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【東南アジア研究入門】宗教と社会(その1)5月26日

【リレー講義】

今週は、地域基礎1A「東南アジア研究入門」の宗教と社会(その1)を担当しました。

この講義では、島嶼部を中心に信仰されているイスラームを取り上げ、イスラームの基本、東南アジアにおける展開の歴史、現代の傾向について理解を深めました。最後に、全体の整理として小テストを行いました。あわせて、次回の講義(宗教と社会 その2)で使うアンケートを行いました。

限られた時間なので、駆け足の講義となりましたが、詳細は『東南アジアを知るための50章』の第18章「世界宗教の地域性:東南アジアのイスラーム」を読んで、学んでください。次年度は、もう少し材料を絞り込んでみたいと思います。

コメントシートに書かれた質問にお答えしています。参考にしてください。(2015-05-20更新)


質問1
 イスラームが国教とされているマレーシアやブルネイでは国民の中のムスリムの割合が、イスラームが国教とされていないインドネシアよりも低いです。国教とは強制されるものではないのですか?
回答
 国教とは強制されるものではありません。マレーシアでもブルネイでもイスラーム以外の宗教の信仰が認められています。とくにマレーシアの場合は、マレー系住民の多くがイスラームを信仰にしているのに対して、華人の多くは仏教やキリスト教、インド系住民の多くはヒンドゥー教を信仰しているため、ムスリムの割合が6割程度になっています。
 イスラームが国教であることの実質的な意味は、国家の元首がムスリムであることと、国民の税金の一部がイスラームの保護と発展のために使われることが認められていることにあると考えてよいでしょう。

質問2
 シャリーアを守って生活することに人々は窮屈さを感じないのでしょうか?
回答
 シャリーアの遵守をどう感じるかは主観的な要素があるので、一口で答えることは難しいです。とはいえ、シャリーアの遵守自体は「人としてあるべきあり方」を守ることと理解されていますから、仮にある程度の「窮屈さ」が感じられたとしても、遵守することの意義の方が不都合を上回っていると理解されていると考えられます。また、少なくともインドネシアの場合、近代的な消費生活とイスラームとの間に大きな矛盾は感じられていないという意味で、私たちが思うほどに「窮屈さ」の程度は大きくないと言ってよいでしょう。
 もう一つは忘れてはならないことは、一言にシャリーアと言っても、クルアーンとハディースによって示された基本原則(狭い意味での「シャリーア」)に加えて、イスラーム法の専門家の解釈の積み重ねから生まれてきた法規定もあります。現代のイスラーム社会の状況や広がりはムハンマドが生きていた時代とは様変わりしています。解釈の方は地域や時代によって変わりますから、したがって、イスラーム法(広い意味での「シャリーア」)と言っても、けっして一枚岩の不変な規定ではないということです。

質問3
 クルアーンの解釈がいくつもあるということですが、仏教のように仏典結集のような協議はないのでしょうか?
回答
 クルアーンは神がムハンマドに下した啓示ということになっていますから、ムスリムの立場からは、唯一絶対のクルアーンしかあり得ません。しかし、歴史的に見た場合、テキストとしてのクルアーンがある時期に編纂され、現在の形に確定されたという事実はありますから、この意味で、仏典結集のような協議はあったと言えるでしょう。
 一方、クルアーンの解釈はそれぞれの信徒に委ねられています。その中でも、とくにイスラームの学識者(ウラマー)の解釈は尊重されます。したがって、現在のクルアーンの解釈は、過去のウラマーたちの解釈を参照しつつ行われるのが一般的です。ただ、解釈に違いがあった場合、どの解釈を受け入れるかは、それぞれの信徒の判断に委ねられています。したがって、全世界のムスリムの意見を集約した統一解釈を出すというような意味での協議は存在しません。

質問4
 ヒジュラ暦は西暦622年の7月16日に始まったと聞いたのですが、それは今でも続いているのでしょうか?
回答
 ヒジュラ暦はイスラーム暦のことです。当然のことながらイスラーム社会では現在でも続いています。現在では、日常生活においては西暦を使い、イスラームに関わる宗教行事にはヒジュラ暦を使います。
 ヒジュラ暦の基になった太陰暦はイスラームが始まる前から使われていました。ヒジュラ暦は、ムハンマドがマッカからマディーナに聖遷(ヒジュラ)した年を記念して、この年を元年とした暦です。ちなみにこの年の元日は西暦622年9月22日にあたります。よく誤解されていますが、ムハンマドがヒジュラをした日(西暦622年7月16日)が元日になったわけではありません。

質問5
 東南アジアのイスラーム国家が、幾つかイスラームに基づく国民の祝日を設けていますが、それは日本が天皇誕生日を祝日としているのと同じようなものでしょうか?
回答
 学校や会社や役所が休みになるという意味での祝日が始まったのは近代になって国民国家が出現してからのことです。日本でも祝日が制定されたのは1873年のことです。日本の場合は新生の明治政府が国民統合を進めるための方策という側面が強かったように思われます。一方、イスラームの祝日の場合は、もともとイスラームの暦に基づいて行われていた宗教儀礼に、ムスリムが国民としての役割に支障を来すことなく参加できることが意図されているように思われます。
 このように、祝日そのものはそれぞれの国家の都合で創設されるものですから、イスラームが優勢な国々のなかでも、どのイスラームの祭日を国の祝日に定めるかは、国によって異なります。

質問6
 メッカ巡礼は全体として男性が多い印象を受けましたが、男女別に分かれているのでしょうか、それとも割り当てのとき男女比がきめられているのでしょうか?
回答
 とても興味深い質問です。メッカ巡礼に男性が多いという印象を受けたのは、おそらく授業で紹介した映像資料に男性信徒しかほとんど出てこなかったせいではないでしょうか。たぶん、これは取材班が男性だけだったので、女性の信徒を取材することができなかったためだと思います。
 実際には、女性でもメッカ巡礼を行うことができます。インドネシアなどの外国からからの巡礼の割り当て数においてもとくに男女比が決められていることはないようです。ただ、女性の場合は、夫や父親、男兄弟など男性親族と同行して巡礼することが多いので、結果的に男性よりも少なくなる傾向はあると思われます。

質問7
 「五行」の中に「喜捨」がありますが、実践されているのでしょうか?
回答
 イスラームの喜捨には、自発的に行う喜捨である「サダカ」と、「五行」の一つで宗教的義務である「ザカート」があります。サダカには人を助ける行為一般が含まれますが、典型的なものとしては困窮者への慈善行為があります。
 ザカートの取り扱いは国によって異なります。インドネシアの場合は、1999年にザカート管理法が成立しており、公営の相互扶助団体のほか多数の民営の相互扶助団体が活動しています。これらの団体は、信者たちから寄進(1年間の財の2.5%が原則)を徴収し、集まった財を教育支援、孤児支援、医療支援などのプログラムに分配しています。

質問8
 イスラームでは男尊女卑のイメージがありましたが、イスラーム自体においては平等だと聞きました。では実際にムスリムの中で男尊女卑のような傾向はあるのでしょうか?
回答
 イスラームにおける男性優位、女性差別のイメージを考える場合には、イスラーム自体に内在する問題とイスラームを実践している地域の特性とを区別しておく必要があります。
 まず、イスラームにおいては、男性は女性の保護者であると規定されています。本来、これは男女の役割分担を前提とした上で、女性の立場を男性が守ることが意図されていたと考えられます。たとえば、イスラームでは女性の相続権は男子の半分とされていますが、これは、扶養の義務を負う男子には義務を負わない女子の2倍の相続権を認めるという考えに基づいています。イスラーム以前には男性にしか相続権が認められていなかったので、当時としては画期的な改革であったと言えるでしょう。しかし、現代ではかえって女性の自立をそこなう場合もあるので、そのような点については新しい解釈が求められています。
 次に、地域によってイスラームに基づくとされる実践に大きな違いがあるという点にも留意しておく必要があります。イスラーム社会の中には男尊女卑の慣行が問題化している地域があることは事実です。しかし、これらの多くは、イスラームの名のもとに正当化されている場合もありますが、実際はその地域の固有の慣行であったり(アフリカの女子割礼)、ある特定の集団のイデオロギー(ボコハラムの女子教育否定)であったりすると言ってよいでしょう。けっして全世界のムスリムによって共有されているわけではありません。
 一般に、東南アジアにおいては、イスラーム社会であるかどうかを問わず、女性の権利は広く認められており、社会進出も進んでいます。参考までに、2014年の男女平等指数ランキングで日本が104位であるのに対して、インドネシアは97位であることを指摘しておきたい思います。

質問9
 スンナ派とシーア派の礼拝の場所や仕方は全く違うのでしょうか?
回答
 スンナ派とシーア派の礼拝の仕方の間に違いはほとんどありません。
 シーア派は、第4代カリフであったアリーの死後、彼の子孫をイスラーム共同体の最高指導者とすべきと主張する人々を指します。アリーは預言者ムハンマドの従弟であり、娘婿でしたから、シーア派は、預言者ムハンマドの血筋を重んじているということになります。それに対してスンナ派はイスラーム共同体に伝承される預言者ムハンマドのスンナ(慣行)に従う人々を意味します。このような経緯ですから、イスラームの教理や実践に関する基本的なところでは、両派は一致しています。
 世界的に見てスンナ派がイスラーム世界において圧倒的な多数は占めており、シーア派が多いのはイランやイラクなどの地域に限られています。東南アジアにおいても歴史的にスンナ派が受け入れられています。ですから、スンナ派が多い地域では自ずとスンナ派の人々が集まって礼拝するということになります。
 シーア派とスンナ派の対立がしばしば報道されますが、これらは宗教的というよりは政治的・経済的な要因が大きいようです。現在シーア派が政権を握っている唯一の国はイランですが、そのイランの中東地域における政治的影響力の拡大に対して周辺国が警戒していることや、スンナ派が多数派である国々において少数派のシーア派が経済的・政治的に抑圧されており、そのことへの不満が高まっていることなどが、主な要因と考えられます。

質問10
 ハラールに対するムスリムの意識は、実態としてどのようなものなのでしょうか?
回答
 ハラールは「許容されたもの」という意味で、しばしば、「禁止」を意味するハラームと対になって用いられます。日常的にとくに問題となるのは、体の中に取り込む飲食物についてです。 
 実際のところ、イスラームがすでに確立した社会の中に住んでいれば、基本的にすべてがイスラーム法に則って行われていますから、ハラールかどうかを気にする必要はほとんどありません。現在のようにハラールについての意識が高まり、ハラール認定といったことが行われているのは、グローバル化が進展して、ムスリムと非ムスリムが接触する機会が今まで以上に増えたことが背景にあると思われます。
 また、このような状況の中で、ハラール認定をビジネスの契機として捉えている人々がいることも確かで、そのことが、人々(ムスリム、非ムスリムを問わず)のハラールに対する意識をさらに強めている傾向があるようです。

          

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