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「インドネシアの神・神々・カミ」に対する質問・コメントへの回答

【リレー講義】

2006年10月24日に、総合文化講座が開講している宗教学のリレー講義『世界に現れる「神」』の1コマを担当し、「インドネシアの神・神々・カミ」というテーマで講義をおこないました。

この時に提出してもらったレスポンス・ペーパーの質問・コメントの一部に対する回答をしたに載せました。質問・コメントの文章は受講生から寄せられたよく似た複数の質問・コメントから要約してあります。また、2004年度の授業で出された質問に対する回答も参考にしてください。


質問1

一神教であるイスラームにとって土着の宗教を信仰することはイスラームの教義に反することではありませんか。もし、これを許すのであれば、それはイスラームの普及を目指すがために、一神教という宗教の本質を人為的に曲げた、偽善的な行為なのではないでしょうか。

回答1

ジャワの宮廷儀礼や民間儀礼を見ると、本当にこれでもイスラームだろうかという疑問をもつことは多々あります。実際、イスラームの正統的な教理を信奉をする人たちの中には、このような土着的信仰を非イスラーム的なものとして排除しようとする人たちがいます。このような立場からすると、ジャワの土着的な信仰を許容することは、ご指摘のとおり、イスラームの教えに反することになります。ジャワの人たちもけっしてこの問題に無自覚なわけではありません。

しかし、イスラームと土着的信仰との共存というのはジャワだけの現象ではないということにも留意しておく必要があります。おそらく、歴史的にみた場合、土着的信仰への寛容的な姿勢があったからこそ、ここまでイスラームが広まり、多くの民族に受け入れられたといってようでしょう。このような現象は、クリスマスを受け入れたキリスト教にもあてはまることです。これを偽善的とみるか、現実的とみるかは、見る人の立場によると思います。

最後に、注意してほしいのは、精霊の存在自体はイスラームにおいては否定されていないということです。精霊もまた神によって造られた被造物として認められています。「アラジンと魔法のランプ」に出てくるジンなどは精霊の一種です。したがって、人々が土着の信仰にしたがって精霊の存在を信じているというだけでは、問題にはならないでしょう。しかし、神への信仰をさしおいて精霊に対して信仰をおこなうとなると問題になります。

インドネシアの映画やテレビ番組には、悪霊を信仰し、その力で成功しようとする人物が出てくるドラマがたくさんあるのですが、きまって最後は正しいイスラームの信仰によって滅ぼされてしまいます。こういうところに、誤った信仰と正しい信仰を区別しようとする意思が維持されているように思います。


質問2

インドネシアではイスラームは土着の宗教と結びついて独自の展開を見せています。このような宗教の現地化は他の宗教や他の地域でも起こったことなのでしょうか。

回答2

回答1でも触れましたが、宗教の現地化という現象は、他の宗教や他の地域でも普遍的に起こっている現象です。たとえば、キリスト教のクリスマスは、もともとキリスト教とは無関係な冬至の儀礼を取り込んだものです。また、ジャワのイスラーム信徒がよくおこなうスラマタンは、他の地域のイスラーム教徒によっても行われています。歴史的に見た場合、イスラームが広まっていく過程には、このような土着の宗教に対する一定の寛容性があったと思われます。この意味で、ある地域のイスラーム化はイスラームの現地化と表裏一体の現象であるといってよいでしょう。


質問3

インドネシアの精霊の中では女性の活躍が大きいことが意外でした。理由はなんでしょうか?

回答3

ジャワでは、南海を支配する精霊の女王ラトゥ・キドゥルに対する信仰が強く生きています。もともとジャワを初めとする東南アジアでは、伝統的に社会における女性の地位が高いことで知られています。たとえば、財産や地位の相続は男系と女系の双方に継承されます。こうしてみると、ラトゥ・キドゥルの活躍は、男性優位とされるイスラームに対するジャワ文化からの抵抗の表現なのかもしれません。


質問4

タイラーは諸宗教の形態を進化論的に説明しましたが、これが現在の宗教問題(最近のローマ教皇の発言など)にも根本的に影響を与えているのでしょうか?

回答4

イギリスの文化人類学者タイラー(1832-1917)は、宗教の原初的形態はアニミズム(精霊信仰)であるとみなし、そこから段階的に唯一神仰へと宗教は進化したと考えました。彼の進化論的な見方は今では受け入れられていませんが、宗教の基本に「霊的なものへの信仰」があるとするアニミズムの概念は現在でも有効です。

ところで、現在の宗教問題というのはキリスト教とイスラームの関係について尋ねられているのだと思いますが、この問題は、タイラーの進化論的見解に由来するとは考えられません。なぜなら、イスラームもキリスト教と同じ唯一神信仰であるうえに、発生した時期はキリスト教よりもあとになるからです。進化論を単純に適用すると、キリスト教からイスラームが進化したことになってしまいますし、これはキリスト教徒の望むところではありません。実際、キリスト教の教理には「三位一体」説のように唯一神信仰の原則からすると逸脱する部分を含んでおり、イスラーム教徒から批判されてきています。したがって、現在のキリスト教とイスラームの関係をタイラーの進化論的見解の影響で説明することは無理でしょう。

今年9月12日に出されて問題となったローマ教皇ベネディクト16世の発言の背景には、キリスト教とイスラームの間にある信仰についての理解の違いがあると思われます。図式的に単純化して言えば、キリスト教は、神への信仰と人間の理性のあいだにバランスをとるべきだとするのに対して、イスラームは神への信仰に重きを置くという違いです。ベネディクト16世は、イスラームに(しばしば)見られる人間の理性への軽視が、テロという信仰の名の下での暴力を許しているのではないか、という疑問を呈したのだと思います。

教皇の講演全文英訳を読むことができます。また、教皇の発言とその意味については、「ローマ教皇のイスラーム発言の背景」の解説が役に立ちます。


質問5

ジャワには聖者信仰があるということですが、どのような人々が聖者になるのですか?

回答5

ジャワの聖者信仰の対象としては、ジャワの中部・東部の北海岸に聖墓があるワリ・ソンゴ(九聖人)と呼ばれる人たちが有名です。ほとんどはジャワの外からやってきた人ですが、カリ・ジョゴのようにジャワ出身の聖者もいます。いずれも、ジャワにイスラームを伝道した人物として知られています。このように、生前から地元の民衆から慕われたイスラームの学識者の中から聖者と呼ばれる人物が現れたようです。

聖者信仰はイスラーム世界に広く見られる現象です。とくに12世紀以降は神秘主義教団が各地に成立し、民衆の間に聖者信仰が広まりました。ジャワに限らず東南アジアへのイスラームの伝播には、この神秘主義教団の影響が大きかったとされています。

          

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