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2010年12月22日

【地域基礎】

今週は、今年最後の授業です。第14章「ミナンカバウの社会と文化」と第15章「アチェの社会と文化」を報告してもらいました。

後半は映像資料として、バリのチャロナランの映像を見てもらいました。また、バリのカレンダーの実物も見てもらいました。

冬休みの宿題は「私が選ぶインドネシア今年の10大ニュース」です。A4判一枚に2010年1月1日から12月31日までにインドネシアで起きた出来事のなかから10大ニュースを選んで、1位から10位まで順番をつけて、リストアップしてください。さらに、そのうちの一つを選んで、その出来事の経緯・背景・意義について1000字以内で解説してください。

それでは、よい新年を迎えてください。

2010年12月20日

【3年次対象ゼミ】

今週は、今年最後のゼミとなります。Oさんに笹岡正俊「合板―巨大財閥が進めた森林破壊―」村井吉敬・佐伯奈津子・編『インドネシアを知るための50章』(明石書店、2004)のレジュメを報告してもらいました。

他のゼミ生からは、卒論につなげるためには、テーマのさらなる絞り込みが必要といった意見が出ました。

森の破壊が進んでいるのはどこなのか?なぜ合板なのか?巨大財閥と政府との関係はどう発展したのか?森に暮らす人々の生活へのインパクトはどんなものか?など、絞り込むための切り口はいくつかあるので、冬休みの間に絞り込むとよいでしょう。

次回、2011年1月17日はYHさんに卒論に関連する文献のレジュメを報告してもらいます。

冬休みの宿題として、貞好康志「ジャワで<華人>をどう識るか―同化政策30年の後で―」加藤剛・編『変容する東南アジア社会』(めこん、2004)を読んのレジュメを作成してもらいます。また、レジュメ作成の指針として、テキスト批評のフォーマット―出典は河野哲也『レポート・論文の書き方』(第3版、慶應義塾大学出版会、2002年)の第3章―を参考にしてください。

それでは、よい新年を迎えてください。

【インドネシア語読解】

今週は、今年最後の授業となります。第2章を範囲にした小テストをおこないました。

テキストは、p.23のJadi berlainan denganの前まで進みました。次回はこの続きから進みます。

冬休みの宿題を出しました。以下のテキストを日本語に訳し、A4判2ページに要約してください。原文の1パラグラフが日本語要約で1-3センテンスからなる1パラグラフになるようにしてください。提出期限は来年1月17日の授業時間です。

Parsudi Suparlan. Masyarakat Majemuk, Masyarakat Multiultural, dan Minoritas: Memperjuangakan Hak-hak Minoritas.

出典http://www.interseksi.org/publications/essays/articles/masyarakat_majemuk.html

2010年12月16日

【東南アジア古典文化論】

今週は今年最後の授業です。ピーター・ブルックの『マハーバーラタ』を先週の続きから観賞しました。カルナがパラシュラーマから呪いをかけられる場面までです。続きは、来年の授業で見ます。

マハーバーラタのレスポンスシートは、次回の鑑賞のあとで提出してください。それから、冬休みの宿題を出しました。来年の最初の授業時間に提出してください。

それでは実りのある冬休みを迎えてください。

■冬休みの宿題(課題と別紙テキスト)
ファイルをダウンロード (114KB, PDF)
ファイルをダウンロード (816KB, PDF)

【4年次対象ゼミ】

今週は、卒論・卒研の報告会の二回めをおこないました。卒論の2名、卒研の3名に報告をしてもらい、内容について検討しました。

今年のゼミは今日が最後です。卒論・卒研の提出日は2011年1月6日と7日ですから、手続きを間違わないようにしてください。

2010年12月15日

【地域基礎】

今週は第11章「バリの社会と文化」、第13章「トラジャの社会と文化」の報告をしてもらいました。

バリの報告では、バリのカレンダーにある日本の暦、ブラック・マジックの犯罪性について質問が出ました。トラジャの報告では、トラジャの伝統家屋の形態の意味について質問が出ました。来週、調べて報告してください。

後半では、映像資料「The Dancer and the Dance」(1988年、40分、英語)の一部を見てもらいました。

第4~6章確認の小レポートを返却しました。

2010年12月13日

【3年次対象ゼミ】

今週は、Kさんに次の文献のレジュメを報告してもらいました。

佐藤忠男ほか『映画で知るアジアのこころ』(アジア研究所叢書No.5)(亜細亜大学アジア研究所、1991)の中のミスバ・ユサ・ビラシ著、高殿良博訳「インドネシア映画の歩み」。

本書によってインドネシア映画史のなかのターニングポイントを拾いあげてみます。

1937年 トーキー映画『月光』制作される。インドネシア国産映画として初めての大ヒット映画。
(1942-45年 日本軍政期)
1950年 ウスマル・イスマイルが映画会社プルフィニを設立。同年、ジャマルディン・マリックが映画会社プルサリを設立。独立後のインドネシア映画史が始まる。
1955年 第1回インドネシア映画祭が開催。しかし、第2回は開催されず。
(1965年 9月30日事件)
1967年 カラー映画『九』制作される。ウィン・ウンボの制作。インドネシア国産映画として初めてのカラー映画。
1973年 インドネシア映画祭が再開される。
1980年 映画協議会が映画の育成と振興をめぐる五カ年計画を発表。
1981年 映画技術アカデミーが設立される。
1988年 映画『チュッ・ニャ・ディン』制作される。エロス・ジャロット監督の処女作で、海外でも注目。
1989年 インドネシア映画の制作本数が年間100本を越える(106本)。

なお、この論文は1991年のものなので、取り上げていませんが、1990年代になると、民間テレビ放送の本格化にともない、インドネシア映画は冬の時代に突入することになります。このあたりの事情は風間純子さんの「インドネシアの映画」(大東文化大学国際関係学部ウェブサイト)で紹介されています。

幸い、インドネシア映画界はAda apa dengan Cintaが大ヒットした2002年を境に回復の基調にあります。このあたりの事情はJanJanNewsの記事に取り上げられています。

インドネシアの国産映画界を考えるときには、資本をどう導入するのかがポイントで、そのプロセスに影響する要因として、輸入映画の配給、市場の好み、政府の政策があるように思われます。

【追記】2011-04-06
日本占領期のインドネシアにおける映画活動については岡田秀則さんが映画のページで詳しい情報を提供されています。

【インドネシア語読解】

今週は、3班が最近のBBCのニュースとして音楽バンド・ピーターパンのアリエルをめぐる裁判事件の報告をしてくれました。

外語祭の宿題を返却し、よくある間違いの説明をしました。

テキストは、第3章p.22のOL adalahの前まで進みました。次回はこの続きから始めます。

来週は、第2章を対象にした小テストをする予定なので、復習をしておいてください。また、冬休みの宿題を出す予定です。

2010年12月 9日

【インドネシア語専攻で勉強する人のために】

卒論を書くときに一番お世話になるソフトはマイクロソフト社のWord(ワード)だと思います。このWordの使い方を説明した文章はたくさんありますが(このブログでもいくつか触れています)、実は、Wordを使い始める前に、まずやっておくと、あとあとの作業が効率的、効果的になる設定の変更があります。標準的な初期設定で満足することなく、Wordの飼いならしに挑戦してみてください。なお、変更の方法はWord 2007を対象としています。

【補足】Wordをもっと使いこなしたい人には、こちらの「Wordはなぜ思い通りにならないのか?」が参考になります。ぜひ読んでみてください。(更新 2018-06-28)

【変更のポイント】編集記号を常に表示させる。
【変更の目的】編集記号が表示されていると、タブ、スペース、改行など通常は見えないフォーマットが見えるようになり、作業が効率的になります。
【変更の方法】
1) 左上の「Officeボタン」をクリックしてメニューを表示する。
2) 右下の「Wordのオプション」を選択してメニューを表示する。
3) 左側から「表示」を選択し、「常に画面に表示する編集記号」の中から「すべての編集記号を表示する」にチェックを入れる。
4) 右下の「OK」をクリックする。

【変更のポイント】オートコレクトを無効にする。
【変更の目的】オートコレクトを無効にすると、Wordが勝手に文を書き換えたり、フォーマットを変えたりしなくなります。
【変更の方法】
1) 左上の「Officeボタン」をクリックしてメニューを表示する。
2) 右下の「Wordのオプション」を選択してメニューを表示する。
3) 左側から「文章校正」を選択し、「オートコレクトのオプション」をクリックしてメニューを表示する。
4) すべての設定のチェックをはずす。
5) 右下の「OK」をクリックする。
【補足】いったんすべてのオプションを無効にして使ってみて、必要性を感じたオプションだけを有効にするとよいでしょう。とくに英文を書く場合には、「入力オートフォーマット」の中の「左右の区別がない引用符を、区別がある引用符に変更する」に必ずチェックを入れておきましょう。

【変更のポイント】禁則文字のレベルを高くする。
【変更の目的】禁則文字のレベルを高くすると、小さな「っ」や「ゃ」が行頭に来ることがなくなり、見栄えがよくなります。
【変更の方法】
1) 左上の「Officeボタン」をクリックしてメニューを表示する。
2) 右下の「Wordのオプション」を選択してメニューを表示する。
3) 左側から「文字体裁」を選択し、「禁則文字のレベル」の中から「高レベル」にチェックを入れる。
4) 「文字体裁オプションの設定先」から「すべての新規文書」を選択する。
5) 右下の「OK」をクリックする。
【補足】「すべての新規文書」を選択することで、新しく文書を作成するたびに今回の設定が反映されます。

【変更のポイント】余白を変更する。
【変更の目的】標準では余白は35mmに設定されています。余白が大きすぎると感じる人は、毎回変えるよりも初期設定を変更しておくと作業がはかどります。
【変更の方法】
1) メニューの「ページレイアウト」から「ページ設定」(の右下の小さなアイコン)をクリックしてメニューを表示。
2) 「余白」を選択してメニューを表示する。
3) 上・下・左・右の余白を設定する。標準よりも余白を小さくしたいときは、25mmが適当。
4) 左下の「既定値に設定」をクリックし、「はい」をクリックする。
5) 右下の「OK」をクリックする。
【補足】「既定値に設定」を選択することで、新しく文書を作成するたびに今回の設定が反映されます。

【4年次対象ゼミ】

今週の中間発表会では、発表予定1名を含めて参加者は3名でした。発表者は、東南アジアの格安航空会社についての研究が進んでいることを確認しました。残りの二人については、来週の発表のために、論文指導をおこないました。

来週は第2回の中間発表会で、今年みんなが集まる最後のゼミですから、しっかりと準備をしてきてください。

【東南アジア古典文化論】

今週からは、ピーター・ブルック(Peter Brook)の映画『マハーバーラタ』(Mahabhara,1989年)を鑑賞します。

最初は、配付資料した資料を使って、マハーバーラタの粗筋を説明しました。バーラタ族の戦争という大きな幹を中心に、大小の枝葉にあたる多数の物語が連関しているところが、マハーバーラタの魅了だと言えます。パーンダヴァたちが生まれる以前の物語、死去してからの物語も重要であることに注意してください。

映画の最初の部分(パーンドゥがバラモンから呪いをかけられる場面)を上映しました。来週は続きから上映するので、資料を読み返しておいてください。

来週はレスポンスシートを使うので、まだ受けとっていない人は先週のページからダウンロードしておいてください。

■今週の配付資料(マハーバーラタの概要:パーンダヴァ誕生以前と死去以後の物語)
ファイルをダウンロード (185KB, PDF)

2010年12月 8日

【地域基礎】

今週は第10章「インドネシアのイスラーム」、第12章「ジャワのガムラン音楽」の報告をしてもらいました。

イスラームの報告では授業で触れなかった点に触れてくれたので、理解が深まったと思います。ジャワのガムラン音楽の報告では、実際にジャワ、スンダ、バリのガムラン音楽を再生してくれたので、楽しかったです。

今週は、予定していた「バリの社会と文化」の報告者が欠席でしたが、後半では、映像資料「インドネシア、バリ島の芸術文化政策」(放送大学、世界の芸術文化政策第14回、2008年、43分)の一部を見てもらいました。

第4~6章確認の小レポートを提出してもらいました。

2010年12月 6日

【インドネシア語読解】

今週の、最近のBBCニュースではパプアでの武装集団の襲撃事件をとりあげてもらいました。

テキストは、p.20下から4行目、Sedangkanの前まですすみました。次回は第2章を終え、第3章に進む予定です。

【3年次対象ゼミ】

今週は、Yさんに、次の論文のレジュメを報告してもらいました。

ヴィニョード・Kアガワル、浦田秀次郎編『FTAの政治経済分析―アジア太平洋地域の二国間貿易主義―』(文眞堂、2010)の第2章ジョン・レイベンヒル「アジア太平洋における新たな二国間主義の政治経済分析:好ましいものか、取るに足らぬものか、悪いものなのか?」

著者は、基本的に地域的枠組みによる包括的な自由貿易の推進派ですが、保護貿易主義よりは二国間貿易主義の方がベターであるという立場のようです。

2010年12月 2日

【4年次対象ゼミ】

今週は、卒論・卒研の進捗状況について、出席した学生に報告してもらい、指導をおこないました。

次回12月9日と12月16日の2回は冬休み直前中間報告会です。準備をしっかりとしておいてください。

【東南アジア古典文化論】

今週は、最初に前回2週にわたって見てもらった映画『オペラ・ジャワ』について、コメントシートを返却したうえで、振り返ってみました。映画の理解のためには、以下の論文も参考にしてください。

■参考論文
青山 亨.「映画『オペラ・ジャワ』に見るラーマーヤナの変容」『総合文化研究』13:37-60.

次に、ラーマーヤナの現代における表現としてバリのケチャとタイのラーマキエンの映像を見てもらいました。いずれもラーマーヤナが現代の東南アジアに息づいていることを表しています。

このあと、受講生の中の一人にマハーバーラタの登場人物の相関図を書いてもらい、それを見ながら、配付資料にそってマハーバーラタの登場人物の関係について説明をしました。

次週からは、ピーター・ブルック(Peter Brook)の映画『マハーバーラタ』(Mahabhara,1989年)を鑑賞します。この作品は、演出家ピーター・ブルックと脚本家ジャン・クロード・カリエール(Jean-Claude Carriere)が脚色した9時間の舞台劇版『マハーバーラタ』をもとにテレビ放映用に制作した318分の作品を、さらに劇場公開用に170分に短縮したものです。ヒンドゥー教の叙事詩としてではなく全人類の物語として語られており、配役もさまざまな民族から構成されていることが特徴です。

■今週の配付資料(映画『マハーバーラタ』・レスポンスシート)
ファイルをダウンロード (245KB, PDF)

映画版『マハーバーラタ』については以下のサイトが参考になります。
Internet Movie Databse: The Mahabharata(今回鑑賞しているのはテレビ放映用に制作された318分のオリジナル版を3時間弱に短縮したものです。)
THE MAHABHARATA: a film by Peter Brook
THE MAHABHARATA
THE MAHABHARATA: A Family Chart

映画版のもとになったのがピーター・ブルック演出の舞台劇『マハーバーラタ』です。全部演じると9時間かかります。舞台劇にはジャン・クロード・カリエールの脚本が使われました。これには日本語訳があります。
ジャン・クロード・カリエール『マハーバーラタ』(笈田勝弘,木下長宏:翻訳.白水社,1987年)

東南アジアのジャワ語によるマハーバーラタについては以下のサイトに概要がのっています。
マハーバーラタ

2010年12月 1日

【地域基礎】

今週は、夏休みのレポートのうち、第7章「インドネシアの民主改革期」、第8章「ユドヨノ政権下のインドネシア」、第9章「東ティモール―起源、独立、そして未来―」を報告してもらいました。

映画『危険な年』のレスポンス・シートを提出してもらいました。

宿題を出しました。受けとっていない人はダウンロードをして、来週の授業時間に提出してください。

■今週の宿題(第4章~第6章の確認ミニレポート)
ファイルをダウンロード (16KB, Word Docx)

【リレー講義】

12月1日水曜日4限に、総合科目IVのリレー講義『民族と民族問題の諸相』の一部として「インドネシア」の第3回を担当しました。今回が私の担当の最後です。

今週の授業では以下の3点をおさえました。
1. 「華人」、「華僑」、移民政策などをめぐる基本概念を理解する。
2. オランダ植民地期からインドネシア独立後にいたる華人をめぐる状況の変化を理解する。
3. 民主改革期以降の華人をめぐる状況の変化とその意味を理解する。

■今週の配付資料(インドネシアの華人)
ファイルをダウンロード (520KB, PDF)

第1回(11月10日) 多民族の共存
第2回(11月17日) インドネシアに対抗する民族
■第3回(12月1日) インドネシアの華人(今週)


234人分のレスポンス・シートの提出がありました。レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。出された質問・コメントの中から代表的なものを取り上げて回答し、授業の補足にしたいと思います。準備ができるまでしばらく待ってください。また、2009年度の講義での回答も参考になるので、読んでください。(回答を表示しました。2010-12-24)

2009年度第3回講義での回答


質問
 スハルト大統領退陣後、なぜインドネシアの華人政策は「同化主義」から「統合主義」へ変わったのでしょうか?

回答
 授業でも説明したように、スハルト政権期におこっていた華人に対する人権侵害に反省があったことと、アジア金融危機で経済が行き詰まったインドネシアにとって、経済力のある華人をインドネシアに引きつけておくことが最優先とされたことの二点が重要だと思います。
 統合主義というのは、簡単に言えば、華人が華人としてのアイデンティティを維持したままインドネシア人であることを認める、という政策です。具体的には、中国文化の復活、中国語メディアの公認、中国正月の祝日化といった政策として実現していきました。インドネシアの国民統合を象徴するタマン・ミニ公園の一角に、インドネシア中国文化公園の建設が始まりました。また、華人の経済学者クイック・キアン・ギーを内閣に迎えて経済担当調整大臣にしたことに、華人への期待が現れています。
 このように、インドネシア社会の一員として華人が受け入れられているという環境を醸成することが、統合主義への転換の背景にあると言えるでしょう。


質問
 インドネシアの民主化のあと、華人はどのくらいインドネシアにもどったのでしょうか?

回答
 民主化のあとにもどってきた華人の数については、データが手元にありませんが、2001年に出された報告(華人経済圏研究会)によると、インドネシアの上位20位の企業の内11社が華人系の企業ということですから、アジア金融危機のあとも、インドネシアの経済の大部分が華人によって占められていることには変わりがないと言えます。


質問
 生まれた子どもに対する国籍の付与の仕方として生地主義と血統主義があるとの説明がありました。それでは、生地主義の国の人が血統主義の国で出産すると、生まれた子どもの国籍はどうなるのでしょうか?

回答
 ご指摘のような状況では、子どもは無国籍になりかねません。インドネシアでの制度についてお答えできる資料がありませんが、多くの国では、子どもが無国籍になることを防止するために、例外を認めているのが通例です。日本では、生まれた子供の国籍が不明な場合には日本国籍を与えています。


質問
 華人がムスリムと結婚するとどうなるのでしょうか?
回答
 結婚する華人の宗教についての質問だと思います。一般的にインドネシアでは(例外はありますが)、ムスリムはムスリムとのみ結婚します。したがって、非ムスリムの華人がムスリムと結婚する場合は、イスラームに改宗することになります。むろん、ムスリムの華人もいますから、その場合は、ムスリムとの結婚には改宗の問題は生じません。


質問
 インドネシアが独立してから、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人はどうなったのでしょうか?
回答
 オランダは1940年にドイツの侵攻にあって降伏し、イギリスに亡命政権を樹立していました。したがって、このあと、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人は、本国を失った状態にありました。
 1942年の日本による侵攻を前にして、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人の一部は、インドネシアを脱出しています。残ったオランダ人は日本軍によって抑留されたり、捕虜にされたりして、収容所に入れられました。その数は民間人9万人、軍人4万人とされています。
 1945年の日本の降伏によって、収容所のオランダ人は解放されましたが、その後の独立戦争の勃発のなかで帰国した人もいます。
 インドネシアに残ったオランダ人にとって最後の打撃になったのは、1957年にスカルノ政権によって、インドネシア国内のオランダ系企業の接収と国有化がおこなわれたことです。これをきっかけに、最後まで残ったオランダ人の多くが帰国しました。
 むろん、このような状況にあっても、インドネシアに残り続けたオランダ人も少なくありません。彼らにとっては、遠いオランダよりも、生まれたり、育ったりしたインドネシアこそが故郷であったと言えるでしょう。
 このように、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人の命運は単純なものではなく、歴史の波乱にもまれたものでした。


          

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