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地域基礎

2007年2月 6日

今日は、インドネシア映画Ada apa dengan Cinta?(日本語題名ビューティフル・デイズ)の後半を鑑賞しました。バランスのよく取れた映画だと思います。

映画の中で、ランガの父親に英語の電話がかかってくる場面があります。字幕では、ランガのアメリカ留学が決まったことを知らせる連絡のように書かれていますが、正しくは、父親のアメリカ招聘が決まったことを伝える連絡です。ランガは父親がアメリカに行くので、それについていくわけです。

今学期の授業は今日で最後です。期末レポートの提出を忘れないでください。

2007年1月30日

今日は、インドネシアの映画についての報告をしてもらいました。そのあと、先週のODAの報告についての追加報告を受けました。

2学期の期末レポートの課題をだしました。説明文をよく読んでください。

以下に掲載したインドネシアでのイスラム暦新年について報道する2007年1月21日付のThe Jakarta Post.comの記事の一部を読み、設問の1)-4)のすべてに答えるレポートを作成しなさい。それぞれの回答には質問の番号を記しなさい。2月14日(水)午後5時までに研究室(633号室)に提出すること。レポートは、全体でA4判レポート用紙2ー3枚にまとめ、それに氏名、学生番号を書いた表紙1枚をつけて、左上をホッチキスで綴じて提出すること。レポートの最後には使用した文献一覧を付けること。(2月13日を誤って水曜日と記していました。正しくは火曜日です。そこで、提出締め切りを2月14日水曜日にします。)

■期末レポート課題をダウンロードする:地域基礎-2006S2-#99期末レポート課題.doc (22KB)

ワークブックの提出も受け付けていますから、遅くとも期末レポート課題といっしょに提出してください。

このあと、今日と来週にかけてインドネシア映画『ビューティフル・デイズ』(Ada Apa dengan Cinta? 2002年. 112分)を鑑賞します。今日は、チンタが友人たちと学生食堂で昼食を食べるところまででした。

2007年1月23日

今日は、まず、先週の宿題だったアジア金融危機の説明と、ODAについての説明に対する質疑応答をおこないました。

ODAについてはしばしば「顔の見える援助」が必要だと言われます。援助先の要求を住民レベルでくみ取った丁寧な援助を行うことが基本です。ODAは政府間の援助なので、援助の質には受け取る側の政府の統治能力(governability)が影響しますが、統治能力が不十分な場合にはNGOとの連携が重要となってきます。

続いて、インドネシアのNGOについての報告をしてもらいました。中部ジャワのNGOで実際に調査した成果なので、具体的で生き生きとしていました。事例についてもう少し分析を加えると、さらに良くなったと思います。

来週は、インドネシアの映画の報告です。これが最後の報告になります。レポート課題も出しますから、欠席しないようにしてください。

2007年1月17日

明けましておめでとうございます。

今週は、まず、冬休みの宿題(インドネシア関係の本のレジュメ)を提出してもらいました。そのあと、「インドネシアの経済」と「インドネシアに対する日本のODA」の報告をしてもらいました。いずれも資料をよく読み込んだしっかりした報告でした。

経済の報告でいくつかの重要な点が指摘されていました。第一に、前近代においては朝貢貿易を通じて中国との関係が重要であったこと、第二に、植民地支配のなかでサトウキビなどの商品作物のモノカルチャー(単一の作物の栽培)に依存する構造ができたこと、第三に、スハルト政権において石油・天然ガスへの依存から脱却するために海外からの投資を誘致したが、それが結果的に1997年のアジア金融危機に巻き込まれる遠因となったこと、などでしょう。

アジア金融危機がどのようにおこったかについては、宿題としますから、報告者は次週に改めて説明してください。

ODAの報告は、日本のODAがすぐれた貢献をおこなった例(インドネシア版母子手帳)と、逆に、地元の社会や自然環境にネガティブな影響を与えた例を示し、多角的な評価をしていた点がよかったです。残念ながら質問の時間が取れなかったので、来週におこなうことにします。

2006年12月12日

今週は「パプアニューギニアの社会と文化」と「華人アイデンティティ」の報告をしてもらいました。夏休みの課題として今回のレポートの作成を指示したときに、選択できるテーマの一つとして出したのが「トラジャまたはパプアの社会と文化のいずれか」というものでした。実は、このパプアはニューギニア島西部のパプア州のつもりでだったのですが、今回の報告者は、パプアニューギニアのこととして報告されました。誤解を防ぐためにも、課題テーマの発表時には、ニューギニア島西部のパプアと書いておくべきだったと反省しています。

この地域は、スハルト時代にはイリアンジャヤ州と呼ばれていましたが、2002年にパプア州に改称し、さらに2003年には、最西部を西イリアンジャヤ州が分離しました。したがって、ニューギニア島のインドネシア側の部分については、正式には西イリアンジャヤ州およびパプア州と書かなければなりません。[ウィキペディア「パプア州」の項目を参照]

いずれにせよ、今回の報告は2人ともしっかりとした調査に基づいた、中身のある報告だったと思います。

今年の授業は今日が最後です。次回は、1月16日に「インドネシアの経済」と「日本の対インドネシアODA援助」についての報告を予定しています。

冬休み中の宿題があります。インドネシアに関連する本を一冊読んで、そのレジュメをA4判1枚にまとめて、1月16日に提出してください。それでは、良い新年を迎えてください。

以下、今週の報告に関連するポイントです。

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2006年12月 5日

今週は、まず「バリ島の社会と文化」について残っていた質問に対する回答をしてもらいました。バリ島でジャワが舞台になったパンジ物語に人気があるのはどうしてかという質問でした。これは、14世紀以降、バリがジャワの文化的・政治的勢力圏の中に入ったことが理由となります。そのあと、「アチェの社会と文化」と「ミナンカバウの社会と文化」の報告をおこなってもらいました。授業アンケートがあったので時間が10分ほど短くなってしまいました。

来週は「パプアニューギニアの社会と文化」と「華人アイデンティティ」の報告を予定しています。

以下、今週の報告に関連するポイントです。

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2006年11月29日

今日は、インドネシアからInstitut Teknologi Bandung(ITB)とInstitut Teknologi Sepuluh Nopember(ITS)の学長お二人が本学を訪問されたため、授業の開始が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。お二人にはこの授業の様子をすこしばかり見ていただきました。

今日の地域基礎では、まず、「スカルノ時代のインドネシア」と「インドネシアの民主改革時代」の発表で出された質問のうち回答できていなかったものへの回答をおこない、そのあと、「ジャワの社会と文化~ワヤン~」の発表をしてもらいました。ワヤンの副題がありましたが、当日配布された追加資料ではバティックについても調べてきてもらいました。

今週の発表は一人だけです。外語祭が終わって最初の授業で、たまった疲れが出たのか、欠席が目立ちましたが、来週からは、平常通り2人の発表です。「アチェの社会と文化」と「ミナンカバウの社会と文化」の二つを予定しています。

以下、今日の発表へのコメントです。

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2006年11月15日

今日の地域基礎では、まず、先週できなかった「インドネシアのイスラーム」での質問への回答をおこない、そのあと、先週欠席でできなかった「民主改革時代のインドネシア」と「バリの社会と文化」の発表をおこないました。

以下、今日の発表へのコメントです。

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2006年11月 7日

今日は、先週できなかった「スハルト時代のインドネシア」についての質疑応答と、「インドネシアのイスラーム」の発表をしてもらいました。

来週は、今日欠席でできなかった「民主改革時代のインドネシア」、そして「バリの社会と文化」を予定しています。

以下、今日の発表へのコメントです。

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2006年10月31日

10月31日の地域基礎Iでは、「スカルノ時代のインドネシア」と「スハルト時代のインドネシア」のレポートを発表してもらいました。

スカルノ政権については、インドネシアの独立を達成し、その存在を国際的に認知させたことが功であり、大統領独裁をしいて内政に混乱をもたらしたことが罪である、という結論でした。スハルト政権については、経済開発を進めたという功に対して、政治の構造的腐敗を拡大したという罪がある、というまとめであったと思いますが、最後は、予定外のアンケートのために時間が取られてしまいました。

スカルノ政権の発表者は、水田地域が非イスラム地域、非水田地域がイスラム地域という区分がなぜできているのか?9.30事件以後のスカルノの軟禁とはどのような事態だったのか?という質問が宿題になっています。来週までに調べてきてください。

スハルト政権の発表に対する質疑応答は来週の最初におこないます。

          

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