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【3年次ゼミ】12月9日

【3年次対象ゼミ】

今週は、青山の「地震は神の徴か?イスラームの信仰と災害」(完全版)をもとに、論文の構成について検討しました。

1. はじめに インドネシアからアチェへ、大きなトピックから小さなトピックへ、一般的な話題から特定の話題へと絞り込むのが、導入部の定石です。また、アチェの説明では、アチェの歴史がイスラームと深く結びついており、アチェ人意識の形成につながっていることを説明しています。これは、本論で取り上げる、イスラームの信仰と災害の捉え方を議論するための伏線となっています。導入部で伏線を張っておくと、本論での議論がしやすくなります。

2. 生存者の証言 この論文では、フィールドワークによる聞き取りはせず、代わりに現地で出版された生存者の証言集からデータを集めています。証言の一部を提示することで、津波の被害の激しさを具体的に示すとともに、アチェの人々の地震・津波に対する反応(「キアマット=終末の日が来た」)のなかにイスラーム的要素があることを示しています。

3. クルアーン この章では、キアマットを描いていると言われるクルアーンの「地震の章」を分析することで、アチェの人々が地震・津波をキアマットと捉えた理由を明らかにしようとします。さらに、地震などの災害が神による天罰として描かれることは、唯一神信仰であるイスラームやキリスト教(とくに旧約聖書の記述)に共通してみられることを確認しています。

4. 1755年リスボン大地震 キリスト教世界で地震を天罰と考える事例として1755年のリスボン大地震を取り上げます。天罰と考える見方からはスケープゴートとされる集団への糾弾が引き起こされること、また、ヨーロッパ世界では、この大地震をきっかけに災害を天罰と考える見方から科学的に理解する見方に変化していったことを示しています。

5. 信仰と防災 災害を天罰と見てスケープゴードを糾弾する動きは2018年のスラウェシ島での地震・津波・液状化のときに起きていることを示し、このような偏った視点が、防災意識を醸成する際の妨げになる可能性を示しています。また、ムスリムの中にも、このような偏った視点に注意を発し、科学的な防災意識の醸成が重要であるとする主張があることを紹介しています。

6. イスラームと災害 信仰が防災に妨げになるのではなく、むしろ防災意識や防災活動を促進する側面もあることを述べ、最後に、本論での述べたことが日本社会でも適用される場面があることを指摘しています。

次回は、卒論作成のテクニカルな面について触れる予定です。

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