7月26日のクーデタから1ヶ月近くが経過した。バズーム大統領は依然拘束され、チアニ将軍をトップとする軍事政権は3年の移行期間を提案し(19日)、地域機構Ecowasはその提案を受け入れられないとして軍事介入の構えを崩していない。
クーデタ当日の実相が少しずつ明らかになってきた。26日朝、バズーム大統領が官邸から「大統領警護隊」にブロックされていると閣僚に電話連絡し、事件が発覚した。前大統領マハマドゥ・イスフがバズームとチアニに交互に面会して仲介を試みたが、実を結ばなかった。午後になり、首相代行を務めていたマサウドゥ外相が国軍の一部とともにバズーム大統領救出作戦を練り、フランスに協力を依頼した。フランスはこれに協力することを決めたのだが、バズーム大統領本人から現地のフランス軍に、軍事介入しないよう要請が入った(19日付ルモンド)。バズームは交渉で解決可能だと考えていたのだが、結局反乱軍側の政権奪取が既成事実化した。今回のクーデタは、軍が一致して企画したものではなく、成功、失敗のどちらに転んでもおかしくないものだったようだ。
依然としてわからないのは、軍事政権の首謀者がクーデタを画策した理由である。民主的選挙で選ばれた政権がジハディストの攻撃に無力さをさらけ出していたマリ、ブルキナファソとは異なり、ニジェールではここ数年ジハディストの攻撃は減少していた(8月17日付ルモンド)。バズームは、トゥアレグ人勢力を取り込むなどして、安全保障の改善に成果を出していたし、経済もそれなりに堅調に推移していた。首都ニアメは反政府勢力が強い地域だが、国全体で見れば、バズームはそれほど不人気ではなかった。
軍事政権トップのチアニ将軍は、独立記念日が近いことを理由に、バズームに近い軍の部隊をチャド国境付近に遠ざけていたと言われる。一方、クーデタ直後に囁かれたように、バズームがチアニの更迭を試みたわけではなかった(23日付ルモンド)。国際的な批判を浴びることをわかっていながら、チアニがクーデタを決意した理由は何だったのか。マリやブルキナファソの現状が、彼にとってバズーム政権より魅力的に映ったのだとしたら、それは恐ろしいことである。
(武内進一)