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リレー講義

2009年11月25日

リレー講義「民族と民族問題の諸相」の中のインドネシア第3回である今日の授業では、国民国家インドネシアにおける外来少数民族である華人をテーマとして取り上げました。 今週の授業では以下の3点をおさえました。 1. 「華人」、「華僑」、移民政策などをめぐる基本概念を理解する。 2. オランダ植民地期からインドネシア独立後にいたる華人をめぐる状況の変化を理解する。 3. 民主改革期以降の華人をめぐる状況の変化とその意味を理解する。

【質問・コメントへの回答】

3回の講義を終了しました。聞いていただいた受講生には感謝します。今回は3回分あったので多民族国家としてのインドネシアの光と影の両面を多角的に理解してもらえるよう努力しました。それでも、授業時間内には十分に説明出来なかったことがたくさんのあります。レスポンス・シートで出された質問・コメントの中から代表的なものを取り上げて、不足を補いたいと思います。(2009-11-25)遅くなりましたが、期末レポートに間に合うよう回答をのせました。(2010-01-28)


質問1

 なぜ東南アジアに華人が多いのでしょうか?

回答1

 華人は北米やオーストラリアにも多く住んでいますが、もっとも集中しているのは東南アジア諸国(とくにインドネシア、タイ、マレーシア)です。その理由は、簡単に言うと、東南アジアの地理的要因と歴史的要因の組み合わせによると思われます。つまり、中国に比較的近いために歴史的に中国との交流があったこと、そして、近代に入って欧米によって植民地化(タイは除く)されたために華人労働力の需要があったことが理由にあげられるでしょう。


質問2

 インドネシアの華人移住の歴史は長いので、華人かプリブミ(土着のエスニックグループに属する人びと)との区別が外からはつかない人も多いのではないでしょうか?

回答2

 そのとおりです。新来のトトックに対して、プラナカンと呼ばれる人びとは、最初に移住してから数世代が経っており、プリブミとの通婚も進んでいるので、外見的にはプリブミと区別がつかない人が多いのは事実です。プラナカンは、現地の言葉を母語としていますし、イスラームに入信している人も少なくありません。

 逆に、プリブミと見られていても、祖先に華人がいる人も少なくないと思われます。興味深いことに、ジャワの王家であるマタラム王朝の伝承には、王の妃の一人として中国人の王女を迎えたことが語られています。これが歴史的事実かどうかは別としても、王家の系譜の中でさえ華人との通婚の可能性が認められていたことを示している点で興味深いものがあります。


質問3

 華人に対する差別には、国内的な問題だけではなく、冷戦体制も関係があったのではないでしょうか?

回答3

 少なくともスハルト政権期においては、当時の冷戦体制が華人に対する差別の背景にあったことは確かです。スハルト政権の公式見解では、1965年の9月30日事件は、中国共産党の影響下にあったインドネシア共産党につなる一部の軍人のクーデターから始まったとされました。冷戦体制のなかで共産党政権下の中国を脅威とする当時の雰囲気は、スハルト政権による華人に対する制度的差別の口実になりました。


質問4

 なぜインドネシアでは異民族間の軋轢が少ないのでしょうか?

回答4

 最初に言っておくべきことは、異民族が一つの国家に住んでいても、ただちに軋轢が生じるわけではありません。また、軋轢があっても、ただちに暴力的な紛争になるわけでもありません。政治的、経済的な条件が変化する中で軋轢が生じるし、軋轢にもいろいろなレベルがあると考えた方がよいでしょう。

 質問に対する適切な回答は困難ですが、一つ言えることは、インドネシアの場合、異民族間の「住み分け」の伝統が長い歴史の中で作られてきたことが、軋轢の少なさにつながっているように思われることです。たとえば、インドネシアでも、カリマンタンではダヤク人とマドゥラ人との間で紛争がおこっています。これは、森林を生業との場とするダヤク人が住み着いてたところへ、政府の移民政策によってマドゥラ人が移住してきたことが原因です。異民族間の住み分けが崩れると、新しい均衡が作られるまでは、軋轢が続くのように思われます。


質問5

 インドネシア人にとって、国民意識と民族としてのアイデンティティのどちらの帰属意識が強いのでしょうか?

回答5

 アイデンティティの問題は主観的な要素がはいってくるので、一律に説明することは困難です。ただし、アイデンティティは状況によって変化するものであり、多重なものでありえることに注意しておく必要があります。同じインドネシア人が、国内では「ジャワ人」と感じていても、国外では「インドネシア人」と感じることはありえるでしょう。この場合、ジャワ人であり、インドネシア人であることは、矛盾したアイデンティティではないわけです。あえて言えば、出身地域で同じ民族に囲まれて生活している限りは、インドネシア人である前に、その民族に対する帰属意識の方が表面に出てくるように思われます。


質問6

 インドネシアの歴史について分かりやすい本を教えてください。

回答6

 スハルト体制以後まで記した日本語のインドネシア通史があればよいのですが、見あたらないようです。そのなかで、インドネシアの高校で使われている教科書の日本語版『インドネシアの歴史』(明石書店、2008年)は、インドネシアの視点で書かれており、教えられる点があります。

2009年11月11日

リレー講義「民族と民族問題の諸相」の中のインドネシア第2週である今日の授業では、国民国家インドネシアに対抗する民族をテーマとしてアチェと西パプアの分離独立運動を取り上げました。

今週の授業では以下の3点をおさえました。
1. 国民・民族(nation)、エスニシティ(ethnicity)の諸概念とその関係を理解する。
2. 国民国家(nation-state)であるインドネシアの成立と国民統合の過程を理解する。
3. 国民国家に対する地域の異議申し立てとしてアチェ、西パプアの分離独立運動を理解する。

来週は外語祭のためお休みです。次回11月25日には、国民国家インドネシアにおける外来少数民族である華人について考えます。


【質問・コメントへの回答】

レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。課題に対する回答へのコメントと、出された質問の中から代表的なものを取り上げて、授業の不足を補いたいと思います。(2009-11-19)


課題に対する回答へのコメント

 ナショナリズムの訳をあげてくださいという課題には対しては「民族主義」、「国民主義」、「国家主義」といった回答があがっていました(予想外に「国家主義」をあげた人が多かったのは、近年「ぷちナショナリズム」の傾向が議論されたりしているからかもしれません)。いずれもナショナリズムの訳語として使われているものですが、使われる文脈によって使い分けがされていることに注意してください。基本的なポイントは授業中に説明しましたが、さらに理解を深めるためには、塩川伸明『民族とネイション―ナショナリズムという難問』(岩波新書、岩波書店、2008)が大変に参考になります。


質問

 なぜネーションはネーションとしてまとまらなければならないのでしょうか?

回答

 たしかに、ネーションがネーションとしてまとまる必然性を明らかにすることは簡単ではありません。言語・文化・歴史・宗教などを共有する集団がネーションだとすれば、アチェのように(結局は分離しませんでしたが)、民族集団ごとにばらばらになる方がむしろ自然だとも言えます。現存する国民国家を見てみると、アメリカ合衆国や中国のように大きくまとまっている国は、たしかに大国としての存在感がありますから、まとまることが有利になることもあると思えますが、実際にネーションが小さくまとまるか大きくまとまるかは、歴史的・地理的な条件によるので、まとまる理由を一般化は困難です。

 しかし、忘れてはいけないことは、近代のナショナリズム(ネーションを構成する人間集団がネーションとしてまとまろうとする意識・運動)が、フランス革命に触発されてまず19世紀にラテン・アメリカを中心に大きく燃え上がり、さらにその意識がアジアやアフリカへと世界中に広まったという事実です。ナショナリズムは、それがどのような名称で呼ばれたにせよ、人々がまとまって団結し、立ち上がるというある種のロマン・希望・夢・理想をかき立てたという、エモーショナル点を見逃すことはできないでしょう。実際、多くの成功したナショナリスト(たとえばスカルノ)が、大衆を動員するカリスマ性をもっていました。

 この点について注目すべきことは、ナショナリズムは対抗する相手があってはじめて発生するということです。植民地を縛り付けている本国政府であれ、地方を暴力的に搾取する中央政府であれ、対決する相手である「彼ら」が目の前に立ち現れることによって、「彼ら」に対して対抗する主体である「我々」の存在が意識され、「我々」の団結が必要であると主張されてくることです。オランダに対して独立を訴えたインドネシアの民族主義者たち、ジャカルタに対して異議申し立てをしたアチェの独立運動家たちは、まとまり方には大小の違いがありますが、まさに「彼ら」に対して「我々」をまとめようとするナショナリズムの実践者であったと言えます。

2009年11月 4日

2学期水曜日4限のリレー講義「民族と民族問題の諸相」のなかで11月4日・11日・25日の3日間、インドネシアについての講義を担当します。なお11月18日は外語祭の準備日のため授業はありません。

全3回のなかでは、東南アジアの多民族国家としてのインドネシアを紹介し、第1週では国民国家インドネシアにおける多民族の共存を、第2週では国民国家インドネシアに対抗する民族、あるいは国家のなかで対立する民族を、第3週では国民国家インドネシアにおける外来少数民族である華人の位置をとりあげます。

3回の授業を通じて、以下の論文が参考になります。
・内堀基光. 1998. 「民族論メモランダム」田辺繁治編著『人類学的認識の冒険―イデオロギーとプラクティス』同文舘.
・加藤剛. 1994. 「民族と言語」綾部恒雄・石井米雄編『もっと知りたいマレーシア』第2版, 弘文堂.
・石川登. 1997. 「民族の語り方―サラワク・マレー人とは誰か―」青木保編『岩波講座文化人類学 第5巻 民族の生成と論理』岩波書店.

第1週の今日の授業では以下の3点をおさえました。
1. 多民族(多文化・多言語・多宗教)国家の一例としてのインドネシアの概要を理解する。
2. インドネシアの多民族性の歴史的背景を理解する。
3. インドネシアにおける多民族共存の実状を理解する。
映像素材としては「南の国のデパートガール」を使いました。

250部の配付資料を準備して227人分のレスポンス・シートの提出がありました。いただいたコメント・質問の中から代表的なものをとりあげて回答していく予定です。


【質問・コメントへの回答】

レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。出された質問・コメントの中から代表的なものを取り上げて、授業の不足を補いたいと思います。(2009-11-19)


質問1

 人造語であるインドネシア語が形成された経緯と経過を教えてください。

回答1

 ムラユ語は東南アジア島嶼部のスマトラ島およびマレー半島を中心に広い地域にわたって使われている言語です(英語ではMalayと呼ぶので、日本ではマレー語の名前で知られています)。インドネシア語は、インドネシアという国民国家において公用語とされているムラユ語のことです。7世紀のシュリーヴィジャヤ王国の碑文にはムラユ語の古い形である古ムラユ語が使われており、ムラユ語が古くから使われていたことがわかります。その後、15世紀にはマラッカ王国の公用語になり、交易における共通語として島嶼部では広く使われるようになりました。

 1928年の青年の誓いでインドネシア語を(将来の独立をめざす)インドネシアの公用語とすることがうたわれた背景には、すでにムラユ語が広く共通語として使われていたという事実があります。1942年に日本がオランダ領東インドを占領したとき、オランダ語に代わってインドネシア語を公用語とし、この決定がインドネシアの独立後にも引き継がれました。インドネシアの憲法ではインドネシア語を公用語とすることが規定されています。

 なお、マレーシアの公用語としてのムラユ語はマレーシア語と呼ばれています。マレーシア語とインドネシア語はいずれもムラユ語に基づく言語であり、兄弟のような関係にあります。いずれにせよ、このように古い歴史をもったムラユ語に基づいていますから、質問された方のように、インドネシア語を「人造語」と呼ぶのは不適当です。


質問2

 インドネシアでは民族についての教育(民族教育)や国家についての教育(愛国教育)はどうなっていますか?

回答2

 現在のインドネシアでは、インドネシア国民(インドネシア語でbangsa)であることの教育がもっとも重要視されています。必ず教えられる国家五原則(パンチャシラ)の中には国家の統一があげられています。しかし、その一方で、インドネシアには、それぞれの地方にさまざまな民族(インドネシア語でsuku-suku bangsa)が住んでおり、それぞれ固有の文化をもっていることも強調されます。これは国是である「多様性の中の統一」に表されています。学校では、とくに小学校の段階では、各地の民族文化についての教育がおこなわれています。このように、国民国家の中の地方的・文化的な下位区分として民族文化が位置づけられています。

 なお、質問の趣旨とはすこしずれますが、大統領を頂点とする政治権力の中枢をマジョリティであるジャワ人が占めているという現実の結果として、ジャワ人の文化が「あたかも国民文化であるかのように」インドネシア全体に広がっているという事実には注目しておきたいと思います。たとえば、バティックを使った公務員の制服、男性への敬称としての「バパック」(本来は「父親」のこと)、女性への敬称としての「イブ」(本来は「母親」のこと)の使用の広がりなどをあげることができます。つまり、国民国家の文化(国民文化)といっても既存の民族文化から離れた中立的なものではないということです。


質問3

 イスラームの断食月の期間中、ムスリムではない人たちはどうしているのですか?

回答3

 断食月の期間中、ムスリムではない人たちは普段のように食事をしています。昼間も営業している食堂も少なくありません。授業中に紹介したビデオ資料では、ミハルスさんが勤務先の食堂で昼食を食べている場面がありましたが、撮影の時期から考えると、断食月中であった可能性があります。ミハルスさんはキリスト教徒なので昼食を食べていても何も問題がなかったわけです。

 ちなみにミハルスが手を使って食事をしていることに注目した人が何人かいました。手を使って食事をするのは南アジアから東南アジアにかけてごく普通の習慣で、特定の宗教や民族と関係があるわけではありません。なお、左手は不浄な手と考えられているので、右手を使うのが正しいマナーです。

2009年10月27日

火曜日1限の宗教学リレー講義「世界に現れる《神》」のなかで10月27日の1回「インドネシアの神・神々・カミ」を担当します。

日本人の「神」観念を振り返ったあと、一神教のイスラームが多数派を占めるインドネシアにおけるヒンドゥー教(多神教)や精霊信仰(カミ)の位置について検討する予定です。


【質問・コメントへの回答】

講義は無事に終了しました。聞いていただいた受講生には感謝します。レスポンス・シートを提出した受講生の数は216人で、すべて読ませてもらいました。今回は考えさせられる質問・コメントが多かったので、代表的なものを取り上げて、しっかりと答えたいと思います。(2009-11-01)

過去の年度の講義でも回答しているので、そちらも参考にしてください。毎年回答するつもりでしたが、結果的に数年おきになってしまいました。

2006年度の講義での回答
2004年度の講義での回答
質問1

 授業の結論として、インドネシアではさまざまな信仰の形態が共存していると説明がされましたが、実際のところ、一人一人の信仰のなかでは共存していないのではありませんか?

回答1

 大変に鋭い質問です。今回の授業は、一見複雑に見えるインドネシアの信仰のあり方を、「神」「神々」「精霊」というキーワードを使いつつ、外からの観察者の目で整理するとどうなるか、という試みです。その結果、インドネシア全体としてはさまざまな信仰の形態が共存しているという結論にいたりました。

 一方、当事者の一人一人の信仰のあり方について分析することは簡単ではありません。とはいっても、一人一人の信仰の中で複数の信仰の形態が共存している場合は確かにあると言ってよいでしょう。たとえば、ジャワ人においては、授業でも例示しましたが、イスラームの信仰とジャワ固有の精霊に対する信仰、あるいはジャワ人の聖者への信仰が共存する場合があります。

 ただし、イスラームとキリスト教のような唯一神信仰が一人の信仰の中で共存する例はほとんどないと推測されます。その理由は、イスラームとキリスト教徒では、人の現世での命および死後の来世での命にかかわる部分で「守備範囲」が重なっているからだと思われます。それに対して、精霊への信仰は主として現世での物質的な利害にかかわっているので、唯一神信仰との共存が可能なのだと思われます(この点を指摘された学生さんにお礼します)。

 ところで、この授業では、タイラーのアニミズムの議論を踏まえて、アニミズムのカミ、多神教の神々、唯一神教の神という3種類のカテゴリーを区別しましたが、タイラーの主張した進化論的な見方は受け入れていないことに注意してください。タイラーの議論のポイントは、むしろ、キリスト教の神であっても、アニミズムのカミであっても、信仰の対象という同じ土俵で議論できることを明らかにした点にあると考えられます。だからこそ、進化論的な見方であれば、高級な唯一神の信仰が到来することによって低級なアニミズムのカミは取って代わられるはずですが、現実には両者が重層的に共存することもありえるわけです。

 また、イスラーム化した社会でのhantu(幽霊・お化け)とイバン人のantu(精霊)との関係で指摘したように、新たな宗教の到来にともなって神が優勢になると、それまで信仰されていた土着の精霊が迷信的なお化け扱いされるようになる場合もあります。日本の妖怪について柳田国男が「零落した神」と指摘していますが、中東のジンや西洋の妖精なども同じような例と考えることができるでしょう。


質問2

 イスラームの預言者と聖者とはどうちがうのでしょうか?最高の聖者がムハンマドということでしょうか?

回答2

 イスラームでは預言者をナビと呼びます。ナビは神の言葉(啓示)を直接聞いた人のことで、アダム、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドなどの人々がナビとされています。ちなみにイスラームではイエスは神ではなく、ナビとして活動した人間と考えられています。ムハンマドは最高にして最後の預言者とされています。したがって、ムハンマドの死後、預言者は出現しないわけです。

 それに対して聖人は預言者ではありません。ジャワではワリと呼ばれる9人の聖者が有名です。彼らは神から恩寵(バカラ)を授かって常ならぬ能力を持った人として民衆に慕われ、彼らの墓にお参りをして祈ると願いがかなうとされています。聖者たちは死後、神のそばにあって、人々の願いを神に取りなすと信じられています。

 したがって、預言者と聖者を神と人間のコミュニケーションの仲介という観点から見ると、預言者の場合は歴史上の一時点でおきた全人類に対するコミュニケーションであったのに対して、聖者の場合は現在まで継続している個人的なコミュニケーションという点で違いがあると言えるでしょう。


質問3

 ジャワの聖者信仰は、正統なイスラームから見ると問題なのではありませんか?

回答3

 イスラームでは、神以外のものに対する崇拝は、神の唯一性をおかすものとして、かたく禁じられていますから(ムハンマドに対する崇拝も例外ではありません)、たしかに聖者信仰には問題があります。しかし、現実には、聖者信仰はジャワに限らずイスラーム世界では広く見られる現象です。

 たとえばインドでは聖者廟はダルガーと呼ばれており、民衆の崇拝の対象となっています(この点を指摘してくれたウルドゥー語専攻の学生さんにお礼します)。ですから、ジャワにある聖者廟も、ジャワ人が勝手にイスラームを変えた結果ではなく、ジャワにイスラームが到来した時点ですでに聖者信仰がおこなわれていたことの結果と考えるべきです。こうしてみると、ジャワ人が聖者として崇拝されるようになって初めてジャワにおけるイスラームの土着化は完成したということができると思います。

 聖者信仰の起源はイスラーム神秘主義(スーフィズム)の歴史とも関係していて複雑ですが、別項でも述べたように、超越的な唯一神と人間との間にある距離を縮める役割を果たしたことが、民衆の間で広まった大きな理由だと思われます。

 ちなみに、同様の現象は、カトリックのマリア信仰やプロテスタントの聖者信仰のように、イスラーム以外の一神教にも見られることです。


質問4

 ラトゥ・キドゥルに対する儀礼のように、イスラームとは無関係な土着の儀礼は、正統なイスラームから見ると問題にはなりませんか?

回答4

 最初に注意しておきたいことは、イスラームは長い歴史のなかで広大な地域に広がった世界宗教であり、なにをもって「正統」なイスラームとするかはけっして自明ではないということです。

 たとえば、中東のイスラームは「正統」なイスラームであるように思われがちですが、中東においてもその中で地域差があること、中東のイスラームの実践とされるもの中には実はアラブ民族といった特定の民族の習慣が多く含まれていること、中東においても聖者崇拝のように非「正統」的な実践が根強くおこなわれていること、などを考えみれば、このことがよくわかるでしょう。

 しかしながら、イスラームの実践を「正統」なイスラームにしなければならないと主張する運動は、イスラーム世界においては何度も起きています。多くの場合、このような運動は、クルアーンとハディースに示された教理を根拠とし、ムハンマドとその弟子たちを手本にすることを主張するので、「復古主義」と呼ばれています。イスラームにおいては、イスラームの近代改革もまたしばしば「復古主義」に基づいている点に注意が必要です(日本の明治維新が王政復古を出発点としたことを想起してください)。

 インドネシアでも「正統」なイスラームに戻ることを主張する人たちがいます。いくつかの地方ではイスラーム法を地方自治体の条例に取り入れる傾向が出ています。ただし、このような傾向には抵抗が多いことも事実です。

 第一に、たしかに、クルアーンとハディースに示された教理は「正統」性の根拠になりますが、そこに書かれたことだけでイスラームの実践がすべて決められるわけではありませんし、7世紀に生きたムハンマドの実践を現代にそのまま持ち込むのには無理があると言わざるをえません。実際、2004年と2009年におこなわれたインドネシアの総選挙では、イスラーム系政党の議席が毎回減っており、インドネシア人の多くも同じように感じていることを示しているように思われます。

 第二に、とくにジャワにおいては、土着の儀礼の多くが、地域の伝統的な権威と結びついているという事情があります。たとえば、ラトゥ・キドゥルに対する儀礼はジョグジャカルタのスルタン王宮やスラカルタのススフナン王宮と密接に結びついています。このような伝統的な権威が完全に崩れない限りは、土着の儀礼も残る可能性が強いと思われます。


質問5

 インドネシアの国家の基本5原則(パンチャシラ)の第1条は「唯一神に対する信仰」となっています。その一方で、イスラームやキリスト教のほかにヒンドゥー教、仏教、儒教も宗教として公認されています。唯一神信仰を国家の基本原則とすることと矛盾していませんか?

回答5

 もともとパンチャシラの原案には「ムスリムに対してはイスラーム法を遵守させる義務」という字句があったのですが、ムスリム以外のインドネシア人、とくにキリスト教徒の心情を配慮して、この字句を削って「唯一神信仰」に入れ替えたといういきさつがあります。このように、イスラーム以外の宗教にも配慮するという趣旨から生まれた第1条ですが、多神教のヒンドゥー教や、神を立てない仏教や儒教の理念とは相容れません。

 そこで、現在のインドネシアにおいては、ヒンドゥー教では「サン・ヒャン・ウィディ」、仏教では「アディ・ブッダ」、儒教では「天」が唯一神であるとする公式解釈をそれぞれの宗教の代表者が表明することによって、矛盾を回避しています。きわめて無理のある解釈だとは思いますが、圧倒的に多数派であるイスラームとの共存をはかるための便法として受け入れられているようです。


質問6

 授業で魚の形をしたアニアニ(手のひらサイズの穂苅鎌)の写真を見せてもらいました。農村であれば牛や鶏の形の方がふわしくありませんか?また、魚のしっぽは実用性がないように感じました。

aniani-fish.JPG
回答6

 アニアニの写真を紹介したのは、インドネシアの民具が近代化の波にのまれて消え去ってしまう前にきちんと収集・研究する必要があると感じたためです。「民具」という概念は、今でこそ日本では一般化していますが、もともとは1930年代に民具の消滅に危機感をもった民俗学者たちが作り出した学術用語でした。

 というわけで、インドネシアにおいては民具の研究は蓄積が少なく、いただいた質問に対しても、私には答える十分な材料はありませんが、すこしだけ私見をのべておきます。

 私が持っているアニアニは二つだけで、一つは魚の形、もう一つは鳥の形をしています。たしかに、農村と言えば牛と鶏が連想されますが、稲作については、象徴的な意味も考える必要があると思います。たとえば、水田の水は魚とつながりますし、稲の女神スリーの飛来は鳥とつながるかもしれません。また、実用性だけで民具を考察するのは一面的であるように思います。民具の製作には民具なりの美意識が働いている可能性があります。いずれにせよ、アニアニの形態について今後の研究に待ちたいと思います。

【追記】 ブログ「八郷の日々」に、フィリピン島のルソンで使われていたアニアニ(現地ではアニと呼ぶそうです)が紹介されています。
質問7

 シャーマンがトランス状態になって憑依・脱魂するということでしたが、これはシャーマンが(自分では意識していないかもしれませんが)「役者」として演じている場合もあるのではないでしょうか?

回答7

 この質問は宗教についての研究にかかわる深い問題を含んでいます。それは、一見したところ理性や常識や科学的真理によって説明のつかない「得たいの知れない」現象を前にしたとき、私たちはそれをどのように(とくに学問的に)取り扱ったらいいのか、という問題です。このような場合、私たちはしばしば、自分の常識の枠組みで説明をつけようとします。質問者は、シャーマンは実は「演じている」という解釈を提出しましたが、これもそのような説明付けの一例です。私としても、この質問に対しては、とりあえず、そういう場合もあるでしょう、としか答えられません。

 しかし、トランスという現象は、日本ではイタコやユタのようにやや周辺的な現象と見られがちですが、世界的に見てみると、韓国のムーダン、東南アジア華人社会のタンキー、あるいはインドネシアのバリの事例のように、社会的に認知された現象であり、たんに、シャーマンが「演じている」という解釈ですませるのではなく、なぜそのような現象があるのかについてより深く分析することが望まれます。

 したがって、トランスについて学問的に研究してくためには、とりあえず客観的な真偽の判定は停止しておいて、観察される現象をあるがままに記述することが大切です。

 その場合、一つの手がかりとなるのは、トランスはシャーマン個人で完結する現象なのではなく、トランスの存在を認める社会のなかで初めて成り立っているということです。つまり、トランスがある社会からトランスを見たとき、どのような説明をおこなっているかが重要となります。

 これは、たとえば、キリスト教を研究するときには、「神は客観的に存在するのか」、「神は客観的に天地を創造したのか」といった真偽の判定はひとまず停止して、キリスト教徒は神についてどのように語っているのかを研究するのと同じ態度となります。むろん、この態度は、信仰者が神の存在を信じることを否定するものではありません。結論的に言えば、大切なことは、私たちの常識もまた、私たちの社会の「常識」であることに気づく必要があるということです。


質問8

 アヴァターラは「生まれ変わり」と理解してよいですか?

回答8

 授業のなかでは、ラーマをヴィシュヌ神の生まれ変わりと説明しました。ヒンドゥー教では、ヴィシュヌ神は地上世界の秩序を回復するために、神々の世界から地上世界に人間や動物などの肉体をもって出現するとされています。この出現した姿(「化身」「権現」)をアヴァターラ(avat?ra)と言い、一般に10のアヴァターラが知られていますが、なかでも7番めのラーマ、8番めのクリシュナはラーマーヤナとマハーバーラタの登場人物として有名です。

 ラーマやクリシュナについては人間として生まれるので、生まれ変わりと言ってもよいのですが、アヴァターラの本来の意味は「降下」という意味です。したがって、すべてのアヴァターラが「生まれ変わり」だというわけではなく、1番めの亀のアヴァターラのように「化身」と言った方が適切な場合もあります。この点については、指摘してくれたヒンドゥー語専攻の学生にお礼します。


質問9

 バリ島では毎日のようにお祭りがあると聞きましたが、本当に毎日、踊ったり、練り歩いたしているのでしょうか?

回答9

 バリのヒンドゥー教寺院では、それぞれの寺院の創立を記念するオダランと呼ばれる祭礼が、210日で「一年」のウク暦にしたがっておこなわれます。オダランの祭礼は3日から一週間ほど続きます。オダランの日は寺院の数だけでありますから、バリ島のどこかで毎日のようにお祭りがあるという表現は、あながち誇張ではないでしょう。ただし、オダランは基本的にその寺院の関係者だけが参加する祭礼です。当然ですが、バリの人々がみんなでそろっておこなうお祭りは、ニュピと呼ばれる新年儀礼のようにバリ社会全体のお祭りに限られます。


質問10

 サンヒャン・ドゥダリについてもっと知りたいです。

回答10

 バリのサンヒャン・ドゥダリについては、時間がなくて十分に説明することができませんでした。バリ語でサンヒャン(sanghyang)は霊的な存在のことで、ひいては、霊的な存在が憑依する舞踊儀礼の総称ともなっています。ですから、サンヒャンの名が付く舞踊にはいろいろな種類があります。一方、ドゥダリ(dedari)はビダダリ(bidadari)と同じくサンスクリットのヴィディヤーダリー(vidy?dhar?)に由来し天界の女性のことを意味します。したがって、サンヒャン・ドゥダリはドゥダリが憑依するサンヒャンということになります。

 バリでは村の災厄は見えない悪によって引き起こされると考えられています。サンヒャン・ドゥダリは村を浄化するための舞踊儀礼です。初潮前の少女二人が選ばれ、トランス状態にはいってレゴン風に踊ります。このときドゥダリ(精霊)が憑依していると考えられています。

 現在は観光客向けに演出されたサンヒャン・ドゥダリもあります。下はYouTubeに掲載されたパンチャアルタ歌舞団による公演です。


質問11

 ワヤン・クリ(人形影絵芝居)の人形は美しい彩色が施されているのに、どうして影で演じるのでしょうか?

回答11

 ジャワのワヤン・クリは夜間にランプで照らされた大きな白いスクリーンの前で演じられます。ダランと呼ばれる人形遣いが一人で一晩かけて物語を語り、人形を操りながら、セリフをしゃべり、後ろに控えるガムラン楽団の指揮をおこなう様子は圧巻です。

 一般にワヤン・クリの上演はとてもゆるやかな雰囲気でおこなわれます。スクリーンのどちら側で見るかは観客の自由ですし、上演中に見る場所を変えるのも自由です。ですから、人形の美しい彩色を存分に堪能することもできます。しかし、人形遣いはスクリーンに映る影の効果を計算して緩急自在に人形を操ります。たとえば、人形をスクリーンに近づけると影が小さくなり、遠ざけると大きくなるので、人形を前後に動かすことで、立体的な動きを表現します。このため、ワヤン・クリが好きな人ほど影の側で見ることを好むようです。

 バリの舞踊と同じように、ワヤン・クリも本来は宗教儀礼としての役割があったと思われます。夜間におこなう影絵芝居であることの意味もおそらくはそこにあったのでしょう。

2009年6月29日

この週は、リレー講義の分担者として、東南アジア地域基礎II「東南アジア研究入門 宗教と社会 その2 イスラーム」の授業をおこないました。授業の詳細と配付資料については岡野賢二研究室のページをご覧ください。

朝一の授業ですが、ビデオを見たうえでの作業を入れたので、心身ともに目覚めてくれたでしょうか。今日の授業では、以下の3点を押さえました。
・世界宗教としてのイスラームの基本を理解する。
・東南アジアへのイスラーム伝播の歴史と現状の基本を知る。
・20世紀後半からのイスラーム復興の潮流と現在の諸問題の基本を理解する。
いずれも、あくまでも「基本」なので、さらに理解を深めるようにしてください。

授業では以下の流れで話をしました。
1. 世界宗教としてのイスラーム
2. 東南アジアでのイスラームの歴史的展開
3. 東南アジアでのタイプ別のイスラームの特徴
4. タイプAの国におけるイスラームの現代の潮流
5. タイプBの国おける紛争

授業終了時に提出してもらったコメントシートによる出席点と、「宗教と社会」ユニットの最後にまとめておこなう小テストの点数でこの授業の評価をおこないます。

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2009年6月25日

今週は、『オペラ・ジャワ』(Opera Jawa)の後半を鑑賞しました。機材の不具合で音声が小さい状態が途中まで続いたことをお詫びします。

上映の始めに、インドのラーマーヤナ(ジャワ語ではラマヤナ)に由来するジャワの芸能に基づいていることなどを簡単に振り返りました。上映後は、コメントシートを提出してもらいました。コメントシートの提出をもって私の担当授業の出席とします。

映画の出演者ついての追加情報を記載しておきます。

・アルティカ・サリ・デウィ(Artika Sari Devi) スティオの妻シティ(Siti)の役(ラマヤナではシンタに相当)。バンカ・ブリトゥン諸島州出身。2004年のミス・インドネシア、2005年のミス・ユニバース・インドネシア代表です。映画出演は本作品が初めてです。詳しくはWikipediaの記事を参照してください。
・マルティヌス・ミロト(Martinus Miroto) シティの夫で陶芸業者のスティオ(Setyo)の役(ラマヤナではラマに相当)。ジャワ出身の舞踊家・振付家です。詳しくは紹介のブログ記事を参照してください。
・エコ・スプリヤント(Eko Supriyanto) 肉屋のルディロ(Ludiro)の役(ラマヤナではラワナに相当)。ジャワ出身の舞踊家です。詳しくはculturebase.netの記事紹介記事を参照してください。
・ルトノ・マルティ(Retno Maruti) ルディロの母スケシ(Sukesi)の役(ラマヤナではラワナの母スケシに相当)。有名なジャワ宮廷舞踊の踊り手です。詳しくは紹介のブログ記事を参照してください。
・イ・ニョマン・スラ(I Nyoman Sura) スティオの手伝いの役スラ(Sura)の役(ラマヤナではラマの弟ラクスマナに相当)。Nyoman Sure(役名Sure)と表記するクレジットもありますが、こちらの方が正しい表記です。バリ出身の創作舞踊家で、作品の中でもバリ人の姿で出演しバリの雰囲気を振りまいています。詳しくは紹介のブログ記事を参照してください。
・ジェコ・シオンポ(Jecko Siompo) スティオの仲間ですが役名はなし(ラマヤナではラマを助けるハヌマンに相当)。1976年生まれのパプア出身の現代舞踊家で、パプアの伝統舞踊とヒップホップを融合させたスタイルが特徴的です。詳しくは紹介のブログ記事を参照してください。
・スラムット・グンドノ(Slamet Gundono) ルディオの仲間ですが役名はなし。ワヤン・クリの人形遣いとして有名な人です。作品のなかでも物語の語り手の役を兼ねています。詳しくは紹介の記事を参照してください。

ブログ「水牛のように」に冨岡三智さんが『オペラ・ジャワ』についての批評を書いているので参考にしてください。

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2009年6月18日

今週と来週の2回にわたって、インドネシア映画『オペラ・ジャワ』(Opera Jawa、ジャワ語、英語字幕付き、116分)を鑑賞します。ガリン・ヌグロホ監督作品。2006年。アルティカ・サリ・デウィ(シティ)、マルティヌス・ミロト(スティヨ)、エコ・スプリヤント(ルディロ)主演。

あらすじ:スティヨとシティの夫婦は村で素焼き土器を売って慎ましいが幸せな生活を送っていた。しかし、スティヨが土器を売りに村を離れているあいだに、横恋慕した強欲な肉屋ルディロが一人でいるシティを誘惑しようとする。シティは言い寄るルディロを拒み続けるが、ルディロの歌と踊りはしだいに彼女の心を虜にし始める。

ヒンドゥー叙事詩『ラーマーヤナ』のシーターの誘拐の物語を現代インドネシアのジャワを舞台に、ガムラン音楽を伴奏にジャワ古典舞踊と現代舞踊が融合するオペラとして作り替えた、ヌグロホ監督の実験的な意欲作です。一度見たら忘れられない目眩く幻想的なシーンが続きます。

2006年ウィーンNew Crowned Hope Festival招待作品。2007年シンガポール国際映画祭最優秀作品。

New Crowned Hope映画祭での解説(英語)
Internet Movie Databaseのレビュー(英語)
フランスPyramide International社の案内(英語)
First Run Featuresのウェブサイト(英語) こちらからDVD(英語字幕付き)を購入することができます。NTSC方式・リージョンコードALLなので日本のDVDプレーヤーでも問題なく再生できます。

後編に続く

2009年5月21日

今日は、リレー講義の分担者として、Add-on Program多言語・多文化社会論(歴史)の授業で、多民族国家インドネシアについて講義をおこないました。先週のマレーシアと比べて、同じ東南アジアの隣国同士であっても共通点と相違点があることがわかったと思います。

スライドによる説明のあと、ビデオで「南の国のデパートガール」を見てもらい、周りの人と議論をしてもらいました。

授業での質問・コメントに対する回答などはAdd-on Programのブログを見てください。

2009年4月20日

今日は、リレー講義の分担者として、東南アジア地域基礎II「東南アジア研究入門 歴史 その1 古代」の授業をおこないました。授業の詳細と配付資料については岡野賢二研究室のページをご覧ください。

コメントシートによる出席点と授業中に提出してもらった小テストの点数でこの授業の評価をおこないます。

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2009年4月 2日

2009年度は以下のリレー講義の分担を予定しています。担当授業日が確定しましたら、順次案内していきます。最後の数字は教室番号と授業科目コードです。

【1学期】
■月曜日1限 4月20日 地域基礎II:東南アジア研究入門 歴史:古代 227 (2515)
■月曜日1限 6月29日 地域基礎II:東南アジア研究入門 宗教:イスラーム 227 (2515)
■木曜日1限 5月21日 多言語・多文化社会(歴史):多民族国家インドネシア 226 (6435)
■木曜日2限 6月18日・25日 表象としての映画:インドネシアに関連する映画 226 (9405)

【2学期】
■火曜日1限 10月27日 世界に現れる「神」:インドネシアの神・神々・カミ 101 (6026)
■水曜日4限 11月4日・11日・25日 民族と民族問題の諸相:インドネシア 101 (9413)

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