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2022年5月27日

【一般】

岩波書店から『岩波講座世界歴史第4巻 南アジアと東南アジア~15世紀』が刊行されました。

南アジアと東南アジアの先史時代から15世紀までを叙述するする岩波講座世界歴史の第4巻です。青山も編集協力と「展望 東南アジア世界の形成と展開」(pp. 35-70)の執筆を担当しています。ぜひ手に取ってご覧ください。

責任編集:弘末雅士/編集協力:古井龍介・青山 亨『第4巻 南アジアと東南アジア ~15世紀』310pp. ISBN 9784000114141

書籍『岩波講座 世界歴史 第4巻 南アジアと東南アジア ~15世紀』の表紙

岩波書店ウェブサイト

2022年5月26日

【4年次対象ゼミ】

今週は、先週に引き続いて小林寧子「国家・英雄・ジェンダー:カルティニ像の変遷」の書評レジュメをもとに、プラムディヤ・アンタ・トゥールとシティスマントリ・スロトによるカルティニの伝記を取り上げました。プラムディヤの共産主義の反封建主義、階級闘争史観に基づいたカルティニ像と、シティスマントリの民族主義の先駆者としてのカルティニ像の違いを確認しました。

来週はボート大会のため全学的に休講となるので、次回は6月9日です。次回は、小林寧子「国家・英雄・ジェンダー:カルティニ像の変遷」の書評レジュメの残りと、イスラームに関連する新しい文献の書評レジュメについて検討する予定です。課題の文献は追って連絡します。

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【3年次対象ゼミ】

今週は、先週に引き続いて、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の第2章の書評レジュメをもとに、第2章の主題である「宗教的共同体」、「王国」、「時間の了解」を検討しました。とくに「宗教的共同体」では、教会が独占する聖なる言語であり、文字で写本に手書きされるラテン語と、庶民が日常生活でしゃべる言語である俗語との対比に着目し、後者が出版によって広く読まれるようになり、ラテン語の権威が低下したことが、国民意識の形成につながったことを確認しました

来週はボート大会のため全学的に休講となるので、次回は6月9日です。次回は、俗語による出版資本主義を取り扱った第3章「国民意識の起源」を検討します。期日までに第3章の書評レジュメを提出してください。

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2022年5月19日

【4年次対象ゼミ】

今週は、先週に引き続いて小林寧子「国家・英雄・ジェンダー:カルティニ像の変遷」の書評レジュメをもとに議論をおこないました。

カルティニのイメージは、アベンダノンに代表されるオランダ領東インドの倫理政策派のオランダ人によって、ジャワの女性教育の主導者であり、開明的植民地政策の成功例として、その後のインドネシア民族主義者によって、インドネシア民族主義の先駆者として、スハルト政権期には理想的な母として描かれてきたことを確認しました。

次回は、引き続き書評レジュメをもとに検討をおこないます。

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【3年次対象ゼミ】

今週は、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の第2章の書評レジュメをもとに、第2章の導入部について検討しました。

第2章のタイトルが「文化的根源」となっているように、アンダーソンは(一般的なナショナリズム研究とはちがって)文化にナショナリズムの根源を見いだしている点に注目しました。次回からは、具体的に「宗教共同体」「王国」「時間の了解」を取り上げていきます。

2022年5月12日

【4年次対象ゼミ】

今週は連休明け最初のゼミとなりました。連休の活動を報告してもらったあと、小林寧子「国家・英雄・ジェンダー:カルティニ像の変遷」の書評レジュメをもとに議論をおこないました。

まず最初のこの論文が収められた『歴史の生成:叙述と沈黙のヒストリオグラフィ』に、カルティニについての論文が収められた意図を理解するために、本のタイトルについて検討しました。「ヒストリオグラフィ」とは「歴史を書くこと」を意味します。歴史を書くということは、できごとをありのままに書く、という意味での素朴な記述ではなく、何らかの視点から、「語ること」と「語らないこと」を選択したうえで、ストーリーとして配列したものであることに留意する必要があります。

叙述とは「語ること」であり、沈黙とは「語らないこと」であると理解することができるでしょう。また、歴史記述の対象となる物体や人物自身がその成立の意図や内心の本音を「語らない」こともあります。これもまた「沈黙」と理解することができるでしょう。なお、人間の場合は、本人自身が自分の本心に気づいていないことがありえます(参考:ジョハリの窓)。

このように、歴史の記述は認識によって構築されたできごとの記述であるという意味で、「歴史は生成された」ということができます。ちなみに、このように、私たちが考える「できごと」「ものごと」とは、できごとやものごとそのものではなく、ある認識、視点、解釈によって構築されたものであるとする立場を「構築主義」と言います。アンダーソンが「国民」とは「想像された共同体」であると主張したのは、構築主義のよい例だと言えるでしょう。

小林論文は、カルティニのイメージも、ある時代の人々の認識によって作られたものであり、時代が変わることによってそのイメージが変わってきたことを跡付けている点で、この本のテーマに沿ったものだといえます。

続いて、年表をもとに「寄生貴族」と「モデルン」という言葉を手掛かりに、カルティニの育った家庭および社会環境について検討しました。カルティニが自分のことをたんに「カルティニ」(ラデン・アジュン・カルティニではなく)と呼んでほしいと手紙に書いた理由もよく理解できたと思います。

次回は、引き続き、書評レジュメに基づいて議論をおこなう予定です。

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【3年次対象ゼミ】

今週は連休明けのゼミとなりました。連休の活動を報告してもらったあと、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の序章の書評レジュメをもとに議論をおこないました。

まず、nationの訳語として「民族」と「国民」の二通りがあること、「民族」はnationの訳語である場合とethnicityの訳語である場合があることを確認しました。ついで、社会主義体制の国家が国民主義的な傾向をもつというテキストの意味を、社会主義(マルクス主義)、資本主義の意味にさかのぼって検討しました。最後に、アンダーソンが言うナショナリズムの3つのパラドックスについて議論しました。抽象的な理論も具体的な事例に基づいて考えてみることで見通しがつきやすいことが実感できたと思います。

次回は、序章の続きのあと、第2章に入る予定です。第2章「文化的根源」の書評レジュメの提出を課題とします。


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