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【3年次ゼミ】5月28日

【3年次対象ゼミ】

今週は、先週に引き続いてベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体:ナショナリズムの起源と流行』の書評レジュメをもとに議論をおこないました。

最初に、1661年頃に描かれたバタビアの絵をもとに17世紀のオランダ東インド会社の商業活動について検討しました。オランダは16世紀の後半に次に触れるハプスブルク家の支配から独立し、17世紀にはヨーロッパ随一の海洋商業国家に成長しました。オランダは南アフリカやスリランカにも植民地を持っていました。このことが、バタビアの市場を行きかう多様な民族構成に反映されています。

続いて、第2節のハプスブルク家の「性的政治」とタイのチュラロンコン王の事例について再確認をおこないました。ハプスブルク家の領域拡大が戦争によってではなく婚姻によったことは「汝、幸せなハプスブルクよ、結婚せよ」という成句によく表されています。一方、19世紀のタイのモンクット王とその息子チュラロンコン王は国の近代化に努めました。参考として映画「王様と私」の一部を鑑賞しました。広大な領土をもったハプスブルク王家にとって「国民」(nation)は意味を持たなかったのに対して、19世紀のタイの王はタイ「国民」を体現する役割を果たしました。同じ王国といっても前近代と近代では役割が変質していることを、この二つの例を対比させることで、アンダーソンは指摘しています。

最後に、同様のことが第3節の「時間の了解」にも見られることを確認しました。ここでは、前近代の「予知と成就の時間」「メシア的時間」と近代の「均質で空虚な時間」とが対比されています。このことは、過去と未来が今ここでつながっているという前近代的な同時性と、今この瞬間に何かが同時に起こっていると想像する近代的な同時性の違いともつながっています。

それでは、「予知と成就の時間」「メシア的時間」とはそもそもどのような時間なのでしょうか。ここで時間が無くなったので、続きは来週に検討することにします。そのあと、本書の中心である第3章「国民意識の起源」に進むので書評レジュメを読み直しておいてください。

          

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