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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2019年04月

北アフリカ政治の激変

2019/04/29/Mon

このひと月の間に、北アフリカの政治地図は激変した。アルジェリア国軍トップのサラー(Ahmed Gaïd Salah)将軍が、健康上の理由による大統領交代の可能性に言及したのが3月27日であった。ブーテフリカ大統領は、既に3月11日、予定されていた4月18日の次期大統領選挙に出馬しないと表明し、選挙の無期限延期を公表していたが、軍トップの発言を契機として辞任への流れが一気に強まり、ブーテフリカは4月2日に即時辞任を発表した。アルジェリアの抗議デモは、そもそも2月10日にブーテフリカが4月選挙に5選をかけて立候補すると表明したことに端を発している。高齢で健康不安を抱えた大統領の出馬表明に対して若者を中心に反発が広がり、大規模な抗議行動へと発展したわけである。ブーテフリカ辞任後、憲法に従って国会議長を暫定大統領とする選挙管理政権が成立した。政権側は7月4日に大統領選挙を実施するとしているが、これが予定通り実施されるかは不透明である。4月29日付ファイナンシャルタイムズによれば、デモは今や軍が実権を握る既存の体制そのものを批判しており、そのような体制下での選挙に異を唱える動きが広がっているという。 一方スーダンでは、主食であるパン価格の大幅値上げをきっかけに12月からデモが続いていた。デモ隊の要求は食料価格の値上げ反対からバシール大統領辞任へと転換し、軍に対して政権交代を呼びかけるようになった。こうした動きの中で4月11日、国防相がバシールを逮捕し、軍事委員会による統治を宣言した。軍によるクーデタである。しかし、民衆はこの動きを単にトップが変わっただけの「バシールなきバシール体制」だとして批判し、抗議を拡大した。その結果、翌12日に国防相が軍事委員会のトップを辞任し、傍流であったブルハン(Abdel Fattah Abdelrahman Bourhan)将軍へと交代した。文民による政権運営を求めるデモ隊の要求や国際社会の圧力もあって、24日には軍とデモ隊側の合同協議委員会の会合が持たれ、27日には軍民合同での政権樹立で合意したという(4月28日付ルモンド電子版)。 民主化運動が盛り上がる一方で、同じ北アフリカでは正反対の動きも進んでいる。4月2日、リビア東部で軍事支配を続けてきたハフタル(Khalifa Haftar)将軍が首都トリポリへ向けて軍事進攻を開始した。トリポリには国連の承認を得た政権が存在するが、ハフタル将軍はこの政権をムスリム同胞団の影響が強いと批判し、軍事力での政権獲得を目指している。ハフタル将軍の進攻には、米仏やエジプトが事実上の支援を与えているとも言われる。またエジプトでは、4月17日議会がシーシー大統領の任期延長に合意し、23日には国民投票で圧倒的多数で採択された。これにより、もともとクーデタで政権を獲得したシーシーは、2030年まで政権の座に留まることが可能になった。 アルジェリアやスーダンで政権を打倒した民衆運動はまぶしく感じられるが、2010年末に始まった「アラブの春」がエジプトやリビアでどのような帰結を辿ったのかを知っている我々には、そこに大きな不安をも抱かざるを得ない。こうした動きが同時並行的に進むことがこの地域の現実であり、そのようなものとして観察を続ける必要があるということだろう。

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スーダン・イスラーム強硬派排除と湾岸諸国の関与

2019/04/19/Fri

バシール前スーダン大統領失脚後、イブンオウフ国防大臣が同国軍事評議会のトップの座に就いたものの、バシールの側近であったことなどから市民の怒りを買い、イブンオウフは僅か一日で退任した。後任に指名されたブルハン中将は前任者とは異なり、イスラーム主義の印象も薄く、穏健派として知られている人物である。また、イエメン内戦の際に、有志連合に参加したスーダン軍の指揮に関わった経験を有し、湾岸諸国の軍高官らと親交のある人物とも言われている。 4月13日、同評議会は会見を開き、サラハ・アブダッラ国家情報・安全保障局長(通称サラハ・ゴシュ)の辞任を発表しつつ、評議会から旧政権関係者を一掃することを表明した。サラハ局長はバシール政権のナンバー2とも言われてきた強硬派の一人で、市民の抗議運動のターゲットの一人でもあった人物でもある。 バシール失脚から、僅か1週間でスーダンの体制は目まぐるしく変化したが、ここで興味深いのは、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプトの湾岸3か国が、スーダンの強硬派の要人(バシール、イブンオウフ、サラハ)の排除に関与した疑いを持たれていることである。狙いは、スーダンにおけるイスラーム主義勢力の弱体化であるといわれている。実際、アラブ首長国連邦とサウジアラビアは、合同使節団をハルツームに派遣して軍事評議会とすでに交流を果たし、同評議会を支援する声明を発出している。 対照的に、スーダンの軍部主導の新体制を強い口調で批判したのはアフリカ連合であった。スーダンは中東とアフリカの結節点ともなっていることに地政学的な特徴があり、現下、同国は、アラブ連盟とアフリカ連合の加盟国を兼ねている。4月15日、アフリカ連合は声明を発出し、法にのっとらない仕方で政権が転覆させられたことを非難しつつ、15日以内に文民政権に移行されなければ制裁を課す考えがあることを明かした。アフリカ連合への加盟停止処分が示唆されている。文民政権への道筋がみえるかどうか、ひとまずAUの期限である今月末までの同国の動きに注目が集まっている。

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ICCでコンゴ事件を担当する日本人判事に資格審査請求

2019/04/14/Sun

11日付ルモンド紙によれば、ICCの尾崎久仁子判事に対して資格審査請求が提出された。尾崎判事はコンゴ民主共和国のイトゥリにおける戦争犯罪行為などで逮捕・起訴されたンタガンダ(Bosco Ntaganda)の審理を他の2人の判事とともに担当しているが、今年2月11日に駐エストニア日本大使に任命され、ICCの判事は兼任になっている。ンタガンダの弁護人であるブルゴン(Stéphane Bourgon)氏は4月上旬、事件の審理(3人の判事による合議)を中止し、尾崎判事の資格審査を行うよう要求した。判事職がパートタイムであり、十分な審理ができないとの主張である。合議にあたって代理の判事は置かれていないため、もし尾崎判事が資格喪失と判断されれば、審理はやり直しとなる。2015年9月の公判開始以来70人以上の証人を呼び、積み上げてきた合議が無に帰すことになる。 報道によれば、1月上旬、尾崎判事は2月11日以降は「個人的理由により」パートタイムの職務とするようICC総長に許可を申請し、2月13日にエストニア大使に任命された。その時、尾崎判事は、兼任が受け入れられなければ辞職すると述べたという。辞職すると審理は破棄され、裁判のやり直しが必要になる。結局、ICCは3月4日、尾崎判事の要請を認めた。ICCには判事に政治的活動を禁じる倫理規定があるが、この決定に反対した判事は少数だったという。 日本はICC予算の最大拠出国である。ルモンド紙は、最大拠出国が自国人事の都合を優先させたという論調で記事をまとめている。アムステルダム大学のKevin Jon Helller教授(国際法)は、尾崎判事はICCの同僚が公判のやり直しを嫌がるだろうと踏んで自分の兼任を認めさせたのであり、明らかに問題だというコメントを寄せている。日本では尾崎判事が任期満了で退任したと報じられているが、担当案件が完全に終わらないのに外務省が人事発令を行ったのだろうか。このためにンタガンダの審理をやり直す事態になれば、許されることではない。 ルモンド紙の記事はフランス等の見方を反映したものであり、日本にはそれなりの主張があるのかもしれない。この件は日本のマスメディアで報じられておらず、政府の見解も発表されていない。日本国民としてどのように考えればよいのか、気になる報道である。

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スーダン・バシール政権の終焉

2019/04/12/Fri

30年に亘るスーダン・バシール政権が終焉を迎えた。4月11日、イブンオウフ第一副大統領兼国防大臣は、バシール大統領の拘束および退任を明らかにした。同氏が声明を読み上げる様子は同日、現地でTV中継された。そこでは、今後2年間を移行期間と定め、移行期軍事委員会が同期間の国家運営にあたる旨が説明された。また非常事態宣言、夜間外出禁止令、空域閉鎖等が併せて発表された。 食糧価格の高騰等を契機に昨年末から続いていたスーダン国民による粘り強い抗議運動は、国軍兵士を巻き込む恰好となり、ついには今般の政権転覆を呼び込んだ。しかしながら、市民のなかにはバシール退任を好意的に捉えつつも、軍事クーデターによってそれが成されたことを批判し、民意の反映される文民政権の樹立を目指すデモを続けるべきだと考えるものも少なくない。そのため、夜間外出禁止令に拘わらず、現在も座り込みの抗議運動を続ける市民が少なくないことが報じられている。 イブンオウフはバシールに長らく仕えてきた古参の一人であると言う。過去には軍事諜報部及び治安部門のトップを務めた人物である。さらに国際社会にとって重要なのは、彼がダルフールにおける暴力煽動及び人権侵害行為を担った一人として、2007年に米国から制裁を受けた経験を有することだろう。評価はおのずと慎重となるに違いない。 参考資料:https://www.aljazeera.com/news/2019/04/awad-ibn-auf-face-sudan-coup-190411163025083.htmlhttp://www.sudantribune.com/spip.php?article67356

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スーダン国軍兵士が反政府デモに参加

2019/04/10/Wed

現地メディアは、4月9日付の記事で、スーダン国軍兵士の一部が反政府デモに加わっている旨を報じた。スーダン各地で昨年末より政府に対する抗議運動が生じていることについては、本年1月の「今日のアフリカ」で取り上げたが、今もなお継続し全土に拡大しつつある。 Youtubeには、抗議運動に参加する複数の若手兵士の様子が早速アップロードされている。報道によれば、デモを支援する若手兵士らは「これは同胞兵士らに対するメッセージである」と述べるなどして他の兵士の参加を呼びかけており、市民とともに抗議運動を続ける旨を表明している。 また、ここ数日の間に、国軍兵士と治安要員(国家情報治安局メンバー)の間に諍いがあったことが報じられている。軍関係者の敷地付近で抗議活動を行っていた市民をめぐり、それを守ろうとした兵士と治安要員が衝突したなどと言われており、現在、両者の関係は緊張化している様子である。今般の国軍兵士のデモ参加は同国の情勢を大きく変化させるきっかけとなるかもしれない。 参考:http://www.sudantribune.com/spip.php?article67344

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フランスがルワンダ内戦時の対応について調査委員会を設置

2019/04/07/Sun

4月5日、マクロン仏大統領は、ルワンダ内戦時のフランスの対応に関する調査委員会を設置した。委員会は、歴史学者や人権侵害に関する研究者9名から構成され、外務省や国防省などあらゆる政府機関の文書調査が認められる。委員長のヴァンサン・デュクレール(Vincent Duclert)はフランス第三共和政を専門とする歴史家だが、ジェノサイド概念についても研究歴があり、オランド政権期にはジェノサイドと人道に反する罪について調査研究チームを率いた経験を持つ。 1990~94年のルワンダ内戦においてフランスはハビャリマナ政権を支持し、派兵した。94年4月6日のハビャリマナ大統領搭乗機撃墜事件をきっかけとしてトゥチを主たる標的とする大虐殺が起こったことから、フランスの責任が指摘されてきた。特に、内戦によって政権を握り、現在まで政権の座にある「ルワンダ愛国戦線」(RPF)は、フランスがジェノサイドに加担したとの非難を繰り返してきた。大虐殺の契機となった事件から四半世紀が経過した機会に、政府文書を広く公開して真実を明らかにしようとの姿勢をマクロン政権が示したことになる。 調査委員会に関して最も論争となっているのは、ルワンダの専門家が排除された点である。フランスには当然ルワンダについて優れた研究を発表している研究者が何人もいるが、この委員会には一人も入っておらず、これを批判する意見は多い。加えて、当時のフランス大統領ミッテランの関連文書を管理するフランソワ・ミッテラン財団がこれまでのところ文書公開を拒んでおり、どの程度実効的な調査が可能なのか疑問視する声もある。 とはいえ、過去の疑わしい外交政策に関して、あらゆる政府関連文書へのアクセスを大統領から確約された調査委員会が設置されることは、前向きに捉えられるべきである。6日付ルモンド紙は社説で、ジェノサイドから四半世紀が経過した今、そのサバイバーも、犠牲者の家族も、そしてフランス国民も真実を知る権利があると述べ、委員会に期待を寄せている。 ルワンダ側の対応としては、政府系新聞ニュー・タイムズ紙が、批判的意見も紹介しつつ、調査委員会の設置自体は前向きにとらえる論調の記事を掲載している(6日付)。当面は静観という姿勢のようだ。ルワンダでは毎年、4月上旬に連日ジェノサイドの記念行事が行われる。そこで改めて、フランスの役割が議論されることになるだろう。

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ベルギー首相が混血児の処遇について謝罪

2019/04/06/Sat

 4月4日、ベルギーのミッシェル首相は、下院本会議において、植民地期のブルンジ、コンゴ、ルワンダにおける、異人種間結婚から生まれた子供に対する政策について謝罪した。植民地期には、ベルギー人の父親と「土着」の母親との間に1.4~2万人の混血児が生まれたが、独立前後の1959~62年にそのうち約千人が母親のみならず兄弟とも離されてベルギーに連れてこられたという。5日付ルモンド紙が引用する首相演説によれば、こうした子供たちは「ベルギー各地の孤児院や寄宿学校にばらまかれた。彼らは名前や生年月日を変えられ、アイデンティティを喪失した」という。下院総会には、数十人の当事者(親から引き離された子供たち)が招かれ、傍聴した。 ベルギー統治下のアフリカ諸国ではカトリック教会の影響が強く、植民地当局も異人種間結婚に否定的だった。混血児は「メティス」と呼ばれ、人種間分離を基本とする植民地政策への脅威と捉えられたことがこうした政策の背景にあると、ニューヨークタイムズ紙(4日付)は分析している。混血児の拉致については、2017年にカトリック教会が関与を認めて謝罪している。 植民地期に恐るべき不正義が行われたことは様々な国で共通している。長い時間を経て、それが表面化し、対応を迫られているのが近年の状況である。問題の深刻さを考えれば、謝罪だけで済むわけではないだろう。それでも、政府として問題を認め、謝罪することは和解と問題解決への一歩として評価できる。

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エチオピア西部の治安情勢悪化とOLF

2019/04/02/Tue

2019年3月19日、エチオピア・オロミア州西ウォッレガ地方で、通行中の車両が身元不明の武装集団に急襲され乗員5名が死亡した。うち2名は外国人で、日本人が巻き込まれた可能性があると複数のメディアが報じている。 当該地域においてはとくに昨秋頃より治安情勢が悪化しており、それにはオロモ解放戦線(OLF)が関係しているとみられている。2018年7月、アビィ政権はOLFに対するテロ組織指定を解除し、その翌月には敵対行為禁止を含む合意を締結した。その際、ダウドOLF議長が亡命先のエリトリアにおいて署名を果たした。9月には同議長含むOLF構成員約1,500名がエチオピアに帰還した。 約20年ぶりにエチオピアに戻ったOLFを数万人もの支持者が歓迎した。 OLFの帰還に際し、アビィ首相は「武装した状態では誰一人として帰還させない。持参できるのは各自の旗のみだ」と述べるなど、非武装化が不可欠である点を強調した。しかしながら帰還後のOLFについて、非武装化されている人員は構成員総数の半数にも満たないとの指摘もある。2018年10月、エチオピア政府広報室長ら政府要人は「OLFの名のもと特定の武装勢力が西部で活動している」と同組織を非難し、即座の自主的な武装解除を訴えかけた。 このように非武装化をめぐって政府とOLFとの緊張が高じ、オロミア州西部で「連邦兵士によって強制的に非武装化が履行されるらしい」などといった情報が流れるなどした結果、10月下旬、オロミア州西部の主要地区(アンボ、ネケムテ、デンビ・ドロ などおよそ15町)で反政府集会が組織された。当初は平和裏におこなれれたものの、一部では連邦兵士を妨害するため道路封鎖が行われたり、手榴弾が使用されたとの報道もみられる。その後も同地域周辺の治安情勢は回復に至らず、昨年末までに幾度の道路封鎖のみならず州境近辺では爆撃事件も報告されている。 2019年1月、政府はOLF-SG(ダウド議長率いるOLFの一派)と和平調停を開き、即時停戦が合意された。オロモ地域社会のリーダーら(abba gadaa)を調停委員会に加えるなどといった進展はありつつも、依然として同地域の治安が回復したとは言い難い状況が続いている。政府とOLFの交渉の行方は同地域の治安情勢に即座に反映されるだろう。今後もその進展には注意が必要である。

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コンゴ東部でエボラ感染拡大

2019/04/01/Mon

 コンゴ民主共和国東部ベニ、ブテンボ付近ででエボラウイルスの感染者が確認されたのは、昨年8月のことだった。コンゴでエボラ出血熱が発生したのは今回が10回目だが、これまで感染は早期に終結してきた。しかし今回、感染は一向に収束せず、3月26日までに感染者は1000人を超え、639人が死亡した(3月29日付ファイナンシャルタイムズ)。感染が収束しない原因として大きいのは、武力紛争継続地域でエボラが広がっていることである。 今回のエボラウイルス感染地域であるベニ、ブテンボ近郊は、20年以上にわたって断続的に武力紛争が継続してきた。近年では、大規模な武力衝突こそ起きていないが、住民が何者かに虐殺される事件が頻繁に発生し、治安が不安定なことに変わりはない。この虐殺事件は、ウガンダの反政府武装勢力ADFによると見られるものの、犯人は検挙されていない。長年にわたって国連PKO部隊(MONUSCO)が駐屯しているが、住民虐殺事件に有効な対策を打てていない(詳細は、澤田昌人「コンゴ民主共和国東部における住民の殺戮----平和維持活動に対する脅威」『アフリカレポート』55: 74-78.参照)。こうした状況下でエボラが広がるのは初めてことである。 3月15日付ルモンド紙は、「エボラの政治化」という表現を用いて、問題の難しさを指摘している。昨年12月30日に実施された大統領選挙で、ベニ、ブテンボ地域は投票の4日前になって選挙が中止された。エボラ感染による混乱が理由である。ベニ、ブテンボ地域は、有力な政治家ンブサ・ニャムウィシの地盤で、反政府感情が強い。人々は、大統領選挙が中止されたのは、エボラが理由ではなく、ニャムウィシ支持者の投票を妨害するためだと解釈した。エボラウイルスへの不信は、それにより流入するカネへの不信につながる。大きな車を乗り回す保健省の役人や医療専門家に対して、人々はエボラがビジネスになっていると感じ、反発を強めているという。 こうした状況の背景には、政権から長年にわたって放置されてきたという人々の感情がある。2月末には、ブテンボのエボラ治療施設が何者かに攻撃される事件が起こったが、これも住民の中に政府への不信感があるためと考えられる。エボラ出血熱に対してはワクチンの試行も始まっており、適切な対策を講じれば抑制は可能である。実際コンゴでも、これまではそれに成功してきた。しかし、国家に対する不信が住民に広まっているとき、それが医療従事者への不信に転化し、感染症対策に大きな障害となることを、この例は示している。

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