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2009年11月30日

【3年次対象ゼミ】

今週はTKさんに『バリ観光人類学のレッスン』第4章「文化観光という戦略」のレジュメの報告をしてもらい、議論をしました。


卒論は、観光が土地の人々の生活にどのように影響したかを、バリとバリ以外を比較しながら考える、という方向で作成する予定であることを確認しました。

次回は、インドネシアの大衆文化について、映像資料と音楽資料を鑑賞しつつ検討する予定です。

【インドネシア語読解】

今週の読解では、4班にすでに送ってもらっていたBBCニュースSBY mint usut transkrip KPK(大統領、汚職撲滅委員会録音テープ内容の捜査を指示)の報告をしてもらいました。

原文は、かなり難しいところのある文章です。以下のポイントに気を付けてください。

・transkrip 英語のtranscriptに対応するインドネシア語です。音声を文字に書き写すことをtranscriptionと言います(それに対して、たとえば日本語のテキストを文字ごとにローマ字に書き換えることをtransliterationと言い、区別します)。ここでは、KPKが汚職事件の調査のためにおこなった盗聴録音を書き起こしたテキストのことを指しています。
・kriminalisasi 英語のcriminalizationに対応するインドネシア語です。ある人または行為を犯罪とみなす、有罪とする、という意味です。したがって:
・mengindikasikan adanya kriminalisasi terhadap pimpinan KPK この文は、KPKのトップが犯罪をおかしたとする政治工作があったことを示す、という主旨です。adanyaのnyaは動詞を名詞化する働きがあります。

テキストは第1章の最後まで終わりました。

以下のポイントに気を付けてください。

・Berlainan dengan A, B Aとは異なって、Bである。
・tidak A, melainkan B AではなくてBである。このmelainkanは接続詞のtetapiと同じ働きをしています。
・begitu+動詞 ~するや否や。したがって、begitu menghadapi orang luarは「外の人間に対するや」という訳になります。
・bangsa Indonesia この場合のbangsaは「インドネシア国民」という意味になります。文中のbangsaも「国民」という意味で理解してください。「民族」という訳でも間違いではありませんが、インドネシアの場合では、バタック人やジャワ人のような国民を構成する集団(インドネシア語ではsuku bangsaと言う)を「民族」と呼ぶ方が適当でしょう。

次回は、第1章の最後のパラグラフの説明をしたあと、第4章Perkeretaapianに移りますから、間違わないようにしっかりと予習をしておいてください。

2009年11月29日

【一般】

2009年11月28日(土)・29日(日)に京都外国語専門学校で第40回日本インドネシア学会研究大会が開催されました。プログラムは以下のとおりです。

11月28日(土)
テーマ発表「ポスト・スハルト期インドネシアにおける言語状況の変化」
趣旨説明
森山幹弘(南山大学外国語学部)
1.塩原朝子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)
「東部インドネシアの言語状況 --地方語の光と影--」
2.内海敦子(明星大学日本文化学部)
「北スラウェシ州における多言語状態とマナド方言の威信と活力」
3.津田浩司(日本学術振興会特別研究員PD)
「ポスト・スハルト期インドネシアにおける華人と中国語 --地方都市における中国語学習ブームを手がかりに--」
4.北村由美(京都大学東南アジア研究所)
「ジャカルタの「言語景観」にみられる中国語使用と華人」

11月29日(日)
自由研究発表
1.Edy Priyono(Universitas Kyoto Sangyo) / エディ・プリヨノ(京都産業大学外国語学部)
「Meninjau Tren Baru lewat Singkatan Asing Kontemporer di Media Cetak Indonesia dan Jepang」
(インドネシアと日本の印刷メディアにおける現代の外国語略語にみる新しい時代の潮流)
2.スリ・ブディ・レスタリ(東京外国語大学博士後期課程)
「現代ジャワ語の敬語使用に関する調査報告--第三者敬語の使用をめぐる問題--」
3.安田和彦(京都産業大学外国語学部)
「supaya/agarに導かれる節について」
4.長南一豪(獨協大学博士後期課程)
「完了性をあらわす動詞接辞-kan」
5.高地薫(愛知県立大学非常勤講師, ガジャマダ大学日本研究センター研究員)
「9月30日事件を巡る文学と歴史」

特別講演
スダルタ(G.M.Sudarta)氏特別講演

研究大会のあと、引き続き、インドネシアを代表する漫画家(カートゥニスト)で現在、京都精華大学マンガ学部カートゥーンコース特任教授のスダルタさんの特別講演がありました。日本のマンガとカートゥーンの違い、ジャワ人のユーモアの背景としてのジャワ影絵芝居のプノカワン(召使い役)の話、スハルト時代の体験談など、興味深い話が尽きることなく続きました。
Sudarta.JPG
(ワヤン人形をもって語るスダルタさん)

2009年11月26日

【東南アジア古典文化論】

今週からマハーバーラタについて講義をします。今日は、マハーバーラタの主要登場人物の関係と第1編のできごとの説明をしたあと、ピーター・ブルック監督の映画版『マハーバーラタ』のビデオを途中まで鑑賞しました。今日見たのは、ユディシュティラがドゥルヨーダナとサイコロ博打を始める場面までです。次回はこの続きから鑑賞します。

前回の授業で配付した課題を回収しました。

ピーター・ブルック監督の映画版『マハーバーラタ』(1989年)については以下のサイトが参考になります。
Internet Movie Databse: The Mahabharata(今回鑑賞しているのはテレビ放映用に制作された318分のオリジナル版を3時間弱に短縮したものです。)
THE MAHABHARATA: a film by Peter Brook
THE MAHABHARATA(授業で配付しました。)
THE MAHABHARATA: A Family Chart (授業で配付しました。)

映画版のもとになったのがピーター・ブルック演出の舞台劇『マハーバーラタ』です。全部演じると9時間かかります。舞台劇にはジャン・クロード・カリエールの脚本が使われました。これには日本語訳があります。
ジャン・クロード・カリエール『マハーバーラタ』(白水社、1987年)

ジャワ語のマハーバーラタについては以下のサイトに概要がのっています。
マハーバーラタ

【4年次対象ゼミ】

今週のゼミは、附属図書館4階の第2グループ閲覧室でパソコンを使い、セクションの使い方を中心にワードの使い方を練習しました。

MSワードの使い方については以下のページも参考にしてください。
1. MS Wordで注の位置を参考文献リストの前に配置したい
2. MS Wordで本文の最初のページを第1ページにしたい

■「ワードの使いこなし【卒論編】」用のファイル
ファイルをダウンロード (26KB, DOC)

来週と再来週は通常の教室で提出直前最終中間発表会をおこないます。

2009年11月25日

【リレー講義】

リレー講義「民族と民族問題の諸相」の中のインドネシア第3回である今日の授業では、国民国家インドネシアにおける外来少数民族である華人をテーマとして取り上げました。 今週の授業では以下の3点をおさえました。 1. 「華人」、「華僑」、移民政策などをめぐる基本概念を理解する。 2. オランダ植民地期からインドネシア独立後にいたる華人をめぐる状況の変化を理解する。 3. 民主改革期以降の華人をめぐる状況の変化とその意味を理解する。

【質問・コメントへの回答】

3回の講義を終了しました。聞いていただいた受講生には感謝します。今回は3回分あったので多民族国家としてのインドネシアの光と影の両面を多角的に理解してもらえるよう努力しました。それでも、授業時間内には十分に説明出来なかったことがたくさんのあります。レスポンス・シートで出された質問・コメントの中から代表的なものを取り上げて、不足を補いたいと思います。(2009-11-25)遅くなりましたが、期末レポートに間に合うよう回答をのせました。(2010-01-28)


質問1

 なぜ東南アジアに華人が多いのでしょうか?

回答1

 華人は北米やオーストラリアにも多く住んでいますが、もっとも集中しているのは東南アジア諸国(とくにインドネシア、タイ、マレーシア)です。その理由は、簡単に言うと、東南アジアの地理的要因と歴史的要因の組み合わせによると思われます。つまり、中国に比較的近いために歴史的に中国との交流があったこと、そして、近代に入って欧米によって植民地化(タイは除く)されたために華人労働力の需要があったことが理由にあげられるでしょう。


質問2

 インドネシアの華人移住の歴史は長いので、華人かプリブミ(土着のエスニックグループに属する人びと)との区別が外からはつかない人も多いのではないでしょうか?

回答2

 そのとおりです。新来のトトックに対して、プラナカンと呼ばれる人びとは、最初に移住してから数世代が経っており、プリブミとの通婚も進んでいるので、外見的にはプリブミと区別がつかない人が多いのは事実です。プラナカンは、現地の言葉を母語としていますし、イスラームに入信している人も少なくありません。

 逆に、プリブミと見られていても、祖先に華人がいる人も少なくないと思われます。興味深いことに、ジャワの王家であるマタラム王朝の伝承には、王の妃の一人として中国人の王女を迎えたことが語られています。これが歴史的事実かどうかは別としても、王家の系譜の中でさえ華人との通婚の可能性が認められていたことを示している点で興味深いものがあります。


質問3

 華人に対する差別には、国内的な問題だけではなく、冷戦体制も関係があったのではないでしょうか?

回答3

 少なくともスハルト政権期においては、当時の冷戦体制が華人に対する差別の背景にあったことは確かです。スハルト政権の公式見解では、1965年の9月30日事件は、中国共産党の影響下にあったインドネシア共産党につなる一部の軍人のクーデターから始まったとされました。冷戦体制のなかで共産党政権下の中国を脅威とする当時の雰囲気は、スハルト政権による華人に対する制度的差別の口実になりました。


質問4

 なぜインドネシアでは異民族間の軋轢が少ないのでしょうか?

回答4

 最初に言っておくべきことは、異民族が一つの国家に住んでいても、ただちに軋轢が生じるわけではありません。また、軋轢があっても、ただちに暴力的な紛争になるわけでもありません。政治的、経済的な条件が変化する中で軋轢が生じるし、軋轢にもいろいろなレベルがあると考えた方がよいでしょう。

 質問に対する適切な回答は困難ですが、一つ言えることは、インドネシアの場合、異民族間の「住み分け」の伝統が長い歴史の中で作られてきたことが、軋轢の少なさにつながっているように思われることです。たとえば、インドネシアでも、カリマンタンではダヤク人とマドゥラ人との間で紛争がおこっています。これは、森林を生業との場とするダヤク人が住み着いてたところへ、政府の移民政策によってマドゥラ人が移住してきたことが原因です。異民族間の住み分けが崩れると、新しい均衡が作られるまでは、軋轢が続くのように思われます。


質問5

 インドネシア人にとって、国民意識と民族としてのアイデンティティのどちらの帰属意識が強いのでしょうか?

回答5

 アイデンティティの問題は主観的な要素がはいってくるので、一律に説明することは困難です。ただし、アイデンティティは状況によって変化するものであり、多重なものでありえることに注意しておく必要があります。同じインドネシア人が、国内では「ジャワ人」と感じていても、国外では「インドネシア人」と感じることはありえるでしょう。この場合、ジャワ人であり、インドネシア人であることは、矛盾したアイデンティティではないわけです。あえて言えば、出身地域で同じ民族に囲まれて生活している限りは、インドネシア人である前に、その民族に対する帰属意識の方が表面に出てくるように思われます。


質問6

 インドネシアの歴史について分かりやすい本を教えてください。

回答6

 スハルト体制以後まで記した日本語のインドネシア通史があればよいのですが、見あたらないようです。そのなかで、インドネシアの高校で使われている教科書の日本語版『インドネシアの歴史』(明石書店、2008年)は、インドネシアの視点で書かれており、教えられる点があります。

【一般】

東南アジア学会では、9月30日にスマトラ沖で発生し、西スマトラのパダンを中心に大きな被害をもたらした地震について考える緊急研究集会を下記のように開催します。関心のある方の参加をお待ちしています。[詳細 (PDF)]

earthquake-poster-front-005.jpg

支援の現場と研究をつなぐ
―2009年9月西スマトラ地震におけるジェンダー、コミュニティ、情報―

◆日時◇2009年11月25日(水)午後2時~午後5時
◆場所◇東京大学駒場キャンパス 18号館ホール (京王井の頭線駒場東大前駅下車)
◆問合せ先◇東南アジア学会事務局
〒441-8522豊橋市町畑町1-1 愛知大学国際コミュニケーション学部 加納寛研究室
Email jsseas@ml.rikkyo.ac.jp
URL http://www.jsseas.org/index.html
◆主催◇東南アジア学会

趣旨説明 山本博之(京都大学地域研究統合情報センター准教授)
第1部 現場の情報―被災と救援
1. 「2009年西スマトラ地震 被害と救援の概要」
 西芳実(東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム助教)
2. 「難民を助ける会 西スマトラ沖地震緊急支援概要」
 野際紗綾子(難民を助ける会 シニア・プログラム・コーディネーター)
3. 「ピースウィンズ・ジャパンの西スマトラ対応」
 國田博史(ピースウィンズ・ジャパン 尾道事務所所長)
第2部 研究の情報―社会と文化
1. 「現代ミナンカバウ社会におけるイスラームとアダット」
 服部美奈(名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授)
2. 「ジェンダーの視点からみた西スマトラ村落コミュニティ」
 山田直子(東北大学国際交流センター講師)
第3部 討論
1. コメント 加藤剛(龍谷大学社会学部教授)
2. コメント 林勲男(国立民族学博物館准教授)
3. 総合討論

この研究会のポスターをダウンロードすることができます。PDF形式で表・裏両面になっています。ダウンロードしたポスターを掲示・配付して広報に使っていただければさいわいです。

【追記】
タイトルの中の「2009年」を「2009年9月」に修正し、趣旨説明の一部の語句を修正し、ポスターに反映させました(2009-10-23)。発表タイトルの一部の修正と共催機関名の変更・追加をおこない、ポスターに反映させました(2009-10-28)。

【地域基礎】

今週は、最初にまんだら班にパプア州の生態系の変化を報じるニュースについて報告してもらいました。

続いて、夏休み課題レポートの第5章「スハルト政権下のインドネシア」と第6章「民主改革期のインドネシア」の発表をしてもらいました。

第5章では、スハルト政権のもと1985年に達成された米の自給自足にも触れておいた方がよいでしょう。第6章では、ユドヨノ大統領のテロ対決姿勢の背景には、2002年10月12日のバリ島爆破事件があることにも触れておいた方がよいでしょう。

いくつか宿題が出たので、今週の発表者は調べておいてください。
1. スハルト元大統領に対しておこなわれていた民事訴訟は、スハルトが死んだあとはどうなったのか。
2. ハビビ大統領がおこなった政治犯の釈放で対象となった人は具体的にだれか。

来週は、第7章「東ティモール問題について」と第8章「イスラーム―インドネシアにおけるイスラームの影響」を発表してもらいます。

2009年11月23日

【一般】

今年も外語祭の季節が近づいてきました。第87回外語祭は11月19日(木)から23日(月/勤労感謝の日)まで開催されます。

インドネシア語専攻では2年生が中心の語劇と1年生が中心の料理店の出店をおこないます。語劇は11月20日(金)17時00分から研究講義棟 101マルチメディアホールで上演されます。演目は「サイジャとアディンダ」です。植民地時代のオランダ人作家ムルタトゥーリが書いた小説『マックス・ハーフェラール』に挿入された悲哀のエピソードを学生自身が脚本化しました(原書の日本語訳も刊行されています)。

インドネシア料理店の名称はZAM×2(ザム・ザム)です。外語祭の期間中、円形広場で出店します。この他にも、インドネシア舞踊サークルによるインドネシア舞踊の上演もおこなわれます。

詳しい情報は第87回外語祭公式サイトに順次、掲載される予定です。また、語劇については語劇支援室のサイトでも詳しい情報が掲載されています。

11月21日(土)はオープンキャンパスも開催されます。東京外国語大学への入学を考えている人は気楽に顔を出してみてください。インドネシア語専攻は114教室です。インドネシア舞踊の公演もあります。

11月19日から外語祭が始まりました。

インドネシア語専攻の料理店と語劇の11月20日の様子を写真で紹介します。

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インドネシア料理店ZAM×2の全景。ザム・ザムはメッカの聖水のことです。

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甘辛とりまぜていろんな料理を出しています。

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お客さんへのサービスも満点です。

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インドネシア語劇がいよいよ開幕です。

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村の子どもたちにサイジャとアディンダの物語を語ってきかせる長老。

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貧しいサイジャの父は水牛を飼うのもままならない。

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迫力満点の虎。サイジャを襲うが、水牛に撃退される。

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3年後の再会を約束するサイジャとアディンダ。

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アディンダへの想いを吐露するサイジャ。

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3年後、姿が見えないアディンダを探し求めるサイジャに同情する村人たち。

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変わり果てたアディンダを抱いて嘆くサイジャ。

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キャスト全員が舞台にあがって挨拶。

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語劇をやり遂げました。脚本・演出担当を囲んで記念撮影。お疲れ様でした。観客の反応もバグスです。

ここに紹介できなかった写真もウェブアルバムで公開中です(期間限定)。下の写真をクリックしてください。

第87回外語祭2009年11月20日

2009年11月21日

【一般】

11月21日(土)からはインドネシア舞踊の公演が始まりました。公演は23日までの3日間、毎日数回の公演でプログラムも一部入れ替えがあります。

21日におこなわれた公演の一部の様子を写真で紹介します。

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インドネシア舞踊の会場は114教室。ほかにもいろいろな催しがあります。

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神への感謝と祈りを表すバリのおどりペンデット。

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ジャワの女戦士のおどりバヤン・カリ。

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外語祭では今回初めて演じた東部インドネシアの軽快なおどりタウメ・アヌク。

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バリのおどりパンジ・スミラン。王女チャンドラキラナが行方不明になった王子パンジを探すために男装して森に入るという物語を演じます。

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外語祭では今回初めて演じたアチェのおどりディンディンバディンディン。

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これもアチェのおどりでとっても楽しいサマン。

2009年11月20日

【一般】

今年も外語祭とともに語劇の季節がやってきました。インドネシア語劇では2年生が中心になって「サイジャとアディンダ」(Saijah dan Adinda)を上演します。

■日時:2009年11月20日(金)午後5時~6時
■場所:研究講義棟101教室(マルチメディアホール)
■詳細は外語祭公式サイトをごらんください。

Max Havelaar Dutch version
『マックス・ハーフェラール』オランダ語版(1891年の第9版)

■物語の紹介
「サイジャとアディンダ」はエドゥアルト・ダウエス・デッケルがムルタトゥーリの筆名で書いた長編小説『マックス・ハーフェラール』(Max Havelaar)中に描かれる独立したエピソードで、いわば劇中劇のような趣向をもった短編です。オランダ語で書かれた原作が刊行されるや、オランダはおろか全ヨーロッパで大反響を引き起こしました。それは、この作品がオランダ植民地支配の実態について痛烈な批判をおこなっていたからです。

デッケルは18歳のときに1838年にオランダからオランダ領東インド、現在のインドネシアに渡って民地官吏となり各地で勤務をして回りました。 52年に一時帰国しますが、55年に植民地にもどり、翌年ジャワ島西部のバンテン南部にあるルバック県の副理事官に任命されました。しかし、そこで目撃した管轄下の住民の悲惨な生活に憤って辞職し、帰国後1860年にムルタトゥーリの筆名で発表したのが『マックス・ハーフェラールもしくはオランダ商事会社のコーヒー競売』です(「もしくは」以下は副題)。

オランダは1830年からジャワ島に強制栽培制度を導入して多大な利益をあげていましたが、その内実は、オランダ人植民地官吏と現地首長が結託して農民たちを収奪するという仕組みでした。自身も植民地官吏であったデッケルは制度の表も裏も知り得る立場にいたわけです。『マックス・ハーフェラール』は小説の体裁をとっていますが、その内容は、デッケルがルバックで見聞した状況を題材にしています。ムルタトゥーリという名は、ラテン語からとったもので「私は多くを堪え忍んだ」という意味です。晩年はドイツに移り住み1887年に死去しました。

語劇で演じられる「サイジャとアディンダ」ではルバック県の農村の若い男女が主人公となります。幼なじみだったサイジャとアディンダは許嫁同士でした。当時農民の財産であった水牛を買うためのお金を得るために、サイジャは都バタビアの金持ちの家に奉公に出かけます。再会の約束をした3年後、奉公があけて村に戻ったサイジャが目にしたのは、すっかり様変わりした故郷でした。アディンダを探し回るサイジャには過酷な運命が待っています。オランダ人によって書かれながらもインドネシア人の苦しみを描ききった作品であるがゆえに、この小説、とりわけ「サイジャとアディンダ」の物語は、その後インドネシアの民族主義者たちに感銘を与え、今ではインドネシアで知らない人のいない国民的な作品となっています。1976年には映画化もされました。

語劇のテーマとするあたっては、インドネシア語専攻の2年生が小説から戯曲化するという大変な作業に取り組みました。劇としては登場人物の数が限られているうえに、サイジャのセリフがずば抜けて多いという困難さもありました。語劇の実現までたどり着いた2年生たちの敢闘をたたえてあげてください。また、昨年に続いて客員教授のスハンダノ先生には語劇の完成まで全面的にお世話になりました。

最後になりましたが、『マックス・ハーフェラール』は東京外国語大学で教鞭をとられた佐藤弘幸先生によって翻訳されています。オランダ語の初稿から日本語に完訳されたもので、『マックス・ハーフェラール』のすばらしさが日本語でもわかるようになりました。劇に感動したあとは、ぜひ本も手にとってみてください。

Max Havelaar Indonesian version
『マックス・ハーフェラール』インドネシア語訳(1972年に刊行された初版。サイジャとアディンダの場面が表紙絵になっています。)

Max Havelaar Japanese version
『マックス・ハーフェラール』日本語訳(2003年刊)

【追記】
『マックス・ハーフェラール』が映画化された年を1975年としていましたが、Internet Movie Data Baseの情報にしたがって1976年に訂正しました。

2009年11月17日

【大学院】

安里和晃 高齢者介護のグローバリゼーションとクロスカルチュラルケア
『経済学論集(民際学特集)』(龍谷大学)46(5): 225-240.
■2009年11月17日.

【大学院】

高畑 幸 在日フィリピン人介護者:一足先にやってきた「外国人介護労働者」
『現代思想』(特集:ケアの未来―介護・労働・市場)2009年2月号, 106-118.
■2009年11月17日.

2009年11月16日

【3年次対象ゼミ】

今週は、SMさんとSTさんに発表してもらいました。

次週11月23日は外語祭期間中の祝日なのでお休みです。次回は11月30日です。

次回はTKさんに論文レジュメの報告をしてもらいます。また、あわせて、今日の発表に関係のある映像資料『歌手になりたい』を見る予定です。

【インドネシア語読解】

今週は、テキストのp.15下から7行目のorang Amerika.まで進みました。次回はこの続きから始めます。

今週も語劇の準備に時間が必要だということなので、BBCニュースの発表は次回に回すことにしました。

来週11月23日は外語祭期間中の祝日なので授業はありません。次回は11月30日です。

2009年11月14日

【一般】

2009年11月14日(土)に神田外語大学で第3回インドネシア語弁論大会が開催され、本学インドネシア語専攻2年生の増井美佳さんがカテゴリーA(インドネシア語学習2年以内の大学生)で最優勝賞を受賞しました。おめでとうございます。

大会では、Masa Depan, Hubungan Antara Jepang dan Indonesia(日本・インドネシア関係の未来)というテーマで作文し、それに基づいて5分間以内のスピーチをおこなうという課題を競いました。

exblogガドガドに大会の様子の記事があります。

日時:2009年11月14日(土)午後12時30分より
場所:神田外語大学内 ミレニアムホーム
主催:神田外語大学
後援:インドネシア共和国大使館
協賛:インドネシア文化宮、日本インドネシア語検定協会、ライオン株式会社
詳しい案内](PDF)

2009年11月12日

【東南アジア古典文化論】

今週は、先週に引き続きバリのケチャの映像を見て、配付資料にもとづいて、その特徴を説明をしました。そのあと、タイ語版のラーマーヤナであるラーマキエンに基づいた仮面劇コーンの映像を見ました。

いずれも「伝統」であっても、かならずしも新しいものではない点に注意してください。言い換えれば、ラーマーヤナの伝統は常に新しいものに生まれ変わりながら受け継がれています。

マハーバーラタの概要を示す資料と課題を配付しました。次回からマハーバーラタについての講義にはいります。

次週11月19日は外語祭のためお休みなので、次回は11月26日です。課題の回答は11月26日の授業時間中に提出してください。

■今週の配付資料
1. ファイルをダウンロード (221KB, PDF)
2. ファイルをダウンロード (163KB, PDF)
3. ファイルをダウンロード (68KB, PDF)

2009年11月11日

【地域基礎】

今週は、最近のインドネシアのニュースとして、まさかのランブータン班に泥炭地から二酸化炭素排出の記事とマドゥラ島の牛レース(カラパン・サピ)の記事を紹介してもらいました。

そのあと、映画『危険な年』の後半を最後までDVDで鑑賞しました。ビリーがなぜガイとジルを結びつけようとしたのか、という質問がありましたが、おそらくビリーはガイを自分の代理として見ていたのではないかと思います。

来週は、外語祭でお休みです。次回11月25日は、夏休み課題レポートの第5章と第6章の発表をしてもらいますから、準備をしておいてください。

【リレー講義】

リレー講義「民族と民族問題の諸相」の中のインドネシア第2週である今日の授業では、国民国家インドネシアに対抗する民族をテーマとしてアチェと西パプアの分離独立運動を取り上げました。

今週の授業では以下の3点をおさえました。
1. 国民・民族(nation)、エスニシティ(ethnicity)の諸概念とその関係を理解する。
2. 国民国家(nation-state)であるインドネシアの成立と国民統合の過程を理解する。
3. 国民国家に対する地域の異議申し立てとしてアチェ、西パプアの分離独立運動を理解する。

来週は外語祭のためお休みです。次回11月25日には、国民国家インドネシアにおける外来少数民族である華人について考えます。


【質問・コメントへの回答】

レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。課題に対する回答へのコメントと、出された質問の中から代表的なものを取り上げて、授業の不足を補いたいと思います。(2009-11-19)


課題に対する回答へのコメント

 ナショナリズムの訳をあげてくださいという課題には対しては「民族主義」、「国民主義」、「国家主義」といった回答があがっていました(予想外に「国家主義」をあげた人が多かったのは、近年「ぷちナショナリズム」の傾向が議論されたりしているからかもしれません)。いずれもナショナリズムの訳語として使われているものですが、使われる文脈によって使い分けがされていることに注意してください。基本的なポイントは授業中に説明しましたが、さらに理解を深めるためには、塩川伸明『民族とネイション―ナショナリズムという難問』(岩波新書、岩波書店、2008)が大変に参考になります。


質問

 なぜネーションはネーションとしてまとまらなければならないのでしょうか?

回答

 たしかに、ネーションがネーションとしてまとまる必然性を明らかにすることは簡単ではありません。言語・文化・歴史・宗教などを共有する集団がネーションだとすれば、アチェのように(結局は分離しませんでしたが)、民族集団ごとにばらばらになる方がむしろ自然だとも言えます。現存する国民国家を見てみると、アメリカ合衆国や中国のように大きくまとまっている国は、たしかに大国としての存在感がありますから、まとまることが有利になることもあると思えますが、実際にネーションが小さくまとまるか大きくまとまるかは、歴史的・地理的な条件によるので、まとまる理由を一般化は困難です。

 しかし、忘れてはいけないことは、近代のナショナリズム(ネーションを構成する人間集団がネーションとしてまとまろうとする意識・運動)が、フランス革命に触発されてまず19世紀にラテン・アメリカを中心に大きく燃え上がり、さらにその意識がアジアやアフリカへと世界中に広まったという事実です。ナショナリズムは、それがどのような名称で呼ばれたにせよ、人々がまとまって団結し、立ち上がるというある種のロマン・希望・夢・理想をかき立てたという、エモーショナル点を見逃すことはできないでしょう。実際、多くの成功したナショナリスト(たとえばスカルノ)が、大衆を動員するカリスマ性をもっていました。

 この点について注目すべきことは、ナショナリズムは対抗する相手があってはじめて発生するということです。植民地を縛り付けている本国政府であれ、地方を暴力的に搾取する中央政府であれ、対決する相手である「彼ら」が目の前に立ち現れることによって、「彼ら」に対して対抗する主体である「我々」の存在が意識され、「我々」の団結が必要であると主張されてくることです。オランダに対して独立を訴えたインドネシアの民族主義者たち、ジャカルタに対して異議申し立てをしたアチェの独立運動家たちは、まとまり方には大小の違いがありますが、まさに「彼ら」に対して「我々」をまとめようとするナショナリズムの実践者であったと言えます。

2009年11月10日

【大学院】

Kim, Minjeong "Forced" into Unpaid Carework: International Student's Wives in the United States.
Zimmerman, Mary K. et al. eds. Global Dimensions of Gender and Carework. Stanford University Press. 2006, pp.162-173.
■Zimmerman他編の上記の書籍の第13章.2009年11月11日.

【大学院】

伊藤るり・足立眞理子 序文
伊藤るり・足立眞理子・編著『国際移動と〈連鎖するジェンダー〉―再生産領域のグローバル化』(ジェンダー研究のフロンティア第2巻)作品社,2008年,pp.5-17.
■伊藤るり・足立眞理子・編著の上記の書籍に収められた序文.2009年11月11日.

2009年11月 9日

【3年次対象ゼミ】

今週は、最初に映像資料「インドネシア、バリ島の芸術文化政策」(世界の芸術文化政策 第14回、放送大学、43分)を見てもらいました。ここでは、芸術の伝承が州、国家の文化政策と密接に関連していることが明らかにされています。そのあと、SRさんのレジュメを報告してもらいました。

来週は、SMさん、STさんに発表してもらう予定です。

なお、今週からお隣の総合文化研究所応接室(422)を予約してあるので、映像資料がある場合にはこの部屋も使う予定です。

【インドネシア語読解】

今週の読解は、予定を変えて語劇の練習参加に代えました。2年生の皆さんは語劇の練習をしっかりとやってください。

来週は、通常どおりテキストの読解をおこなう予定です。BBCニュースの訳文は受け取っていますので、来週の発表をお願いします。

2009年11月 5日

【4年次対象ゼミ】

今週は、YSさん、SNさん、KYさん、それに帰国したばかりのSMさんから報告を受けました。以下、要点です。

・YSさんは日本語版の脚本をあと8ページ残すばかり。これを完成し、インドネシア語訳をしたら、スハンダノ先生に見てもらう。
・SNさんはトゥンプンに関連する情報の確認をおこなった。インドネシアに調査に行けない場合は、知人のジャワ人に質問票を送ることにする。トゥンプンに使われる食材のなかで象徴的意味が不明のものがあるので、調査を継続する。
・KYさんはインドネシア人女性の職業意識の調査を行う予定で、アンケートの設問を作成している。基本的な内容については問題ないと判断されました。
・SMさんはジョグジャカルタで120人分の聞き取りをおこなって帰国した。まず資料をきちんと訳して提示すること、全体の構成は、先行研究の紹介、研究のテーマ、ジョグジャカルタの概要、調査の方法論、調査の結果、結果の分析、まとめ、という形式にするようアドバイスをしました。とても興味深い卒論になりそうです。

来週は講演会に出席することでゼミ出席に代えますから、参加してください。

■日時:2009年11月12日(木)5限(16:30-18:00)
■場所:海外事情研究所(427)
■講演者:ジャン=ロベール・ピット(前ソルボンヌ大学長)
■題目:フランス人文地理学の新たな地平
■フランス語、通訳付き
ポスター(PDF)

再来週は外語祭のため休講となるので、次回は11月26日です。パソコンの使える部屋に全員集合してもらい、卒論制作のためのワードの使い方を説明する予定です。部屋は決まりしだいメーリングリストで連絡します。

【追記】
11月12日は、講演会の出席をもってゼミ出席に代えることにしたので、本文を訂正しました。

【東南アジア古典文化論】

今週は、先週に引き続いて、「金色の鹿」の場面から、プランバナン寺院の浮き彫りを使ってラーマーヤナの物語をたどりました。そのあと、パナタラン寺院の浮き彫り、現在のワヤン・クリ、ワヤン・オラン、スンドラタリ(ラーマーヤナ・バレー)を紹介しました。それから、現代のインドネシアのバリのケチャの映像を紹介しました。スグリーヴァとヴァーリン(バリではスバリと呼ばれる)の対立のエピソードを一回のパフォーマンスにまとめたものです。今日は、「洞窟」の場面までしか見れなかったので、来週、続きを見ます。

先週提出してもらったラーマーヤナの登場人物関係図を返却しました。今週は配付資料はありません。

来週は、ケチャの続きとタイのラーマキエンに基づく仮面劇コーンの映像などを見る予定です。

【2009年度の記録】

2010年度にゼミを参加する学生の皆さんへ

指導教員希望届を11月25日(水)~11月30日(月)の期間内に教務課に提出することになっています。私のところでは以下の日程でゼミの個別ガイダンスをおこないます。青山ゼミに参加を希望する人、迷っていて相談をしたい人、ただどんなところから見てみたい人、どんな人でも歓迎です。

1月5日(木)13:10~14:10 青山亨研究室(633)

青山ゼミは総合文化コース、地域・国際コースの両方に開かれています。詳しいことは大学ウェブサイトのゼミ紹介のページを読んでください。

なお、個別ガイダンスの日程があわない人はオフィスアワーの時間(月曜日2限)に来るか、メール(taoyama@tufs.ac.jp)で訪問の日時を相談してください。

2009年11月 4日

【地域基礎】

今週と来週の2回にわたって映画で学ぶインドネシアの一つとして映画「危険な年」(The Year of living Dangerously, 1983年, 115分)を鑑賞します。

今日は、イギリス大使館でのパーティーのあとビリー・クワンの家で二人が結ばれたところまで見ました。来週はこの続きを見ますが、事態が急速に動き始めます。

映画観賞のあと、時間があれば、第5章の発表をしてもらいますから、準備をしておいてください。

【リレー講義】

2学期水曜日4限のリレー講義「民族と民族問題の諸相」のなかで11月4日・11日・25日の3日間、インドネシアについての講義を担当します。なお11月18日は外語祭の準備日のため授業はありません。

全3回のなかでは、東南アジアの多民族国家としてのインドネシアを紹介し、第1週では国民国家インドネシアにおける多民族の共存を、第2週では国民国家インドネシアに対抗する民族、あるいは国家のなかで対立する民族を、第3週では国民国家インドネシアにおける外来少数民族である華人の位置をとりあげます。

3回の授業を通じて、以下の論文が参考になります。
・内堀基光. 1998. 「民族論メモランダム」田辺繁治編著『人類学的認識の冒険―イデオロギーとプラクティス』同文舘.
・加藤剛. 1994. 「民族と言語」綾部恒雄・石井米雄編『もっと知りたいマレーシア』第2版, 弘文堂.
・石川登. 1997. 「民族の語り方―サラワク・マレー人とは誰か―」青木保編『岩波講座文化人類学 第5巻 民族の生成と論理』岩波書店.

第1週の今日の授業では以下の3点をおさえました。
1. 多民族(多文化・多言語・多宗教)国家の一例としてのインドネシアの概要を理解する。
2. インドネシアの多民族性の歴史的背景を理解する。
3. インドネシアにおける多民族共存の実状を理解する。
映像素材としては「南の国のデパートガール」を使いました。

250部の配付資料を準備して227人分のレスポンス・シートの提出がありました。いただいたコメント・質問の中から代表的なものをとりあげて回答していく予定です。


【質問・コメントへの回答】

レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。出された質問・コメントの中から代表的なものを取り上げて、授業の不足を補いたいと思います。(2009-11-19)


質問1

 人造語であるインドネシア語が形成された経緯と経過を教えてください。

回答1

 ムラユ語は東南アジア島嶼部のスマトラ島およびマレー半島を中心に広い地域にわたって使われている言語です(英語ではMalayと呼ぶので、日本ではマレー語の名前で知られています)。インドネシア語は、インドネシアという国民国家において公用語とされているムラユ語のことです。7世紀のシュリーヴィジャヤ王国の碑文にはムラユ語の古い形である古ムラユ語が使われており、ムラユ語が古くから使われていたことがわかります。その後、15世紀にはマラッカ王国の公用語になり、交易における共通語として島嶼部では広く使われるようになりました。

 1928年の青年の誓いでインドネシア語を(将来の独立をめざす)インドネシアの公用語とすることがうたわれた背景には、すでにムラユ語が広く共通語として使われていたという事実があります。1942年に日本がオランダ領東インドを占領したとき、オランダ語に代わってインドネシア語を公用語とし、この決定がインドネシアの独立後にも引き継がれました。インドネシアの憲法ではインドネシア語を公用語とすることが規定されています。

 なお、マレーシアの公用語としてのムラユ語はマレーシア語と呼ばれています。マレーシア語とインドネシア語はいずれもムラユ語に基づく言語であり、兄弟のような関係にあります。いずれにせよ、このように古い歴史をもったムラユ語に基づいていますから、質問された方のように、インドネシア語を「人造語」と呼ぶのは不適当です。


質問2

 インドネシアでは民族についての教育(民族教育)や国家についての教育(愛国教育)はどうなっていますか?

回答2

 現在のインドネシアでは、インドネシア国民(インドネシア語でbangsa)であることの教育がもっとも重要視されています。必ず教えられる国家五原則(パンチャシラ)の中には国家の統一があげられています。しかし、その一方で、インドネシアには、それぞれの地方にさまざまな民族(インドネシア語でsuku-suku bangsa)が住んでおり、それぞれ固有の文化をもっていることも強調されます。これは国是である「多様性の中の統一」に表されています。学校では、とくに小学校の段階では、各地の民族文化についての教育がおこなわれています。このように、国民国家の中の地方的・文化的な下位区分として民族文化が位置づけられています。

 なお、質問の趣旨とはすこしずれますが、大統領を頂点とする政治権力の中枢をマジョリティであるジャワ人が占めているという現実の結果として、ジャワ人の文化が「あたかも国民文化であるかのように」インドネシア全体に広がっているという事実には注目しておきたいと思います。たとえば、バティックを使った公務員の制服、男性への敬称としての「バパック」(本来は「父親」のこと)、女性への敬称としての「イブ」(本来は「母親」のこと)の使用の広がりなどをあげることができます。つまり、国民国家の文化(国民文化)といっても既存の民族文化から離れた中立的なものではないということです。


質問3

 イスラームの断食月の期間中、ムスリムではない人たちはどうしているのですか?

回答3

 断食月の期間中、ムスリムではない人たちは普段のように食事をしています。昼間も営業している食堂も少なくありません。授業中に紹介したビデオ資料では、ミハルスさんが勤務先の食堂で昼食を食べている場面がありましたが、撮影の時期から考えると、断食月中であった可能性があります。ミハルスさんはキリスト教徒なので昼食を食べていても何も問題がなかったわけです。

 ちなみにミハルスが手を使って食事をしていることに注目した人が何人かいました。手を使って食事をするのは南アジアから東南アジアにかけてごく普通の習慣で、特定の宗教や民族と関係があるわけではありません。なお、左手は不浄な手と考えられているので、右手を使うのが正しいマナーです。

2009年11月 2日

【3年次対象ゼミ】

来週は、KCさん、MAさんの2人に発表してもらいました。また、授業ではインドネシアについての1980年代の英語のガイドブックを紹介しました。

欠席者がいたので、映像資料の紹介は来週に延期しました。

次週はSRさん、SMさん、STさんに発表してもらう予定です。

【インドネシア語読解】

今週のBBCニュースは、10月26日付けJepang tawarkan RI pinjaman(日本がインドネシアに円借款を供与)について3班に報告してもらいました。

桁数の大きな数の表記に気を付けてください。
・juta 1,000,000 「100万」
・milyar 1,000,000,000 「10億」(milyarはオランダ語のmiljardに由来します)
・triliun 1,000,000,000,000 「1兆」

テキストは、Bambu dan Orang Jepangの前回の続きから読み始め、13ページの下から7行目のmempertanggungjawabkannya.まで進みました。次回はこの次のパラグラフから始めます。

          

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