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【民族と民族問題の諸相】 12月1日

【リレー講義】

12月1日水曜日4限に、総合科目IVのリレー講義『民族と民族問題の諸相』の一部として「インドネシア」の第3回を担当しました。今回が私の担当の最後です。

今週の授業では以下の3点をおさえました。
1. 「華人」、「華僑」、移民政策などをめぐる基本概念を理解する。
2. オランダ植民地期からインドネシア独立後にいたる華人をめぐる状況の変化を理解する。
3. 民主改革期以降の華人をめぐる状況の変化とその意味を理解する。

■今週の配付資料(インドネシアの華人)
ファイルをダウンロード (520KB, PDF)

第1回(11月10日) 多民族の共存
第2回(11月17日) インドネシアに対抗する民族
■第3回(12月1日) インドネシアの華人(今週)


234人分のレスポンス・シートの提出がありました。レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。出された質問・コメントの中から代表的なものを取り上げて回答し、授業の補足にしたいと思います。準備ができるまでしばらく待ってください。また、2009年度の講義での回答も参考になるので、読んでください。(回答を表示しました。2010-12-24)

2009年度第3回講義での回答


質問
 スハルト大統領退陣後、なぜインドネシアの華人政策は「同化主義」から「統合主義」へ変わったのでしょうか?

回答
 授業でも説明したように、スハルト政権期におこっていた華人に対する人権侵害に反省があったことと、アジア金融危機で経済が行き詰まったインドネシアにとって、経済力のある華人をインドネシアに引きつけておくことが最優先とされたことの二点が重要だと思います。
 統合主義というのは、簡単に言えば、華人が華人としてのアイデンティティを維持したままインドネシア人であることを認める、という政策です。具体的には、中国文化の復活、中国語メディアの公認、中国正月の祝日化といった政策として実現していきました。インドネシアの国民統合を象徴するタマン・ミニ公園の一角に、インドネシア中国文化公園の建設が始まりました。また、華人の経済学者クイック・キアン・ギーを内閣に迎えて経済担当調整大臣にしたことに、華人への期待が現れています。
 このように、インドネシア社会の一員として華人が受け入れられているという環境を醸成することが、統合主義への転換の背景にあると言えるでしょう。


質問
 インドネシアの民主化のあと、華人はどのくらいインドネシアにもどったのでしょうか?

回答
 民主化のあとにもどってきた華人の数については、データが手元にありませんが、2001年に出された報告(華人経済圏研究会)によると、インドネシアの上位20位の企業の内11社が華人系の企業ということですから、アジア金融危機のあとも、インドネシアの経済の大部分が華人によって占められていることには変わりがないと言えます。


質問
 生まれた子どもに対する国籍の付与の仕方として生地主義と血統主義があるとの説明がありました。それでは、生地主義の国の人が血統主義の国で出産すると、生まれた子どもの国籍はどうなるのでしょうか?

回答
 ご指摘のような状況では、子どもは無国籍になりかねません。インドネシアでの制度についてお答えできる資料がありませんが、多くの国では、子どもが無国籍になることを防止するために、例外を認めているのが通例です。日本では、生まれた子供の国籍が不明な場合には日本国籍を与えています。


質問
 華人がムスリムと結婚するとどうなるのでしょうか?
回答
 結婚する華人の宗教についての質問だと思います。一般的にインドネシアでは(例外はありますが)、ムスリムはムスリムとのみ結婚します。したがって、非ムスリムの華人がムスリムと結婚する場合は、イスラームに改宗することになります。むろん、ムスリムの華人もいますから、その場合は、ムスリムとの結婚には改宗の問題は生じません。


質問
 インドネシアが独立してから、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人はどうなったのでしょうか?
回答
 オランダは1940年にドイツの侵攻にあって降伏し、イギリスに亡命政権を樹立していました。したがって、このあと、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人は、本国を失った状態にありました。
 1942年の日本による侵攻を前にして、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人の一部は、インドネシアを脱出しています。残ったオランダ人は日本軍によって抑留されたり、捕虜にされたりして、収容所に入れられました。その数は民間人9万人、軍人4万人とされています。
 1945年の日本の降伏によって、収容所のオランダ人は解放されましたが、その後の独立戦争の勃発のなかで帰国した人もいます。
 インドネシアに残ったオランダ人にとって最後の打撃になったのは、1957年にスカルノ政権によって、インドネシア国内のオランダ系企業の接収と国有化がおこなわれたことです。これをきっかけに、最後まで残ったオランダ人の多くが帰国しました。
 むろん、このような状況にあっても、インドネシアに残り続けたオランダ人も少なくありません。彼らにとっては、遠いオランダよりも、生まれたり、育ったりしたインドネシアこそが故郷であったと言えるでしょう。
 このように、オランダ領東インドに住んでいたオランダ人の命運は単純なものではなく、歴史の波乱にもまれたものでした。


          

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