【3年次ゼミ】10月29日
【3年次対象ゼミ】
今週はBCさんに以下の文献の「第6章 宣撫工作」の書評レジュメを報告してもらいました。
- 倉沢愛子『日本占領下のジャワ農村の変容』草思社、1992
報告では宣伝部の外郭団体であった啓民文化指導所(Poesat Keboedayaan)の活動、とくに映画による宣伝に焦点が当てられました。宣伝の内容は、戦争末期になると日本の戦争活動を支えるために、農業産物の増産や労務者への参加を促すようになったとことが報告されました。議論では、宣伝活動に関わったインドネシア文化人についても調べてみる必要性が指摘されました。
なお、ここで取り上げられている日本軍の宣伝映画はニュース映画や文化映画ですが、そのほかにも劇映画が作成されていたことが以下の文献で分かります。
- J. B. Kristanto. Katalog Film Indonesia 1926-1995. Jakarta: Grafiasri Mukti, 1995.
これによると日本映画社による映画が1943年と1944年の2年間に8本制作されています。
- Berdjoang (1943)
- Didesa (1943)
- Dimenara (1943)
- Djatoeh Berkait (1944)
- Gelombang (1944)
- Hoedjan (1944)
- Keris Poesaka (1944)
- Keseberang (1944)
次回は、今回の報告の内容と深く関係する映像資料「発掘 幻の国策映画 日本軍政下のジャワ」(NHK総合、1989年、44分)を見てもらい、議論をすることにします。