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【アジア・アフリカ地域文化基礎】5月15日「ラーマーヤナに見る東南アジアのインド化」

【リレー講義】

今週は、アジア・アフリカ地域文化基礎のリレー講義の一環として、「ラーマーヤナに見る東南アジアのインド化」というテーマで、水曜3限に107教室で授業をおこないました。この授業では、ラーマーヤナ物語を取り上げて、「インド化」として知られる、古代インド文化が東南アジアに展開したプロセスについて紹介しました。受講者は97名でした。講義全体の担当教員は佐々木あや乃先生です。

【補足】(2019-07-05)
複数の方がレスポンス・シートに質問を書いてくれましたので、簡単ですがお答えをします。


【質問1】
ケチャの源流の一つとなったサンヒャン・ドゥダリ舞踊では少女たちに霊が憑依するということですが、本当なのでしょうか。

【回答1】
近代合理的な見方からはただちに納得しがたいことかもしれません。しかし、客観的にどのようなことが起こっているのかは別にして、バリの人たちがサンヒャン・ドゥダリという事象をこのように説明しているという事実は事実として受けとめてよいと思います。一般的に、憑依のような精神状態をトランスと呼びますが、このような事象はバリに限らず、日本を含めて世界の各地でみられることも指摘しておきたいと思います。


【質問2】
ケチャは観光のために作られたと聞いたことがありますが、実際はどうなのでしょうか。

【回答2】
ケチャの出発点は、バリ在住のドイツ人画家ヴァルター・シュピースが、1932年にバリでロケ撮影が行われた映画『鬼の島』のなかでサンヒャン・ドゥダリ(上記)などのバリの伝統芸能を独自のアレンジで使ったことに始まります。ちなみに、ここでいう「鬼」(dämon)はキリスト教徒ではないバリ人の信仰対象をヨーロッパ人がキリスト教徒の立場からそう呼んだだけのことで、映画は別にホラー映画ではありません。その後、ラーマーヤナの物語を組み込むなどして、1930年代に現在のケチャの原型が出来たと言われています。この意味では確かに観光客に「見せる」という目的があったことは確かですが、バリ人の方でもこの新しいスタイルの芸能に魅了されたという側面も無視できないと思います。


【質問3】
授業の中で、イスラーム暦新年の大晦日に中部ジャワで演じられたラーマーヤナの演劇(ワヤン・ウォン)が紹介されましたが、毎年同じラーマーヤナの演目が大晦日に上演されるのでしょうか。

【回答3】
イスラーム暦新年とラーマーヤナの間にとくに関係はありません。したがって、確かめた訳ではありませんが、この年の演目がたまたまラーマーヤナだったのだと思います。次の質問も参考にしてください。


【質問4】
授業ではラーマーヤナについて紹介されましたが、ヒンドゥー教のもう一つの叙事詩であるマハーバーラタはあまり好まれていないのでしょうか。

【回答4】
東南アジア全体を見るとラーマーヤナの方が人気が高く、芸能の主題としてもラーマーヤナが取り上げられています。ただ、興味深いことに、ジャワではマハーバーラタの方が圧倒的に人気があります。授業では、ジャワにおけるラーマーヤナの上演例を挙げるためにラーマーヤナの演劇(ワヤン・ウォン)を紹介しましたが、実際にはラーマーヤナの演目よりもマハーバーラタから取られた演目が演じられことの方が多いです。


【質問5】
イスラームが多数派のインドネシアや上座仏教が多数派のタイでラーマーヤナの物語が演じられているということですが、ラーマがヴィシュヌ神の転生なのであれば、そこにはヴィシュヌ神への信仰はあるのでしょうか。

【回答5】
ラーマーヤナの浮彫があるプランバナン寺院が建立された9世紀頃は、ヴィシュヌ神への帰依を強調するヒンドゥー教の宗教運動(バクティ信仰)が高まっていた時代ですので、この浮彫もバクティ運動を背景に制作された可能性が高いと思われます。しかしながら、現在のインドネシアのムスリムやタイの仏教徒がラーマーヤナを通じてヴィシュヌ神への信仰を表現しようとしていることはありません。インドネシアやタイで演じられるラーマーヤナはあくまでも物語としてのラーマーヤナであり、文化的表現です。ただし、それはインド化された東南アジアの時代から現代に受け継がれた文化遺産であると言えます。

          

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