ナミビア議会は、来年2025年から毎年5月28日をジェノサイド追悼の日とすることを承認した。議会は法務省に対し、ナミビアにおける祝日法に基づく草案を作成し、法務長官の認定を受け、大統領の審議と署名を受けるよう指示した。
ナミビアにおけるジェノサイドとは、1904年から1908年にかけてドイツ軍がヘレロとナマの人びとを組織的に絶滅させようとしたことを指す。この出来事は20世紀最初のジェノサイドとして知られており、当時ドイツ領だった南西アフリカ、現在のナミビアにおいて起こった。当時のヘレロの約8割(約6万5千人)、ナマの約半数(約1万人)が亡くなったとされる。承認された追悼の日は、1908年5月28日に、植民地期のドイツ軍司令官が、当時の南西アフリカに建設された強制収容所の閉鎖を正式に命じたことにちなむ。
動議を提出していたジェノサイドの被害者子孫の代表(複数の首長らで形成される首長会議)は、5月26日から28日まで首都ウィントフックでジェノサイド追悼行事を開催し、最終日の28日には、国民議会議長のピーター・カチャヴィヴィも参加し、承認された追悼の日を来年2025年から祝日とすることを発言している。
しかし、すべての被害者子孫の代表がこの追悼の日を認めているわけではない。ヘレロ伝統的権威とナマ伝統的指導者協会の一部は、植民地期のドイツ軍司令官がヘレロに対して絶滅命令を下した10月2日、そしてナマに対して同様の命令を下した4月22日を追悼の日とすることを求めている。表面化している意見の相違の背景の一つには、伝統的権威の首長位の継承問題および植民地期に起源をもつ対立関係がある。こうした首長位の動態的な側面を考慮に入れずに、表面化している現状を理解することは難しいだろう。
(宮本佳和)