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最近のBBCニュースから:2002年バリ爆弾テロ事件の映画化

【2006年度の記録】

最近のBBC Indonesia.comのニュースからSerangan bom Bali 2002 difilmkan (2007年1月25日)を、読解授業を受けている2年生が翻訳したものです(一部手を加えてあります)。

2002年のバリ爆弾テロ事件が映画化される

4年前バリで起こった爆弾テロ事件以来はじめて、インドネシアの映画会社がスクリーンでこの問題を取り上げた。

昨日24日火曜日から「ロング・ロード・トゥー・ヘブン」がインドネシアの各地で公開され始めた。この映画は、最近バリにふりかかった事件をフィクションの形で表しており、これらは、爆弾テロ事件の計画者の目線とこの爆弾事件を生き延びた人々の目線、つまり犯人らの目線を通して描かれている。

この爆弾テロ事件では200人が死亡し、その大部分が観光客であった。

 今年は、その爆弾テロ事件の5周年に当たる。ニナ・ディナタ映画監督は、「その爆弾テロ事件から引き出すことができるさまざまな教訓を改めて見直すいい機会である」と述べている。

 ニナ・ディナタ監督は、この新しい映画のポスターでいっぱいの会社において、「その攻撃の原因となる問題と比べて、テロリズムの問題を取り上げる映画はそんなに多くない。」と述べた。

 「私は、インドネシアで、寛容さや人間性について再び議論されることを望んでいる。」

 「そして、そのこと(議論されること)はこのバリの爆弾テロ事件に対する問題の理解につながる」

人間的側面

この映画は、爆弾テロの計画立案と実行をおこなった三人の人物について、そして爆弾テロ事件後の時代(経過)についての話を含んでいる。

しかしながら、この映画は、その計画を裏で操った集団であるジュマー・イスラミーヤの中でも急進的なムスリム・メンバーたちの間の関係を掘り起こすために多くの時間を費やしている。

エニソン・シナロ映画監督にとって、すでに知られている人物の特徴を描きだすことが、この映画を観客に届けたい大事な部分である。

「これらの人物はこの映画にとってかなり重要である。」とシナロ監督は述べた。そして全ての過程に対して(かなり重要である。)だから、私たちは、犯行を行った彼らの脳裏の中に入りたいと、とても願い、そして彼らの人間性を示したいと思っている。

それだからこそ、爆弾テロの犯人たちはインターネットでのポルノ的題材を操作したり、もて遊んだりできないことを私たちは示さ無ければいけないかった。


シナロ監督は、全ての人がその映画(「ロング・ロード・トゥー・ヘブン」)の方向性を好むとは期待していない。しかしながら、彼は、人々がこの映画に過剰な反応を起さないことを期待している。

「私たちは、人々が、私たちがイスラームの名を汚し、イスラームを貶めると考えることを望んでいない。そのようなことはないのだから。そして、私たちは、そのような圧力に降伏する気もない。」

様々な見解

今月の初め、この映画はジャカルタの限られたグループに公開され、すでにいくつかのグループがこの映画を見た。

そして、この映画の上映の後、映画館の廊下で様々な見解があった。

「『ロング・ロード・トゥー・ヘブン』は、インドネシアの様々なムスリム信徒の姿勢を描きだしている点があり、とてもよいと感じている」と何人かは述べている。

その他の人々は、「この映画の構造は複雑すぎる。その結果として観客は、方向性を見失ってしまう」と述べた。

3つ目の集団は、「この映画は、バリが、すでに行き過ぎた自由の島になってしまったというメッセージを伝えている。」と感じていた。

この映画の中で扱われた、その爆弾テロ事件を起こした3人は、現在、投獄されており、処刑を待っている途中である。

インドネシアは、地域の中でイスラーム過激派に警戒心を抱くことをすでに学んだ。また、さまざまなその攻撃以来、反テロ隊はすでに、逮捕を行っている。

しかしながら、映画『ロング・ロード・トゥー・ヘブン』によって取り上げられた様々な問いには未だ答えが出ていない。つまり、そこにおいて、インドネシアは、イスラームの意味についての論争(議論)をどのようにして克服していくのかという問いに未だ答えを出していない。

補足:
1. beragamber-agamaではなく、be-ragamなので注意。「多様な」という意味。
2. menghabiskan banyak waktuは、「多くの時間を費やしている」という意味。

          

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