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【リレー講義】 民族と民族問題の諸相 11月11日

【リレー講義】

リレー講義「民族と民族問題の諸相」の中のインドネシア第2週である今日の授業では、国民国家インドネシアに対抗する民族をテーマとしてアチェと西パプアの分離独立運動を取り上げました。

今週の授業では以下の3点をおさえました。
1. 国民・民族(nation)、エスニシティ(ethnicity)の諸概念とその関係を理解する。
2. 国民国家(nation-state)であるインドネシアの成立と国民統合の過程を理解する。
3. 国民国家に対する地域の異議申し立てとしてアチェ、西パプアの分離独立運動を理解する。

来週は外語祭のためお休みです。次回11月25日には、国民国家インドネシアにおける外来少数民族である華人について考えます。


【質問・コメントへの回答】

レスポンス・シートはすべて読ませてもらいました。課題に対する回答へのコメントと、出された質問の中から代表的なものを取り上げて、授業の不足を補いたいと思います。(2009-11-19)


課題に対する回答へのコメント

 ナショナリズムの訳をあげてくださいという課題には対しては「民族主義」、「国民主義」、「国家主義」といった回答があがっていました(予想外に「国家主義」をあげた人が多かったのは、近年「ぷちナショナリズム」の傾向が議論されたりしているからかもしれません)。いずれもナショナリズムの訳語として使われているものですが、使われる文脈によって使い分けがされていることに注意してください。基本的なポイントは授業中に説明しましたが、さらに理解を深めるためには、塩川伸明『民族とネイション―ナショナリズムという難問』(岩波新書、岩波書店、2008)が大変に参考になります。


質問

 なぜネーションはネーションとしてまとまらなければならないのでしょうか?

回答

 たしかに、ネーションがネーションとしてまとまる必然性を明らかにすることは簡単ではありません。言語・文化・歴史・宗教などを共有する集団がネーションだとすれば、アチェのように(結局は分離しませんでしたが)、民族集団ごとにばらばらになる方がむしろ自然だとも言えます。現存する国民国家を見てみると、アメリカ合衆国や中国のように大きくまとまっている国は、たしかに大国としての存在感がありますから、まとまることが有利になることもあると思えますが、実際にネーションが小さくまとまるか大きくまとまるかは、歴史的・地理的な条件によるので、まとまる理由を一般化は困難です。

 しかし、忘れてはいけないことは、近代のナショナリズム(ネーションを構成する人間集団がネーションとしてまとまろうとする意識・運動)が、フランス革命に触発されてまず19世紀にラテン・アメリカを中心に大きく燃え上がり、さらにその意識がアジアやアフリカへと世界中に広まったという事実です。ナショナリズムは、それがどのような名称で呼ばれたにせよ、人々がまとまって団結し、立ち上がるというある種のロマン・希望・夢・理想をかき立てたという、エモーショナル点を見逃すことはできないでしょう。実際、多くの成功したナショナリスト(たとえばスカルノ)が、大衆を動員するカリスマ性をもっていました。

 この点について注目すべきことは、ナショナリズムは対抗する相手があってはじめて発生するということです。植民地を縛り付けている本国政府であれ、地方を暴力的に搾取する中央政府であれ、対決する相手である「彼ら」が目の前に立ち現れることによって、「彼ら」に対して対抗する主体である「我々」の存在が意識され、「我々」の団結が必要であると主張されてくることです。オランダに対して独立を訴えたインドネシアの民族主義者たち、ジャカルタに対して異議申し立てをしたアチェの独立運動家たちは、まとまり方には大小の違いがありますが、まさに「彼ら」に対して「我々」をまとめようとするナショナリズムの実践者であったと言えます。

          

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