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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2023年08月

ガボンのクーデタ

2023/08/31/Thu

 ガボンのクーデタについては既に日本のメディアでも報道されているが、情報を整理しておこう。8月26日(土)が大統領選挙の投票日だったが、選挙は厳戒態勢の中で実施された。国際的な監視団は認められず、19時~6時の夜間外出禁止令が発布され、インターネットや、France 24、ラジオ・フランス・アンテルナショナルなど主要外国メディアが遮断された。  当初選挙結果は29日(火)に発表予定だったが、夜にずれ込んだ。選挙結果は、投票率56.65%、アリ・ボンゴ64.27%、そして対抗馬のアルベール・オンド=オサ30.77%というもので、ボンゴの当選が発表された。その後しばらくして、軍服姿の男たちが国営テレビに現れ、選挙の無効化と「移行及び制度再建委員会」(CTRI)の樹立を表明した。30日(水)の午前4時頃に国営テレビ局周辺で銃声が聞こえたが、銃声は程なく止み、人々がアリ・ボンゴ体制の崩壊を喜んで街に繰り出した(30日付ルモンド)。  アリ・ボンゴは、2009年以来大統領の座にある。父親のオマール・ボンゴの死去に伴って大統領職を引き継いだもので、オマールが1967年以来大統領を務めていたから、父子で57年間も政権を掌握していたことになる。一族は東部オートオグエ (Haut Ogooué)州の出身で、政権を同州関係者で固めていたと言われる。  アリは、2016年に再選された後、2018年に脳出血で倒れ、サウジアラビアやモロッコで長期の入院・リハビリを余儀なくされた。その間、2019年1月にはクーデタ未遂事件が起きている。  クーデタで政権を握ったのは、共和国防衛隊(Garde republicaine)トップのオリギ=ンゲマ(Brice Oligui Nguema)将軍であった。軍の中枢が組織的にクーデタに関与したことになる。同将軍は、クーデタ直後にルモンド紙のインタビューに応じている。「長年にわたってクーデタを準備していたのか、それとも選挙結果の発表がクーデタを促したのか?」という質問に対して、「ガボンには不満が満ちており、大統領は病気だった。皆そのことを話すが、誰も責任をとらない。・・・選挙のやり方もよくなかった。だから軍が責任をとってページを繰ることにした」という趣旨の返答をしている(30日付ルモンド)。  ガボンのクーデタは、旧フランス領アフリカで2020年以来8回目となる。サヘル諸国やギニアとは状況が違い、簡単な一般化はできないが、今後の方向性を見極めるには、移行に向けてどのようなアジェンダを打ち出すのか、またフランスやアフリカ連合とどのような関係を構築するのかがポイントとなろう。 (武内進一)

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ニジェール・クーデタの実相と謎

2023/08/24/Thu

 7月26日のクーデタから1ヶ月近くが経過した。バズーム大統領は依然拘束され、チアニ将軍をトップとする軍事政権は3年の移行期間を提案し(19日)、地域機構Ecowasはその提案を受け入れられないとして軍事介入の構えを崩していない。  クーデタ当日の実相が少しずつ明らかになってきた。26日朝、バズーム大統領が官邸から「大統領警護隊」にブロックされていると閣僚に電話連絡し、事件が発覚した。前大統領マハマドゥ・イスフがバズームとチアニに交互に面会して仲介を試みたが、実を結ばなかった。午後になり、首相代行を務めていたマサウドゥ外相が国軍の一部とともにバズーム大統領救出作戦を練り、フランスに協力を依頼した。フランスはこれに協力することを決めたのだが、バズーム大統領本人から現地のフランス軍に、軍事介入しないよう要請が入った(19日付ルモンド)。バズームは交渉で解決可能だと考えていたのだが、結局反乱軍側の政権奪取が既成事実化した。今回のクーデタは、軍が一致して企画したものではなく、成功、失敗のどちらに転んでもおかしくないものだったようだ。  依然としてわからないのは、軍事政権の首謀者がクーデタを画策した理由である。民主的選挙で選ばれた政権がジハディストの攻撃に無力さをさらけ出していたマリ、ブルキナファソとは異なり、ニジェールではここ数年ジハディストの攻撃は減少していた(8月17日付ルモンド)。バズームは、トゥアレグ人勢力を取り込むなどして、安全保障の改善に成果を出していたし、経済もそれなりに堅調に推移していた。首都ニアメは反政府勢力が強い地域だが、国全体で見れば、バズームはそれほど不人気ではなかった。  軍事政権トップのチアニ将軍は、独立記念日が近いことを理由に、バズームに近い軍の部隊をチャド国境付近に遠ざけていたと言われる。一方、クーデタ直後に囁かれたように、バズームがチアニの更迭を試みたわけではなかった(23日付ルモンド)。国際的な批判を浴びることをわかっていながら、チアニがクーデタを決意した理由は何だったのか。マリやブルキナファソの現状が、彼にとってバズーム政権より魅力的に映ったのだとしたら、それは恐ろしいことである。 (武内進一)

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ニジェール軍事介入に強まる反対の声

2023/08/17/Thu

 7月26日に起こったニジェールのクーデタに対して、Ecowas(西アフリカ経済共同体)は軍事介入を含む強硬な姿勢で民政復帰を促している。7月30日の会合で1週間以内の民政復帰を要求したが、その期限を過ぎても軍事政権側に大統領を復帰させる様子はない。むしろ、軍事政権は、7日に首相、10日にはその他の閣僚を任命するなど、本格的な統治に乗り出す構えを見せている。  一方、Ecowasの軍事介入に反対する声も聞こえるようになってきた。5日、ナイジェリア上院は、軍事介入には議会の事前承認が必要だと述べた。上院議員の多くは、介入に反対姿勢を示した。また、同じ5日、アルジェリアのテブーン大統領がTV演説で軍事介入に反対姿勢を示し、チャドはEcowasの会合に参加した後で、軍事介入には参加しないと述べた(5日付ルモンド)。  ナイジェリア大統領のボラ・ティヌブは軍事介入も辞さない姿勢を示し、コートジボワールのワタラ大統領もこれに同調している。一方で、ナイジェリア国内には、軍事介入に積極的な意見は多くないようだ。全国的に、経済危機のなかで軍事介入をする余裕などない、という意見が強く、特に北部では介入のネガティブな影響を懸念する声が強い。野党の人民民主党(PDP)は反対声明を出し、有力紙Punchも社説で反対を主張した(10日付ルモンド)。  14日には、アフリカ連合(AU)の平和安全委員会(PSC)が開催され、軍事介入を支持しない立場が採択された。PSCは15ヵ国からなり、コンセンサス方式で意思決定がなされる。会議では、西アフリカブロック(出席国はナイジェリア、セネガル、ガンビア、ガーナ)が孤立し、議長を務めたブルンジのンダイシミエ大統領のイニシャティブで、方針決定がなされたという。AUがEcowasなどの準地域機構と異なる立場を表明するのは異例で、AU事務局長のムサ・ファキ・マハマトは、11日に、Ecowasの決定を強く支持すると述べていた(16日付ルモンド)。  軍事介入を選択しないことも一つの見識である。そうなると、サヘル地域を覆うようになった軍事政権とどう付き合っていくのか、を真剣に考える必要がある。 (武内進一)

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中央アフリカの憲法改正

2023/08/09/Wed

 中央アフリカでは、去る7月30日に憲法改正の国民投票が実施され、その結果が8月7日に発表された。国家選挙委員会の発表によれば、95.27%の圧倒的多数で改正案は採択された。投票率は61.10%であった。  この国民投票では、ロシアの民間軍事会社ワグネルの兵士がロジスティクスを支援した。中央アフリカではトゥアデラ大統領の身辺警護をワグネルが担当するなど、その存在感は非常に強い。  今回の憲法改正は、直前まで内容が明らかにされないなど、不透明なプロセスで進められ、国民がどの程度内容を理解して賛成票を投じたかは疑問である。ただし、この憲法改正によって、中央アフリカの政治体制には無視し得ない変化が生じる。  重要な点として、大統領の任期制限が撤廃され、その任期が一期5年から7年へ延長される。トゥアデラ大統領は今後、任期制限を気にすることなく、大統領選挙に出馬できる。  それ加えて、8日付ルモンド紙は3点を重要だと指摘している。第一に、憲法裁判所が委員会に改編され、そのメンバーは政府当局が任命することとなった。すなわち、憲法裁判所は政府からの独立性を失った。第二に、鉱物部門の契約に際して、国会の関与が不要になった。そして第三に、副大統領ポストが創設された。  一方で、この憲法改正により、二重国籍者が大統領選挙への立候補資格を失った。これによって、有力な野党政治家が次期大統領選挙から排除された。  今回の憲法改正は、総じて現トゥアデラ政権の永続を方向付け、その権威主義化を容認するものである。昨年、憲法裁判所判事が今回の憲法改正に異議を唱え、その後更迭された。また、政府がロシアと結んだ鉱物資源取引について、国会議長が調査を要求したことがあった。今回の憲法改正は、政府に対するチェックアンドバランスの機能を失わせる内容を含む。  トゥアデラ政権はワグネルなど外部の力を借りて治安を安定させ、自らへの支持を集めようとしている。治安維持機能をアウトソーシングし、民主主義を毀損しても、政権への支持は維持できるのだろうか。注意深い観察が必要になる。 (武内進一)

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サヘルのクーデタ、ンベンベの分析

2023/08/05/Sat

 サヘル地域で続発するクーデタを受けて、カメルーン出身の著名な知識人アシル・ンベンベの寄稿が4日付けルモンド紙に掲載された。興味深い内容を含むので、概略を報告する。  サヘルで次々に軍部が政治権力を握り、フランスや国連に撤退を命じ、人々が歓呼してそれを支持する状況を、ンベンベは「新主権主義」(néosouverainisme)の台頭と表現する。脱植民地化が不完全な状況下で、「主権」を要求するわかりやすい主張が、不満を抱える層(特に、1990年~2000年代に生まれた若者たちと、海外のディアスポラ)に受け入れられ、そこで増幅しているのである。  「新主権主義」者たちはパンアフリカ主義に言及することがあるが、前者は後者が痩せ細ったものであり、一貫した政治思想ではない。若者たちや先進国で社会統合に失敗したディアスポラたちは、反帝国主義やパンアフリカ主義の称揚を耳にして育った。しかし、彼らが十分に理解していないのは、反帝国主義やパンアフリカ主義が、いかに現代における3つの思想的な柱(民主主義、人権、普遍的正義)に貢献してきたのか、ということた。「新主権主義」は、これら3つの思想と切断している。「新主権主義」の支持者は、大陸外の国々に背を向ければアフリカが解放されると考えており、民主主義に価値を置いていない。  20世紀末から21世紀はじめにかけて、アフリカは、表面的な好景気の中で、略奪と搾取の時代を経験した。それは一部の人々が私的蓄積を進めた時代であった。そうした時代の後で、「新主権主義」が台頭した。  アフリカは現在、大きな曲がり角にある。アフリカに人間の安全保障がなければ、ジハディストとの戦いには勝利できない。安定と安全保障は民主主義の深化によってしか得られない。  ンベンベの論考は例によって難解だが、続発するクーデタをアフリカの歴史的社会変容の帰結として捉えている。彼はまた、軍事的介入によって事態を反転させることに悲観的な見通しを示している。どうすればいいのか、という声が社会に満ちる中で、民主主義や人間の安全保障の価値に立ち返る姿勢は、貴重だと思う。 (武内進一)

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