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【アジア・アフリカ地域文化基礎】4月27日「ラーマーヤナに見る東南アジアのインド化」

【リレー講義】

今週は水曜3限に、アジア・アフリカ地域文化基礎のリレー講義の一環として「ラーマーヤナに見る東南アジアのインド化」という題目でZoomによるオンライン授業を行いました。リレー講義全体の代表は岡田知子先生ですので、リレー講義の運営・評価に関わる質問は岡田先生にお願いします。

このリレー講義では資料の提示、レポートの提出等にはTUFS-Moodleを利用しているので、必ず確認をしておいてください。

提出されたレスポンス・シートを読ませてもらいました。その中に質問があったのでお答えします。[2022-07-30更新]

【質問1】バリの民族舞踊や中国の民族村では観光文化として改変されたものがありますが、コーンやワヤン・オランでも観光文化として改変されているものはありますか?

【回答1】バリの観光文化としてよく知られているものとしてケチャがあります。ケチャを含めて、バリの芸能は本来、宗教儀礼の一部でしたが、1930年代以降、「人に見せるための芸能」としてのケチャが発展しました。ケチャのこのような変容にはヨーロッパ人も関わっています。観光芸能としてのケチャにはラーマーヤナの物語が題材に選ばれているので、今回の授業のなかで扱ってもよかったのですが、授業ではあえてイスラーム教徒が多数派を占めるジャワの芸能を選びました。

さて、質問の答えとして、ワヤン・オランの例を取り上げたいと思います。ワヤン・オランはジャワ人に見せることを前提として生まれた舞踊劇です、したがって、舞踊の様式も使用する言語(ジャワ語)もジャワ人の鑑賞にふさわしいものとなっています。しかし、1945年にインドネシアが独立したのち、1960年代になって海外からの観光客を対象とした舞踊劇としてスンドラ・タリが創作されました。ワヤン・オランが基本にはなっていますが、言語が通じない海外からの観光客にも分かりやすく、広い舞台でも視覚的・音響的効果が出るように工夫されたものです。ワヤン・オランからスンドラ・タリへの変容は観光文化として改変された舞踊劇の代表例と言ってよいでしょう。

参考文献

【質問2】インド化が東南アジアで進んだ際に、東南アジアの方でインドよりも規模の大きな寺院(ボロブドゥール、プランバナン、アンコール・ワットなど)が作られたということですが、そのようなものをインドが逆輸入のような形で取り入れた例はあるのでしょうか?

【回答2】とても興味深い質問です。簡単な答えは、今のところそのような事例は知られていない、ということになります。たしかに、東南アジアの寺院と類似した寺院の事例はインドで見つかっていますが、これまでは、インドにある寺院が原型となって、その発展した形が東南アジアで具体化した、と説明されることがふつうです。おおむね、そのような説明が妥当だろうと言えますが、逆輸入の可能性を考えてみることもけっして無駄なことではないと思います。実際、少数ですが、東南アジアの王がインド北東部のナーランダーやインド南東部のナーガパッティナムに僧院を建立したという記録が残っています。ただ、いずれも現存しているのかどうか、現存しているならばどれなのか、不明なままです。

なお、技術史においては、ある技術が最初に生まれた地域よりも、それを後から受け入れた地域でより高度に発展するという事例は珍しくありません。たとえば、世界最初の超高層ビルというべきエンパイア・ステート・ビルディングは1931年にアメリカのニューヨークで建設されましたが、現時点で、世界でもっとも高いビルは、1位がUAEのドバイ、2位がマレーシアのクアラルンプール、3位が中国の上海にあります。

【参考資料】

【質問3】ラーマーヤナはヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神を扱っていますが、イスラームや上座仏教からはどのように理解されているのでしょうか。また、物語に出てくる神に対して信仰心のようなものはあるのでしょうか。

【回答3】イスラームと上座仏教ではヒンドゥー教の神々の扱いは少し異なります。

まず、上座仏教は、ヒンドゥー教と同様にインドで始まった宗教なので、ヒンドゥー教の神々の存在は否定することなく、むしろ、梵天や帝釈天のように、神々の多くもまた仏陀の教えに従い、教えを守る守護者であると解釈をすることが一般的です。上座仏教は、人は神の教えによってではなく、仏陀の教えを実践することで救済されるという立場なので、神々を否定する必要はとくにないのです。

一方、イスラームでは、創造主にして裁き主でもある唯一の神のみが神の名に値する存在であり、信仰の対象となります。したがって、ヒンドゥー教の神々を神と考えることはありません。しかし、ヒンドゥー教の「神々」もまた、神の被造物の一種である限りは、存在を否定されることはありません。

いずれにしても、ヴィシュヌ神やラーマは、神話の中の超人的な存在であり、物語の中のヒーローではあるけれども、信仰の対象ではないという点で、イスラームと上座仏教は共通していると言えます。

          

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