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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2024年03月

アンチ・システム候補がセネガル新大統領に

2024/03/26/Tue

 25日、与党候補のアマドゥ・バ、そして現職大統領のマッキー・サルは相次いで、24日の大統領選挙でのバシル・ジョマイ=ファイの勝利を認め、祝福した。セネガルに44歳の新大統領が誕生する。  ウスマン・ソンコの右腕として政界に登場したジョマイ=ファイは、訴追されて立候補資格を失ったソンコに代わって大統領選挙に立候補した。ソンコは既存の政治システムのアウトサイダーとして若者を中心に人気を集め、マッキー・サルに警戒されて厳しい弾圧を受けた。ソンコもジョマイ=ファイも投獄され、彼らの政党PASTEFは解党を命じられた。こうした抑圧がかえって支持者を結束させた。  ソンコらの陣営ではこれまで、フランスとの関係を見直すといった発言があった。また、宗教に厳格でサラフィスト的側面があるとの指摘もある。新政権がどのような政策を打ち出すのか、非常に注目される。  ジョマイ=ファイに対して選挙前に行われたインタビューでのやりとりは、比較的抑制されたものだった。「自分は信仰を個人に押しつけない。国家がそうしてはいけない。セネガルは民主的な世俗国家であり続けるべきだ。宗教でセネガルが分断することはない」、「セネガルは長年フランスと素晴らしい関係を築いてきた。それが新植民地主義になったり、従属関係が続くようではいけない。自分たちのパートナーはフランス、EU、米国だが、協力一般ではどの国も排除しない」、といった回答をしている(3月20日付ルモンド)。 (武内進一)

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クーデタ政権への制裁解除の動き

2024/03/23/Sat

 クーデタで成立したアフリカ諸国の軍事政権に対して、地域機構が制裁を解除する動きが広がっている。  2月24日、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)はナイジェリアのアブジャで臨時会合を開き、ニジェールに対する制裁解除を決めた。25日には、マリとギニアへの制裁解除を発表した。また、中部アフリカ諸国経済共同体(CEEAC)は、3月9日、赤道ギニアのマレボで第24回定例サミットを開催し、ガボンに対する制裁解除を決めた。  昨年7月ニジェールで軍事政権が誕生した際、ECOWASは軍事介入を示唆するなど強硬な対応を取った。半年以上が過ぎ、バズーム大統領の解放もなされないなかで、手詰まり感が広がっていた。ECOWAS議長国のナイジェリアは、ニジェールと長い国境線を共有しており、経済活動の影響を最も顕著に被る立場にある。事態が動かない以上、対応を変えるより仕方ないとの判断があったのだろう。  ガボンについては、少し事情が異なる。8月に誕生したオリギ=ンゲマ軍事政権は、それ以来活発に近隣諸国を訪問し、自国の立場を説明していた。クーデタで倒されたアリ・ボンゴ前政権の評判が悪かったため、周辺国も関係改善に動いたと思われる。隣国コンゴ共和国(首都ブラザヴィル)は典型的な例である。  同国のサス=ンゲソ大統領は、娘のエディットをアリ・ボンゴの父オマールに嫁がせた。エディットは病気で2009年に亡くなり、同じ年にオマールも死去した。その後、遺産相続も絡んで、アリ・ボンゴとサス=ンゲソの関係が悪化していた。オリギ=ンゲマは、報道されているだけでも昨年10月、今年3月にコンゴ共和国を訪問し、エディットの墓参りをした。サス=ンゲソとしても、ガボンの新政権との関係改善を望んでいたのである。 (武内進一)

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ニジェール、米国との軍事協定破棄

2024/03/17/Sun

 16日、ニジェール軍事政権は、2012年に米国との間で結んだ軍事協力協定を「即時」破棄すると発表した。軍事政権側は、この協定は「単なる覚書(note verbale)によって」米国から「一方的に押しつけられた」ものであり、米軍の存在は「違法」だと主張している(17日付ルモンド)。  この決定は、米国使節団の訪問直後に発表された。12~14日、フィー(Molly Phee)アフリカ担当国務次官補を団長とし、ワランダー(Celeste Wallander)国防長官補佐、ラングレー(Michael Langley)米国アフリカ司令部(Africom)司令官を含む一行が、ニアメを訪問し、首相と会談していた。15日付ルモンドによれば、この訪問において、米国側は、ニジェールがロシア軍と協力せず、ロシア兵を招き入れないなら、軍事協力を再開するとの条件を示したが、ニジェール側は受け入れなかったという。  ニジェール移行政権顧問は、「どんな国の兵士を呼んでくるかを決めるのは自分たちだ」と主張し、米国の要求に苛立ちを隠さなかったという。16日の協定破棄の発表の際にも、米国使節団の訪問が、到着日と使節団構成員を一方的に知らせてくるだけで「外交手続きを尊重したものではなかった」とし、フィー団長の「尊大な態度」を批判した(17日付ルモンド)。  フランス軍に続いて、米軍もニジェールから撤収を迫られることになりそうだ。米軍は中部アガデスに1000人規模の部隊を駐留させており、この基地がなければAfricomの能力は大幅な制約を受ける。サヘル地域のイスラム急進主義勢力抑止の観点では、大きな打撃と言えよう。  一方、この間ニジェールは急速にロシアとの関係を強化している。昨年12月4日には、ロシア国防次官のユヌス=ベク・エフクロフがニジェールを訪問し、チアニ将軍と会談した。今年1月半ばには、ラミヌ・ゼイヌ(Lamine Zeine)首相を団長とする使節団がモスクワを訪れ、ロシア国防省のエフクロフ、フォミン国防次官と協議し、防衛協力強化宣言が打ち出された。  昨年7月末のクーデタの後、米国はフランスと比べてソフトな対応を取ってきた。7月末の事態を「クーデタ」と認めて援助を取り消したのも、10月に入ってからだった。こうした慎重な対応は、アガデスの軍事基地維持が米国にとって非常に重要だからである。ニジェールから撤退という事態になれば、米軍のアフリカ地域戦略にも大きな影響が避けられない。  一方、今回軍事政権側が、米国の「尊大さ」を繰り返し非難していることに留意すべきであろう。ニジェールに限らずこの地域には、フランスや米国に「軽んじられてきた」、「いいように利用されてきた」という感情が国民に広く存在し、強い動員力を持っているように思える。 (武内進一)

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セネガルの民主主義

2024/03/16/Sat

 マッキー・サル現大統領の後任を選ぶ大統領選挙を、いつ、どのように実施するのか。この点をめぐってセネガルは、ここ1ヶ月あまり大揺れに揺れた。今のところ、3月24日の大統領選挙実施が確実になりつつある。この間の動きは、セネガルの民主主義をめぐる評価も二転三転させるものだった。  事態が急展開するのは、1月20日に憲法評議会(Conseil constitutionnel)が当初2月24日に予定されていた大統領選挙立候補者の資格審査結果を発表してからである。この資格審査では、ウスマヌ・ソンコやカリム・ワッドらが立候補資格を認められなかった。これに反発したカリム・ワッド陣営が、憲法評議会構成員に汚職疑惑があるとして、資格審査のやり直しを求めた。これを受けてマッキー・サル大統領が、2月3日、選挙の延期を宣言したのである。  自身の後継者であるバ(Amadou Ba)首相が不人気で、ソンコの支持を受けたバシル・ジョマイ=ファイ(Bassirou Diomaye Faye)に勝てないと見たマッキー・サルが、時間稼ぎのために選挙を延期したと推測されている(2月6日付ルモンド)。  これに対して、憲法評議会は2月15日、大統領選挙の延期は違法で無効だとの判断を下す一方、2月24日に予定どおり選挙を実施することは現実的でないとして、「適切な時期」に選挙を実施するよう求めた。この頃から政権側は、野党側を軟化させるため、収監されていた野党勢力の恩赦と解放を進めていった。  この段階では、マッキー・サルの任期が切れる4月2日以前の選挙実施を主張するソンコ派らの野党勢力と、4月2日にこだわらず資格審査から選挙プロセスをやり直すべきだと主張するカリム・ワッドや大統領陣営とが対立した。2月26-27日に実施された「国民対話」では、ワッド派ら一部野党しか出席しなかったものの、6月2日の選挙実施を決めた。  しかし、3月6日、憲法評議会は、大統領任期満了以降に選挙を実施することは違法だとの判断を下し、結局3月24日選挙実施案が承認された。また、議会で承認された恩赦法によって、14日には収監されていたソンコやジョマイ=ファイが釈放された。  選挙日程をコントロールしようとしたマッキー・サル大統領は、司法判断によってその意図を挫かれ、投票日まで残り9日というタイミングで最も有力な野党候補者を釈放することになった。当然ながら、ソンコ、ジョマイ=ファイの陣営は大変な盛り上がりで、このまま投票に突入すれば、大勝する可能性が高い。  サルが選挙日程延期を発表し、抗議デモに厳しい態度で臨んだときには、セネガルの民主主義に対する懸念が広がったが、その後の展開を見ると、民主主義は思いのほかレジリエントである。司法(憲法評議会)の判断が、強い決定力を保持している。  西アフリカの複数国にクーデタが広がるなか、もしセネガルが政治混乱に陥れば、甚大な負の影響をもたらしかねない。胸をなで下ろしている人も多いことだろう。 (武内進一)

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FGMをめぐるガンビアの動き

2024/03/09/Sat

 3月8日の「国際女性の日」を前に、UNICEF(国連児童基金)は7日、FGM(女性性器切除)に関する報告を発表した。FGMとは女性の外部生殖器を部分的、または全体に切除する行為である。報告によれば、FGMを受けた女性の数は全世界で2億3000万人に上る。うちアフリカは1億4400万人で、アジア(8000万人)、中東(600万人)よりずっと多い。  施術者数は、シエラレオネ、エチオピア、ブルキナファソ、ケニアなどで大きく減少しているが、ソマリアのように15~49歳の女性の99%にFGMを経験している国もある。他にも、ギニア(95%)、ジブチ(90%)、マリ(89%)といった国で比率が高い。報告では、懸念すべき傾向として、施術の低年齢化が挙げられている。5歳以下で施術されることが増え、外部から関与する可能性を低めている。  FGMは単に文化慣習の問題ではなく、複雑な様相を呈している。3月4日、ガンビア議会は、FGMを禁止した2015年法を再検討する審議を開始した(5日付ルモンド)。この背景には、FGMの禁止解除を求める世論がある。4日も議会内外で、「女子割礼」は深く根付いた伝統であり、その禁止は慣習を実践する権利を制約する、と訴えるデモがあった。一方で、複数の市民団体は、法による禁止継続を訴えている。  この法律は、1996年から2017年までガンビアを支配したジャメー前大統領の下で制定された。2015年、ジャメーはFGMはイスラームの教えにないとして禁止する政令を発布し、その後議会が同じ内容の法律を制定した。同法では、FGMに対して懲役3年以下の刑罰が規定されている。  2023年、3人の女性がFGMに関連して訴えられ、その罰金を宗教指導者が支払うという事件があった。その後、ガンビアの宗教組織「最高イスラーム評議会」は、「女子割礼」はイスラームの観点から合法だとの判断(ファトワ)を下し、政府に禁止解除を求めた。議会の審議は、それを受けたものである。  ガンビアの事例からは、この問題が文化だけでなく、政治とも深く関連していることがうかがえる。独裁者ジャメーの下で制定された法律であるだけに、その後彼が放逐され、民主化したガンビアで多様な意見が表出されるようになると、見直しへの機運が高まったということであろう。  FGMはSDGsでも取り上げられるグローバルな課題だが、他の開発課題と同様に単純ではない。文化をめぐる問題は、必ずと言っていいほど政治と関わっている。 (武内進一)

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チャドの民政移管に向けた動き

2024/03/04/Mon

 2日、チャド軍事政権トップのマハマト・イドリス・デビィ・イトノ将軍は、5月6日に実施予定の大統領選挙に立候補を表明した。この選挙が実施されれば、チャドは移行期を終えて民政移管される。チャドでは、2021年4月にマハマトの父、イドリス・デビィ・イトノが反乱軍との戦闘前線視察中に死亡し、直後に軍が当時37歳のマハマトを担いで政権を掌握した。  移行過程は紆余曲折を辿ってきた。2022年10月には、野党勢力のデモが暴力的に鎮圧され、100人以上の犠牲者を出す事件が起こった。軍事政権は国際社会から厳しい非難を受け、鎮圧の対象となった野党勢力の指導者マスラ(Succès Masra)は亡命した。その後、2023年に入ってからコンゴ民主共和国のチセケディ大統領の仲介で関係改善が進み、マスラは2023年11月に帰国した。  12月には憲法レファレンダムが実施され、39歳のマハマトに立候補資格を与える憲法が採択された。今年1月1日には、マスラが移行政権の首相に任命された。移行期終了後の政権では、マスラとマハマトがコンビを組むことが確実視される。1月13日には、与党MPSの候補に指名され、大統領選挙立候補への準備が整った。  マハマトの立候補宣言の直前に、大きな事件が起こった。野党勢力指導者のディロ(Yaya Dillo)の殺害である。2月28日、治安部隊がディロの野党(PSF)本部を襲撃し、そのなかでディロが殺害された。PSF側は処刑されたと主張し、政権側はそれを否定している。  ディロは、マハマトの父である故イドリス・デビィのオイで、マハマトのイトコである。イドリス・デビィが政権を軍事力で掌握して以来、この国の政権中枢をザガワ人が占めてきたことはよく知られている。ザガワ出身のディロはインナーサークルの人物であり、その意味でマハマトにとっては真の脅威であった。その脅威を選挙前に除去したことになる。  ルモンド紙の報道によれば、マハマトは父親が構築した治安システムを改変しようとしており、父親に近い立場の軍高官を数名更迭している(2月29日付ルモンド)。ディロの死は権力内部の粛正とも受け取れるが、今後の不安定要因になるかもしれない。 (武内進一)

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