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2022年度卒業論文発表会

【4年次対象ゼミ】

2022年度インドネシア語専攻卒業生による卒業論文発表会が2月3日に以下のとおりに開催されます。どなたでも自由に参加できます。

  • 日時:2月3日(金) 11:10~ (11:30開始)
  • 場所:研究講義棟 104号室

2022年度の青山の卒論ゼミでは5名が卒業あるいは卒業予定です。その内訳は、1名が2022年9月に卒業し、4名が2023年3月に卒業を予定しています。卒業題目と要旨は以下のとおりです。

2022年9月卒業

  • 中島ひな子『インドネシア・イスラーム超⼊⾨』(卒論)

2023年3月卒業予定

  • 岡野悠人『バリ料理研究~バリ文化とつながるバリ料理~』(卒研)

【要旨】本研究ではバリ料理とはなにか、バリ島に存在する料理にはどんなものがあるのか明らかにしていきながら、そうしたバリ料理と密接に関わるバリの社会や文化についても考察していくことを目的とする。研究の構成としては、筆者自ら行った現地でのフィールド調査や書籍・インターネットからの文献を基に"バリ人が日常的によく作る料理(バリ島以外にも存在する料理を含む)やバリの文化/地域性が反映されたバリ島特有の料理"をいくつか取り上げ、①料理の説明/レシピ②その料理の写真という2つの基本的構成要素に加え、料理に関連したバリ島の文化・宗教にも触れながらそれぞれの料理を紹介していく。

それぞれ取り上げる料理は大まかに3つの項目に分かれており、1つ目はバリ料理の基本編として、バリ料理の概要や主に使われる食材・調味香辛料の特徴を述べている。2つ目は日常で食べられるバリ料理編として、先に挙げた食材や調味香辛料を使った主菜/主食・デザート/飲み物をレシピとともにそれぞれ紹介している。そして3つ目はバリ・ヒンドゥーの儀礼で作られる料理編として、まずバリ・ヒンドゥーの基本的な概念に触れながら実際に儀礼で作られる料理をフィールドワークの情報を基に説明している。

ただバリ料理を食べるだけではなく、料理の振舞われ方や作られる目的など料理がもつ意味を注意深く観察してみると、そこにはバリ人が大切にしている観念や生活の在り方といったバリ文化のエッセンスが料理に散りばめられていることが分かる。また、多種多様なバリ料理の中には、必ず共通した基本となる調味香辛料が存在し、それがあらゆる料理の根幹をなしていることも明らかとなった。

  • 鈴木佑理『カルティニとバティック --女性解放と職業教育の観点から--』

【要旨】本研究では、カルティニが試みた女性解放において、彼女にとってバティックが持った意味を明らかにした。とりわけ、生産上の特性、女性が生産において大きな役割を果たすというバティックの側面に着目して、女性の仕事という文脈上それはカルティニにとってどのような存在であったのかを考察した。その際、彼女がオランダ人の文通相手に送った複数の手紙や先行研究を参照した。

加えて、バティックの特性やラスムに存在したバティックの生産工場での女工たちの待遇に関する記述などを参照しつつ、女性の仕事としてのバティックの可能性とその障害について検討した。最後に、その障害に対しカルティニが取りうれた選択についても検討した。

結論として、バティックは、⼥性の⾃⽴というカルティニの⽬的を達成するためのピースの1つになりうると捉えられていたと推察されることが分かった。しかし、そこにはバティック生産工場で働く女工達への劣悪な待遇が障害として存在し、バティック生産の技能の習得がそのまま当時の女性の自立に繋がるわけではないことも分かった。そして、その問題に対しカルティニが取りえた選択肢として、バティックの商品価値を上げ、搾取を廃し、女工たちに渡る利益をより多くすること、もしくはそもそもそのような問題を抱えるバティックを職業教育の科目に選ぶのではなく教師や助産師としての教育に注力することを挙げた。

  • 田中春南『1974年婚姻法からみるスハルト政権とイスラーム勢力の関係』(卒論)

【要旨】インドネシアの婚姻法は1974年に制定されたUndang-Undang Republik Indonesia Nomor 1 Tahun 1974 tentang Perkawinan(婚姻に関する1974年第1号法:以下「74年婚姻法」とする。)である。同法はインドネシア初の統一法としての婚姻法であり、全国民に適用される。しかし、法案が提出された際、イスラーム勢力は同法の内容がイスラーム法に反していると反発を示した。当初、政府はインドネシアはイスラーム国家ではないためイスラーム法に沿った法案修正の必要性はないとしていたが、最終的には政府がイスラーム勢力に妥協するという形で内容は修正され、制定に至った。本稿では、74年婚姻法の制定過程から見えてくるスハルト政権とイスラーム勢力の関係を考察することを目的としている。

イスラーム勢力の反発の影響力を知っていたスハルトはイスラームの非政治化を目指していた。法案への反発があった際も対抗する姿勢を見せたものの、事態は改善されなかった。そこでスハルトはムシャワラ(協議)・ムファカット(合意)という意思決定方法を導入した。これにより政府とイスラーム勢力の合意が実現され、制定に至ったことが明らかとなった。しかし、この合意には政府による妥協が多く含まれている。なぜ、イスラームの非政治化を目指したスハルト政権は法案修正を行ったのか。ここには、イスラーム勢力を警戒しながらも、旧宗主国であるオランダとは異なる、インドネシア独自の政治を実現したいというスハルトの方針が表れていていると考える。

  • 秀島鈴『インドネシアにおける月経教育について』(卒論)

【要旨】近年国際開発の場では、月経問題とそれらの解決が重要な開発アジェンダとなっており、インドネシアも国際NGOや民間企業による支援の対象となっている。そこで、本研究では、インドネシアにおける月経問題の現状とその背景の考察、そしてそれらに対する解決策の分析を通して、現在のインドネシアの月経教育への提言を行っている。

現状として、インドネシアには、月経中に学校を休む、学校にいる間はナプキンを交換しない、月経期間中に差別を受けるといった月経対処にまつわる課題が依然として残っている。そうした問題の背景には、1)月経に関するタブー観、2)イスラーム教における月経への穢れ観、3)イスラーム教育での月経観の教授、4)地域の慣習や言い伝え、といった文化人類学的な要素が存在していることが考えられた。

そこで、そうしたインドネシアに特異な問題背景にアプローチするべく取り組まれた、UNICEFと花王の共同プロジェクト「インドネシア月経衛生管理プロジェクト」の一環として行われた月経教育、特にその際に用いられた教材「RAHASIA DUA DUNIA」を取り上げ、分析を行った。その結果、インドネシアの月経教育の課題として、「地域特有の根底にある文化・宗教的背景を踏まえた解決策を講じる」「課題解決に関わる人たちの当事者意識を高める」ことの必要性が浮き彫りになった。そして、それらにアプローチする方法として、UKS(学区保健活動)のさらなる推進によるインドネシアの月経教育の改善の必要性について論じた。

  • 松本優希『タマン・シスワと当時のインドネシアにおける民族主義者との関係性について』(卒論)

【要旨】タマン・シスワは1922年にインドネシアを代表する民族主義者、スワルディ・スルヤニングラットによって設立された教育機関であるが、タマン・シスワは単なる教育機関ではなく当時の民族主義者たちと大きくかかわっていた。本稿では、タマン・シスワと当時の民族主義者たちが具体的にどのような関係にあったのかについて論じた。

まず第2章では、タマン・シスワ設立当時の状況やタマン・シスワの活動史、タマン・シスワの目的や原則など、上記の論点を述べるうえで必要な背景知識を紹介している。そして第3章では3つの事例、すなわち①タマン・シスワ学校数の拡大、②PPPKIの第1回大会、③私立学校闘争をあげタマン・シスワがオランダ植民地政府の支配からの脱却を図るうえで当時の民族主義者たちと協力関係にあったことを示している。特に、①と③の事例からタマン・シスワはインドネシア民族主義者が民族運動を展開するうえで活力となっていたことがわかった。

インドネシアがオランダから独立した後、タマン・シスワは他の教育機関との相違点を見出すことができず勢力を失っていくが、インドネシアにとってタマン・シスワは重要な意味をもっていた。例えば、複数のタマン・シスワ関係者が文部大臣や教育委員会の長などのポストに就きインドネシア現代教育の基礎をつくった。タマン・シスワは現在、インドネシア各地に130校存在しており、①教育の普及、②インドネシア文化の発展への貢献、③タマン・シスワの教えを広げていくことの3つの役割を教育活動を通して果たしている。

          

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