今回紹介するのは、8月23日の特集記事で、ロシアがアフリカ諸国と関係を深めた経緯が説明されている。その中でも興味深いのは、中央アフリカに関するくだりである。記事によれば、フランスが中央アフリカにロシアを紹介し、ロシアはその機会を捉えて中央アフリカとの関係を深めていった。
2017年9月25日、マクロンは中央アフリカのトゥアデラ大統領とエリゼ宮で会談した。マクロンは、トゥアデラに対して、2016年3月にソマリア沿岸でフランス海軍が押収した1500丁のカラシニコフを提供すると提案した。これは、中央アフリカに対するフランスの軍事作戦終了の代替措置のひとつだった。オランド前フランス大統領は、2015年に、中央アフリカ側の反対にもかかわらず、2013年末に始めた軍事作戦(「サンガリス」作戦)の終了を決めていた。
中央アフリカは当時国連の武器禁輸対象国だったので、カラシニコフを提供するには安保理の承認が必要となる。マクロンはトゥアデラに、ロシアを説得しなさいとアドバイスした。2017年10月9日、トゥアデラはソチで、ラブロフ外相と会談した。
トゥアデラは、ロシアにとって上客だった。ラブロフはトゥアデラを厚遇し、軍事協力と鉱山開発のパートナーシップ協定を締結した。2018年1月末には、ロシア空軍のイリューシン76がバンギ空港に軍事物資を運んできた。この時、ワグネルの傭兵数十人も到着している。ワグネルは、この時点ですでにリビア東部のハフタル将軍支配地域に拠点を持っており、スーダンにもその兵士が送られていた。
2018年8月、スーダンのハルツームで、中央アフリカの和平交渉が開催された。この会議を仕切ったのはロシアで、特にワグネルの共同創設者であるプリゴジンとドミトリー・ウトキンが中心的な役割を演じた。中央アフリカの武装勢力が集められ、プリゴジンらは武装勢力の代表それぞれに数万ユーロの現金を配り、「ウィン、ウィンだ」と停戦を促したという。この時、バンギのフランス大使は本省に事態を警告したが、取り合ってもらえなかった。
2020年12月には、ボジゼ前大統領率いる反乱軍が攻勢に転じ、首都バンギに迫ったが、ワグネル部隊がこれを押し戻し、トゥアデラを救った。これを機に、トゥアデラはいっそうワグネルに依存するようになった。
フランスと違って、ロシアは中央アフリカに道徳的な説教をしない。事業を展開し、金やダイヤモンドの採掘、木材伐採、コーヒー、砂糖、さらにビールの生産にも手を付けた。ワグネルは、現地で鉱山企業(Alpha Developpement, Marko Mining)を設立している。金採掘に投資して、生産された金をアラブ首長国連邦(UAE)に密輸している。
この記事では、ワグネルの活動を中心に、中央アフリカ、ロシア関係が辿られている。ワグネルをプリゴジンとともに設立したウトキンには、ナチスの親衛隊の刺青があり、ネオナチと見られていた。こうした人物が和平交渉を取り仕切ったのは、中央アフリカにとって悲劇だった。当然ながら、和平協定はすぐに瓦解し、現在に至るまで、中央アフリカ政府は全土を実効支配できていない。
(武内進一)
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