ってみると、大学のe-Learningの運営にあっては、情報基盤を担っている部門(ICTの専門家)、教育プログラムを担っている部門(教員)、そして、教務を担っている部門(事務)の三者の連携が不可欠であり、これらの連携があってはじめて十全なe-Learningの運営が可能だということである。

e-Learningは、教育の内容が特定のICTシステムに組み込まれることを意味している。すなわち、大学として大きなコミットメントが要求されることである。ここで大学の方針がぶれるようなことがあると、そのしわ寄せを受けるのは、教員であり、学生ということになる。このような問題をできるだけ避けるためにも、教員側でのe-Learningについてのリテラシーを高めることが必要だろう。

2015年5月14日

【ブログについて】

今週の木曜4限「東南アジア古典文化論」からMoodleを全面的に活用することにした。まだ、ブログへの投稿を止めることはしていないが、ブログには講義の概要を載せるだけとし、受講生への配付資料、スライド、課題の提供はMoodleを使うことにした。

教室外学習の機会を増やすことが目的であるが、ブログやメールではなくMoodleを使うことの大きなメリットは、レポート課題の提示から学生による提出物の管理と評価までが一元的かつ確実にできることだろうと予想している。この点が順調に行くようであれば、リレー講義での利用なども検討してよいと考えている。

ところで、Moodleに限らないが、e-Learningの活用を進めるうえで大きなネックになると思われることは、サーバに著作権に関わる資料を蓄積することに対するガイドラインである。

たとえば、一般社団法人日本著作権教育研究会の著作権Q&Aのサイトは、著作権法35条で認められている「授業の過程」について述べている説明のなかで、「校内LANサーバに蓄積すること」は「授業の過程」に該当せずとの判断を示している。

たしかに、漫然と蓄積しても「授業の過程」には該当しないという判断は納得できるが、このようなガイドラインを厳密に適用すると、アクティブラーニングの手段としてのeLearningの活用が大きく制限されるように感じる。文献を読んで何かを書かせるという活動はレポート課題の基本である以上、eLearningでアクティブラーニングを完結させるのであれば、文献の提示が自由にできることが前提になるだろう。

むろん、文献へのアクセスは、授業を履修している学生に制限をかけたうえで、その授業の一環として行われることの保証が条件となるだろう。この条件はMoodleではすでに実現されていることなので、実現は難しくないはずである。ぜひe-Learningが活性化する方向での著作権法の改正が行われることを望みたい。

なお、これとは別の解決策であるが、著作権フリーの教材が質量ともに拡大することも、必要なことであろう。クリエイティブ・コモンズの考え方である。ただ、これはアクセスが制限されたeLearningが普及すると、かえって阻害されるようにも感じている。難しいところである。

■その他の関連するガイドライン
視聴覚教材について
eLearning教材について

【東南アジア古典文化論】

今週は、先週の配付資料を使って、仏教の導入をめぐる日本の事例を参考にしながら、ヒンドゥー教や仏教などの普遍的な宗教に対する社会の反応について検討したあと、今週の配付資料とスライドに基づいて東南アジアの「インド化」のプロセスについて検討をしました。

今週からMoodleで課題や資料を提示しますから、毎週、確認してください。Moodleで新しい情報が掲載されると、メールで連絡が届くはずです。まだMoodleに登録していない人は申し出てください。

今週はMoodleで課題を出しました。詳細はMoodleを確認してください。

次回は、インドにおける諸宗教の発達について概観する予定です。

2015年5月13日

【地域基礎】

今週は、最初に、宿題にしていたインドネシア史に関するクイズを出題し、グループ対抗で解答してもらいました。

そのあと、映像資料「南の国のデパートガール」を見ながら、ワークシートに作業をしてもらいました。今日は見るだけで時間が来たので、ワークーシートに基づく活動は来週行います。

最後に、インドネシアの祝日に関するレポートを返却しました。

次回は、「南の国のデパートガール」に基づく活動のあと、華人についてスライドと資料に基づいて学ぶ予定です。

2015年5月12日

【4年次対象ゼミ】

今週は、課題の文献1の書評レジュメを報告してもらい、議論を行いました。「インフォーマルセクター風」や「フォーマルセクター」の進出のなかで「インフォーマルセクター」がどう対応しているかを学びました。

次回は、文献2の書評レジュメを報告してもらいます。

文献1
間瀬朋子「現代的消費と「インフォーマル・セクター」―ジョグジャカルタ特別州スレマン県の学生街の事例」倉沢愛子編『消費するインドネシア』第3章、慶應義塾大学出版会、2013年。

文献2
倉沢愛子「消費行為としての教育―次世代に託す希望」倉沢愛子編『消費するインドネシア』第6章、慶應義塾大学出版会、2013年。

2015年5月11日

【3年次対象ゼミ】

今週は、最初に、宿題となっていた認識論の説明をお願いしました。現象(事実そのもの)は認識の枠組みを通じて理解され、コミュニティで共有されることで知識となる、という説明の流れだったと思います。このことは、認識の枠組みが異なれば、あるいは、変化すれば、現象についての理解も知識も異なったり、変化したりすることを意味します。私たちの知識がこのように作り上げられたものであるとする立場を構築主義と呼びます。

このあと、課題となっていた論文の書評レジュメを提出してもらいました。今日は、論文そのものの要約を報告してもらい、事実関係に関わる疑問点について議論しました。来週から、みなさんの議論に基づいて検討を行う予定です。

また、6月に図書館でクラスガイダンスを行うことを決めました。期末には4000字のレポートを出してもらうことも確認しました。

野中葉. 2014.「イスラーム短編小説の広がりとインドネシアの女性たちのイスラーム覚醒」『アジア・アフリカ言語文化研究』87: 83-101.(PDFで閲覧

【インドネシア語読解】

今週は、Moodleで出した「連休中の課題」の答案でMoodleで提出できなかった受講生の分を提出してもらいました。解答例はMoodleで示す予定です。

テキストは、第3章の読解を最後まで行いました。次回は、第3章の担当した部分のポイントに関する問題を各グループから出題してもらいます。引き続いて第14章に入るので予習をしておいてください。

2015年5月 7日

【東南アジア古典文化論】

今週は、最初に提出物2点(国名の由来、アジアの古都ジョグジャカルタ)を返却しました。今日受け取れなかった人は次回申し出てください。

続いて、配付資料に基づいて初期国家の形成について、日本の事例を参考にしながら、検討しました。卑弥呼の事例では、王と神職が兼任している状況を指摘し、精霊信仰が行われる社会の中から初期国家が出現した様子を跡づけました。東南アジアの限られた史料からも、同様の状況が起こったことが推測されます。

次回は、引き続き同じ配付資料を使って、仏教の導入をめぐる日本の事例を参考にしながら、ヒンドゥー教や仏教などの普遍的な宗教に対する社会の反応について検討したあと、東南アジアの「インド化」のプロセスについて検討を行います。

■今週の配付資料(PDF)
初期国家の成立

【リレー講義】

今週は2限に、多言語・多文化社会「歴史と現在」の第5週を担当し、インドネシアの華人に焦点をあてて、「多民族国家インドネシアと華人ディアスポラ」という題目で講義を行いました。インドネシアにおける華人の歴史を概観しつつ、スハルト政権期の華人政策(を含む民族政策)の問題の所在が、他民族には統合政策が取られたのに対して華人にのみ同化政策が取られた点、かつ、同化政策であるにもかかわらず差別慣行が維持された点にあることを指摘しました。

インドネシアがそもそも多民族国家であることを含めて、受講生にはあまり知られていないトピックだったようですが、関心をもってもらえたようでよかったです。

■配付資料(PDF)
歴史と現在-インドネシアの華人-2015-05-07
(ダウンロードする)

■追記
国籍に関するハーグ条約(1930年)や世界人権宣言(1948年)については国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が刊行した『国籍と無国籍』(PDF)という冊子が参考になります。

華人ディアスポラについては陳天璽「ディアスポラとしての華人」(
野口鉄郎編、綾部恒雄監修『結社の世界史2 結社が描く中国近現代』山川出版社、2005年、pp.305-320)がコンパクトにまとまっており、参考になります。

コメント・シートにあった質問にお答えします。(更新2015-05-10)

1. 孫文について、日本滞在中に中山(なかやま)と名乗っており、日本国籍を取っていたのではありませんかという質問がありました。
 たしかに日本滞在中の孫文は中山樵(なかやま きこり)と名乗っていましたが、これは自称に過ぎず、孫文が日本国籍を取っていたという事実はありません。ただ、中山という名前は孫文自身も気に入っていたようで、中山(ちゅうざん)を自身の号にしています。一方、清国の追求を免れるための自衛手段としてアメリカ国籍を取っていた事実はあるようです。いずれにしても、清国が国籍についての法律を整備したのが1909年のことですから、1866年生まれの孫文についてそもそも現在の視点から国籍の議論をするのは注意が必要です。

2. インドネシアでは身分証明書に宗教を記載することになっているが、無宗教という選択は可能でしょうかという質問がありました。
 答えから言うと、不可能です。インドネシアでは唯一神信仰を国家五原則の第一に掲げており、信仰の自由が認められている一方で、国民は決められた宗教の中から一つの宗教を選んで自分の身分証明書に記載しなければなりません。現在、選ぶことにできる公認宗教は、イスラーム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー教、仏教、儒教の6つです(いずれも「唯一神信仰」の宗教であるとされています。仏教がそもそも唯一神信仰なのかと言った問題は残りますが)。インドネシアでは、まっとうな人間ではあれば何かの宗教を信じているはずという前提があるので、もし誰かが「私は無宗教です」と公言すれば、普通のインドネシア人は、その人のことを何か反社会的な人間ではないかと不審に思うかもしれません。

3. インドネシアの地方語が消失することはないのですかという質問がありました。
 実際には、地方語の中でも話者の数が少ない言語では消失の危険があります。一方、ジャワ語のように話者人口が総人口の4割にも達する言語の場合、話し言葉に限って言えば、地方語が衰退する恐れはないでしょう(日本での関西弁の位置づけのようなものです)。むろん、ジャワ語話者の場合であっても、学校教育を受け、社会でそれなりに活躍できるためには公用語であるインドネシア語を使いこなせることは必須となります。

4. 華人の移住先として日本が上位にきていない理由は何でしょうかという質問がありました。
 確かに東アジアに位置する日本にもっと華人が移住していてもおかしくないはずです。なぜ東南アジアには華人の集積が見られるのに日本には見られないのでしょうか。最大の理由は、19世紀後半の日本では労働力が過剰とみなされ、外部からの労働力を必要としていなかったということです。それどころか、日本は過剰な労働力を海外に供給する移民送り出し国でした。すでに1868年にはハワイに、1869年にはアメリカ本土のカリフォルニア州に、さらに1908年にはブラジルに移住が始まりました。
 むろん、神戸や横浜のチャイナタウンの形成から分かるように、商売のために日本に移住した華人も少なくなかったのですが、日清戦争に続く日中間の関係の悪化を背景に、その数が大きく増加することはありませんでした。その後、1950年の中華人民共和国成立後は、1972年になるまで日本との国交が回復されませんでしたし、長らく中国は国民の海外渡航を制限していました(ただし、香港や台湾からの移住は続きました)。
 この状況が大きく変わったのは中国が改革開放政策に転換してからのことで、中国本土から多くの人々が海外に出て行くようになりました(「新華僑」と呼ばれています)。現在、日本に住む中国籍の人々の数も再び増加に転じており、2007年以来、日本に住む外国籍としては、それまでずっと最多だった韓国・朝鮮籍を抜いて1位になっています。

          

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