担当教員:青山 亨.東京外国語大学外国語学部インドネシア語専攻(総合文化講座)
研究室:633.オフィスアワー:月曜日10:30-14:30.電話:042-330-5300.メール:taoyama@tufs.ac.jp
2006年5月24日にリレー講義「イスラムの諸相」の1コマを担当し、「インドネシアのイスラーム:伝統と改革の潮流」というテーマで講義をおこないました。この時に提出してもらったレスポンス・ペーパーの質問・コメント(の一部)に対する回答です。(7月5日、7月17日に一部修正と追加をおこないました。)
他の年におこなった講義に対する質問・コメントへの回答も参考にしてください:2005年度 | 2004年度
Q. 1
2004年総選挙の政党の州別得票数を見ると、主要政党にはそれぞれ支持基盤となる特定の地域があることが分かりました。これは、政党の発祥地であるとか、有力政治家の出身地であることが理由なのでしょうか?また、政党の数が多いように思われますが、インドネシアには小党の乱立を回避するような法律的な規制はあるのでしょうか?
A. 1
それぞれの政党が現在の形になるまでには様々な歴史的経緯があるので、簡単に説明することは困難です。古い政党ほど何度も統合と分離を経験しているのでなおさらです。しかしながら、いくつかの事例では、政党と特定の地域との深い結びつきを見て取ることができます。たとえば、国民信託党は、1912年にジョグジャカルタで結成されたイスラーム改革団体であるムハマディヤを母体にして結成された政党なのでジョグジャカルタ特別州で高い支持を得ています。また、民族覚醒党は、1926年に東ジャワのウラマー(イスラーム法学者)を中心に結成されたナフダトゥル・ウラマという団体を母体にして結成されたので、東ジャワ州で圧倒的な支持を得ています。また、メガワティ元大統領を党首とする闘争民主党がバリ州で過半数の支持を得ているのは、闘争民主党がイスラーム以外の宗教に寛容とされていることもさることながら、メガワティの父であり、今でも人気の高い初代大統領スカルノの母親がバリ人であったという事情が大きく影響していると思われます。
次に、インドネシアの歴史では、1955年の第1回総選挙で大小30以上の政党が乱立して政局が混乱したため、結果的にその後の大統領独裁を招いてしまったという反省があります。スハルト体制が崩壊した翌1999年の総選挙でこそ、民主化の熱気の中で48の政党が参加しましたが、2004年の総選挙では24にまで参加政党の数を絞り込みました。現に保有する議席数が全議席数の2%以上の上位政党は自動的に参加が認められましたが、それ以外の政党は、インドネシア全32州(当時)の3分の2以上で執行部を有し、さらに、執行部を有する州の全県または市の3分の2以上で執行部を有するなどのいくつもの条件を満たすかどうかを総選挙委員会が審査するという手続きを経て、選ばれました。このような法的規制の背後には、小党乱立の回避という理由のほかに、特定地方の利害を代表する(たとえば、その地方の分離独立を要求するような)政党の参加を防ぐ意図があるように思われます。
Q. 2
インドネシア語のアルファベットの読み方がドイツ語と非常に似ているので驚きました。
A. 2
ドイツ語専攻の学生からこのような質問を受けました。これはけっして偶然ではありません。インドネシア語のアルファベットの読み方がドイツ語と似ている(Aは「アー」など)のは、ドイツ語と近縁関係にあるオランダ語を母語とするオランダ人によってインドネシアが長く植民地支配を受けていたからです。これに対して、隣国マレーシアの公用語であるマレーシア語は、インドネシア語と同じマレー語に基づいているにもかかわらず、イギリスの植民地であったために、アルファベットの読み方が英語式になっています。なお、ローマ字による表記が普及するまでは、この地域では、アラビア系の文字(ジャウィ文字と呼ばれる)やインド系の文字(南インド系ブラーフミー文字に由来)が使用されていました。
Q. 3
インドネシアで政治と宗教が分けられているのは、交易の都合からイスラームを受け入れたという歴史的背景から、イスラームの受容が「表面的」だったからではありませんか?
A. 3
この質問にはいくつかのポイントが含まれているので、一つずつお答えします。まず、インドネシアの憲法では、国家はイスラームに基づくことにはなっていませんが、宗教(厳密に言うと唯一神教)に基づくことにはなっています。その意味で、政治と宗教が完全に分けられてるわけではありません。ただ、非イスラーム系の政党が上位を占めた2004年の総選挙の結果から見る限り、国民の過半数は政治の中に宗教を持ち込むことを敬遠していることは明らかでしょう。
次に、確かにイスラーム伝来の初期には交易の都合でイスラームを受け入れたと考えられる事例がありますが、おおむね同じような状況でイスラームを受け入れたマレーシアではイスラームが国教になっていることからもわかるように、このことだけから、インドネシアにおける政治と宗教の関係を説明することはできません。むしろ、インドネシアに住む民族の中にバリ人やバタック人のような非イスラームの有力民族がいること、ヒンドゥーと仏教の文化的影響を受けており教条主義的なイスラームとはなじまないジャワ人が最大多数の民族であることなどが、インドネシアでイスラームが国教とされなかった要因であると思われます。
インドネシアにイスラームが伝来したころのイスラームの受容が「表面的」であったかどうかについては、地域や時代に分けて考えてみる必要があります。ただし、一般的に見て、イスラーム教徒が自分たちの信仰を振り返り、より正統な、より正しいイスラームを志向するようになった契機には、18世紀のワッハーブ運動や20世紀のイラン革命といったいくつかの世界的な運動が要因としてあったと言えます。インドネシアのイスラーム社会は中東を初めとする世界のイスラーム社会の動きに敏感に反応してきましたし、この傾向は交通・通信手段の発展と共に拡大しています。つまり、信仰が「表面的」であることを問題視するというイスラーム教徒自身の認識のあり方は、インドネシアだけではなく世界的な文脈のなかで理解されるべきことだと言ってよいでしょう。
Q. 4
インドネシアの人口のうち9割近くがイスラーム教徒だということですが、少数派であるキリスト教徒やヒンドゥー教徒が差別を受けたり、イスラーム教徒との間で対立があったりすることはないのですか?
A. 4
イスラームが多数派の国にあって、イスラームとその他の宗教が共存できるのかという趣旨の質問がいくつかありました。一般的にに言って、宗教の違いだけから異なる宗教間で紛争が生じることはないと言ってよいでしょう。政治的・経済的な対立や格差が解消されないままに蓄積している場合に、宗教の違いが口実となって紛争が生じるのだと言えます。
さて、インドネシアの憲法では信教の自由が認められており、イスラームの他にプロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教、そして儒教の6宗教が公認されています。これら以外の宗教を信仰することや無信仰であることは認められていませんが、公認宗教を信仰している限りは、イスラーム以外の信徒であっても公然と差別を受けることはないと言えるでしょう。
インドネシアでは、インドやスリランカで見られるような激しい宗教間の対立はきわめてまれです。確かに、局地的な紛争は起こっていますが、多くの場合は、外部からの扇動者が何らかの意図をもって誘発しているように思われます。少数派の仏教は別として、キリスト教やヒンドゥー教を信奉する民族の場合、その多くがそれぞれ自分たちのホームグラウンドを持っていて、イスラーム教徒とは地域的な棲み分けができていることも、共生が比較的うまくいっていることの理由かもしれません。
Q. 5
インドネシアでは、女性はヴエールをかぶらなくてもよいなど、イスラームの決まりが厳しくないと聞きましたがほんとうですか?
A. 5
20世紀後半は世界的にイスラーム意識が高揚した時期といってよく、インドネシアでもヴェール(インドネシアではジルバブと呼ぶ)を着用する女性の増加、モスクの数の増加、公的な場面でのイスラーム式挨拶の多用といった現象が見られました。しかしながら、マレーシアなどに比べると、とくに都市部では、今でもヴェールを着用しない女性が多いことも確かです。
その理由としては、まずクルアーン自体が女性のヴェール着用について具体的に指示しておらず、多様な解釈を生む余地を残していることがあります。24章31節によると、女性の信徒は「外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう」とありますが、どこまでを外部の範囲とするかなどの細かな決まりは定められていません。このことに加えて、少なくともインドネシアでは、ヴェールの着用は人から強制されてするものではなく、本人のイスラーム意識にしたがって行えばよいと考えられているように思われます。したがって、外からの強制力という意味では、インドネシアではイスラームの決まりが厳しくないとも言えますが、その分だけ個々の信者のイスラーム意識が問われ続けているとも言えるでしょう。
Q. 6
イスラーム教徒が多数派のインドネシアの中にあって、カトリック教徒が多数派の東ティモールのように、ヒンドゥー教徒が多数派のバリ島が分離独立することはありえないのでしょうか?
A. 6
結論から言えば、バリ島がインドネシアから分離独立することは、少なくとも現時点では、ありえないことでしょう。まず、イスラーム教徒とヒンドゥー教徒といえば、インドのように宗教間の憎悪・対立があるように思われがちですが、インドネシアではそのような状況は存在しません。2002年と2005年にバリ島で爆破事件がありましたが、これも社会にある宗教的対立の現れというよりは、一部の集団の政治的プロパガンダと考える方が現実的だと思います。
次に、バリ社会は歴史的、文化的、経済的に、現在のインドネシアの重要な一部を構成しており、バリとインドネシアは不可分の関係になっていると言えます。たとえば、観光産業はインドネシアにとって大事な外貨収入源ですが、バリ抜きのインドネシア観光を想像することは困難です。一方、バリの方でもインドネシアの一部であることによって、ここまでの経済成長を達成したと言ってもよいと思います。
逆に、東ティモールが独立できたのは、単にカトリック教徒が多数派であるというだけではなく、ポルトガルの植民地だったのでインドネシアとの関係が希薄であったこと、インドネシアにとってどうしても手放せないような経済的価値がなかったこと、周辺のキリスト教国から際的支援を得やすかったことが、大きな要因だと思われます。これらは、いずれもバリには当てはまらないことです。
Q. 7
少し前にバリ島で爆破テロ事件がありましたが、インドネシアにもイスラーム原理主義的なグループが存在するのでしょうか?また、もし存在するとすれば中東などの原理主義的グループと関係があるのでしょうか?
A. 7
「イスラーム原理主義」については2004年度の回答で触れているので参考にしてください。いずれにしても、原理主義者のグループだからテロ集団というわけではないことに注意してください。
さて、2005年10月のバリ島での自爆テロ事件では、日本人旅行者1人を含む23人が死亡し、100人を超える負傷者が出ました。このほかにも、バリ島では2002年に202人が死亡した爆弾テロ事件が、ジャカルタでは2003年と2004年に爆弾テロ事件が起こっています。これら一連の爆弾テロ事件は、インドネシアやマレーシアに拠点を置くイスラーム過激派組織ジュマ・イスラミーヤによって引き起こされたと考えられています。ジュマ・イスラーミヤと国際的なイスラーム過激派組織アル・カーイダの間には交流があり、資金的な支援を受けていたと考えられています。2002年のバリ島の爆破事件ではじめてインドネシア政府はイスラーム過激派組織が国内に存在することを認め、一般のインドネシア人にも大きな衝撃を与えました。
ちなみに一般のイスラーム教徒インドネシア人にとってテロを起こすイスラーム過激派は、たとえ彼らの大義名分に同調できるところがあったとしても、許すことのできない犯罪者にすぎません。しかしながら、イスラーム教徒はすべてテロリストだとするような一方的な見解に対しては、同じイスラーム教徒として反発を感じることは当然でしょう。Q. 8
授業では、ワリ・ソンゴと呼ばれる、ジャワにイスラームを布教したとされる9人の伝道師が、聖者として崇拝されており、その廟墓が巡礼の対象になっているという説明がありました。ほかの地域でも同じような聖者信仰は見られるのでしょうか?
A. 8

ワリ・ソンゴに対する崇拝は現在でもジャワ人のあいだでは根強いものがあります。なかでも、東ジャワ州スラバヤのスナン・アンペル廟や西ジャワ州チルボンのスナン・グヌンジャティ廟などは有名です。それに対して、ジャワ以外の地域ではジャワほど盛んにおこなわれていないようです。これは、一般に聖者信仰は、正統派のイスラーム教徒からは唯一神への信仰を説くイスラームの教義からの逸脱とみなされているためでしょう。しかし、ジャワ以外の地域でもおこなれていないわけではなく、たとえば、西スマトラ州パダンのシェフ・ブルハヌディン廟などがよく知られています。
Q. 9
インドネシアの華人はどのような宗教を信仰しているのですか?
A. 9
インドネシアの華人の正確な数は不明ですが、しばしばインドネシアの総人口の3%程度と言われています。東南アジアはもともと世界でもっとも華人の人口が多い地域ですが、この計算にしたがえば、インドネシアの華人はおよそ600万人ということになり、中国以外では一番一番中国系の人が多い国になります。
さて、華人全体の数も不明なので、宗教別の信徒数をあげることもできませんが、おおざっぱな印象では次のように言ってもよいと思います。インドネシアの華人の中にはイスラーム教徒も少なからずいる。インドネシアのキリスト教徒の中には華人はかなり目立って多い。インドネシアの仏教徒の大部分は華人のようである。
また、かつてスハルト体制期には禁止されていた中国文化が解禁され、中国の正月がインドネシアの公式の祝日となりました。インドネシアでは政府に公認された宗教しか信仰できませんが、近頃では儒教も宗教として公認されたようです。この場合、儒教を信仰していると自認する人たちはほぼすべて華人と考えてよいと思われます。
Q. 10
インドネシアで一夫多妻制が認められているのは、イスラームに基づいているからなのでしょうか?
A. 10
イスラームの伝統的な法規定では、1人の男性が4人までの複数の女性と同時に結婚することが許されています(女性は1人の男性とのみ)。一方、インドネシアの婚姻法は一夫一婦婚が原則であると明確に規定しています。しかし、同時に、1人の夫が2人以上の妻を有することは、所定の条件を満たした上で、宗教裁判所が認めた場合には可能であるとしています。つまり、国民の9割近くがイスラーム教徒であるという現実をふまえつつ、イスラームの伝統的法規定を承認しながらも、実際に一夫多妻婚をおこなうことに制限をかけているわけです。イスラームの法規定と近代国家にふさわしい法規定との間でどのようにバランスを取るかについては、これからもインドネシア人の間で議論が続けられていくことと思われます。
Q. 11
近年、西欧ではムスリムの移民社会が問題となっていますが、インドネシアのイスラームとヨーロッパの関係はどうなっているのでしょうか?
A. 11
この質問の意味がよく分かりませんが、ヨーロッパに移民したインドネシア人ムスリムについて尋ねられているのでしたら、答えはあまりない、ということになります。現在、ヨーロッパで問題とされているムスリム移民の多くは南アジア、中東、アフリカの出身です。インドネシアからは、独立直後に旧宗主国であるオランダに移民した人たちの集団がありますが、この人たちの多くはキリスト教徒で、オランダ植民地時代からオランダ社会に同化していた人たちと考えられます。
Q. 12
日本人がインドネシアの国籍を取る場合には、唯一神を信仰する必要がありますか?
A. 12
インドネシアでは「唯一神への信仰」という語句は、必ずしも私たちが考える意味では使われていません。インドネシア国民は、制度上、無宗教であることが認められていませんから(無宗教者は、インドネシアでは非合法である共産主義者とみなされます)、誰であれインドネシア国籍を取ることになれば、公認された宗教の中の一つを信仰しなければなりません。公認された宗教とは、イスラーム、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教のことで(近年は儒教も公認)、これらはインドネシアの公式見解ではいずれも「唯一神への信仰」に基づくことになっています。
ただし、注意しなければならないのは、現在のインドネシアではムスリムは異教徒の結婚が禁じられていることです。したがって、日本人がインドネシア人のムスリムと結婚する場合には、イスラームに改宗することが前提条件となります。
Q. 13
アラブにおけるイスラームの授業で、東南アジアのイスラームは純粋なイスラームではないという意識がアラブ人の間にあるという説明を受けたことがあります。東南アジアのイスラームは、アラブから伝来してくる過程で本来のイスラーム(アラブで信仰されていたイスラーム)から変わった部分があるのでしょうか?
A. 13

イスラーム先進地域である中東は、インドネシアを含めた世界のイスラーム教徒にとって、いろんな意味で規範として機能したきたことは、否定できない事実です。イスラームの聖地であるマッカ(メッカ)には毎年180万人を越えるイスラーム教徒が巡礼に訪れますし、エジプトのカイロにあるアズハル大学は10世紀以来の伝統をもち、世界中から留学生を受け入れている国際的なイスラーム大学です。このようなイスラーム的「中心」である中東のアラブ人から見て、イスラームの「周辺」である東南アジアのインドネシアには、規範に達していない部分、あるいは、規範から逸脱している部分があるように見えるのは無理からぬところかもしれません。
実際、インドネシアのイスラーム社会には、中東のイスラーム社会には見られないような儀礼や慣習が見られます。とくにジャワ社会ではそのことが顕著だと言ってよいでしょう。たとえば、ジャワ中部の王宮では、ムハンマドの誕生日にあわせてガルブッグ・ムルッドと呼ばれるお祭りが行われますが、そのクライマックスで、グヌンガンと呼ばれる食べ物やお菓子で作られた山形の「御輿」が王宮から広場に運び出されます。見物していた民衆は御輿に群がると、それぞれ御輿の一部を奪い取るように自分のものにすると、縁起物として持ち帰ります。これは、もともと豊饒を祝う土着の儀礼がイスラームの儀礼に形を変えたものと見ることができるでしょう。このジャワの例でわかるように、確かにインドネシアには土着の儀礼や習慣がイスラームの名目のもとで伝承されていることがあり、アラブの人たちからは「純粋なイスラーム」ではないと認識されたり、逆にそのようなアラブ人の意識を反映して、インドネシア人自身が自分たちのイスラームは「純粋なイスラーム」でないと語ったりすることはあると言えます。
しかしながら、近年の研究では、これまで非イスラーム的な要素と考えられていた共食儀礼(祖先霊や土地の守護霊とともに共同体のメンバーが一緒になって食事をする儀礼)や祖先信仰などは、東南アジア以外の「純粋」とされているイスラーム社会にも広く見られることが指摘されるようになってきました。つまり、従来の研究ではクルアーンやハディースに記述されている正統的なイスラームの教理をあまりにも絶対視しために、民衆の実践のレベルでは、「純粋」とされるイスラーム社会の中でさえも非イスラーム的要素が見られることを看過してきたわけです。この意味で、インドネシアのイスラームが「純粋なイスラーム」ではないという議論の立て方自体を考え直す必要があると思います。
このことは、アラブのイスラームを本来的な「純粋なイスラーム」と言ってよいのかという、より根本的な問題につながります。確かにイスラームはアラブの宗教として出発しましたが、その発展の過程でペルシア人やトルコ人など周辺のさまざま民族とその文化を取り込んでいき、イスラーム世界の東端は南アジアそして中国、東南アジアへと広がりました。この意味で、イスラームをアラブ固有の宗教とし、アラブのイスラームを他の社会のイスラームとの比較の基準とすることは、イスラームの歴史的発展を無視した見方と言えるかもしれません。
Q. 14
イスラーム教徒が多数派を占めるインドネシア共和国の紋章に、なぜヒンドゥー教の神話に出てくるガルーダ鳥が描かれているのでしょうか?
A. 14

インドネシア共和国の紋章はガルーダ・パンチャシラと呼ばれており、パンチャシラという国家五原則を表した盾を胸に掲げ、「多様性の中の統一」という標語が書かれた帯を掴んだガルーダの絵が描かれています。このガルーダはヒンドゥー教の神話に出てくる鳥で、ヴィシュヌ神を乗せて飛ぶ神話上の大鳥です。インドネシアでは大変に人気があり、インドネシアの国営航空会社の名前にもなっています。
インドネシアの紋章がヒンドゥー神話に基づいているのは、インドネシアの多数派民族であるジャワ人の文化が古典的インド文化に深く影響されたという歴史的な理由によります。これについての詳細は別の項目で答えていますので、そちらをご覧ください。ガルーダという鳥を国章に選んだのは、アメリカ合衆国やフィリピン共和国の国章(またはその一部)に見られるように、古代ローマ帝国以来、鷲を好んで国章としてきた西洋の伝統に影響されたものと思われます。このことは、現在の国章のデザインが西洋的なことにもうかがわれます。Q. 15
現在、インドネシアでは反ポルノ法のように非イスラーム的とみられる行為を禁止する法律の制定を求める運動を起きていますが、これはイスラーム主義の拡大の傾向ととらえるべきでしょうか?また、とくに2001年の9.11事件(アメリカ同時多発テロ事件)以降、イスラーム主義勢力ないしイスラーム系政党への支持は高まったのでしょうか?
A. 15
インドネシアの反ポルノ法は、正式には「反ポルノグラフティー及びポルノ的行為法」と呼ばれるもので、昨年、国会に法案が提出されました。エロティックな動きを公衆の面前で行ったりテレビで放映したり小説などで表現することが禁じられ、また、公衆の面前でキスをすると最高禁固5年、罰金5000ドルから26000ドル、胸を見せたものは禁固5年の刑が課せられることになっています。
1998年まで続いたスハルト大統領の独裁的な政権のもとでは、思想・言論の自由は厳しく統制されていました。政府に反対する主張は徹底的に封殺されたばかりか、イスラームについても、政権への部分的な取り込みを計ることはありましたが、極端なイスラーム主義運動は抑圧されていました。しかし、スハルト退陣後の民主改革運動の流れのなかで、思想・言論の自由が回復すると状況は大きく変わりました。政治の民主的改革の動きが始まる一方で、それまで厳しかった性的表現への規制も揺るみはじめました。他方、抑圧されていたイスラーム主義運動も活発化し、2002年に行われた総選挙には新しく結成された多くのイスラーム系政党が参加しました。
総選挙に参加したイスラーム系政党は、基本的には議会制民主主義の枠組みの中で合法的にインドネシア社会を変えようとしていると言えるでしょう。さらに、1999年と2004年の総選挙の上位2党がいずれもイスラームを主張しない世俗主義政党であったことから見る限り、国民の多くは政治と宗教をいっしょうにすることには不賛成だと思われます。
しかしながら、イスラーム主義者の中には、表現の自由を享受しはじめたインドネシア社会に危機感を抱き、インドネシアがより「正統的」なイスラーム社会になるよう声高に主張する人々もいることは確かです。たとえば、今年の4月に初めて発行されたインドネシア版『プレイボーイ』誌の例が典型的です。ヌード写真の掲載など刺激的な内容を自粛し、出版許可を得て合法的に出版されたにも関わらず、イスラーム主義団体の暴力的な反対のために、出版社は事務所をバリ島に移さざるを得ませんでした。
反ポルノ法もこのような流れの中から提出された法案です。イスラーム諸団体は提案の成立を支持していますが、もともと性的表現に寛容であるヒンドゥー教徒が多く、外国人観光客が多いバリや、上半身の裸体に抵抗感のないパプアなどからは反対が出ていますし、言論の自由への侵害として反対する人々もいます。このように、長く続いたスハルト政権の抑圧が取り除かれた反動として、社会が右に左に揺れているのが現在のインドネシア社会だと言えます。反ポルノ法案の動向は、スハルト政権後のインドネシア社会の行方を占う重要な問題だと言えるでしょう。
質問の中に、インドネシアにおけるイスラーム主義の台頭と9.11事件との関係を尋ねるものがありましたが、結論から言うと直接的な関係はないと言ってよいでしょう(9.11事件を契機に始まったアメリカの「テロに対する戦争」が一方的にイスラームを仮想敵としていたことに対する反発からイスラーム主義者の間に反米感情高まったことはあると思われますが)。インドネシアにおけるイスラーム主義の台頭は、1970年代から始まった世界的なイスラーム復興の流れの中で準備されていました。ただ、インドネシアでは強権的なスハルト政権のもとで抑圧されていたために表面化する機会がなかったわけです。今後、インドネシアにおけるイスラームの動きにはますます注目する必要があると思います。