• アクセス
  • English
  • 東京外国語大学

Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2021年03月

ルワンダのジェノサイドに対するフランスの責任

2021/03/31/Wed

3月26日、歴史学者でジェノサイドの専門家であるデュクレール(Vincent Duclert)が議長を務めたルワンダに関する歴史委員会が、フランス大統領府に報告書を提出した。この委員会は、2019年4月にマクロン大統領の要請により設置されたもので、1994年にルワンダで起こったトゥチに対するジェノサイドに対するフランスの態度に光を当てることが目的とされた。マクロンの指示により、文書資料はほぼ完全に開示された。提出された報告書は約1000ページに及ぶ大部のもので、フランスがジェノサイドの共犯であるという説は否定したが、殺戮を行った政権に長く肩入れしたことは事実だとして、フランスの責任は重大であり否定できない(Un ensemble de responsabilités, lourdes et accablantes pour la France)と明確に述べた。  『フランス、ルワンダ、そしてトゥチに対するジェノサイド(1990-1994』(La France, le Rwanda et le génocide des Tutsi (1990-1994))と題する報告書は、すでにインターネットで公開されている。同報告書の分析によれば、当時のミッテラン大統領は、ハビャリマナ大統領と深い個人的関係を結んでおり、またルワンダを仏語圏アフリカにおける戦略国として重視していた。そして、ルワンダ愛国戦線(RPF)の侵攻により1990年に内戦が始まると、RPFを外国人による武装集団であり、「フランスの敵」だと見なして、ハビャリマナ政権への肩入れを強めた。さらに、フランス大統領府に置かれた軍の特別参謀(État-major particulier:EMP)が制度的な逸脱を起こして権限を強化し、ミッテランの思い込みを是正できなかった。このため、ハビャリマナ政権の急進化傾向に対する内部からの警告は無視され、同政権を支援し続けたうえに、その暗殺後に成立した急進派で固められた政権(シンティクブワボ内閣)さえも支持した。フランスは1994年6月に人道的介入として「トルコ石作戦」を実施したが、この際もRPFを敵視し、ハビャリマナ政権派勢力を隣国に逃がすことに手を貸したとしている(26日付ルモンド)。  ルワンダ内戦中のフランスの行動については、これまで様々な疑問が投げかけられ、特にルワンダのRPF政権は「ジェノサイドの共犯だ」と主張して、厳しい非難を続けてきた。今回の報告書は、「共犯説」こそ退けたものの、フランスの重大な責任を認めたものである。ルワンダ政府は、26日に声明を発表し、この報告書を歓迎した。  1月に提出されたアルジェリア戦争をめぐるバンジャマン・ストラの報告書と同様に、この報告書もフランスにとっての「過去の克服」に関わるものである。ルモンド紙では、連日、すさまじい量の記事がこの問題に割かれており、国民の関心の高さがうかがえる。

個別ページへ

モザンビーク北部におけるイスラーム過激派の拡大

2021/03/31/Wed

 モザンビーク北部の町パルマがイスラーム過激派によって襲撃され、天然ガス資源が豊富なカボ・デルカド州においてイスラーム武装勢力の影響が急速に拡大していることが報じられている(Aljazeera 3月28日)。約75,000人の住民が住んでいるパルマで、先週人々や建物に対する無差別的な攻撃があり、被害はまだ正確には把握されていないが、数十人が殺害され外国のガス労働者を含む多くの人々が避難したとされる。フランスのエネルギー大手Totalは、近隣で実施している巨大なガスプロジェクトの操業を停止せざるを得ないと述べている(BBC 3月27日)。  モザンビーク北部では2017年のイスラーム武装集団の蜂起以降、2,600人以上が殺害され、70万人近くの人々が家を追われるなど、深刻な人道的危機が引き起こされてきた。現地で「アル・シャバーブ」とも呼ばれる武装集団「アル・スンナ・ワル・ジャマー」は、ISIL(アイシル)との関係が指摘されており、月曜日にISILはパルマへの攻撃を認めている。しかし、マプトを拠点とするジャーナリストで政治評論家のフェルナンド・リマ氏は、数十億ドルの価値を持つガスプロジェクトの開発に伴う富の約束にもかかわらず、貧困と失業が蔓延しているこの地域において、主な問題となっているのは宗教的な対立ではなく社会的な不満ではないかと考察している。昨年よりこの紛争は深刻さを増し、女性や子どもの首をはねたり、誘拐されたりするなどの虐殺も報告され、早急な対策が必要とされている。

個別ページへ

ケニア政府が難民キャンプの閉鎖を決定

2021/03/26/Fri

3月24日付のロイターの報道によれば、ケニア政府は、ダダーブとカクマという国内の2つの難民キャンプを閉鎖する命令を出した。ケニア内務省は、UNHCRに対し14日間で両キャンプの閉鎖計画を作成するように求めた。 ケニア東部のダダーブ難民キャンプと北西部のカクマ難民キャンプはいずれも1990年代初頭に設立された世界最大規模の難民キャンプである。現在、両キャンプを合わせて40万人以上の難民が暮らしており、その多くはソマリアや南スーダン出身である。 ケニア政府は、2013年と2015年に発生した国内テロ事件について、ダダーブに暮らすソマリアのイスラム勢力、アル=シャバーブの一味が関与したとの見方を強め、治安上の理由から、2016年に同キャンプの閉鎖を発表した。ただし、その翌年、ケニア高等裁判所がキャンプ閉鎖は違憲という司法判断を出したこともあり、閉鎖には至らなかった。 ケニアとソマリアとの関係は、昨年12月にソマリア政府がケニア政府との外交関係を断絶して以降、悪化している。しかし、ケニア政府は、今回の閉鎖は、ソマリアと同国との関係悪化とは関係ないとしている。一方、ソマリア政府は、キャンプ閉鎖の発表に関して声明を出していない。 今回のケニア政府の発表が国際的な難民支援に及ぼす影響は大きいとみられる。ケニア政府は、この件に関して、一切の話し合いに応じないという姿勢を示している。一方、UNHCRは、今回の決定は、現在の新型コロナウイルス感染症拡大という状況において、ケニアにおける難民保護に重大な影響を及ぼす、としてケニア政府に対話に応じるように求めている。

個別ページへ

タンザニア大統領死去

2021/03/18/Thu

 17日、タンザニアのハッサン副大統領は、同日午後6時にマグフリ大統領が死去したとTV演説で伝えた。マグフリは61歳。2月27日以来公の場に姿を見せず、健康不安説が流れていた。ハッサン副大統領によれば、マグフリは心臓に持病があり、ダルエスサラームのEmilio Mzena病院で死去した。  マグフリは、2月27日を最後に公の場に姿を見せておらず、健康不安説が流れていた。先週には、ナイロビの病院に移送されたという情報や、Covid-19に感染したとの噂が流れた(3月10日付ファイナンシャルタイムズ、11日付ルモンド)。これに対して政府は、大統領の健康に問題はないと反論していた。  マグフリは、2020年10月に大統領に再選されたばかりである。2015年に政権に就いた彼は「ブルドーザー」の異名を取り、汚職摘発などを精力的に進めたが、一方でメディアへの規制を強めるなど強権化が進んだとの指摘も多い。また、新型コロナウイルス感染症に対しては、一貫して軽視する態度に終始し、、昨年5月以降は感染者数の発表も行ってこなかった。  マグフリの死去によりハッサン副大統領が大統領に就任する見通しだが、この間マグフリの健康に関する情報が何も発表されなかったで、政権内に権力闘争があったのではないかとの見方が出ている。野党のなかには、大統領は先週亡くなっていたと述べる者もいる(18日付FT)。マグフリは強い指導力を持った政治家であり、敵も多かっただけに、彼の死がどのような政治的影響を及ぼすのか、注目される。

個別ページへ

セネガルで暴動

2021/03/10/Wed

 平和と民主主義が維持されてきたセネガルで、暴動が起こっている。8日、マッキー・サル大統領は人々に平穏を呼びかけ、コロナ禍で悪化した経済危機が不満の背景にあるとして、夜間外出禁止令の緩和を発表した。  暴動のきっかけは、今月3日に起こった野党指導者ウスマン・ソンコ(Ousmane Sonko)の逮捕であった。ソンコは、2019年の大統領選挙に立候補し、第3位の得票を確保した野党政治家だが、今年2月、腰痛の治療で通っていたマッサージ店の女性から暴行と脅迫を受けたとして訴えられていた。ソンコは容疑を一貫して否認し、訴えは政治的動機に基づくものだと主張していたが、3月3日に予審判事の審理を受けるために出頭したところを逮捕された。これが支持者を中心に抗議デモへとつながり、デモ隊の一部が暴徒化して、商店などの略奪や襲撃が発生した。装甲車が出て鎮圧する事態となり、当局発表で5人が死亡した。セネガル赤十字によれば、3日から8日の間に590人が負傷したとのことであり、セネガルでは近年まれに見る大規模な暴動となった(3月9日付ルモンド)。  暴動の背景として、サルが述べるように、コロナ禍と経済危機が影響していることは疑いない。しかし、それに加えて、サルの政治手法の強権化に人々の不満が高まっていたことも見逃せない。サルは2012年に大統領に初当選し、現在2期目だが、前大統領の息子Karim Wadeや前ダカール市長Khalifa Sallのような有力なライバルをスキャンダルがらみで失脚させてきた。今回のソンコ逮捕も、人々には同様の手法に見えたようだ。  野党勢力は、新たな連合組織「民主主義防衛運動」(Mouvement pour la Défense de la Démocratie:M2D)を結成し、デモの継続と政治犯の釈放を呼びかけている。事態収拾に乗り出した大統領がどのように対応するのか注目される。

個別ページへ

マクロン仏大統領、アルジェリア戦争時の軍の犯罪を認める

2021/03/06/Sat

 3月2日、マクロン仏大統領は、アルジェリア独立戦争の闘士で弁護士のアリ・ブーメンジェル(Ali Boumendjel)の死(1957年)が、フランス軍の拷問・殺害によるものであったことを認めた。マクロンはこの事実を、ブーメンジェルの4人の孫を大統領府に招いて伝え、昨年8月に亡くなった彼の妻のMalika が「聞きたかったことだろう」と述べた。  ブーメンジェルの死については、公式には自殺とされてきたものの、オサレス(Paul Aussaresses)将軍がその著書2001年に出版した『特殊任務 アルジェリア1955-1957』(Services spéciaux. Algérie 1955-1957. Perrin)において、拷問と殺害を告白していた。今回マクロンは、フランスの名の下に、その責任を認めたことになる。  政府がブーメンジェルの殺害を認めることは、2021年1月に刊行されたアルジェリア戦争の記憶をめぐるバンジャマン・ストラの報告書での勧告の一つであった。ストラの報告書に関しては、刊行後にフランス、アルジェリア双方で大きな議論となっている。ストラ報告書は勧告の中に「謝罪」を盛り込まなかったが、アルジェリア政府の立場は「謝罪」を求めるものであり、アルジェリアの退役軍人組織はストラ報告書が「植民地におけるフランスの犯罪を隠ぺいした」と非難している(3日付ルモンド)。一方で、フランス国内では保守派を中心に「謝罪」に対する拒否感が強い。  ストラは、ルモンド紙とのインタビューのなかで、「謝罪」については、「政治的な罠」に陥る危険があると考えて報告書には盛り込まなかった、今になってみると、虐殺のようにはっきりした犯罪については謝罪すべきだと書き込めばよかった、と述べている(2月17日付)。  今回、マクロンが軍によるブーメンジェルの殺害を認めたことは、専門家の中でも驚きの声が上がっている。歴史家のラハル(Malika Rahal)は、ストラ報告書が出たとき、政府はこの点は認めないだろうと思っていたと述べている(5日付ルモンド)。オサレス将軍の著書によって半ば公然になっていたとはいえ、政府としては大きな決断だったと言えよう。ラハルが指摘するように、アルジェリア戦争中に失踪し、フランス軍の関与が疑われているのはブーメンジェル一人ではないからだ。  今回のマクロンの動きは、来年の大統領選挙で有力な対立候補となるであろう、極右候補マリーヌ・ルペンを意識したものという分析もある。彼女と彼女の政党がこうした行動に一切反対することを見越して、先手を打ったという指摘である(3日付ルモンド)。  アルジェリア戦争をめぐる昨今の動きは、植民地の記憶をめぐる問題が、解決には程遠い状況にあることを示している。しかし、それをよりよい状況に向けて動かそうという意思は確実に見受けられ、そこから学ぶことは非常に大きいと感じる。

個別ページへ