今回紹介するのは、8月24日の記事で、ルモンド紙によるロシア特集の最終回である。プリゴジンの死後、ワグネルがどのように再編されたのかを国別にまとめている。
プリゴジンの搭乗機が墜落してからわずか一週間の2023年8月31日、モスクワからアフリカ大陸へ飛行機が飛んだ。搭乗者は、国防副大臣のエフクロフ(のIounous-bek Evkourov)と、GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)司令官のアンドレイ・アベリヤノフで、プーチンの命を受けていた。ワグネルの再編である。
ポーランド国際問題研究所のレポートでは、プリゴジンが築き上げたワグネルを軍のコントロール下に置くために、その活動をビジネス、プロパガンダ、軍事の3つに分け、国家諜報活動に従事する3つの機関が活動を監督する方針が示された。GRUは主に軍事部門、FSB(ロシア連邦保安庁)はネットワーク・プロパガンダ、SVR(ロシア対外情報庁)は文化戦略を担当するという。
ワグネルの後継組織の特徴は、アフリカ各国で異なる。ブルキナファソでは、2023年11月以降、GRUが作った民間軍事企業のひとつRSBに所属する兵士が到着した。彼らは、「アフリカ部隊」"Africa Corps"と呼ばれる。その主力は、クリミアで組織された「熊」(Bear)部隊である。ただし、この「熊」部隊の兵士約100人は、ウクライナからの攻撃が激化したとの理由で、8月末にブルキナファソを出国した。
ニジェールとの間でもロシアは関係を深めている。ニジェールのラミン・ゼヌ首相、モディ国防相は2024年1月にモスクワを訪問したが、4月10日になって、「アフリカ部隊」の兵士約100人が到着した。
マリでは2023年11月14日に、北部の要所キダルをマリ軍とワグネルが制圧した。マリでは、プリゴジンの死後もワグネルの標章が使い続けられている。しかし、2024年7月には、反政府武装勢力の攻撃を受けて、北部でマリ軍が甚大な被害を被り、ワグネルも84人という前例のない規模の兵士が犠牲になった。
中央アフリカのトゥアデラ政権にとって、ワグネルの支援は不可欠である。2024年3月22日、政府軍はワグネルの助力を得て、北部の要所シド(Sido)を10年ぶりに制圧した。また、6月1日には、首都バンギでプリゴジンの追悼集会が開催された。
ただし、中央アフリカもロシア一辺倒というわけではない。二国間協定に基づいて派兵するルワンダの影響力が強まっているし、トゥアデラは米国の民間軍事企業(Bancroft Global Development)にも接触している。さらに、トゥアデラは、2023年9月以降マクロン仏大統領と2回会談し、フランスの関係を改善している。
スーダンにおけるワグネルの活動は、はほぼ消えた。以前はあからさまにRSFを支援していたが、現状はロジスティクスの支援のみに留めている。内戦でRSFが全土を掌握できないとみると、ロシアは国軍(SAF)との関係にも配慮するようになった。4月28日には、ロシアのボグダノフ外務副大臣がポート・スーダンを訪問し、ブルハン政権を公式に承認する姿勢を示した。ロシアは、紅海への出口確保を最優先に考えている。
リビアにおいてロシアは、トリポリとベンガジを両にらみで対応している。2月22日、ロシアはトリポリの大使館を再開したが、その一方で東部を制圧するハフタル将軍への支援も続けている。ハフタル陣営には、「アフリカ部隊」が送り込まれている。ベンガジは、ロシアのアフリカ戦略上、ロジ面のハブとして利用されており、エフクロフ国防副大臣は、プリゴジンの死後ベンガジを5回訪問した。
この記事は、ロシアがプリゴジンの死後ワグネルを再編し、様々な形で利用しながらアフリカへの食い込みを図っていることを示している。ただし、ロシアだけがアフリカとの関係深化に成功しているというわけでもない。中央アフリカの例に見られるように、フランスとの関係改善を進める例も観察される。アフリカ側も、ロシア、欧米、中国など、様々な外交カードを利用して、自国の地位保全を図っているのだ。
(武内進一)
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