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【多言語・多文化社会「歴史と現在」】5月7日

【リレー講義】

今週は2限に、多言語・多文化社会「歴史と現在」の第5週を担当し、インドネシアの華人に焦点をあてて、「多民族国家インドネシアと華人ディアスポラ」という題目で講義を行いました。インドネシアにおける華人の歴史を概観しつつ、スハルト政権期の華人政策(を含む民族政策)の問題の所在が、他民族には統合政策が取られたのに対して華人にのみ同化政策が取られた点、かつ、同化政策であるにもかかわらず差別慣行が維持された点にあることを指摘しました。

インドネシアがそもそも多民族国家であることを含めて、受講生にはあまり知られていないトピックだったようですが、関心をもってもらえたようでよかったです。

■配付資料(PDF)
歴史と現在-インドネシアの華人-2015-05-07
(ダウンロードする)

■追記
国籍に関するハーグ条約(1930年)や世界人権宣言(1948年)については国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が刊行した『国籍と無国籍』(PDF)という冊子が参考になります。

華人ディアスポラについては陳天璽「ディアスポラとしての華人」(
野口鉄郎編、綾部恒雄監修『結社の世界史2 結社が描く中国近現代』山川出版社、2005年、pp.305-320)がコンパクトにまとまっており、参考になります。

コメント・シートにあった質問にお答えします。(更新2015-05-10)

1. 孫文について、日本滞在中に中山(なかやま)と名乗っており、日本国籍を取っていたのではありませんかという質問がありました。
 たしかに日本滞在中の孫文は中山樵(なかやま きこり)と名乗っていましたが、これは自称に過ぎず、孫文が日本国籍を取っていたという事実はありません。ただ、中山という名前は孫文自身も気に入っていたようで、中山(ちゅうざん)を自身の号にしています。一方、清国の追求を免れるための自衛手段としてアメリカ国籍を取っていた事実はあるようです。いずれにしても、清国が国籍についての法律を整備したのが1909年のことですから、1866年生まれの孫文についてそもそも現在の視点から国籍の議論をするのは注意が必要です。

2. インドネシアでは身分証明書に宗教を記載することになっているが、無宗教という選択は可能でしょうかという質問がありました。
 答えから言うと、不可能です。インドネシアでは唯一神信仰を国家五原則の第一に掲げており、信仰の自由が認められている一方で、国民は決められた宗教の中から一つの宗教を選んで自分の身分証明書に記載しなければなりません。現在、選ぶことにできる公認宗教は、イスラーム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー教、仏教、儒教の6つです(いずれも「唯一神信仰」の宗教であるとされています。仏教がそもそも唯一神信仰なのかと言った問題は残りますが)。インドネシアでは、まっとうな人間ではあれば何かの宗教を信じているはずという前提があるので、もし誰かが「私は無宗教です」と公言すれば、普通のインドネシア人は、その人のことを何か反社会的な人間ではないかと不審に思うかもしれません。

3. インドネシアの地方語が消失することはないのですかという質問がありました。
 実際には、地方語の中でも話者の数が少ない言語では消失の危険があります。一方、ジャワ語のように話者人口が総人口の4割にも達する言語の場合、話し言葉に限って言えば、地方語が衰退する恐れはないでしょう(日本での関西弁の位置づけのようなものです)。むろん、ジャワ語話者の場合であっても、学校教育を受け、社会でそれなりに活躍できるためには公用語であるインドネシア語を使いこなせることは必須となります。

4. 華人の移住先として日本が上位にきていない理由は何でしょうかという質問がありました。
 確かに東アジアに位置する日本にもっと華人が移住していてもおかしくないはずです。なぜ東南アジアには華人の集積が見られるのに日本には見られないのでしょうか。最大の理由は、19世紀後半の日本では労働力が過剰とみなされ、外部からの労働力を必要としていなかったということです。それどころか、日本は過剰な労働力を海外に供給する移民送り出し国でした。すでに1868年にはハワイに、1869年にはアメリカ本土のカリフォルニア州に、さらに1908年にはブラジルに移住が始まりました。
 むろん、神戸や横浜のチャイナタウンの形成から分かるように、商売のために日本に移住した華人も少なくなかったのですが、日清戦争に続く日中間の関係の悪化を背景に、その数が大きく増加することはありませんでした。その後、1950年の中華人民共和国成立後は、1972年になるまで日本との国交が回復されませんでしたし、長らく中国は国民の海外渡航を制限していました(ただし、香港や台湾からの移住は続きました)。
 この状況が大きく変わったのは中国が改革開放政策に転換してからのことで、中国本土から多くの人々が海外に出て行くようになりました(「新華僑」と呼ばれています)。現在、日本に住む中国籍の人々の数も再び増加に転じており、2007年以来、日本に住む外国籍としては、それまでずっと最多だった韓国・朝鮮籍を抜いて1位になっています。

          

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