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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2021年11月

コクリ・ヴィドロヴィッチの回想録

2021/11/28/Sun

 23日付ルモンドは、新著『アフリカの選択』(Le choix de l'Afrique)を出版したカトリーヌ・コクリ=ヴィドロヴィッチ(Catherine Coquery-Vidrovitch)のインタビューを掲載した。コクリ・ヴィドロヴィッチはフランスのアフリカ史研究を牽引した著名な研究者で、日本語に翻訳された論文もある。1935年生まれの彼女は、今年86歳になる。  インタビューでは、なぜ「アフリカ史」という未知の分野に踏み込んでいったのかと問われ、幼少期の経験を語っている。彼女の両親と祖父母は世俗化したユダヤ人で、フランス社会に完全に溶け込んでいた。しかし、ビシー政権と反ユダヤ人法は、彼女に自分の出自を否応なく突き付ける。父親は戦争中に死に、父方の祖父は絶望のあまり自死し、母方の祖父はアウシュビッツのガス室で殺された。  「私は自分の国に居ながら、異邦人だった」と彼女は述べている。戦争中に、「占領されること」が何かを体験したのである。植民地化された者もまた「占領され」ていた。自分の幼少期は、アフリカという選択への準備段階だったと彼女は言う。  コクリ・ヴィドロヴィッチは、植民地史や、アフリカの女性、若者などに関する研究で、大きな足跡を残した。いつのことか記憶が定かではないが、日本アフリカ学会研究大会の懇親会に参加しておられたのを遠くから眺めた記憶がある。艶やかな服装が印象に残っていて、その艶やかさとこのインタビューで初めて知った彼女の過去とがうまく結びつかないでいる。とはいえ、研究テーマが幼少期の決定的な経験と結びついているというのは、深く納得するところである。

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ナイジェリアの教会の後継者

2021/11/24/Wed

アフリカで最も影響力のあるペンテコステ・カリスマ系教会の一つ、ナイジェリアに本拠地があるシナゴーグ・チャーチ・オブ・オールネイションズ(SCOAN)の後を、指導者の妻であったエブリン・ジョシュア氏が引き継ぐことになったことが報じられている(BBC 11月22日)。SCOANのカリスマ指導者T.B.ジョシュア氏が今年の6月、57歳という若さで亡くなったため(BBC 6月6日)、教会では数ヶ月にわたる後継者争いが起こっていた。 T.B.ジョシュア氏率いるSCOANは、奇跡や予言などのパフォーマンスで知られ、90年代から急成長した。毎週の数万人規模の礼拝だけではなく、独自の衛生テレビ番組やYouTube番組における礼拝で世界的に影響を広げていた(YouTubeアカウント停止については今日のアフリカ4月17日)。 ナイジェリアの主流のキリスト教組織からは「カルトである」などとして認められてこなかったが、アフリカにおける政治家や有名人への影響力は強く、ガーナの元大統領ジョン・アッタ・ミルズや、リベリア現大統領ジョージ・ウェア、ナイジェリアの元大統領グッドラック・ジョナサン、タンザニアの元大統領の故ジョン・マグフリなどが、彼に様々な問題を相談しに来ていたとされる。またラゴスのSCOANの拠点は宗教ツーリズムの一大目的地ともなっており、アフリカ内外からの訪問者は毎週15000人ほどに上っていた(The Guardian 9月9日)。周辺にはホテルや商業施設、銀行などが建設され、教会は町の大きな産業であるだけではなく、ナイジェリアの観光業の主要な担い手でもあったといえる。 カリスマ的指導者亡き後、巨大に成長した教会がどのような展開を見せるのか。SCOANの今後の動向は、80年代以降アフリカで急成長を見せた、カリスマ指導者に頼るペンテコステ・カリスマ系教会の将来を考えるときの一つのメルクマークとなるだろう。

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スーダン:文民首相の復帰と市民社会の反発

2021/11/23/Tue

 11月21日、スーダンの首都ハルツームで、先のクーデタで失脚したハムドクの首相復帰が発表された。10月25日のクーデタを主導した政権トップのブルハーン将軍とハムドクは、共同で記者会見に臨み、両者の間で協定に合意したことを明らかにした。協定は14項目からなり、ハムドクの首相復帰の他に、政治犯の釈放などが合意された。  自宅軟禁状態に置かれていたハムドクは、クーデタ以降初めて公の場に姿を現したが、これ以上の流血を避けるために協定に合意したと説明した。ブルハーンは、ハムドクをいつも尊敬してきたとして、この協定が民主化への移行の完全な実施に道を開くと述べた。ファイナンシャルタイムズ(22日付)は協定について、一部市民は反対するだろうが、仕方のない妥協だという街の声を紹介した。米、英、EU、ノルウェーなども、ハムドクの首相復帰を歓迎した。  一方で、市民運動の中核である「自由変革の力」(Forces of Freedom and Change:FFC)は、この協定を「受け入れない」と表明した。FFCは2019年のバシール政権打倒の中心となった市民運動体で、ハムドク首相の後ろ盾となってきた。彼らは、クーデタを遂行した者たちとの交渉やパートナーシップはあり得ない、協定はハムドクが一人で決めたことだとして、これを全面的に拒否し、デモを続けている(22日付ルモンド)。クーデタによって罷免された市民派の元閣僚も、FFCの動きに同調する動きを見せている。  クーデタ勃発以来、デモ隊の死者は先週半ばで39人に達している(17日付ルモンド)。これ以上の流血を避けたいという動機をハムドクが抱くことは理解できる。しかし、その思いは受け入れられなかった。FFC側の軍への不信がそれだけ強いということであろう。ハムドクは孤立し、市民運動は彼から離れて軍と激しく対峙する方向へと進むことになる。

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ブルキナファソ北部で続くジハディストの攻撃

2021/11/21/Sun

 ブルキナファソで、ジハード主義者の攻撃が深刻さを増すなか、政府、さらにはフランスへの批判が高まっている。同国では2016年頃から、マリと国境を接する北部地域において、ジハード主義者の活動が活発化するようになった。それ以来、同国で犠牲者数は合計2000人を超え、150万人が避難を余儀なくされ、4000の学校が閉鎖された(19日付ルモンド)。  そうしたなか、14日に北部イナタ(Inata)の憲兵隊拠点が攻撃され、53人が死亡する惨事が起こった。憲兵隊員49人、民間人4名という内訳である。治安組織に対する被害として、過去に例をみない規模である。  これに対して、16日、テロを一向に抑止できない政府に対する不満から、主要都市でデモが発生した。怒りの矛先は、サヘル地域のテロ対策として「バルカンヌ作戦」を展開しているフランス軍にも向けられ、17日夜には、首都ワガドゥグと第2の都市ボボデュラソで、フランス軍部隊の車列がデモ隊に取り囲まれる事態に至った。  ブルキナファソでは、今年6月5日にも北部のソルハン(Solhan)で150人以上がジハード主義者の攻撃の犠牲になるという事件が起こり、政府の無策を批判するデモが各都市で発生した(6月28日付ルモンド)。政府はこれを受けて、国防相と治安相を更迭したが(7月1日付ルモンド)、北部地域の治安は依然として脆弱である。フランス軍の展開にもかかわらず、特にマリ、ブルキナファソ、ニジェールの3か国の国境地域でジハード主義者の活動が目立っている。  今回の事件でも示されたように、ジハード主義者を取り締まるはずの現地治安組織の能力が向上しないことは、深刻な問題の一つである。現地治安組織の能力構築はフランスやEUの最重要課題と認識され、重点的に取り組まれているはずだが、十分な効果を見せていない。憲兵隊拠点に十分な物資が供給されていなかったとの報道もあり(19日付ルモンド)、人々の怒りを増幅させている。なぜ能力構築が進まないのか、解明が待たれるところである。

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カンパラの自爆テロとADF

2021/11/17/Wed

 16日朝、ウガンダの首都カンパラで2度の自爆テロがあり、犯人を含む少なくとも3人が死亡し、30人以上が負傷した。ウガンダ警察のスポークスマンは、犯行はイスラム国(IS)と繋がりがある反政府武装勢力ADF(Allied Democratic Forces)によるものだと記者会見で述べた。ISはこの件で犯行声明を出した(16日付ルモンド)。カンパラでは、先月にも2回のテロ攻撃があった。10月23日にカンパラ郊外のレストランで爆発があり、その2日後にバスで自爆テロがあった。これも、ISが犯行声明を出している。  ADFは1980年代にウガンダで結成された反政府武装勢力である。ムスリムが結成した集団で、ウガンダ国内で反政府活動を行っていたが、90年代に国内の拠点が制圧され、隣国のコンゴ民主共和国に逃亡した。2001年12月に米国の「テロリスト排除リスト」(Terrorist Exclusion List)に追加されている。ただし、ADFについては謎が多く、活動の実態は解明されていない。2010年代以降、コンゴ東部北キヴ州のベニ周辺地域では、住民がナタなどで惨殺される事件が相次ぎ、ADFの仕業だと言われているものの、この組織についてはほとんどわかっていない。  2019年、ISはADFを「イスラム国中央アフリカ州」として正式に位置づけた。ADFはISの支部という格好になったのだが、両者の関係についても解明されていない。ウガンダの一連の爆破事件についても、ISからの犯行声明はあるものの、ADFからの直接の情報はほとんどない。  はっきりしているのは、ADFが主たる活動拠点としてきた北キヴ州の治安が改善しないことである。カンパラ爆破事件の直前、11月12日夜にも、ベニ近郊の村で病院が襲撃され、38人が犠牲になった(16日付ルモンド)。北キヴ州では5月以来治安回復を目指して戒厳令が発出されているが、市民の犠牲は後を絶たない。ADFが活動を強化し、コンゴ東部からカンパラに進出した可能性はもちろんあるが、北キヴ州の活動とカンパラの活動がどの程度関連しているのかについては、情報がない。  地域アナリストは、ADFの活動とモザンビーク北部北部の活動を結び付け、ISの影響力が東南部アフリカでも強まったと述べている(17日付ファイナンシャルタイムズ)。警戒を要することは疑いないが、我々が不確かな情報しか持っていないことも自覚しておくべきだろう。

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エチオピアで国連関係者拘束

2021/11/13/Sat

 エチオピア政府と国連との緊張が高まっている。11月8日から9日にかけて、エチオピア人国連職員とその家族が首都アジスアベバで拘束された。政府はこれを「テロ行為に関与した疑い」によるものと説明している。一方、AP通信は、これらの国連職員はすべてティグライ州出身者であり、それが逮捕の理由だと報じている(10日付ルモンド)。さらに、国連は10日、WFP(世界食糧計画)のドライバー72人がアファル州セメラ(Semera)で政府に拘束されたと発表した。WFPは、内戦下のティグライ州に支援物資を搬入する活動を行っていた(11日付ルモンド)。  これらの措置は先週発布された非常事態宣言に伴うもので、この宣言以降、ティグライ州出身者数千人が、「テロリストグループ」だとして、恣意的に逮捕されたと報じられている。国連によるティグライ州への支援物資搬入活動に対する政府の妨害は、今に始まったことではない。WFPと政府の間には、長く緊張関係が伏在していた。国連は必要な支援量の15%しかセメラ経由でティグライ州に届いていないと述べている(11日付ルモンド)。  9日、ヒューマン・ライツ・ウォッチとアムネスティ・インターナショナルは相次いでティグライ紛争に関する報告書を発表し、殺人や性暴力などの人権侵害が蔓延する深刻な状況を告発している。内戦が激化するなか、米国や国連によって調停に向けた努力が続けられているが、国連関係者の拘束がこれに水を差すことは疑いない。停戦は当面、見込み薄に思える。

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エチオピア情勢緊迫

2021/11/07/Sun

 内戦勃発からちょうど1年となるなか、エチオピア情勢が緊迫している。10月31日、反政府武装勢力のTPLFはアムハラ州の要所デシエ(Dessie)とコンボルチャ(Kombolcha)を制圧したと発表した。いずれも首都アジスアベバとティグライ州の州都メケレを結ぶ幹線道路沿いにあり、両都市の中間ほどに位置する町である。内戦勃発以来、北部への報道関係者の立ち入りが制限されており、戦闘状況の把握が困難であったが、この発表によって反乱軍側が予想以上に首都に近づいていることが明らかになった。エチオピア政府は、11月2日、全土に非常事態宣言を発出したが、これによって政府の苦境が裏付けられた形となった。  TPLFは、3日には、コンボルチャからさらに南に下ったキミセ(Kimise)に到達し、連合を組むオロモ解放軍(OLA)と合流した。5日には、TPLF、OLAを含む9つの反政府武装勢力が、アビィ政権を倒すための「連合戦線」を結成した(5日付ルモンド)。日本、米国などは、自国民に対して出国を勧告している。  4日、米国のフェルトマン(Jeffrey Feltman)特使がアジスアベバに入り、停戦に向けた交渉の仲介を行っている。しかし、これまでのところ、政府、TPLF双方ともに、交渉に応じる姿勢を示していない。また、両勢力とも、深刻な人権侵害を犯していると批判されている。  ファイナンシャルタイムズの論説は、「これほど短期間で、ある国の評価が劇的に変わることも珍しい」と述べている(4日付)。エチオピアは2000年代から10年以上も高水準の経済成長を続け、新たな開発モデルの可能性を示すと見なされていた。アビィ政権の誕生とエリトリアとの和平、そしてノーベル平和賞の授与は、希望的観測を確たるものにするかと思われた。残念なことに、そうした見通しは、政治権力をめぐる抗争と内戦勃発によって、はるかに遠のいてしまった。今日、エチオピア国家の分裂が現実味を帯びて語られている。ここに示されるのは、権威主義体制下の高度成長の脆さであり、国家建設の難しさである。

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スーダン・クーデタの地政学

2021/11/04/Thu

 10月25日に起こったスーダンのクーデタに対する周辺国の影響について、報じられている。  抵抗を続ける市民から、(クーデタを起こした軍のトップである)ブルハーンは(エジプトの)シーシーのようにやりたいのだ、という声が聞こえる(31日付ルモンド)。彼はエジプトにいた経歴もあり、エジプト軍部とは緊密な関係があった。エジプト、アラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビア、イスラエルなどが事前にクーデタにゴーサインを出していた可能性は高く、今般のクーデタは湾岸諸国の支援を受けたエジプトの勝利だと27日付ルモンドは報じている。  湾岸諸国がアフリカへの影響力を拡大しつつあることは、様々な形で指摘されている。サウジアラビアやUAEは、一貫して軍部や保守勢力を支援しており、エジプトのシーシー政権や、リビアのハフタル将軍はその代表格である。チュニジアのサイエド政権やモロッコも支援対象になっており、最近のモロッコとアルジェリアの関係悪化の背景としてこの影響を指摘する声もある(31日付ルモンド)。  トルコによるアフリカ諸国への接近については先にこの欄でも述べたとおりだが、中東諸国間の対抗関係がアフリカに持ち込まれる危険性を考えねばならない。

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