• アクセス
  • English
  • 東京外国語大学

Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2024年09月

美術品返還をめぐる議論

2024/09/29/Sun

 ヨーロッパ諸国が植民地支配に伴ってアフリカ大陸から持ち去った美術品に関して、ここ数年来返還の動きが強まっている。フランスでは、2017年にマクロン大統領がブルキナファソ訪問時に美術品返還の方針を示し、2018年にはセネガル人フェルウィン・サール(Felwine Sarr)とフランス人ベネディクト・サヴォイ(Bénédicte Savoy)という二人の研究者が執筆した返還に向けた報告書が公表された。しかし、返還の具体的な進め方については、議論百出でまとまっていない。28日付ルモンド紙のTribune(意見表明欄)に、興味深い意見が掲載されたので、紹介する。フランソワ・ブランとジャン=ジャック・ヌールによるものである。  美術品返還問題に関しては、2つの極端な立場が対立している。一方は植民地期に収奪された品々の返還を要求する声であり、もう一方はヨーロッパの収集品を世界的な至宝として厳格な保全を訴える声である。  美術品返還は当然の要求であり、それに対応する形で2020年にはフランスからベナンやセネガルに返還がなされた。一方、西側の大きな美術館に美術品を置くことで、知られざる文化に光を当てるという意味もある。ロンドンの大英博物館やパリのケ・ブランリー美術館の展示は、こうした美術品を世界的に有名にしている。  美術品を全面返還すべきなのか、それとも普遍的な価値あるものとして先進国で保全すべきなのか。二つの立場の対立に関して、我々は、美術品を所有する美術館・博物館の経営を国際化することが解決策になると考える。UNESCOが責任を持つ形で、美術品を国際的に管理するのだ。こうすれば美術館は、国宝以上のもの――すなわち世界遺産を伝える大使となる。  この考えは突飛なものではない。1972年以来、多くの文化財、自然財が世界遺産として登録されてきた。世界遺産のガバナンスを国際的な収集物の保全に拡大すべきである。  美術品の収奪をめぐる議論も数多い。古代からナポレオン、ヒトラーに至るまで、多くの美術品収奪があった。この問題は植民地支配に関わる問題に限定せず、文化遺産の強制的な移転という文脈で考えるべきだ。ただし、返還要求のすべてが同じ重要性を持つわけではないし、要求があれば文化遺産を必ず返還しなければならないということでもない。  危険なのは、美術館が国威発揚の展示場になることだ。関係国が協力し、国際的なスタッフで美術館を管理することを考えてよい。もともとその美術品があった国から要求があれば、常に貸し出しがなされるべきだろう。これによって、収集物のインテグリティが守られる。分極化を深める世界にあって、我々は「壁」ではなく「橋」を建設する必要がある。美術館は、世界遺産の大使としての役割を担うべきである。  日本の我々にも考えさせられるところが多い議論だと思う。美術品返還をめぐる軋轢は、「橋」をつくるチャンスでもあるのだ。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

プラヴィン・ゴーダン死去

2024/09/22/Sun

 9月13日、南アフリカで歳入庁長官、財務相、公企業担当相などを歴任したプラヴィン・ゴーダンが死去した。75歳だった。この6月まで閣僚を務めていたが、ガンを発症し、短い闘病生活の後に世を去った。  ゴーダンは1949年生まれ。インド系コミュニティ出身だが、インド系住民にのみ選挙権を与えるアパルトヘイト政権の方針に反対し、ANC(アフリカ民族会議)、そして南ア共産党に入党した。  ダーバン・ウエストヴィル大学(アパルトヘイト期にインド系住民が設立した大学。現在はクワズールー・ナタール大学の一部)で薬学士号を取得し、病院に勤務したが、1981年に反アパルトヘイト運動のため解雇された。  マンデラ解放後はANC交渉団に加わり、政権移行に重要な役割を果たした。1999年には南ア歳入庁長官に就任。徴税業務担当機関を強固な組織に育てた。  ズマ政権下で財務相となったが、汚職に強く反対して疎んじられ、2014年、2017年と二度にわたって解任された。  今年の選挙でANCが大敗を喫したあとは、DA(民主同盟)との連立を強く支持した。  家族によれば、死の数日前に「自分は何の悔いもない。自分たちはよくやった」と述べたという。親しい友人は、「彼はダーバンのストリートで育ったアクティビストとして、人々の記憶に留まることを望んでいた」としている(13日付ファイナンシャルタイムズ)。  南アフリカには、まだまだこういう人が大勢いる。それがこの国の強靱さを支えている。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

「アフリカの角」地域の緊張

2024/09/20/Fri

 2024年1月1日のエチオピアとソマリランドとの協定締結以来、「アフリカの角」地域の緊張が高まっている。同協定の内容は、1)エチオピアがソマリランド沿岸部20kmを50年にわたって利用し、商業港と軍港を建設する、2)その代わりに、今後エチオピアはソマリランドを承認する用意がある、という内容だった。  この協定はソマリアを強く刺激し、スーダン内戦やイエメン・フーシ派の攻撃で不安定化するアフリカの角に新たな不安定要因が加わった。9月13日付ルモンド紙が詳細を報じている。  ソマリアは、トルコ、エジプトとの軍事協力協定締結へと舵を切った。8月に協定を結んだエジプトは、ソマリアに武器を供与するとともに、アル・シャバブ対策と称して、ソマリアに展開するAU平和維持部隊への同国軍の参加を決めた(9月2日付ルモンド)。  この動きを、エチオピアは同国への挑発と捉えて反発した。9月6日、エチオピアの国連代表は、「エジプトは攻撃的な態度を止めるべきだ」と発言している。エチオピアが青ナイル上流に建設したルネッサンス・ダムのため、両国関係は10年以上悪化したままである。  トルコのエルドアン政権は、2011年以来、ソマリアとの関係を積極的に深化させてきた。企業が多数進出した他、安全保障協定を結び、ソマリア沿岸部での船舶の活動を活発化させている。ソマリランドは、この7月、領域内に船舶が入ったとしてトルコを非難した(8月2日付ルモンド)。  エチオピアとエリトリアの関係も、不安定な状況が続いている。9月3日、エチオピア航空はエリトリア便を停止したが、これも両国関係の悪化を反映しているとみられる(9月13日付ルモンド)。  ソマリアの内戦からの復興が進み、紅海からアデン湾にかけての戦略的重要性が高まることで、エジプト、トルコ、湾岸諸国といった周辺地域からの関与が強まっている。結果的に、不安定な状況が継続する可能性が高い。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

中国・アフリカサミット(FOCAC)開催

2024/09/17/Tue

 9月5日、中国・アフリカサミット(FOCAC)が北京で開幕した。セネガルのジョマイ=ファイ、南アフリカのラマポサ、コンゴ共和国のサスー=ンゲソ、ナイジェリアのボラ・ティヌブ、タンザニアのサミア・スルフ・ハッサンなど、多数のアフリカ首脳が出席した。  習近平首席は冒頭の演説で、借款、援助、中国企業の投資を含めて今後3年間に500億ドルの資金支援を約束した。これは前回のFOCAC(2021年)で表明された支援額(400億ドル)より多く、前々回(2018年)に表明された支援額(600億ドル)より少ない。中国によるアフリカへの貸付は2016年をピークに急減していたが、2023年にはアフリカ8ヵ国に46.1億ドルの借款を供与し、上向きに転じた。こうした動きを反映しているのであろう。  この間、ザンビアのデフォルトなど、中国の債務が引き起こす危険性について大きな議論があった。とはいえ、ケニアのルト大統領が、今回のサミットに際して、モンバサ・ナイロビ間に建設された鉄道をウガンダまで延伸することは最優先課題のひとつだと述べるなど、アフリカ側からのインフラ建設に向けた中国への期待は依然として強い。  一方、南アフリカのラマポサ大統領は、中国に対して貿易不均衡対策を求めたと報じられている。中国に対する貿易赤字を問題視する国も多い。  FOCACで中国は、グローバルサウスの守護者という立場を打ち出した。習近平主席は挨拶で、「西側のやり方は、発展途上国に深刻な苦しみを与えた。中国とアフリカがともに近代化を追求することで、グローバルサウス全体の進歩がもたらされる」と述べた。西側に抗する南の守護者としての中国、という立ち位置を示したと言える。  今回のFOCACでは、エネルギー転換と安全保障に対する中国の関わりが関心を引いた(6日付ルモンド)。中国は、電気自動車バッテリーでは世界総生産の三分の二、太陽光パネルではそのほとんどを生産し、エネルギー転換関連産業で圧倒的な影響力を持っている。アフリカでの販路も開拓中で、今回のFOCACでは30の適正エネルギープロジェクトを約束したと報じられている。  安全保障面の協力についても、積極的な姿勢を打ち出した。中国は既にジブチに軍基地を建設しているが、アフリカ諸国の軍人6000人、警官1000人を訓練するなど、共同演習、共同パトロールに力を入れる意向を示した。  中国が国連PKOに派遣している部隊の75%はアフリカ向けだし、南北スーダンなどでは中国の民間軍事企業(VSS Security、DeWe Security)が活動している。アフリカで中国人労働者が襲撃される事件も起こっており、自国民の安全確保という要請もあるようだ。米国は、中国がアフリカ西海岸にも軍基地を建設するのではないかと警戒している。  中国は過去20年あまりの間に、アフリカ諸国との間で確固たる政治経済関係を構築した。関係が緊密なだけに摩擦もしばしば生まれるが、重要なパートナーとしての地位を確立したと言えるだろう。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

アフリカで競合する「ミドルパワー」

2024/09/16/Mon

 8月30日付ファイナンシャルタイムズ(FT)紙社説は、「ミドルパワー」の競合という観点からアフリカをめぐる国際関係を整理している。  近年、トルコ、ブラジル、ロシアといった「ミドルパワー」がアフリカ諸国への進出を競い、これによってアフリカ側は投資誘致先や戦略的パートナーの選択肢を増やしている。  長年、アフリカ諸国のパートナーは、ヨーロッパの旧宗主国が中心だった。しかし、フランスの例が示すように、旧宗主国の対応はアフリカ側から反感を持たれる結果となっている。  アメリカは冷戦終結後、次第にアフリカとの関係を薄めている。アフリカは遠く、米国内の厳格な反汚職法制のために投資が難しくなっている。米国政府は、アフリカをほぼ安全保障の観点からしか見ていない。  米欧の影響が薄れて空白が生まれ、そこに中国をはじめ、インドや湾岸諸国も含む多くの国々が関与する結果となっている。  アフリカには資源があり、国連でも投票を通じて影響力を行使できる。市場としての魅力が大きく、エネルギー転換のためにコバルト、リチウム、マンガン、銅などの鉱物資源への需要が高まっていることも、アフリカ進出への競争を強める要因となっている。  これはアフリカ側から見れば選択肢の増加だが、危険も無視できない。新興国の投資は、先進国のような厳しい審査プロセスを欠いている。漁業や鉱業部門では中国企業の搾取的な行動が指摘されているし、債務持続性を度外視した貸付や採算に合わない投資などの弊害も無視できない。  さらに、アラブ首長国連邦によるスーダン内戦への介入、ロシアによるアフリカ諸国への傭兵派遣のように、「ミドルパワー」が影響力を高めようとするなかで軍事物資を流し込み、紛争が激化する状況もある。  このFTの社説は、欧米知識人の視点からアフリカをめぐる競合の現状を捉えているが、考えさせられる点も多い。確かに、グローバリゼーションが進むなかでアフリカに生まれた経済機会を最大限活用したのは、「ミドルパワー」の国々だったと言えるだろう。アフリカの投資環境に先進国企業が二の足を踏むなかで、貿易投資関係を顕著に深化させたのは、中国をはじめとする新興国だった。  こうした国々はいわば市場主導でアフリカとの関係を深めてきたのである。しかし、その一方で、紛争や貧困、環境など、市場だけでは対応できない問題が深刻さを増している。こうした問題への対応においてこそ、先進国や国際機関の役割が必要とされるのではないだろうか。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

ナミビアにおける8月26日

2024/09/15/Sun

 ナミビアにおいて8月26日は、植民地軍と戦った英雄たちを追悼する日である。国営放送は、国民の祝日でもあるこの日、オシコト県のオムシア・レクリエーション・パークにおいて、数千もの人びとがナミビアの独立と自由のために戦った英雄たちを追悼したことを報道している。  ナミビアは、1884年からドイツ、1920年から南アフリカによる植民地支配を受けていた。1990年の3月に独立を迎えて以来、南アフリカからの独立を目指して最初の戦いが始まった8月26日を国民の祝日「英雄の日」として記念している。  ナミビア軍の最高司令官を務めるムブンバ大統領は、軍事パレードで始まった開会式において、独立闘争中に、キューバ、ロシア、中国、アルジェリア、北欧諸国、国連などの国々から受けた国際支援に感謝の意を示している。また彼は、ナミビアにおけるグリーン経済の好調な発展、ガス田の開発、沖合のオレンジ盆地での石油発見などを指摘し、ナミビア経済について楽観的な見方を示している。  一方、現与党の元となる独立闘争軍に敵対し、南アフリカ植民地政府側についていたヘレロにとっても、この日は特別な日である。ドイツ植民地期の1904年から1908年にかけて、ドイツ軍は先住民のヘレロとナマに対してジェノサイドをおこなった。当時ヘレロを率いていた最高首長のサミュエル・マハレロは、隣国のボツワナに亡命し、客死した。その後、遺体がナミビアの彼の故郷に再埋葬された日が8月26日だった。翌年から彼の墓に参るために、人びとが集まるようになり、今年2024年は第100回目の墓参りの年にあたる。  国をあげて「英雄の日」の式典がオシコト県で開かれる中で、サミュエル・マハレロの墓があるオチョゾンデュパ県のオカハンジャでは、彼の子孫で構成される伝統的権威のマハレロ派が追悼式典を主催し、墓参りをしている。しかし、すべてのヘレロがオカハンジャに集まったわけではない。一部のヘレロはオシコト県での式典に参加しており、さらにマハレロ派に対抗する派閥は別日に式典を開き、墓参りをしている。  毎年8月26日は、それぞれの英雄を追悼し称える日であると同時に、現在の国政の状況ならびにヘレロ内部でのマイクロポリティクスが表層化する日でもある。(宮本佳和) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

アフリカ産油国の危機

2024/09/15/Sun

 8月28日付のファイナンシャルタイムズ紙は、アフリカの産油国に関する興味深い記事を掲載している。  石油価格は2021年以降上昇傾向にあるが、アフリカの多くの産油国は好景気を享受していない。石油価格は2023年には1バレル82ドルに達し、多くの国がベンチマークにおいている65-70ドルを上回った。しかし、アフリカの産油国10ヵ国の貿易黒字は、石油価格が1バレル79ドルだった2010年を下回る水準に留まっている。比較して、非アフリカのOPEC諸国の貿易黒字はより大きく、債務/GDP比率はより低い。  なぜこうした差が生まれるのか。原因のひとつは、主要アフリカ諸国の石油産出量が低下傾向にあることだ。コンゴ・ブラザヴィル、アンゴラ、赤道ギニアは、石油生産量が大幅に低下した。2010年に250万バレルだったナイジェリアの原油生産量は、2023年には150万バレルに低下した。  一方、サウジアラビア、オマーン、ロシア、カザフスタンなど非アフリカのOPECプラス諸国は、生産量を増加させている。イラクでさえ、同じ時期に石油生産量を倍増させている。アフリカ諸国の生産量低下の要因として、長年にわたり適切な投資が行われなかったこと。不適切で時代遅れの法制度、オンショア生産における地域コミュニティとの緊張関係などが挙げられている。  需要サイドの要因としては、アフリカ原油の輸出先の変化がある。シェール革命の結果、米国は2018年に世界最大の産油国になり、アフリカからの原油輸入は大幅に低下した。中国によるアフリカからの原油輸入も、2018~2023年に28%低下した。特にこれは、もともと中国が主要な輸出先だったアルジェリア、アンゴラ、南スーダン、リビアで顕著だった。一方で、中国の非アフリカOPEC+(ロシアを含む)からの原油輸入量は、同じ期間に78%増加した。  ヨーロッパは依然としてアフリカ産原油の重要な輸出先だが、脱炭素計画のために、石油消費量を大きく減らす見込みである。インドは、ロシアからの石油輸入を急増させている。  アフリカにおける石油生産の低下は、世界に影響する。アフリカ政府は歳入減に苦しみ、財政危機はエネルギー転換のための政策執行を難しくするだろう。  悲観的だが興味深い記事である。脱炭素化の流れを受けて、石油依存を減らす必要がある。しかし、アフリカの多くの国にとって、原油はなお最大の輸出品目である。経済危機が深刻化すれば、脱炭素化を進める余裕もなくなってしまう。 (武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

ロシアとアフリカ(その3)

2024/09/14/Sat

今回紹介するのは、8月24日の記事で、ルモンド紙によるロシア特集の最終回である。プリゴジンの死後、ワグネルがどのように再編されたのかを国別にまとめている。  プリゴジンの搭乗機が墜落してからわずか一週間の2023年8月31日、モスクワからアフリカ大陸へ飛行機が飛んだ。搭乗者は、国防副大臣のエフクロフ(のIounous-bek Evkourov)と、GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)司令官のアンドレイ・アベリヤノフで、プーチンの命を受けていた。ワグネルの再編である。  ポーランド国際問題研究所のレポートでは、プリゴジンが築き上げたワグネルを軍のコントロール下に置くために、その活動をビジネス、プロパガンダ、軍事の3つに分け、国家諜報活動に従事する3つの機関が活動を監督する方針が示された。GRUは主に軍事部門、FSB(ロシア連邦保安庁)はネットワーク・プロパガンダ、SVR(ロシア対外情報庁)は文化戦略を担当するという。  ワグネルの後継組織の特徴は、アフリカ各国で異なる。ブルキナファソでは、2023年11月以降、GRUが作った民間軍事企業のひとつRSBに所属する兵士が到着した。彼らは、「アフリカ部隊」"Africa Corps"と呼ばれる。その主力は、クリミアで組織された「熊」(Bear)部隊である。ただし、この「熊」部隊の兵士約100人は、ウクライナからの攻撃が激化したとの理由で、8月末にブルキナファソを出国した。  ニジェールとの間でもロシアは関係を深めている。ニジェールのラミン・ゼヌ首相、モディ国防相は2024年1月にモスクワを訪問したが、4月10日になって、「アフリカ部隊」の兵士約100人が到着した。  マリでは2023年11月14日に、北部の要所キダルをマリ軍とワグネルが制圧した。マリでは、プリゴジンの死後もワグネルの標章が使い続けられている。しかし、2024年7月には、反政府武装勢力の攻撃を受けて、北部でマリ軍が甚大な被害を被り、ワグネルも84人という前例のない規模の兵士が犠牲になった。  中央アフリカのトゥアデラ政権にとって、ワグネルの支援は不可欠である。2024年3月22日、政府軍はワグネルの助力を得て、北部の要所シド(Sido)を10年ぶりに制圧した。また、6月1日には、首都バンギでプリゴジンの追悼集会が開催された。  ただし、中央アフリカもロシア一辺倒というわけではない。二国間協定に基づいて派兵するルワンダの影響力が強まっているし、トゥアデラは米国の民間軍事企業(Bancroft Global Development)にも接触している。さらに、トゥアデラは、2023年9月以降マクロン仏大統領と2回会談し、フランスの関係を改善している。   スーダンにおけるワグネルの活動は、はほぼ消えた。以前はあからさまにRSFを支援していたが、現状はロジスティクスの支援のみに留めている。内戦でRSFが全土を掌握できないとみると、ロシアは国軍(SAF)との関係にも配慮するようになった。4月28日には、ロシアのボグダノフ外務副大臣がポート・スーダンを訪問し、ブルハン政権を公式に承認する姿勢を示した。ロシアは、紅海への出口確保を最優先に考えている。  リビアにおいてロシアは、トリポリとベンガジを両にらみで対応している。2月22日、ロシアはトリポリの大使館を再開したが、その一方で東部を制圧するハフタル将軍への支援も続けている。ハフタル陣営には、「アフリカ部隊」が送り込まれている。ベンガジは、ロシアのアフリカ戦略上、ロジ面のハブとして利用されており、エフクロフ国防副大臣は、プリゴジンの死後ベンガジを5回訪問した。  この記事は、ロシアがプリゴジンの死後ワグネルを再編し、様々な形で利用しながらアフリカへの食い込みを図っていることを示している。ただし、ロシアだけがアフリカとの関係深化に成功しているというわけでもない。中央アフリカの例に見られるように、フランスとの関係改善を進める例も観察される。アフリカ側も、ロシア、欧米、中国など、様々な外交カードを利用して、自国の地位保全を図っているのだ。 (武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

ロシアとアフリカ(その2)

2024/09/13/Fri

 今回紹介するのは、8月23日の特集記事で、ロシアがアフリカ諸国と関係を深めた経緯が説明されている。その中でも興味深いのは、中央アフリカに関するくだりである。記事によれば、フランスが中央アフリカにロシアを紹介し、ロシアはその機会を捉えて中央アフリカとの関係を深めていった。    2017年9月25日、マクロンは中央アフリカのトゥアデラ大統領とエリゼ宮で会談した。マクロンは、トゥアデラに対して、2016年3月にソマリア沿岸でフランス海軍が押収した1500丁のカラシニコフを提供すると提案した。これは、中央アフリカに対するフランスの軍事作戦終了の代替措置のひとつだった。オランド前フランス大統領は、2015年に、中央アフリカ側の反対にもかかわらず、2013年末に始めた軍事作戦(「サンガリス」作戦)の終了を決めていた。  中央アフリカは当時国連の武器禁輸対象国だったので、カラシニコフを提供するには安保理の承認が必要となる。マクロンはトゥアデラに、ロシアを説得しなさいとアドバイスした。2017年10月9日、トゥアデラはソチで、ラブロフ外相と会談した。  トゥアデラは、ロシアにとって上客だった。ラブロフはトゥアデラを厚遇し、軍事協力と鉱山開発のパートナーシップ協定を締結した。2018年1月末には、ロシア空軍のイリューシン76がバンギ空港に軍事物資を運んできた。この時、ワグネルの傭兵数十人も到着している。ワグネルは、この時点ですでにリビア東部のハフタル将軍支配地域に拠点を持っており、スーダンにもその兵士が送られていた。  2018年8月、スーダンのハルツームで、中央アフリカの和平交渉が開催された。この会議を仕切ったのはロシアで、特にワグネルの共同創設者であるプリゴジンとドミトリー・ウトキンが中心的な役割を演じた。中央アフリカの武装勢力が集められ、プリゴジンらは武装勢力の代表それぞれに数万ユーロの現金を配り、「ウィン、ウィンだ」と停戦を促したという。この時、バンギのフランス大使は本省に事態を警告したが、取り合ってもらえなかった。  2020年12月には、ボジゼ前大統領率いる反乱軍が攻勢に転じ、首都バンギに迫ったが、ワグネル部隊がこれを押し戻し、トゥアデラを救った。これを機に、トゥアデラはいっそうワグネルに依存するようになった。  フランスと違って、ロシアは中央アフリカに道徳的な説教をしない。事業を展開し、金やダイヤモンドの採掘、木材伐採、コーヒー、砂糖、さらにビールの生産にも手を付けた。ワグネルは、現地で鉱山企業(Alpha Developpement, Marko Mining)を設立している。金採掘に投資して、生産された金をアラブ首長国連邦(UAE)に密輸している。   この記事では、ワグネルの活動を中心に、中央アフリカ、ロシア関係が辿られている。ワグネルをプリゴジンとともに設立したウトキンには、ナチスの親衛隊の刺青があり、ネオナチと見られていた。こうした人物が和平交渉を取り仕切ったのは、中央アフリカにとって悲劇だった。当然ながら、和平協定はすぐに瓦解し、現在に至るまで、中央アフリカ政府は全土を実効支配できていない。 (武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

ロシアとアフリカ(その1)

2024/09/12/Thu

8月22~24日、ルモンド紙にロシア・アフリカ関係に関する特集記事が掲載された。それぞれ読み応えのある内容で、重要な情報が含まれている。以下、3つの記事を順次紹介する。今回は8月22日掲載分の紹介である。(アフリカ出張のため、「今日のアフリカ」更新が遅れたことをお詫びします)  ロシアのアフリカへの接近は、2014年のウクライナ危機(クリミア半島併合)と関連している。西側の制裁のために新たな歳入源を探す必要に迫られ、アフリカの鉱山からの利益に着目した。それ以降、リビア、スーダン、中央アフリカ、サヘルといった地域で関係を深め、地歩を築いてきた。  2019年には、ソチでロシア・アフリカサミットを開催。ウクライナ侵攻後、アフリカ諸国は国連で西側の決議案に棄権、反対の立場を取った。アフリカ諸国の姿勢は必ずしも親ロシアとは説明できないが、西側とそれ以外の国々との間にくさびを打ち込むロシアの思惑を利した。イスラエル・ガザ戦争と、西側のダブルスタンダードも、ロシアを利した。ロシアのパレスチナ支持の姿勢は、特に北アフリカの民衆の間で親ロシア感情を強めている。  ロシア・アフリカ関係を考える上で、旧ソ連時代のアフリカ人による留学は重要な意味を持っている。1960年~1991年の間に、45,500人のサブサハラアフリカ出身の人々がソビエトの様々な大学で勉強した。そのうち5,500人は、パトリス・ルムンバ人民友好大学で学んだ。1960年に設立されたこの大学は、ソ連の対非同盟諸国向け戦略の一環であった。現在のマリではマイガ首相やカマラ国防相のがソビエト留学組だし、リビアのハフタル将軍もソビエトで学んだ。ソビエト留学組は、ロシアにシンパシーを持っている。  中央アフリカ、マリ、ブルキナファソ、ニジェールと、近年仏語圏諸国で急速にロシアの影響力が強まり、フランスでは、アフリカにおけるロシアの戦略を見誤ったという認識が広がっている。今回の特集記事にもそうした問題意識が強く表れている。 (武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ