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【世界に現れる「神」】 10月26日

【リレー講義】

10月26日火曜日1限に、総合文化コース専修専門(宗教学)のリレー講義『世界に現れる「神」』の第4回として、「インドネシアの神・神々・カミ」を担当しました。受講者数は227人でした。

コメントシートはすべて読ませもらいました。質問の中からいくつか代表的なものを選んで、回答したいと思います。似た質問や関連する質問は整理してまとめている場合もありますので、ご了承ください。また、過去の年度の講義でも類似したあるいは関連した質問に回答しているので、ぜひそちらも参考にしてください。【2010-11-09 質問と回答をすべて掲載しました。】

2009年度の講義での回
2006年度の講義での回答
2004年度の講義での回答


質問 1
インドネシアで多数派の宗教であるイスラームと言えば、スンナ派とシーア派のあいだの争い、あるいは、キリスト教との争いのイメージがあります。インドネシアではそのような争いはまったく起きないのでしょうか?

回答 1
複数の有力な宗教が存在する社会において宗教間の安定した関係がどのように維持されているのかを尋ねる質問がいくつかありました。今回の講義では、インドネシアにおいて異なった宗教を信じる人々が日常的に平和裏に共存している状況を提示しましたが、インドネシアでも宗教の違いを理由にした対立や抗争がないわけではありません。

インドネシアに限らず東南アジアで信奉されているイスラームは伝統的にスンナ派が中心なので、中東で見られるようなスンナ派とシーア派との間の大きな対立はありません。宗教間の抗争としてよく報道されているのは、イスラーム教徒とキリスト教徒の間の抗争です。近年ではスラウェシ島のポソでの抗争が記憶に新しいところです。

しかし、このような抗争は日常的な現象というよりは例外的な現象と考えるべきだと思います。ポソの場合には、外部の急進的なイスラーム宗教組織が介入して地元の住民を扇動したことがわかっています。基本的に、人々が宗教の違いだけで争ったりすることはまれなことであって、むしろ政治的あるいは経済的な理由で対立が生じたときに、宗教の違いが暴力の使用の口実に使われると考えた方が現実に近いと思います。

なお、日本ではあまり報道されていませんが、最近の傾向で無視できないと思われるのは、イスラームの中の少数派であるアフマディヤ派に対する一部の急進的なイスラーム教徒による迫害活動です。アフマディヤ派を異端(イスラーム教徒でありながらイスラームの教えから逸脱している)として、アフマディヤ派の信教の自由を認めない言動をとっています。同じ宗教を奉じているがゆえに、かえってその中での違いを認めることができない人々がいるのは残念なことです。


質問 2
インドネシアではイスラームがこれほど幅広く信仰されていると、他の宗教の人々は狭苦しい思いをしたり、差別的な待遇を受けることはないのでしょうか?

回答 2
この問題は、最初の問題よりは、微妙で根が深い問題だと思います。憲法や法律では信教の自由は認められているので、少なくとも公認宗教であるイスラーム、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、儒教のあいだでは、平等であることが保証されていなければなりません。

また、授業でも説明したように、インドネシアでは伝統的にそれぞれの民族が自らの領域の中に住み分けをしていたので、その領域のなかにいる限りは大きな宗教摩擦を感じなくてもよかったという事情があります。たとえば、バタック人の多くはインドネシア全体の中では少数派のキリスト教徒ですが、バタック人が多数派を占める北スマトラ州にいる限りは、他の宗教からの圧迫を感じることはあまりないと言えるでしょう。同様のことは、バリ州のヒンドゥー教徒についても言えます。

とはいえ、このような民族の住み分けは現在では崩れてきていますし、国家全体を見た場合、現実にはイスラーム教徒が圧倒的に多数であるために、制度の前提の部分でイスラーム教徒以外の信徒にとって不公平となる点があることは確かです。国家五原則の第1原則については、別の項で回答としているので参照してください。

その他の例をあげると、たとえば、結婚にあたって、イスラーム教徒と非イスラーム教徒が結婚する場合、非イスラーム教徒の方がイスラーム教に改宗するのが一般的で、その逆は原則的に認められていません。このような非対称性は、根本的にはイスラーム法の規定に由来するものですが、イスラームが多数派であるがゆえに容認されてきたと言ってよいでしょう。

また、イラクやアフガニスタンへのアメリカを中心とした有志連合諸国の侵攻は、イスラーム圏ではアメリカに代表されるキリスト教徒によるイスラーム教徒への攻撃と受け取られており、インドネシアにおいても、反発の対象であるアメリカの「身代わり」として国内のキリスト教徒に対して憎悪の念が向けられることがおきていることも指摘しておきたいと思います。


質問 3
インドネシアの国家五原則(パンチャ・シラ)の第1原則は「唯一神の信仰」となっています。ラトゥ・キドゥルやデウィ・スリのように唯一神と考えられない存在への信仰は、国家五原則と矛盾しているのではないでしょうか?また、国家五原則では、多神教であるヒンドゥー教はどのような扱いになっているのでしょうか?

回答 3
インドネシアの国家五原則の第1原則「唯一神への信仰」と、実際の宗教実践との矛盾について尋ねる質問もありました。大きく分けて、一つは、イスラーム教徒でありながら非イスラーム的な神的な存在(ここでは精霊と呼んでおきます)を信仰していることの矛盾、もう一つは、ヒンドゥー教のような多神教が公認されていることの矛盾です。

まず、イスラーム教徒がラトゥ・キドゥルのような土着の精霊に対して供物をささげたりすることについてですが、イスラームを厳格に解釈するイスラーム教徒たちは、当然のことながら批判の対象としています。しかし、土着の慣習を重視するイスラーム教徒たちは、土着の精霊もまた神の被造物であるからイスラームの世界観から逸脱するものではないとして、土着の精霊に対する信仰を容認しています。インドネシア人のなかでもとくにジャワ人は土着の信仰を容認する立場にある人が多いと言ってよいでしょう。

次に、「唯一神への信仰」の原則と、ヒンドゥー教のような多神教、あるいは仏教や儒教のように神を信仰の対象としない宗教との矛盾は、いずれの場合も、「唯一神」に相当する存在を想定することによって解決しています。ヒンドゥー教の場合はサン・ヒャン・ウィディという宇宙の根本原理、仏教の場合はアディ・ブッダという原初仏、儒教の場合は天がそのような存在にあたります。

実は、このような想定はインドネシアの中ででしか通用しません。つまり、イスラームという唯一神教が多数派であるインドネシアでは、唯一神教の基準があらゆる宗教を解釈する前提条件になっているために、イスラーム以外の宗教にずいぶんと無理な解釈を押しつける結果になっているのです。とはいえ、形式的であれ、このような基準を満たすことで、本来は唯一神信仰ではない宗教も公認宗教の地位を勝ち取ることができたと言ってもよいでしょう。


質問 4
ラトゥ・キドゥルのことがよくわかりませんでした。もっと詳しく説明してください。

回答 4
ラトゥ・キドゥルについては多くの質問が寄せられました。ここでまとめて回答しておきます。

ラトゥ・キドゥルのような現象を考えるためには、ラトゥ・キドゥルが誰であるか、何であるかという実体レベルの問いを立てるよりも、ラトゥ・キドゥルがジャワの人々によってどのように語られているかという言説レベルの問いを立てる方が有効だと思います。

ラトゥ・キドゥルについては、まず、「海に宿る精霊」なのか「海の女神」なのか質問がありました。授業の最初に、唯一神教の神、多神教の神(神々)、アニミズムの精霊を区別したので、ラトゥ・キドゥルがそのいずれに分類されるのか気になったのだと思います。しかし、気をつけてほしいことは、ここで示した区分はあくまでも説明のための区分であって、実際に信仰している人々にとっては、このような区分は意味をもたないということです。つまり、「人智を超えた超自然的な存在」という意味では、これらはいずれも共通しているということになります。

さて、現在のラトゥ・キドゥルの伝承は、イスラームを受け入れたマタラム宮廷の歴史物語の中に取り込まれていますが、もともとは古くから伝わる民間信仰の一つだったと思われます(ある人のコメントで指摘されたとおりです)。イスラームでは神は唯一無二の存在とされますが、天使やジン(魔神)のような超自然的な存在も、神によって作られたものとして存在が認められています。

したがって、イスラームが広まったときでも、イスラームの権威と規範を認める限りは、土着の民間信仰の神々に対する信仰も認められることがしばしばありました。むろんこのようなことは、イスラームの信仰を純粋に理解しようとする人々から見ると承認できるものではありませんが、イスラーム布教の少なくとも初期の段階では、インドネシアの人々に新しい宗教を受け入れてもらうためのやむを得ない(しかし効果的な)手段であったと言うことはできるでしょう。

ここで興味深いのは、マタラム宮廷はイスラームを受け入れましたが、「純粋」なイスラーム(つまり、中東から直輸入されたようなイスラーム)に対しては警戒を抱いており、ジャワ的な慣習を擁護する傾向が見られたということです。ラトゥ・キドゥルへの信仰が宮廷儀礼に取り入れられた背景には、イスラームとバランスを取るために土着の信仰を維持しようとするマタラム宮廷の宗教政策があったと推測されます。

ちなみに、ブドヨ・クタワンの宮廷舞踊を作ったのはラトゥ・キドゥルだと言われている、ブドヨ・クタワンの宮廷舞踊を9人の踊り子が踊っているといつの間にか「10番目の踊り子」が現れると言われている、と説明しましたが、これらのことは、いずれも実体レベルではなく、言説レベルで理解されるべきことがらです。つまり、そのような語りによって、マタラム宮廷は、イスラームやラトゥ・キドゥルに対する独特な関係の在り方を宮廷内外の人々に表明しているのです。

最後に、蛇足ですが、同じ「せいれい」という発音ですが、「聖霊」(Holy Spirit)はキリスト教の概念であって、「精霊」(spirit)とは表記も概念も異なることに注意してください。


質問 5
文明が発達した現在でもシャーマニズムがあることが不思議です。シャーマンは、単なる儀礼ではなく、ほんとうに神や精霊と交流しているのでしょうか?

回答 5
シャーマニズムをどう理解するかについても複数の質問がありました。

まず最初にはっきりとさせておきたいことは、シャーマニズムはインドネシア特有の現象ではなく、日本を含めた多くの地域や国で実践されているということです。日本のイタコやユタ、シンガポール華人社会の童?(タンキー)、韓国の巫堂(ムーダン)などは有名で、現在でも実践が続いています。

また、授業で説明したように、シャーマニズムが成り立つ前提として、その社会で精霊の存在が認められている、つまりアニミズム的世界観が社会のなかで共有されている必要があります。このような社会では、精霊とシャーマンが交流すること自体がなかば当然のこととされていると言ってよいでしょう。

シャーマニズムを考える場合にも、実体レベルではなく言説レベルで考えることが必要です。科学的知識を用いてもすべてが分かるわけではないので(たとえば、天候のメカニズムは科学的に説明できても、1週間先の天気は確率的にしか予測できません)、人知を超えたことを知る方法としてのシャーマンの憑依や脱魂などの現象は、その社会でそれらの現象が有効であると信じられている限り、その仕組みがどうであれ、存在し続けると行ってよいでしょう。

つまり、ほんとうに精霊と交流しているかどうかがポイントではなく、その社会が求める答えをシャーマンが提供しているかどうかがポイントだろうと思います。日本でも道端の手相占いに占ってもらう人は少なくありませんが、占ってもらう人の関心が手相の仕組みそのものよりも、占いの答えの妥当性にあることを考えてみると、参考になるかもしれません。

シャーマニズムがその社会に固有の現象であることは、シャーマニズムが世界各地で見られる現象であっても、特定のシャーマンの活動がそのシャーマンのいる社会の言語や文化を超えていくことは希であることからも理解できます。


質問 6
バリのヒンドゥー教の説明で、僧侶とシヴァ神が「同化」すると説明されましたが、どのようにして同化するのでしょうか?

回答 6
シャーマニズムとならんで皆さんにとって不思議に思われたのは、バリのヒンドゥー教の理論だったようです。同化という言葉での説明は、すこし言い足りなかったようです。

バリのヒンドゥー教では、シヴァ派の僧侶は、手に印を結び、口でマントラ(呪文)を唱え、心を瞑想状態にすることでシヴァ神と自らの身体と一体化させる儀礼を日常的におこなっています。僧侶は一体化したシヴァ神の力で水を聖化します。この水は信徒たちに頭上から散布され、信徒たちは浄化されます。バリの一般のヒンドゥー教徒たちにとって、聖水による浄化は、祭礼に参加する最大の目的と言ってよいくらい重要な行為となっています。授業の中で同化と呼んだのは、この僧侶とシヴァ神の一体化のプロセスのことです。

このような同化の儀礼の起源はインドにあり、類似した儀礼は仏教(密教)でもおこなわれています。日本の真言宗で加持(かじ)と呼ばれる儀礼がそれで、行者は、手に印を結び、口に真言(しんごん)を唱え、心を瞑想状態にする三密の行によって、仏と一体となり、仏の超自然的な力によって供物や水を聖化するとされています。

このプロセスは、日常の儀礼としておこなわれており、シャーマンのトランスのような意識の変化をともなうものではありません。しかし、その深層の部分では、霊的な存在が人間の身体に一時的に取り付くというシャーマニズムの文化とつながりがあると推測されます。


質問 7
歴史的にイスラームがインドネシアに本格的に定着したの15・16世紀だということですが、他の世界宗教と比べてわずか数世紀で国全体を席巻したのは注目すべきことではないでしょうか?

回答 7
この点については説明が十分でなかったようです。

7世紀にイスラームが始まってすぐに東南アジアにもイスラーム教徒の商人たちが訪れるようになりました。しかし、東南アジアに初めてイスラームの王国が出現したのは13世紀、その後、ジャワ島にイスラーム勢力が定着し、初めてのイスラーム王国が出現したのは16世紀のことになります。

つまり15・16世紀というのは、あくまでも本格的なイスラーム定着の始まりの時代にしかすぎません。このあと21世紀の現代にいたるまでイスラーム化のプロセスは延々と進行中であると言った方が現実をよく表しています。

インドネシアの人口の88%がイスラーム教徒だと言うと、インドネシア全体がイスラーム教徒で占められているように思われがちですが、これは人口の多いジャワ島やスマトラ島にイスラーム教徒の割合が多いことも影響しているためで、実際にはイスラーム教徒の割合が少ない地域もあります。実際、講義中に地図で示したように、東部インドネシアの多くの地域ではキリスト教が優勢であって、イスラームが国全体を席巻したと言うことはできません。


質問 8
「神」と言っても、唯一神の「神」、ヒンドゥー教にみられる「神々」、精霊である「カミ」のように、意味の違いによって用いる言葉が違うということを知りました。

回答 8
この講義では、まず初めに、日本語の「神」という語には歴史的な経緯からさまざまな意味が込められていることを説明しました。この点について触れたコメントがいくつかありました。

ただし、気をつけてほしいのは、このような区別はあくまでも研究者の視点から分析した結果であって、その言葉を使っている人たちが必ずしも違いを意識して使っているわけではないことです。概念が多義的である場合、異なった用語で区別することは分析の手段として有効ですが、(その結果として用語ごとに異なる実体があるような印象が生まれるにしても)初めから用語ごとに異なる実体があるわけではないことに注意してください。


質問 9
神とは多様な存在であり、宗教を信仰する人は、その多様な神の中から自分が信じたい神を選んでいるように感じました。

回答 9
このような感想をコメントとしていただきました。確かに多様な「神」が存在するインドネシアの状況を見ると、多くの方がこのような印象をもったかもしれません。

しかしながら、現実の世界では、「自分が信じたい神を選ぶ」ということは、けっして簡単なことではありません。多くの人々にとって、信仰は、その人が生まれた集団(家族、地域、国家、その他の共同体など)においてすでに既定であって、客観的に判断して選びとるものではないことに注意する必要があります。成人してからの改宗でもっともよくある理由は結婚によるものですが、この場合でも、結婚相手の宗教に改宗することが一般的であって、「信じたい」からおこなう改宗というよりは、経済的、政治的考慮に基づく改宗だと言うべきでしょう。

          

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