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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2024年05月

ガボン軍事政権トップのフランス訪問

2024/05/31/Fri

 ガボン軍事政権トップのブリス・オリギ=ンゲマは、28日から5日間の予定でフランスを訪問している。31日には、エリゼ宮でマクロン大統領との会談が予定されている。この会談には、仏軍高官も立ち会う予定となっている。  オリギ=ンゲマは、2023年8月30日にクーデタでアリ・ボンゴを放逐し、政権を獲得した。この軍事政権トップを、フランスは普通の大統領訪問と同じ扱いで迎えようとしている。  これは、例えばマリ、ブルキナファソ、ニジェールなど、クーデタが起こった他のアフリカ諸国と比べて大きな違いである。これらの国に厳しい制裁を科したフランスは、ガボンに同じことをする意思はないとしている。  フランスは、こうした対応は「ダブルスタンダード」ではないとして、サヘル諸国とガボンの違いを強調している。フランス政府高官は取材に対して、「クーデタがみな同じではない」、「ガボンでクーデタ以降、フランス国旗が燃やされたことなどない。包括的国民対話も開催された」などと発言している(28日付ルモンド)。  西アフリカの旧植民地諸国が次々に離反している状況下、フランスとしては、ガボンには何としても自陣営に留まってほしいということなのだろう。確かにオリギ=ンゲマ政権は、前政権の腐敗を糾弾しつつ、国民の声を取り込んで政権運営を進めようとしているように見える。西アフリカと異なり、反仏運動も目立っていない。しかし、西側諸国がアフリカ諸国に民主化圧力をかけるという構図が、相当程度失われている印象は否めない。 (武内進一)

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ナミビアのジェノサイド追悼の日の議会承認と意見の相違

2024/05/29/Wed

ナミビア議会は、来年2025年から毎年5月28日をジェノサイド追悼の日とすることを承認した。議会は法務省に対し、ナミビアにおける祝日法に基づく草案を作成し、法務長官の認定を受け、大統領の審議と署名を受けるよう指示した。 ナミビアにおけるジェノサイドとは、1904年から1908年にかけてドイツ軍がヘレロとナマの人びとを組織的に絶滅させようとしたことを指す。この出来事は20世紀最初のジェノサイドとして知られており、当時ドイツ領だった南西アフリカ、現在のナミビアにおいて起こった。当時のヘレロの約8割(約6万5千人)、ナマの約半数(約1万人)が亡くなったとされる。承認された追悼の日は、1908年5月28日に、植民地期のドイツ軍司令官が、当時の南西アフリカに建設された強制収容所の閉鎖を正式に命じたことにちなむ。 動議を提出していたジェノサイドの被害者子孫の代表(複数の首長らで形成される首長会議)は、5月26日から28日まで首都ウィントフックでジェノサイド追悼行事を開催し、最終日の28日には、国民議会議長のピーター・カチャヴィヴィも参加し、承認された追悼の日を来年2025年から祝日とすることを発言している。 しかし、すべての被害者子孫の代表がこの追悼の日を認めているわけではない。ヘレロ伝統的権威とナマ伝統的指導者協会の一部は、植民地期のドイツ軍司令官がヘレロに対して絶滅命令を下した10月2日、そしてナマに対して同様の命令を下した4月22日を追悼の日とすることを求めている。表面化している意見の相違の背景の一つには、伝統的権威の首長位の継承問題および植民地期に起源をもつ対立関係がある。こうした首長位の動態的な側面を考慮に入れずに、表面化している現状を理解することは難しいだろう。 (宮本佳和)

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ケニアが米国の「主要な非NATO同盟国」に

2024/05/29/Wed

 ケニアのルト大統領は、5月20~25日に米国を訪問した。訪問中に米国議会で演説したほか、バイデン大統領と面談した。サブサハラアフリカ諸国の首脳が米国を公式訪問し、大統領との会談や議会演説を行ったのは、2009年のエレン・ジョンソン=サーリーフ大統領(リベリア)以来のことである。  今回の訪問で注目されたのは、アメリカがケニアを「主要な非NATO同盟国」(Major Non-NATO Allies)に認定したことである。これまで「主要な非NATO同盟国」と認定されたのは、次の18ヵ国である。  アルゼンチン、オーストラリア、バハレーン、ブラジル、コロンビア、エジプト、イスラエル、日本、ヨルダン、クウェート、モロッコ、ニュージーランド、パキスタン、フィリピン、カタール、韓国、タイ、チュニジア  アフリカには3ヵ国あるが、いずれも北アフリカで、サブサハラアフリカでは今回のケニアが初めてである。  ケニアは、国連総会でのロシア非難決議に一貫して賛成し、アメリカの要請に応じてハイチへの警察派遣を表明するなど、親西側の立場を堅持してきた。サブサハラアフリカに対する中国、ロシアの浸透が目立つなかで、アメリカもまた拠点となる国を明確にしたように見える。 (武内進一)

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マリ、ブルキナファソで移行期間の延長

2024/05/28/Tue

 25日、ブルキナファソの軍事政権は、移行期間を2029年まで延長した。軍事政権は25-26日に「国民集会」(assise nationale)を招集し、国民各層から広く参加者を募る体裁を取って、移行期間のあり方等について議論をさせた。25日に結ばれた新たな憲章では、移行期間が2024年7月2日から60ヶ月と定められた。また、次の大統領選挙に、現在の軍事政権トップであるイブラヒム・トラオレ(36歳)が出馬できることを決めた。  この国では2022年1月にダミバ中佐によるクーデタが起こり、同年9月に再度のクーデタでトラオレ大佐が政権を握って今日に至っている。ダミバ中佐が政権を獲得した際に制定した憲章では、移行期間を2024年7月1日までの21ヶ月としていた。今回、その期限が迫るなかで、「国民集会」が開かれ、新たな憲章が定められた。  「国民集会」と名付けられていたものの、市民団体や政党の多くはボイコットしており、軍事政権側がこれを移行期間延長の口実として利用されたことは明らかである。この手法は、隣国マリのやり方をそのまま真似たものだ。  アシミ・ゴイタ大佐をトップとするマリ軍事政権は、5月6日~10日かけて「平和と国民和解のためのマリ人対話」を開催し、政権移行のあり方について議論させた。そしてその勧告として、移行期間の延長と、移行後の選挙へのゴイタの立候補資格を認めたのである。マリの主要な市民団体や政党は、この「対話」をボイコットし、勧告の内容を批判している。  サヘル諸国では、イスラーム急進主義勢力の攻撃が強まるなか、政権が安全保障の危機に対応できないことを非難してクーデタが頻発し、軍事政権が成立した。いまや軍事政権は、イスラーム急進主義勢力対策よりも、自らの政権維持を優先課題としているようだ。 (武内進一)

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コンゴ民主共和国でクーデタ未遂

2024/05/22/Wed

 19日、コンゴ国軍報道官は、クーデタを未然に防いだと発表した。この事件については不明な点が多いが、現在のところ、次の点が明らかになっている。  19日早朝、約40人の部隊が、チセケディ陣営の大物政治家ヴィタル・カメレのキンシャサの邸宅を襲撃し、カメレの護衛兵と銃撃戦になった。その後、この部隊は大統領執務室がある国民宮殿(Palais de la Nation)に侵入し、チセケディ大統領の追放を訴えたが、治安部隊に鎮圧された(20日付ファイナンシャルタイムズ)。  襲撃部隊の首謀者は、クリスチャン・マランガという米国に帰化したコンゴ出身者で、コンゴ人ディアスポラでは知られた存在であったという。襲撃部隊には、アメリカ人2人とイギリス人1人も参加していた。部隊のメンバーは、ザイールの国旗を振り回し、「モブツの子どもたちよ!万歳!」と叫んだ。マランガはその後射殺された(20日付ルモンド)。  キンシャサは速やかに平常に戻ったと報じられ、事件の直接の余波は限定的であるように見える。ただ、この奇妙な事件が、コンゴの政治的空白のなかで起こったことは確認しておくべきであろう。昨年12月の大統領選挙でチセケディが圧勝し、再選を決めた者の、その後今日に至るまで新たな内閣は作られていない。4月1日にトゥルカ(Judith Suminwa Tuluka)元計画相が首相に任命されただけである。  比例代表制を取っているためもあるが、コンゴでは小政党が乱立する傾向があり、多数派形成に時間を要する。それは実効的な政策実施に時間がかかることを意味している。 (武内進一)

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ニジェールのロシア、イランへの接近

2024/05/12/Sun

 昨年7月のクーデタ以来、ニジェールが急速に反西側へと外交スタンスを転換している。昨年10月にフランス、今年3月には米国の駐留軍を撤退させる意向を表明したが、その後、ロシアから少なくとも2回にわたって軍事要員や軍事物資を受け入れた(4月10日、24日付ルモンド)。この際、ワグネルの後継組織である「アフリカ部隊」の軍人数百人がニジェール入りし、ロシアから地対空防衛システムを導入したとみられる。  同じ時期、ニジェール軍事政権は、イランとの関係深化にも動いている。2023年10月、外相がテヘランでイラン外相に面会。1月にはラミヌ・ゼイン首相がライシ大統領と面会した。ゼイン首相は、4月に米軍撤退について確認するためワシントンを訪問する直前、テヘランとモスクワに立ち寄っている。  欧米は、ウランの主要産出国ニジェールがイランに接近することを恐れている。ニジェールのウラン開発は、仏企業のオラノ社(旧アレヴァ社)やカナダ企業GoviEx社が行っており、オラノ社は国際規制を厳密に遵守していると述べている。一方で、ニジェール政府が「イエローケーキ」と呼ばれるウラン加工品300トンをイランと取引する秘密交渉を行っているとの噂も上がっている。  3月に、アフリカ担当国務次官補モリー・フィーを団長とする米国交渉団がニジェールを訪問した際、議論となったのは、ロシアへの接近に加えて、イランとのウラン取引であった。米国側は、これらを行わないよう求めたが、ニジェール側と合意に至らなかった。  イランとニジェールの関係深化にはロシアが関与している。イランがロシアに武器を提供し、その代わりにロシアがイランにニジェールへのアクセスを仲介したと報じられている。  ニジェール側は、イランとのイエローケーキ取引を否定しているが、実態は不明である。これまでもニジェールは、外交上のカードとして、ウランを利用してきた。1974年クーデタ直後のクンチェ政権、2000年代資源高騰期のタンジャ政権などが、ウランを材料にフランス政府に圧力をかけ、取引の条件を改善させたという(5月10日付ルモンド)。  これまでニジェールの歴代政権は、もっぱら、フランスとの関係でウランカードを使ってきた。しかし、現在、グローバルな国際秩序が揺らぎ、ウクライナ、ガザという二つの戦争が進行するなかで、軍事政権がこのウランカードを交渉の材料として使っている。その含意や影響は、はるかに大きくなるだろう。 (武内進一)

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東アフリカで洪水被害相次ぐ

2024/05/03/Fri

 2日、ケニア政府は、3月以来、洪水により累計で188人が死亡したと発表した。ケニアでは最近の豪雨が大きな被害を生んでおり、28日夜にはナイロビ北西約100キロに位置するマイ・マヒウ(Mai Mahiu)でダムが決壊し、死者、行方不明合わせて100人を超える惨事となった。ナイロビでも洪水の被害が深刻になっている(2日付ルモンド)。  ケニアだけでなく、東アフリカ各地で洪水の被害が報道されている。ブルンジでも昨年来の多雨でタンガニーカ湖の水位が上昇するなど、20万人以上が被害を受け、9万人以上が移動を強いられている(4月17日付ルモンド)。その他、タンザニア、ウガンダ、ルワンダについても同様に、豪雨による被害が報道されている。  東アフリカでは昨年も、コンゴ東部、ルワンダ、ソマリアなどで豪雨と洪水が発生した。なかでも世界の耳目を集めたのは、昨年9月11日にリビアの地中海沿岸都市デルナを襲った大洪水で、サイクロンの直撃を受けてダムが決壊し、5000人以上が死亡する大惨事となった。  多雨に備えるインフラが十分でない地域で、自然災害が大きな犠牲を生んでいる。加えて、リビアやソマリアで典型的だが、政治的混乱が被害を拡大させた側面もある。こうした事例は、気候変動対策が開発や政治と不可分であることを示している。 (武内進一)

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