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2009年10月31日

【ブログについて】

宗教学《世界に現れる「神」》のリレー講義「インドネシアの神・神々・カミ」の授業で回収したレスポンス・シートの質問・コメントから代表的なものを抽出し、授業関係のページに回答を示した。

その際に、初めての試みとしてYouTubeにアップされているSanghyang Dedariの映像にリンクを張ってみた(ブログのページにリンクを埋め込んだ)。YouTubeの映像に対してリンクを張ることには著作権上のリスクが存在するが、明確な基準は出されていないようである。今回は、Wikipediaのサンヒャン・ドゥダリのページにリンクが張ってあったので、とりあえずは問題が少ないだろうと判断して、同じリンクを張ってみることにした。

リンクを張った映像は以下のものである。

YouTubeには教材として有益な映像が増えている。著作権の問題を回避できるようであれば、リンク集を作ってみることも検討してみたい。

2009年10月29日

【4年次対象ゼミ】

今週はSMさん、KYさん、SIさんと面談をしました。SMさんには使用するキャラクターの著作権について事務所に連絡をとるよう支持しました。KYさんは、イスラームについての議論をやめて、インドネシアの女子大学生の就職活動の実態と将来の人生設計についての意識調査をすることにしました。SIさんとは、発送したアンケートの回答を待つ間、関連文献を読む進めることを確認しました。

【東南アジア古典文化論】

今週は、最初に、学生の一人にラーマーヤナの登場人物の関係図(家系図)をホワイトボードに書いてもらい、説明をおこないました。関係図は授業終了時に提出してもらいました。

4ユガ、ヴィシュヌのアヴァターラの説明を改めておこなったあと、プランバナン寺院の浮き彫りを題材にしてラーマーヤナの物語を時間いっぱいまで説明しました。

次回は、「金色の鹿」の場面から説明を続けます。

■今週の配付資料
ファイルをダウンロード (139KB, PDF)

2009年10月28日

【地域基礎】

今日は最初にじゃらわささ班にインドネシアのニュースとして「ミス・ユニバースのベールなしに批判」と「日本のAV女優起用に議論噴出」の2件を報告してもらいました。

ミス・ユニバース・インドネシア代表についての議論は今回が初めてではありませんが、今回はアチェ州代表ということから再び批判が出たようです。

今日は、先週に引き続いて、第3章「日本軍政期―独立戦争期のインドネシア」と第4章「スカルノ政権下のインドネシア」について報告をしてもらいました。司会は前回の発表者にしてもらいました。

スカルノ政権下のポイントとしては、1) 民族主義者であり「独立の父」であるスカルノのもとで独立を達成したこと、2) 総選挙で生まれた国会がイスラームを国教とするかどうかで分裂し、新憲法の制定に失敗したこと、3) スカルノが「指導される民主主義」として大統領独裁政治を始めたこと、4) 混乱する内政を糊塗するために冒険的な外交(対マレーシア対立、国連脱退など)をおこなったこと、5) 軍人でなかった故に当時大衆的な支持があったインドネシア共産党の勢力を利用せざるをえなかったこと、などがあげられます。結局、政権内の軍部と共産党の微妙なバランスが9月30日事件で破綻し、スハルトに政権を強奪されたわけです。

発表者は質問にすぐ答えられないときは、知っている知識でできる範囲の推測を可能性として出す、次回までに調べてくることを約束する、といった対応をとってください。司会者の人は、質問に関連するテーマでレポートを書いた人を指名して、参考になる情報を出してもらうようにしてください。

次週11月4日は、1965年9月30日事件直前のジャカルタを舞台にした映画『危険な年』を鑑賞します。

再来週11月11日は第5章と第6章の報告をお願いします。

2009年10月27日

【大学院】

奥島美夏 インドネシア人の国際移動と渡日の背景・現状
奥島美夏・編著『日本のインドネシア人社会―国際移動と共生の課題』明石書店. 2009. pp.11-45.
■奥島美夏・編著の上記の書籍に収められた序章.2009年10月27日.

【リレー講義】

火曜日1限の宗教学リレー講義「世界に現れる《神》」のなかで10月27日の1回「インドネシアの神・神々・カミ」を担当します。

日本人の「神」観念を振り返ったあと、一神教のイスラームが多数派を占めるインドネシアにおけるヒンドゥー教(多神教)や精霊信仰(カミ)の位置について検討する予定です。


【質問・コメントへの回答】

講義は無事に終了しました。聞いていただいた受講生には感謝します。レスポンス・シートを提出した受講生の数は216人で、すべて読ませてもらいました。今回は考えさせられる質問・コメントが多かったので、代表的なものを取り上げて、しっかりと答えたいと思います。(2009-11-01)

過去の年度の講義でも回答しているので、そちらも参考にしてください。毎年回答するつもりでしたが、結果的に数年おきになってしまいました。

2006年度の講義での回答
2004年度の講義での回答
質問1

 授業の結論として、インドネシアではさまざまな信仰の形態が共存していると説明がされましたが、実際のところ、一人一人の信仰のなかでは共存していないのではありませんか?

回答1

 大変に鋭い質問です。今回の授業は、一見複雑に見えるインドネシアの信仰のあり方を、「神」「神々」「精霊」というキーワードを使いつつ、外からの観察者の目で整理するとどうなるか、という試みです。その結果、インドネシア全体としてはさまざまな信仰の形態が共存しているという結論にいたりました。

 一方、当事者の一人一人の信仰のあり方について分析することは簡単ではありません。とはいっても、一人一人の信仰の中で複数の信仰の形態が共存している場合は確かにあると言ってよいでしょう。たとえば、ジャワ人においては、授業でも例示しましたが、イスラームの信仰とジャワ固有の精霊に対する信仰、あるいはジャワ人の聖者への信仰が共存する場合があります。

 ただし、イスラームとキリスト教のような唯一神信仰が一人の信仰の中で共存する例はほとんどないと推測されます。その理由は、イスラームとキリスト教徒では、人の現世での命および死後の来世での命にかかわる部分で「守備範囲」が重なっているからだと思われます。それに対して、精霊への信仰は主として現世での物質的な利害にかかわっているので、唯一神信仰との共存が可能なのだと思われます(この点を指摘された学生さんにお礼します)。

 ところで、この授業では、タイラーのアニミズムの議論を踏まえて、アニミズムのカミ、多神教の神々、唯一神教の神という3種類のカテゴリーを区別しましたが、タイラーの主張した進化論的な見方は受け入れていないことに注意してください。タイラーの議論のポイントは、むしろ、キリスト教の神であっても、アニミズムのカミであっても、信仰の対象という同じ土俵で議論できることを明らかにした点にあると考えられます。だからこそ、進化論的な見方であれば、高級な唯一神の信仰が到来することによって低級なアニミズムのカミは取って代わられるはずですが、現実には両者が重層的に共存することもありえるわけです。

 また、イスラーム化した社会でのhantu(幽霊・お化け)とイバン人のantu(精霊)との関係で指摘したように、新たな宗教の到来にともなって神が優勢になると、それまで信仰されていた土着の精霊が迷信的なお化け扱いされるようになる場合もあります。日本の妖怪について柳田国男が「零落した神」と指摘していますが、中東のジンや西洋の妖精なども同じような例と考えることができるでしょう。


質問2

 イスラームの預言者と聖者とはどうちがうのでしょうか?最高の聖者がムハンマドということでしょうか?

回答2

 イスラームでは預言者をナビと呼びます。ナビは神の言葉(啓示)を直接聞いた人のことで、アダム、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドなどの人々がナビとされています。ちなみにイスラームではイエスは神ではなく、ナビとして活動した人間と考えられています。ムハンマドは最高にして最後の預言者とされています。したがって、ムハンマドの死後、預言者は出現しないわけです。

 それに対して聖人は預言者ではありません。ジャワではワリと呼ばれる9人の聖者が有名です。彼らは神から恩寵(バカラ)を授かって常ならぬ能力を持った人として民衆に慕われ、彼らの墓にお参りをして祈ると願いがかなうとされています。聖者たちは死後、神のそばにあって、人々の願いを神に取りなすと信じられています。

 したがって、預言者と聖者を神と人間のコミュニケーションの仲介という観点から見ると、預言者の場合は歴史上の一時点でおきた全人類に対するコミュニケーションであったのに対して、聖者の場合は現在まで継続している個人的なコミュニケーションという点で違いがあると言えるでしょう。


質問3

 ジャワの聖者信仰は、正統なイスラームから見ると問題なのではありませんか?

回答3

 イスラームでは、神以外のものに対する崇拝は、神の唯一性をおかすものとして、かたく禁じられていますから(ムハンマドに対する崇拝も例外ではありません)、たしかに聖者信仰には問題があります。しかし、現実には、聖者信仰はジャワに限らずイスラーム世界では広く見られる現象です。

 たとえばインドでは聖者廟はダルガーと呼ばれており、民衆の崇拝の対象となっています(この点を指摘してくれたウルドゥー語専攻の学生さんにお礼します)。ですから、ジャワにある聖者廟も、ジャワ人が勝手にイスラームを変えた結果ではなく、ジャワにイスラームが到来した時点ですでに聖者信仰がおこなわれていたことの結果と考えるべきです。こうしてみると、ジャワ人が聖者として崇拝されるようになって初めてジャワにおけるイスラームの土着化は完成したということができると思います。

 聖者信仰の起源はイスラーム神秘主義(スーフィズム)の歴史とも関係していて複雑ですが、別項でも述べたように、超越的な唯一神と人間との間にある距離を縮める役割を果たしたことが、民衆の間で広まった大きな理由だと思われます。

 ちなみに、同様の現象は、カトリックのマリア信仰やプロテスタントの聖者信仰のように、イスラーム以外の一神教にも見られることです。


質問4

 ラトゥ・キドゥルに対する儀礼のように、イスラームとは無関係な土着の儀礼は、正統なイスラームから見ると問題にはなりませんか?

回答4

 最初に注意しておきたいことは、イスラームは長い歴史のなかで広大な地域に広がった世界宗教であり、なにをもって「正統」なイスラームとするかはけっして自明ではないということです。

 たとえば、中東のイスラームは「正統」なイスラームであるように思われがちですが、中東においてもその中で地域差があること、中東のイスラームの実践とされるもの中には実はアラブ民族といった特定の民族の習慣が多く含まれていること、中東においても聖者崇拝のように非「正統」的な実践が根強くおこなわれていること、などを考えみれば、このことがよくわかるでしょう。

 しかしながら、イスラームの実践を「正統」なイスラームにしなければならないと主張する運動は、イスラーム世界においては何度も起きています。多くの場合、このような運動は、クルアーンとハディースに示された教理を根拠とし、ムハンマドとその弟子たちを手本にすることを主張するので、「復古主義」と呼ばれています。イスラームにおいては、イスラームの近代改革もまたしばしば「復古主義」に基づいている点に注意が必要です(日本の明治維新が王政復古を出発点としたことを想起してください)。

 インドネシアでも「正統」なイスラームに戻ることを主張する人たちがいます。いくつかの地方ではイスラーム法を地方自治体の条例に取り入れる傾向が出ています。ただし、このような傾向には抵抗が多いことも事実です。

 第一に、たしかに、クルアーンとハディースに示された教理は「正統」性の根拠になりますが、そこに書かれたことだけでイスラームの実践がすべて決められるわけではありませんし、7世紀に生きたムハンマドの実践を現代にそのまま持ち込むのには無理があると言わざるをえません。実際、2004年と2009年におこなわれたインドネシアの総選挙では、イスラーム系政党の議席が毎回減っており、インドネシア人の多くも同じように感じていることを示しているように思われます。

 第二に、とくにジャワにおいては、土着の儀礼の多くが、地域の伝統的な権威と結びついているという事情があります。たとえば、ラトゥ・キドゥルに対する儀礼はジョグジャカルタのスルタン王宮やスラカルタのススフナン王宮と密接に結びついています。このような伝統的な権威が完全に崩れない限りは、土着の儀礼も残る可能性が強いと思われます。


質問5

 インドネシアの国家の基本5原則(パンチャシラ)の第1条は「唯一神に対する信仰」となっています。その一方で、イスラームやキリスト教のほかにヒンドゥー教、仏教、儒教も宗教として公認されています。唯一神信仰を国家の基本原則とすることと矛盾していませんか?

回答5

 もともとパンチャシラの原案には「ムスリムに対してはイスラーム法を遵守させる義務」という字句があったのですが、ムスリム以外のインドネシア人、とくにキリスト教徒の心情を配慮して、この字句を削って「唯一神信仰」に入れ替えたといういきさつがあります。このように、イスラーム以外の宗教にも配慮するという趣旨から生まれた第1条ですが、多神教のヒンドゥー教や、神を立てない仏教や儒教の理念とは相容れません。

 そこで、現在のインドネシアにおいては、ヒンドゥー教では「サン・ヒャン・ウィディ」、仏教では「アディ・ブッダ」、儒教では「天」が唯一神であるとする公式解釈をそれぞれの宗教の代表者が表明することによって、矛盾を回避しています。きわめて無理のある解釈だとは思いますが、圧倒的に多数派であるイスラームとの共存をはかるための便法として受け入れられているようです。


質問6

 授業で魚の形をしたアニアニ(手のひらサイズの穂苅鎌)の写真を見せてもらいました。農村であれば牛や鶏の形の方がふわしくありませんか?また、魚のしっぽは実用性がないように感じました。

aniani-fish.JPG
回答6

 アニアニの写真を紹介したのは、インドネシアの民具が近代化の波にのまれて消え去ってしまう前にきちんと収集・研究する必要があると感じたためです。「民具」という概念は、今でこそ日本では一般化していますが、もともとは1930年代に民具の消滅に危機感をもった民俗学者たちが作り出した学術用語でした。

 というわけで、インドネシアにおいては民具の研究は蓄積が少なく、いただいた質問に対しても、私には答える十分な材料はありませんが、すこしだけ私見をのべておきます。

 私が持っているアニアニは二つだけで、一つは魚の形、もう一つは鳥の形をしています。たしかに、農村と言えば牛と鶏が連想されますが、稲作については、象徴的な意味も考える必要があると思います。たとえば、水田の水は魚とつながりますし、稲の女神スリーの飛来は鳥とつながるかもしれません。また、実用性だけで民具を考察するのは一面的であるように思います。民具の製作には民具なりの美意識が働いている可能性があります。いずれにせよ、アニアニの形態について今後の研究に待ちたいと思います。

【追記】 ブログ「八郷の日々」に、フィリピン島のルソンで使われていたアニアニ(現地ではアニと呼ぶそうです)が紹介されています。
質問7

 シャーマンがトランス状態になって憑依・脱魂するということでしたが、これはシャーマンが(自分では意識していないかもしれませんが)「役者」として演じている場合もあるのではないでしょうか?

回答7

 この質問は宗教についての研究にかかわる深い問題を含んでいます。それは、一見したところ理性や常識や科学的真理によって説明のつかない「得たいの知れない」現象を前にしたとき、私たちはそれをどのように(とくに学問的に)取り扱ったらいいのか、という問題です。このような場合、私たちはしばしば、自分の常識の枠組みで説明をつけようとします。質問者は、シャーマンは実は「演じている」という解釈を提出しましたが、これもそのような説明付けの一例です。私としても、この質問に対しては、とりあえず、そういう場合もあるでしょう、としか答えられません。

 しかし、トランスという現象は、日本ではイタコやユタのようにやや周辺的な現象と見られがちですが、世界的に見てみると、韓国のムーダン、東南アジア華人社会のタンキー、あるいはインドネシアのバリの事例のように、社会的に認知された現象であり、たんに、シャーマンが「演じている」という解釈ですませるのではなく、なぜそのような現象があるのかについてより深く分析することが望まれます。

 したがって、トランスについて学問的に研究してくためには、とりあえず客観的な真偽の判定は停止しておいて、観察される現象をあるがままに記述することが大切です。

 その場合、一つの手がかりとなるのは、トランスはシャーマン個人で完結する現象なのではなく、トランスの存在を認める社会のなかで初めて成り立っているということです。つまり、トランスがある社会からトランスを見たとき、どのような説明をおこなっているかが重要となります。

 これは、たとえば、キリスト教を研究するときには、「神は客観的に存在するのか」、「神は客観的に天地を創造したのか」といった真偽の判定はひとまず停止して、キリスト教徒は神についてどのように語っているのかを研究するのと同じ態度となります。むろん、この態度は、信仰者が神の存在を信じることを否定するものではありません。結論的に言えば、大切なことは、私たちの常識もまた、私たちの社会の「常識」であることに気づく必要があるということです。


質問8

 アヴァターラは「生まれ変わり」と理解してよいですか?

回答8

 授業のなかでは、ラーマをヴィシュヌ神の生まれ変わりと説明しました。ヒンドゥー教では、ヴィシュヌ神は地上世界の秩序を回復するために、神々の世界から地上世界に人間や動物などの肉体をもって出現するとされています。この出現した姿(「化身」「権現」)をアヴァターラ(avat?ra)と言い、一般に10のアヴァターラが知られていますが、なかでも7番めのラーマ、8番めのクリシュナはラーマーヤナとマハーバーラタの登場人物として有名です。

 ラーマやクリシュナについては人間として生まれるので、生まれ変わりと言ってもよいのですが、アヴァターラの本来の意味は「降下」という意味です。したがって、すべてのアヴァターラが「生まれ変わり」だというわけではなく、1番めの亀のアヴァターラのように「化身」と言った方が適切な場合もあります。この点については、指摘してくれたヒンドゥー語専攻の学生にお礼します。


質問9

 バリ島では毎日のようにお祭りがあると聞きましたが、本当に毎日、踊ったり、練り歩いたしているのでしょうか?

回答9

 バリのヒンドゥー教寺院では、それぞれの寺院の創立を記念するオダランと呼ばれる祭礼が、210日で「一年」のウク暦にしたがっておこなわれます。オダランの祭礼は3日から一週間ほど続きます。オダランの日は寺院の数だけでありますから、バリ島のどこかで毎日のようにお祭りがあるという表現は、あながち誇張ではないでしょう。ただし、オダランは基本的にその寺院の関係者だけが参加する祭礼です。当然ですが、バリの人々がみんなでそろっておこなうお祭りは、ニュピと呼ばれる新年儀礼のようにバリ社会全体のお祭りに限られます。


質問10

 サンヒャン・ドゥダリについてもっと知りたいです。

回答10

 バリのサンヒャン・ドゥダリについては、時間がなくて十分に説明することができませんでした。バリ語でサンヒャン(sanghyang)は霊的な存在のことで、ひいては、霊的な存在が憑依する舞踊儀礼の総称ともなっています。ですから、サンヒャンの名が付く舞踊にはいろいろな種類があります。一方、ドゥダリ(dedari)はビダダリ(bidadari)と同じくサンスクリットのヴィディヤーダリー(vidy?dhar?)に由来し天界の女性のことを意味します。したがって、サンヒャン・ドゥダリはドゥダリが憑依するサンヒャンということになります。

 バリでは村の災厄は見えない悪によって引き起こされると考えられています。サンヒャン・ドゥダリは村を浄化するための舞踊儀礼です。初潮前の少女二人が選ばれ、トランス状態にはいってレゴン風に踊ります。このときドゥダリ(精霊)が憑依していると考えられています。

 現在は観光客向けに演出されたサンヒャン・ドゥダリもあります。下はYouTubeに掲載されたパンチャアルタ歌舞団による公演です。


質問11

 ワヤン・クリ(人形影絵芝居)の人形は美しい彩色が施されているのに、どうして影で演じるのでしょうか?

回答11

 ジャワのワヤン・クリは夜間にランプで照らされた大きな白いスクリーンの前で演じられます。ダランと呼ばれる人形遣いが一人で一晩かけて物語を語り、人形を操りながら、セリフをしゃべり、後ろに控えるガムラン楽団の指揮をおこなう様子は圧巻です。

 一般にワヤン・クリの上演はとてもゆるやかな雰囲気でおこなわれます。スクリーンのどちら側で見るかは観客の自由ですし、上演中に見る場所を変えるのも自由です。ですから、人形の美しい彩色を存分に堪能することもできます。しかし、人形遣いはスクリーンに映る影の効果を計算して緩急自在に人形を操ります。たとえば、人形をスクリーンに近づけると影が小さくなり、遠ざけると大きくなるので、人形を前後に動かすことで、立体的な動きを表現します。このため、ワヤン・クリが好きな人ほど影の側で見ることを好むようです。

 バリの舞踊と同じように、ワヤン・クリも本来は宗教儀礼としての役割があったと思われます。夜間におこなう影絵芝居であることの意味もおそらくはそこにあったのでしょう。

2009年10月26日

【3年次対象ゼミ】

今週は、TKさんとYYさんの二人に、AMさんの司会で、夏休み課題のレジュメを発表してもらいました。次回には、インドネシアについての1980年代の英語のガイドブックとバリの文化観光政策についてのビデオ資料を用意してきたいと思います。

来週は、KCさん、MAさん、SRさんの3人に発表してもらう予定です。

【インドネシア語読解】

今週のBBCニュースは、10月24日付けJakarta gelar pesta blogger(ジャカルタでブロガーの祭典開催)について2班に報告してもらいました。

以下のポイントに気を付けてください。
・Secara khusus adalah kasus Prita Mulyasari yang ditahan karena menulis email berisi keluhan.という文に落とし穴がありました。まず、Secara Khususというのは「とくに」「とりわけ」という意味で、前段の文にあるブロガーたちの勝利の具体的な例をあげていることを示しています。次に、ditahanというのは、このあとで「留置所から釈放された」とあることから分かるように、ここでは「(警察に)勾留される」という意味です。
・Saya cukup kagum melihat orang sekarang lebih bisa mempergunakan teknologi... この文には、《感情》を表現する動詞・形容詞+《その感情の原因となった行為》を表現する動詞という、インドネシア語ではよく使われる構文が使われています。したがって、「(以前と比べて)現在の人たちが技術を活用できるようになったのを見て感心しました。」と訳すことができます。

テキストは、Bambu dan Orang Jepangの前回の続きから読み始め、12ページの一番下の行のlebih efisien.まで進みました。次回はこの文を含むパラグラフの丸かっこにくくられたところから始めます。

テキストでは以下のポイントに気を付けてください。
・インドネシア語のテキストに外国語が使われている場合(たいていイタリックで表記されています)、漫然と訳さないで、読み手にとっていちばんしっくりくる方法で訳すことを心がけてください。
・Tidak lama setelah A, B この構文は、《Aが起こってまもなくBが起こった》という意味になります。
・berhasil dengan sukses 「成功した」と訳すことには問題ありませんが、見たところdengan suksesは冗長のように思えます。しかし、berhasilの基語であるhasilは「成果」「結果」を意味するだけなので、berhasilだけでもともと「成功した」「うまくいった」を表すわけではありません。したがって、ここではdengan suksesをつけることで「成功という結果を得た」ことを明示しているわけです。このことがわかると、Seorang pencuri berhasil ditangkap polisi.という文が「ある泥棒が警察に捕まるという結果を得た。」したがって、「警察は泥棒を一人捕まえることに成功した。」と訳せることが理解できます。インドネシア語の単語は基語に遡って理解することが大事です。

なお、テキストの第1章が終わったあとは、第2と第3章はとばして、第4章以下を読んで行きます。この部分はすでに配ったテキストの中に含まれていますから、あらためてテキストを配付することはしません。しっかりと予習をしておいてください。

2009年10月21日

【地域基礎】

今日は、じゃらわささ班からインドネシアのニュースの報告がなかったので、来週、あらためてお願いします。

日本軍政期のまとめのレポートと映像資料「幻の国策映画」についてのレポートを返却しました。

夏休み課題レポートのコピー製本ができたので、出席者に配付しました。今日欠席した人は青山研究室まで取りに来てください。

今日は、報告の第1回として、第1章「オランダ東インド会社の活動とオランダ領東インドの植民地支配」と第2章「民族意識の形成と展開」について報告をしてもらいました。次週以降も、今回と同じように、2章ずつ学生に司会と報告を自主的にしてもらいますから、準備をお願いします。

インドネシアの民族主義運動のポイントは、ジャワ人といった民族(ブディ・ウトモ)、イスラームといった宗教(サレカット・イスラム)、共産主義といった階級(インドネシア共産党)を基準にした区切りでは、インドネシア全体を束ねることはできず、結局、インドネシア国民という基準でたばねるナショナリズム(インドネシア国民党)に収束していったところにあります。

2009年10月20日

【大学院】

小林寧子 独立インドネシアの政治とイスラーム
小林寧子『インドネシア 展開するイスラーム』(南山大学学術叢書)名古屋大学出版会, 2008, pp.195-230.
■小林寧子著の上記の書籍に収められた第6章.2009年10月20日.

2009年10月19日

【インドネシア語読解】

今週のBBCニュースは、10月14日付けSimulasi tsunami di Aceh(アチェでの津波避難訓練)について1班に報告してもらいました。

「インドネシア語の正書法」のプリントを配付し、インドネシア語正書法の旧綴りについて説明しました。

テキストは、Bambu dan Orang Jepangの第1章から読み始め、12ページ1行目のtempat wisata.まで進みました。次回はこの続きから始めます。

・dalam+動詞の構文は、英語のin+動詞-ing形に相当する構文で、「~する場合」「~するにあたって」という意味になります。
・tanpa+動詞の構文は、英語のwithout+動詞-ing形に相当する構文で、「~することなく」という意味になります。

第1章を読み終わったあとは、昨年度扱わなかったテキストの範囲を読むことにします。来週、テキストを配付します。

【3年次対象ゼミ】

今週は、AMさんとTMさんの二人に、KCさんの司会で、夏休み課題のレジュメを発表してもらいました。

来週は、TKさん、KCさん、YYさんの3人に発表をしてもらう予定です。

2009年10月15日

【東南アジア古典文化論】

今週は、インド的歴史観について主としてヒンドゥー教の視点から検討しました。四つのユガに分かれた循環的な時空間の生成・存続・消滅、ダルマの減退、ヴィシュヌ神の10回の転生がポイントです。

そのあと、ナラティブ、ストーリー、テクストの関係を説明してから、カリ・ユガに起きたできごとの代表例として「乳海攪拌」の物語を説明しました。

次週10月22日は、学外校務のため1回休講します。課題を出しますので、レポートを次回10月29日の授業時間に提出してください。

■今週の課題(10月29日提出)
配付資料(3)にあるラーマーヤナの登場人物一覧とあらすじを参考にして、ラーマーヤナの登場人物の関係図(家系図)を作ってください。次回の授業時間中に発表してもらう予定です。

■今週の配付資料
1. ファイルをダウンロード (179KB, PDF)
2. ファイルをダウンロード (184KB, PDF)
3. ファイルをダウンロード (254KB, PDF)

2009年10月14日

【地域基礎】

今日は、インドネシアのニュースとしてたっち班にパダン震災からの復興についての報告をしてもらいました。次週はじゃらわささ班の報告をお願いします。

次に、先週の宿題だった日本軍政期についてのまとめを3人の人に発表してもらいました。ポイントは、日本軍による東南アジア占領にいたった背景、日本軍政期のおもなできごと、日本の降伏直後に独立宣言が実行されるにいたった経緯の3点です。

発表にあたっては、何について発表するのかをまず明らかにしてから、発表のポイントを論理的につないでいくようにしてください(「まず、つぎに、最後に」「そのため、その背景として」など)。

そのあと、映像資料「発掘 幻の国策映画」を見てもらいながら、日本軍政期の実状について理解を深めてもらいました。

今日で、夏休みの課題レポートがすべて揃ったので、来週から、毎回2人に発表をしてもらいます。

夏休みの課題レポートの各章のタイトルは次のとおりです。
1. オランダ東インド会社の活動とオランダ領東インドの植民地支配(17~19世紀)
2. 民族意識の形成と展開(20世紀初頭から日本軍による占領まで)
3. 日本軍政期―独立戦争期のインドネシア(日本軍占領から1950年まで)
4. スカルノ政権下のインドネシア(1950年~9.30事件まで)
5. スハルト政権下のインドネシア(1965年~1998年5月)
6. 民主改革期のインドネシア(1998年から現在まで)
7. 東ティモール問題について
8. イスラーム―インドネシアにおけるイスラームの影響
9. バリの社会と文化
10. ガムランについて
11. トラジャの社会と文化
12. ミナンカバウの社会と文化―伝統的母系社会
13. アチェ―文化と社会
14. パプアの社会と文化
15. インドネシアの華人―東南アジアの華人の中のインドネシア華人
16. インドネシアの経済―社会・政治構造をまとめて理解しないと経済はわからない!
17. 日本の対インドネシアODA援助
18. インドネシアのNGO
19. インドネシアの大衆文化―映画の視点から

2009年10月13日

【大学院】

石川登 民族の語り方―サラワク・マレー人とは誰か―
青木保編『民族の生成と論理』(岩波講座文化人類学第5巻)岩波書店, 1997, pp.133-163.
■青木保編の上記の書籍の収められた第4章.「サラワク・マレー人」を事例として、「国家と民族の力学関係を歴史的に理解する」試み.2009年10月13日.

2009年10月10日

【インドネシア語専攻で勉強する人のために】

研究のテーマによっては美術関連の文献を探す必要がでてきます。たとえば、バティックについて調べるときには、展覧会・美術展のカタログを見ることが必要です。そういうときに役に立つのが、六本木にある国立新美術館アートライブラリーです。だれでも無料で所蔵資料を閲覧することができます。

資料の検索:
国立新美術館OPAC 国立新美術館の蔵書を検索
美術図書館横断検索(ALC) 国立新美術館を含めた8館10図書室の蔵書を横断検索
アートコモンズ(展覧会情報検索システム) 現在開催中の展覧会はもとより、すでに終了した展覧会、これから開催予定の展覧会の情報を検索

なお、検索一般に言えることですが、検索に使うキーワードには工夫が必要です。バティックについて検索するときには、「バティック」だけで検索するのではなく、「Batik」「更紗」「サラサ」「臈纈染め」「ろうけつ染め」などの同意語からも検索すると見つかる文献の数が増えます。ちなみに国立新美術館OPACで「更紗」を検索したところ13件のヒットがありました。活用してください。

2009年10月 8日

【4年次対象ゼミ】

今日の参加者は5名でした(4名はインドネシア滞在中)。先週休んだ人を中心に、研究の進捗について報告してもらいました。SMはドラえもんの道具についてのインドネシア語版図鑑を作成しているところなので、次回は1ページ分の完成見本を作ってくるようお願いしました。KYさんはテーマを「インドネシアのムスリム」に変更することにしたので、テーマをさらに絞り込んで、卒論提出までの研究計画をたてて提出するようお願いしました。

なお、申し訳ありませんが、次週10月15日と再来週10月22日の2回は校務のため休講します。次回は、10月29日です。SMさんとKYさんに引き続き出席してもらい、課題に対する回答を出してもらう予定です。詳細は必要に応じてメーリングリストで流すので、注意してください。

【注記】
休講のお知らせに誤りがありましたので、訂正しました。

【東南アジア古典文化論】

今週は、宿題にしていた東南アジアの国旗の意味について説明をしてもらったあと、インド的世界観について仏教とヒンドゥー教の両方の視点から検討をしました。いずれも、人間の住む大陸が北に雪山をもち東南西で海に面したジャンブドゥヴィーパであること、世界の中心に神々が住むメール(スメール)山が聳えていること、という共通点があります。

次週は、インド的歴史観について検討をおこないます。

■今週の配付資料
ファイルをダウンロード (392KB, PDF)

【インドネシア語専攻で勉強する人のために】

留学のメリットは、現地でインドネシアの言語や文化を学べること、そしてなによりも、インドネシア語を使ってたくさんの人と知り合えることです。毎年、多くのが学生がインドネシアに留学し、人生の大きなステップを歩んでいます。大学の授業でしっかりと基礎を身につけ、現地で思い切り力を伸ばしてください。(更新 2017-05-11)

留学の主な形態には、大学間交流協定にもとづき協定校に派遣される「派遣留学」と、協定に基づかないで個人的に協定校(または協定校と同等レベルと本学が認めた大学等)に留学する「休学留学」の二つがあります。

インドネシアの大学では、インドネシア大学ガジャマダ大学が協定校です。インドネシア大学ではBIPA、ガジャマダ大学ではINCULSと呼ばれる外国人留学生向けのインドネシア語コースが開設されています。なお、インドネシアの学期は2月と9月に始まること、ラマダン(断食月)の時期は事実上休講状態になることに注意してください。

留学については留学生課が担当しています。毎年10月に「海外留学制度の手引き」を発行するとともに、派遣留学説明会を開催しているので、参加するといいでしょう。

詳しくは大学ウェブサイトの留学情報のページを見てください。

こちらにはショートビジットによる短期留学や日本語パートナーズによる派遣事業についての情報ものっています。

インドネシアへの留学のページにも関連するウェブサイトへのリンクをまとめています。

2009年10月 7日

【地域基礎】

2学期の地域基礎IIは教室が420に変更されています。気を付けてください。

最初の今日は、夏休み課題レポートを提出してもらいました。今日、レポートが提出できなかった人は、今週中に633のドアのボックスに提出してください(提出用フォルダーが入っています)。再来週から、毎週2人にレポートに基づいた発表をしてもらいます。

今日は、日本と東アジアをめぐる現代史について学びました。

宿題として、インドネシアの高校歴史教科書の日本軍政期から独立宣言にいたる時期をあつかった部分のコピーを配布しました。日本が東南アジア侵略にいたった経緯、日本軍政期の主なできごと、独立宣言にいたる経緯をA4判にまとめて来週の授業中に発表・提出してもらいます。欠席した人は633のドアのボックスから受け取ってください。

2009年10月 6日

【大学院】

石澤良昭 経済活動と生活
石澤良昭『東南アジア多文明世界の発見』(興亡の世界史第11巻)講談社, 2009, pp.202-225.
■石澤良昭著の上記の書籍の第6章. 2009年10月6日.

2009年10月 5日

【3年次対象ゼミ】

2学期最初の今日のゼミでは、夏休み前にお願いしたように卒論の研究テーマの参考文献リストをさらに充実させ、さらに、少なくともその中の1点を読んでレジュメを作って提出してもらいました。

今日、提出できなかった人は次回10月19日のゼミに人数分のコピーを持参してきてください。

次回から3週間にわたって3人ずつレジュメを報告してもらいます。

夏休み課題のレジュメの報告のあとは、これから輪読するいくつかの論文のレジュメを報告してもらう予定です。最初の論文は山下晋司『バリ観光人類学のレッスン』(東京大学出版会、1999年)の第4章「文化観光という戦略」です。コピーを用意しておくので、633のドアのボックスから受け取って、各自レジュメを作っておいてください。

11月には論文作成に役立つワード、エクセルの使い方の講習、学期末には卒論提出に至るまでの研究計画の検討をおこなう予定です。

【インドネシア語読解】

今日は、2学期最初の授業でした。みなさんの元気な姿を見ることができました。

1学期期末試験の答案を返却し、2学期の読解テキストOrang dan Bambu Jepangのコピーを配付しました。テキストを受け取っていない人は633まで取りに来てください。

夏休みの課題Jawa Tahun 1900を提出してもらいました。今日提出できなかった人は水曜日までに633に提出してください。

来週10月10日は体育の日で休日です。次回10月19日からテキストの読解を始めますから、予習をしっかりとしてきてください。1学期と同様にBBCニュースの報告をお願いします。来週は1班の担当です。

2009年10月 1日

【4年次対象ゼミ】

2学期最初の日の今日は参加者2名だけでした。バリ・エステとトゥンプン(儀礼で供される円錐形のご飯もの)に関する研究テーマについて、議論をおこないました。来週、今日の議論を踏まえて、研究計画をだしてください。

来週は2学期の授業の進め方も話し合うので、全員集合するようにしてください。詳細はゼミのメーリングリストで流します。

なお、10月22日は学内行事に参加する必要があるため休講にします。

【訂正】
休講日を10月15日とお知らせしましたが、22日の誤りでしたので訂正します。

【東南アジア古典文化論】

2学期最初の今日、東南アジア古典文化論IIの最初の授業をおこないました。出席者49名でした。

最初の授業なので、東南アジアの国旗を使って東南アジアの国々を思い出してもらい、1学期の東南アジア古典文化論Iの振り返りをおこないました。東南アジアの宗教と文化の多様性には歴史的な背景があること、東南アジアの歴史には地域をまたがる共通した経験・文化があること、なかでもインド化は東南アジアの大部分の地域における共通の古典文化として育ったこと、東南アジアでは外から新しい文化が到来しても、それまでの文化を残した重層的な文化の構造をもっており、インド的な古典文化も現在にいたるまで強い意味をもっていること、などがポイントです。

プロジェクターでの映写に手間取り、授業の進行に手間取りました。原因は、パソコンの解像度の設定がプロジェクターの能力を上回る高い数値にされていたためとのことです。次回からは注意しておきます。

今週は宿題があります。東南アジアの国旗の意味を調べて、来週の授業時間に報告してください(配付資料参照)。

■今週の配付資料
ファイルをダウンロード (188KB, PDF)
ファイルをダウンロード (215KB, PDF)

【一般】

9月30日午後5時16分(日本時間午後7時16分)にスマトラ島沖でマグニチュード7.6の大地震があり、西スマトラ州のパダンを中心に大きな被害が起きています。

スマトラ沖の地震、死者1000人超える恐れも
インドネシア・パダン沖で再び地震、M7.0

9月2日にはジャワ島西部沖で地震があり、9月29日(日本時間で9月30日)にはサモア諸島沖で地震が発生したばかりですが、今回の地震での死者数は数千人の単位であるとも予想されています。

生き埋めの人も多いと報道されており、一刻も早く救出されることをお祈りします。

【追記】
東南アジア学会ではこの地震をうけて緊急研究集会を11月25日に開催することになりました。詳しくは西スマトラ地震に関する緊急研究集会の案内をご覧ください。

          

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