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【世界における多文化共生】1月25日「日本における多文化共生」

【リレー講義】

今週は水曜4限に、世界における多文化共生のリレー講義の一環として「日本における多文化共生」という題目でZoomによるオンライン授業を行います。リレー講義全体の代表は真鍋求先生ですので、リレー講義の運営・評価に関わる質問は真鍋先生にお願いします。

コメントシートへの補足説明と質問への回答を追加しました。2023-02-03

補足1:マイノリティの中のマイノリティ

日本の民族的多様性に触れたコメントが多くありました。授業のなかでは取り上げることができませんでしたが、マイノリティの中のマイノリティとして、帝国日本の植民地であった南洋群島の人々や日本軍政下にあったオランダ領東インドの日系インドネシア人の存在にも留意しておきたく思います。

補足2:外国人の参政権

日本に住む外国人にかかわる問題として外国人の参政権について触れたコメントがありました。これについて授業で触れる機会はありませんでしたが、武蔵野市の住民投票条例案をめぐる議論が考える材料になると思います。

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/74659.html

補足3:外国人学校

授業で紹介した映画『パッチギ!』に登場する朝鮮学校に言及したコメントもいくつかありました。授業のなかでは取り上げることができませんでしたが、いわゆる外国人学校のなかには、主に英語で授業がおこなわれるインターナショナル・スクールと母国の言語・文化を維持することも目的とする民族学校があり、後者には、朝鮮学校のほかに韓国系の学校、中国系の中華学校、ブラジル人学校、最近ではインド人学校があることを補足しておきます。なお、外国人学校の多くは学校教育法の第1条に定められたいわゆる「一条校」ではなく、第134条に定められる各種学校として扱われています。

朝鮮学校に関連して、朝鮮籍についても補足しておきます。もともと「朝鮮籍」は単に朝鮮半島出身者を表すものでしたが、半島が北の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と南の大韓民国(韓国)に分断され、大韓民国の国籍が「韓国籍」となることによって、「朝鮮籍」は北朝鮮の国籍であるような印象を与えるようになりました。しかし、実際はそのような単純なものではありません。また、現在では日本の国籍を取得(帰化)している人も少なくありません。したがって、在日朝鮮・韓国人に代わって在日コリアン、あるいは、コリアン・ジャパニーズという表現が使われることがあります。

朝鮮学校については質問への回答で補足しています。

補足4:技能実習生

技能実習生をめぐる労働環境の問題に触れたコメントも多くありました。この制度には、「実習」という名目のため労働者としての権利が守られず、低賃金・重労働で労働力を確保する手段になっているという批判があります。低賃金は「同一労働同一賃金」の原則に反しますし、転職ができないのは職業選択の自由という基本的な人権を犯しています。「特定技能」への移行でどこまで問題が解消するのか注意深く見守っていく必要があると思います。

補足5:移民と犯罪

移民の増加が犯罪の増加につながることを心配するコメントが若干ありました。しかし、移民の増加がけっして犯罪の増加とは直接的に結びつかないことは、以下の論考を参照してください。

https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0508_00023.html

メディアでは外国人による犯罪が起こると「○○人による犯罪」として報道されますが、冷静に考えてみれば、報道されるほとんどの事件は「日本人による犯罪」ですが、実際には「日本人による」とは報道されていないことに気づかされます。

たしかに、欧米の一部では反移民の運動がおこっているために、移民や難民にマイナスのイメージが生まれているのですが、これは移民を受け入れることを前提としている社会において、あまりにも急激に多くの移民を受け入れた結果、社会的統合が十分に進まなかった結果であり、移民を認めないという話にはただちにつながらないことに注意が必要です。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2022091000315&g=int

補足6:ヘイトスピーチ

ヘイトスピーチに言及するコメントがありました。2016年施行されたいわゆる「ヘイトスピーチ解消法」は、特定の民族や国籍であるという理由だけでその集団の人々に対しておこなう不当な差別的言動の解消に向けた取り組みを推進することを求めています。残念ながらヘイトスピーチについての禁止規定も罰則規定もないことが問題点として指摘されています。

http://cpri.jp/2326/

この授業ではヘイトスピーチ、歴史修正主義、ネット上での言論について触れることはできませんでしたが、しっかりと事実を踏まえて皆さんで考えてみてください。

補足7:同化主義と多文化主義

この授業では移民を受け入れる政策のあり方として同化主義と多文化主義を対比的に示したうえで、市民的統合という新しい移民受け入れの方向性について説明しました。この点に触れたコメントも多かったです。ただし、この授業のタイトルも「多文化共生」となっているように、理念としての「多文化主義」と現実の政策としての「多文化主義」は必ずしも同じものではないことに留意してください。現実の政策は様々な要因を背景に作られるものだからです。ただ、いずれにせよ、移民を受け入れる政策は実際に移民を受け入れるなかで変化していくものです。その意味では移民受け入れを実際に進めてきたヨーロッパから私たちが学べることは多くあります。

このテーマに関心がある方は以下の論考を読んでみてください。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/12/post-4219.php

https://www.jstage.jst.go.jp/article/americanreview1967/2001/35/2001_35_59/_pdf/-char/ja

https://www.alter-magazine.jp/index.php?%E5%A4%B1%E6%95%97%E3%81%97%E3%81%9F%E5%A4%9A%E6%96%87%E5%8C%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%A8%E5%90%8C%E5%8C%96%E6%94%BF%E7%AD%96

補足8:2世と3世

1世、2世、3世の説明に言及したコメントも多くありました。授業では十分に説明する時間がありませんでしたが、その意味合いは社会的文脈で異なります。たとえば、在ブラジルの日系ブラジル人の3世はブラジルで生まれ育った人であるのに対して、在日コリアンの3世は日本で生まれ育った人たちです。したがって、同じ3世でも日本社会との関係性が異なります。近年では、日本で生まれ育った在日日系ブラジル人の子どもたちもいます。移民の移動はけっして一方向でも一回切りでもないことに留意する必要があります。

補足9:移民と私たち

今回の講義では時間が足らずに十分に検討できませんでしたが、忘れてはならないポイントは、移民は複数のアイデンティティを重層的にもっているということです。つまり、単純に「Aさんは〇〇人だ」という言い方では表しきれない属性があるということです。このことは、私たち一人ひとりが自分を振り返ってみた場合、たとえば、女性である、娘である、姉である、大阪生まれである、大学生である、東京に住んでいる、親とは関西弁で話す、同級生とは標準日本語で話す、パスポートは日本政府発行を使っている、といった多様な属性をもっていることからも想像がつくと思います。

もう一つの大事なポイントは、移民の問題はけっして他人の話、他国の話ではないということです。日本では少子高齢化(そして最近の円安)による経済成長の鈍化が続いていますが、このことが日本人の海外移住をうながしています。2022年には海外に永住する日本人の数が過去最高の55万7千人になりました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/dcae5634a7456751bc0229c7a074576fe0592282

自分が移民になる可能性があることを考えれば、日本に来る移民の立場についてもより身近に考えられることになると思います。

結論的に言えば、外国人にとって住みやすい国は日本人にとっても住みやすい国である、ということになります。言い換えると、日本人にとって住みにくい国は外国人にも選ばれない国である、ということにもなります。ぜひ、この講義を受けたみなさんには、これからの多文化共生のあり方を深く考えていただきたいと思います。

質問1:二重国籍だと何が問題となるのですか?

現在、日本国籍と外国国籍をもつ重国籍者は40万から50万人、あるいはそれ以上と言われています。二重国籍をもつことでおこる不都合な理由としては「複数の国から兵役義務等の国民としての義務の履行が求められる、国籍のある国の間で外交保護権が衝突する、複数国の旅券の取得が可能になって出入国管理上の問題が生じる」などがあります。詳しくは以下を参照してください。

https://jsil.jp/archives/expert/2016-12

質問2:19世紀後半~20世紀に日本からハワイ、北米、中南米への移住が多かった理由は何ですか?出稼ぎのために移民となる場合が多かったのでしょうか?

第二次世界大戦前の日本人の海外移住については十分に説明する時間がありませんでしたので、詳しくお答えします。

日本からハワイへの最初の移民は、日本が明治になった1868年にハワイ王国(1893年まで存続していました)に移住した人たちでした。その後、明治政府はハワイ王国と結んだ協定に基づいて、10年間に2万9千人以上を3年契約の労働移民としてハワイに送り込みました。彼らはハワイの砂糖産業を支えるためにサトウキビ農園で働きました。多くは現地で財をなして帰国(出稼ぎ)しようと考えていましたが、実際には様々な事情で現地に残る人もいました。

1880年代になると、アメリカ合衆国(とくに西海岸)に移住する日本人が増加しました。彼らの多くは、農園、工場、鉄道敷設などの労働に従事しました。しかし、1904年の日露戦争で日本が勝つと、アメリカ合衆国にはアジア人を危険視する論調が高まりました(黄禍論)。そのため、日本人労働者のあらたな移住先として中南米が注目されるようになりました。

1908年にはブラジルへの移住が始まっています。日本人移民は雇用契約労働者としてコーヒー農園で就労しました。ブラジルへの移民がこれまでの移民と異なっているのは、ブラジル政府の要請により家族をともなった定住を前提とした移住だったことです。このため、契約が終わった移民は自作農になったり都市部に移って自営業を営むようになったりしました。ブラジル移住は日本の国策として進められ、最盛期には年間2万人を超える移民がいました。

横浜には日本人の海外移住の歴史をテーマにした海外移住資料館があります。横浜に行く機会があればぜひ立ち寄ってみてください。

https://www.jica.go.jp/jomm/index.html

以下も参考になります。

https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/189

https://www.us-lighthouse.com/life/japanese-american/history-of-japanese-americans.html

https://www.ndl.go.jp/brasil/

質問3:講義で紹介された映画『パッチギ!』の舞台になっている時代では朝鮮学校は日本社会の中で一般的な存在だったのでしょうか。

朝鮮学校は小・中・高・大学レベルをあわせて全国に90校以上存在しますが、その多くは関東と関西に集中しており、みなさんの出身地域によっては身近にあったり、遠かったりするかもしれません(大阪生野区のコリア・タウンはよく知られています)。『パッチギ!』は、京都市出身の作詞家松山猛の自伝的回想録『少年のMのイムジン河』を原案としています。これを読むと当時の国籍を超えた少年少女たちの交流を感じることができます。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784907818227

質問4:講義で「外国につながる子どもたち」について学びましたが、「~につながる」という言い方をする理由がまだよく理解できませんでした。説明をお願いします。

現在の日本の学校現場で「外国につながる子どもたち」への教育に関心が集まっているのは、日本語指導が必要な児童生徒の数が6万人近くおり、増加しているという現実を踏まえてのことです。

https://reseed.resemom.jp/article/2022/10/19/4874.html

このうちの8割強は外国籍ですが、2割弱が日本国籍の児童生徒です。これらの日本国籍の子どもたちは、両親の一方が日本人であっても、日本で生まれ育ったわけではないため、日本の学校の授業についていくことが困難であると考えられます。したがって、単純に外国人児童生徒という言い方では言い尽くせません。そのために学校現場で工夫された言い方が「外国につながる子どもたち」なのです。

想像がつくように、学校の教科学習で必要とされる日本語は、日常会話の日本語とは異なります。そのため、日本語指導を必要とする児童生徒の日本語能力を測定する方法としてDLAというものが開発されており、東京外国語大学は重要な役割を果たしています。

以下を参考にしてください。

http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/cemmer/social.html

http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/cemmer/dla.html

          

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