11月28日 【3年次ゼミ】
【3年次対象ゼミ】
今週は、外語祭が終わって最初のゼミとなりました。外語祭の前に指示してあったように、青山の論文(青山 亨 「インドネシアにおけるリベラル派イスラームの新思潮―ウリル・アブシャル・アブダラのコンパス紙論説をめぐって―」『東京外大東南アジア学』 9:24-41, 2004.)のレジュメを提出してもらい、そのうちの、第1節と第2節の内容を検討しました。
そのあと、ネットを使って東京外国語大学で利用可能なオンライン・データベースの使い方を説明しました。
とくに、イスラーム関連の卒論を考えている人には、Encyclopaedia of Islam、Encyclopedia of Religion、Encyclopedia of Islam and the Muslim Worldなどが役に立つと思います。
来週は、青山論文の残りのレジュメを検討します。
以下、今週のゼミのポイントです。
第1節では、1998年の総選挙で「イスラームと政治の結合が再び始まった」とあります。これには次のような背景があります。スカルノ政権期におこなわれた1955年の第1回総選挙では50以上の政党が参加し、インドネシア国民党、インドネシア共産党とならんで、マシュミ党とナフダトゥル・ウラマ党の2つのイスラーム系政党が主要政党として支持を集めました。この時の争点の一つは、イスラーム系政党が主張するイスラームの国教化でしたが、イスラーム系政党は多数派を占めることができず、政局は混乱しました。スハルト政権期になると、最終的にゴルカル、インドネシア民主党、開発統一党の3政党に整理統合されてしまいました。イスラーム系の開発統一党も党綱領にパンチャシラ(国家五原則)を採用することを余儀なくされ、政治の宗教の分離が図られました。このような時期を経て、再び、イスラームを旗印とする複数の政党が総選挙に参加できるようになり、国民の一定の支持を得るようになったという意味で、イスラームと政治の結合が再び始まったと述べているわけです。
第1節では、クルアーンを逐語的に理解する立場に対して原理主義という用語を使っています。この用語は、もともとキリスト教の中でも聖書の無謬性を信じ、逐語的解釈を行う立場を指す語Fundamentalismの訳です(根本主義と訳されることもある)。キリスト教での用語であったという背景もあり、イスラームについては、イスラーム主義という用語を使う人もいます。いずれにしても、神によって与えられた言葉を理解するときに、現在の常識では考えられないことであっても、そのまま受け入れるか(逐語的解釈)、理性をつかって、現在の文脈で理解できる形に解釈しなおすかによって、聖典に対する考え方が大きくわかれます。前者の立場をここでは原理主義と呼んでいます。
関連する事柄については「イスラムの諸相」の講義での質問に対する回答でも触れているので、参考にしてください。
第2節で触れている2002年のバリの爆破事件当時の雰囲気は、『インドネシア現地レポート2002』の中の第18回「バリの暗黒の土曜日」、第22回「ラマダン」、第23回「バリを再訪して」で触れていますので、を参考にしてください。