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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2023年05月

ウクライナ戦争とアフリカ

2023/05/27/Sat

 ロシアのウクライナ侵攻から1年余が過ぎ、これが国際秩序の再編に関わる問題であることがはっきりしてきた。その文脈で、各方面からアフリカへのアプローチが強まっている。  25日、アフリカ統一機構(OAU)創設60年記念演説で、ムサ・ファキ・マハマトAU委員会委員長は、アフリカを再び「地政学的争い」の場にしてはならないと警告した(26日付ルモンド)。「新冷戦のゼロサムゲームのなかで、アフリカがコマとして利用されることに抵抗しなければならない」という主張である。  近年アフリカには、多くの国々がアプローチを強めてきた。ヨーロッパ諸国、日本、中国、米国(バイデン政権期)といった国々に加えて、湾岸諸国やトルコ、ブラジルなども、アフリカとの関係強化を図ってきた。ロシアは2019年に第1回ロシア・アフリカサミットを開催した。今年7月には、ザンクトペテルスブルクで第2回サミットが予定されている。  ウクライナ侵攻後は、米国とロシアが繰り返しアフリカに要人を派遣してきた。今年に入ってからも、米国のブリンケン国務長官とハリス副大統領が相次いでアフリカ諸国を訪問し、ロシアのラブロフ外相も今年初めに南アフリカ、マリ、エリトリア、スーダンなど複数国を訪れている。  最近になって、ウクライナもアフリカへのアプローチを強めている。クレバ外相は昨年10月にセネガル、コートジボワール、ガーナを、この5月にはルワンダ、モロッコ、エチオピアを訪問した。年内に複数国で大使館を開設するほか、初めてとなる「アフリカ戦略」文書を策定した。24日にはアジスアベバで、アフリカ諸国に「中立」を止めるよう呼びかけた。  アフリカの側からも、ロシアとウクライナの仲介に向けた動きがある。5月16日、ラマポサ南アフリカ大統領は、自らを含む6人のアフリカ諸国の指導者が「できるだけ早く」ロシアとウクライナを訪問し、和平を呼びかけると発表した。  この「平和ミッション」の仕掛け人は、フランス人実業家のジャン=イヴ・オリビエ(Jean-Yves Ollivier)である。78歳の彼は、トレーダーとして、半世紀以上穀物や石油などの商品を扱ってきた。コンゴ共和国のサスー=ンゲソ大統領をはじめ多くのコネクションを持つ、いわゆるフィクサーである(18日付ルモンド。26日付ファイナンシャルタイムズ)。エジプト、セネガル、ザンビア、南アフリカ、ウガンダ、コンゴ共和国の大統領が、6月か7月にロシア、ウクライナ両国を訪問することで調整が進められている。  この訪問が実現する可能性は高いが、効果のほどは不明である。紛争仲介の経験が豊富なオルセグン・オバサンジョ元ナイジェリア大統領は、米国国務省、英国外務省筋から「適切な時期ではない」との感触を得たとして、この訪問の効果を疑問視している。武器輸出疑惑の汚名を返上したい南アのラマポサ、過度に西側寄りだとの国内の批判を和らげたいザンビアのヒチマナ、独裁政権として孤立した現状を打破したいサスー=ンゲソなど、アフリカ大統領側のそれぞれの思惑を指摘する声もある。これに対してオリビエは、「交渉ごとなのだから、それぞれ思惑があるのは当然だ」と答えている(26日付FT)。  ウクライナ戦争のなかで、「グローバルサウス」と呼ばれる発展途上諸国の行動が注目を浴び、その発言力が高まったことは、先の広島サミットでも明らかだ。国際秩序再編に向けて、このグループがどう動くかが大きな意味を持つからだ。アフリカはその中核に位置する。25日、AUで演説したエチオピアのアビィ首相は、アフリカが世界的アリーナで強力な声を持つようになるべきだ、と主張した。「グローバルサウス」にせよ、アフリカにせよ、一枚岩ではないが、こうした国々が国際政治でより重要な位置を占めるようになったことは疑いない。 (武内進一)

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混血児に関するベルギー領コンゴの政策

2023/05/25/Thu

 ベルギー植民地であったコンゴ民主共和国の混血児をめぐる問題については、2019年4月にミッシェル首相(当時)が下院で謝罪するなど、ベルギー国内で批判が高まっている。24日付ルモンド紙は、混血児自身が原告になった裁判を取り上げ、植民地期の驚くべき政策とその背景について報じている。  コンゴ人を母に、ベルギー人を父に持つノエル・ヴェルベケン(Noëlle Verbeken)が、同じ境遇の4人の女性とともにベルギー国に対して民事訴訟を起こしたのは、2020年であった。5人の女性はいずれも、ミシェル・イルシュ(Michèle Hirsch)弁護士とともに裁判に踏み切った。ノエルは、1945年エリザヴェートヴィル(現ルブンバシ)生まれ。その時、彼女の母親は15歳、父親は58歳で植民地政府の高級官僚だった。  ノエルなど原告の女性は、生後母親から引き離され、宗教施設などで育った。こうした措置は、1952年のボードワン国王による政令で正当化された。この政策には、混血に対する植民地当局の眼差しが反映されている。  1913年、戦後に首相を務めることになるジョゼフ・フォリアン(Joseph Pholien)は、混血について、「植民地の将来を危険に晒す」存在だと書いた。「神が白人、黒人を創った。混血を創ったのは悪魔だ」、「混血の誕生を防ぐために、あらゆることをしなければならない」という主張である。白人が支配的位置を占める人種観を持つ人々にとって、混血はその秩序を脅かす存在と映ったのであろう。  1940年、ピエール・リックマンス(Pierre Ryckmans)植民地総督は、混血児について、教育を受けさせれば混血児は行政や商業部門において「必要不可欠な下級補助員」になるとして、彼らを「土着社会から引き離す」手段の合法化を要求した。リックマンスは、1934~46年にわたって植民地総督を務めたが、1935年には「人種の混交が引き起こす諸問題」に関する会議をベルギー領コンゴで開催している。この会議の目的は、公式には「混血の保護」であったが、会議冒頭の演説では明確に、「混血を抑制し、あらゆる効果的方法によって阻止する」必要が謳われ、「アフリカにおける白人種の将来」はそこにかかっている、とされた。  それ以降、ベルギー領コンゴでは、混血児の誕生を抑制するための「効果的方法」が模索された。混血児を登録する、2~3歳になるとすぐに警官が親から引き離す、出自を曖昧にするため姓や誕生日を変える、預けられた教会を通じて極力子どもと親の接触をさせない、といった措置がとられた。   1952年の政令では、「後見人委員会」が置かれ、15歳以上の混血の娘たちの結婚について調整が行われた。自由に結婚相手を選ぶなど問題外であったと、イルシュ弁護士は述べている。この政策は独立まで継続された。イルシュ弁護士らは、ドイツ人とポーランド人の結婚から出来た子どもたちを誘拐したナチの政策との類似性を指摘している。  ノエルらの訴えに対して、一審では、当時の状況では罪に当たらないとして、賠償金も認めなかった。原告らは控訴し、その審理を待っている段階である。  この記事が報じる植民地期の政策は、差別的な人種概念が当時強い影響力を持っていたことを示している。白人種の支配を掘り崩す存在として混血が恐れられ、それが隔離政策に繋がったのである。現在では全く容認できない政策が、人種の「科学性」を根拠として、植民地期にアフリカで行われていたことに、改めて暗澹たる思いがする。 (武内進一)

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南部アフリカ開発共同体(SADC)がコンゴ東部に派兵

2023/05/15/Mon

 5月8日、ナミビアの首都ウィントフックで開催されたSADC(南部アフリカ開発共同体)のサミットで、コンゴ民主共和国東部へのSADC待機軍派遣が決定された。この会議は、ナミビアのガインゴブ大統領が主催し、南アのラマポサ、コンゴのチセケディ、タンザニアのハッサン各大統領が出席。アンゴラ、マラウイ、ザンビアが閣僚を派遣した。待機軍の派遣時期や派遣規模については言及されなかった。  翌9日、チセケディ大統領は、2022年11月に東部に導入した東アフリカ共同体地域軍(EACRF)に関して、6月までにM23との戦闘で成果がなければコンゴから撤収させると述べた。コンゴ東部では、従来から国連平和維持活動(MONUSCO)に対する不満が表明され、抗議活動が行われてきたが、EACRFに対しても同様の動きが起こっている。4月27日には、司令官のMaj. Gen. Jeff Nyagah(ケニア人)が脅迫と活動への妨害を理由に辞任した(4月28日付ルモンド)。その際に、EACRFの活動に対して、システマティックな妨害活動がなされているとの不満を表明している。  ルワンダの政府系新聞New Times紙は、5月12日付記事で「コンゴには幾つ外国武装勢力がいるのか?」との見出しを掲げた。  現在、東アフリカ共同体から、ウガンダ、ケニア、南スーダン、ブルンジがEACRFに兵力を提供している。2023年2月現在17,753人の兵力を有するMONUSCOには、パキスタン、バングラデシュ、ネパール、南ア、インドネシア、モロッコ、タンザニア、ウルグアイ、マラウイなどが兵員を、ブルキナファソ、トーゴ、カナダ、ギニア、マリなどが警察官を提供している。加えて、武力行使を前提として編制された介入旅団(FIB)に、タンザニア、マラウイ、南アが3000人の兵力を拠出している。  さらに、New Times紙によれば、チセケディ政権は傭兵を利用している。ブルガリアのAgemira社から、ブルガリア人、ジョージア人、ベラルーシ人など約40人を派遣させ、ソ連製のスホイ戦闘機の操縦などに従事させているという。同記事は、傭兵の利用は、チセケディ政権に和平への意図がないことを示すものだと断じている。  この記事の背景に、ルワンダとコンゴの悪化した関係があることは言うまでもない。とはいえ、とっかえひっかえ外国の軍隊を導入するチセケディ政権の姿勢にも、疑問を禁じ得ない。こうした形での外国部隊の導入が、和平に繋がる見込みは薄いと言わざるを得ない。 (武内進一)

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南アフリカ・米国関係の緊張

2023/05/14/Sun

 11日、ブリゲティ(Reuben Brigety)在プレトリア米国大使は、地元テレビ番組で、南アがロシアに武器を提供したとして、同国が主張するウクライナ戦争への中立性に疑問を呈した。大使は、2022年12月初めにケープタウン近くの軍港に停泊していたロシア貨物船が、武器を運搬したと主張した。この発言が伝わるや、為替市場ではラントが売られ、大幅な安値を記録した。  これに対して南ア大統領府は、本件については調査中であり、大使が「このような非生産的なスタンスを取ることに失望を禁じ得ない」との声明を発表した(12日付けファイナンシャルタイムズ)。  この問題はしばらく前から燻っていたものだ。昨年12月初めにロシア船Lady R号がケープタウン近くのサイモンズ・タウン(Simon's Town)に停泊していたこと、この船が入稿の際に送受信装置を切っていたことは、既に今年1月に報道されていた(1月27日付FT)。最大野党の民主同盟(DA)も、本件について、不明な点が多すぎると批判していた。  米国内には、「非同盟主義」を掲げてウクライナ侵攻のロシアを非難しない南アフリカに苛立ちの声がある。今年2月には中国、ロシアと軍事演習を行い、8月にはBRICSのサミットを主宰する。米国の思い通りにならない南アに対して、AGOAから排除し、関税優遇措置を剥奪すべきだとの声も出ている(4月27日付FT)。大統領付国家安全保障顧問のムファマディ(Sydney Mufamadi)をトップとする使節団が最近ワシントンを訪れ、ウクライナ問題に関する南アのスタンスを説明し、AGOAの維持を求めたところである(5月13日付FT)。このLady R号事件についても、調査を約束していた。  こうしたなかでブリゲディ米大使の発言があったわけだが、その後は両国ともにいたずらに事を荒立てないよう努めているように見える。翌日大使を呼び出した南ア外務省は、同大使がパンドール外相に対して「率直に謝罪する」と述べたと発表した(5月12日付FT)。ブリンケン米国務長官がパンドール外相に連絡した一方、ムファマディ顧問も南アとしてこの問題を自主的に調査すると約束した。  米国は非同盟主義そのものを批判していない。グローバルサウス全体を敵に回せば、ロシアの思うつぼだ。一方で、思い通りに動かない南アのような国への苛立ちは、とりわけ議会あたりに強い。今回の一件は、そうしたせめぎ合いを示している。 (武内進一)

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スーダンの武力紛争とイスラーム主義勢力

2023/05/04/Thu

 スーダンで勃発した武力紛争のなかで、イスラーム主義勢力の復権が囁かれている。4月25日、バシール政権時代(1989~2019年)の要人ハルーン(Ahmed Haroun)のメッセージがテレビで流され、彼が監獄から逃亡したことが明らかになった。ハルーンは、ダルフール紛争での人権侵害に関与し、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が発出された人物である。ハルーンだけでなく、バシール政権期の要人十数名が混乱の中で刑務所から解放されたという(26日付ルモンド)。  バシールは1989年6月30日のクーデタで政権を握ったが、これを主導したのはイスラーム主義勢力であった。バシール政権転覆に伴って、彼らは1989年クーデタに加担した容疑で一斉に逮捕・収監された。その彼らが刑務所から解放されたわけである。なお、バシール自身はしばらく前に刑務所から病院に移送されたようだ。  4月25日のメッセージで、ハルーンは国軍を支持するよう呼びかけた。軍はイスラーム主義との関係を否定するが、内部に支持勢力が残存している可能性は否めない。また、2021年10月25日のクーデタで文民政権が倒れて以降、ブルハーンはイスラーム主義者に有利な決定を繰り返してきたとの指摘もある。  一方、バシールに取り立てられたにもかかわらず寝返ったヘメティは、イスラーム主義者から見れば「裏切り者」である。こうした背景からハルーンが国軍への支持を訴えたと見られる。ヘメティの側は、今回の紛争を「イスラーム主義者への戦い」と位置づけ、バシール政権を打倒した民衆の支持を得ようとしている。  今回の武力衝突がなぜ起こったのか、どちらの陣営がなぜ攻撃を仕掛けたのかは、依然謎である。3日付けルモンドでは、今回の武力衝突で利益を得たのはイスラーム主義者だけだ、として、衝突をイスラーム主義者が仕組んだ可能性を示唆している。  事態がはっきりするまでまだ時間が必要だが、30年間のバシール政権のレガシーが様々な形で現れていることがわかる。 (武内進一)

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