担当教員:青山 亨.東京外国語大学外国語学部インドネシア語専攻(総合文化講座)
研究室:633.オフィスアワー:月曜日10:30-14:30.電話:042-330-5300.メール:taoyama@tufs.ac.jp
2004年11月2日にリレー講義「世界に現れる「神」」の1コマを担当し、「インドネシアの神・神々・カミ」というテーマで講義をおこないました。この時に提出してもらったレスポンス・ペーパーの質問・コメントの一部に対する回答です。なお、質問・コメントの文章は受講生から寄せられたよく似た複数の質問・コメントから要約しました(2004-11-24)。
Q. 1
日本語の「神」には様々な意味があるのですね。
A. 1
この講義では、インドネシアにおける「神」の現れを紹介するのに先立って、日本語の「神」概念の多様性を検討しました。日本語の「神」には、土着のアニミズム的な「カミ」(八百万の神)、キリスト教的な唯一「神」(全知全能の創造主)、あるいはもっと漠然とした守り神的な「神」(神様仏様)のイメージが重ね合わされていて、人によって(あるいは同じ人でも状況によって)「神」の理解がずいぶん異なります。そこで、この講義ではまず私たち一人一人が抱いている「神」のイメージを洗い出すことから始めました。そのうえで、インドネシアの例をとって、「神」に対する信仰と「カミ(精霊)」に対する信仰は対立するものではなく、連続的なつながりがあることを示すことを試みました。もしこの講義が、受講生の一人一人がそれまで「神」に対して抱いていたイメージを改めて問い直す機会となったとすれば、この講義の目的は達成されたと言ってよいでしょう。
Q. 2
神は人が創りだしたものではないでしょうか?
A. 2
神は人が創り出しものであるという認識は現代人の多くが共有している認識であると思います(もっとも、いわゆる先進国においても神に対する強い信仰をもつ人々はいますし、人間が創りだしたものであるにせよ倫理的基礎としての神の意義を認める立場もあります。)。しかし、神に対する信仰という現象が人類の歴史の始まりから多くの人間社会に見られること、現在においても衰えていないことは厳然たる事実としてあります。この講義では、それらの信仰の真偽を特定の立場から評価するのではなく、そのような信仰をもつ社会において神がどのように認識されているかを、比較的な立場から見ることを試みました。
Q. 3
宗教には遠くにある神を人間に近づけようという意識が働いていると感じました。
A. 3
この講義では、神の「現れ」という基本テーマを、人々は神と人の間にどのようなコミュニケーションの手段を確立しようとしているのか、という問題として扱ってみました。神は、普通の人間には到達できない人間界から遠く隔たった世界にいる存在、あるいは、普通の人間には感知されない存在とされます。ですから、そのままでは人間と神の間には交流が成り立ちません。この講義では、祈り、儀礼、聖者、霊媒(への憑依)といった様々な手段で人が神とのコミュニケーションを図ろうと試みている様子を紹介しました。この手段の違いが、神(God)、神々(gods)、カミ(精霊spirits)の違いと対応しているように思われます。
Q. 4
インドネシアには土着化したイスラームの信仰の形があると初めて知りました。
A. 4
この講義では、神に対する信仰と神々・精霊に対する信仰との連続性を示すために、イスラームの枠組みの中で土着的な信仰が強く生きている例をとくに紹介しました。統計上、インドネシアの人口の87%がイスラーム教徒とされていますが、その中にはこのような土着的な信仰を保っている人々も多いのです(だからといって、この人々がイスラーム教徒ではないということにはなりません。イスラームが土着化する例はインドネシア以外の地域でも広くみられることです。)。しかし、インドネシアには、イスラームをより純粋な形で受け入れようとしている人々もたくさんいます。残念ながらこの講義では、時間の制約とテーマを絞るという点から、インドネシアにおける正統的なイスラーム信仰については十分に触れることができませんでした。このテーマについては別の講義で扱いましたので参考にしてください(イスラムの諸相「インドネシアのイスラーム:伝統と改革の潮流」9408)。
Q. 5
精霊(antu)と幽霊(hantu)の違いは何ですか?
A. 5
この講義で紹介した「antu」は、ボルネオ島のイバン人が「超自然的存在」を呼ぶ名称です。それに対して、現代インドネシア語の「hantu」は「幽霊、邪霊」を意味しています。これら二つの語が同じ語源であることは簡単に予想できますが、社会の中での概念の位置づけには大きな違いがあります。hantuの方は、イスラーム化したインドネシア社会において迷信の対象でしかなく、民衆の信仰体系の中では周辺的な位置を占めています。それに対してantuは、比較的最近にキリスト教化したイバン社会の世界観において中心的な位置を占めており、儀礼の重要な対象です。この講義でantuとhantuを取り扱ったのは、イバン社会と比較することによって、イスラーム化(あるいはそれ以前のインド化)したインドネシア社会では立場が失墜したhantuも、かつては精霊信仰において(日本のカミと対比できるような)重要な位置を占めていたことが推測できるからです。
Q. 6
バリのヒンドゥー教の神々とイスラームの唯一神との連関が分かりませんでした。
A. 6
この講義でバリのヒンドゥー教の神々を紹介したのには二つの目的があります。一つは、イスラームが多数派を占めるインドネシア社会においてもイスラーム以外の宗教の信仰が認められており、現に広く信仰されていることを示すためで、もう一つは、バリのヒンドゥー教は、ヒンドゥー教といってもジャワ社会やイバン社会の精霊信仰と共通点をもつ精霊信仰に基礎を置いていることを示すためです。このことから、ヒンドゥー教やイスラームが伝来する以前のインドネシアでは精霊に対する信仰が幅広く営まれていたことが推測されます。
Q. 7
「dewata」は神概念のGod、god、spiritの中のどれに区分されるのですか?
A. 7
現代インドネシア語の用法では、dewataは「dewa」と同義、または「dewaであること」の意味で使われています。したがって、dewataはgod(小文字のg)に相当すると考えてよいと思います。