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最新10件

ルワンダのジェノサイド記念式典とコンゴ東部情勢

2024/04/10/Wed

4月7日、ルワンダでジェノサイドから30年の記念式典が開催された。首都キガリの式典には、ビル・クリントン元米国大統領やニコラ・サルコジ元フランス大統領が出席した。サルヴァ・キール(南スーダン)、シリル・ラマポサ(南アフリカ)、アンドリー・ラジョエリナ(マダガスカル)、アビィ・アハメド(エチオピア)、モハメド・ウルド・ガズアニ(モーリタニア)などの現職のアフリカ元首や、UNESCOの事務局長、世界ユダヤ人会議(WJC)の代表も参加した。  記念式典では、特に2つの点が注目を集めた。第1に、カガメ大統領が1994年のルワンダ・ジェノサイドに際しての国際社会の失敗を強調したことである。これは例年のことでもあるが、特に今年は自分のイトコが殺害された経緯に触れ、その首謀者が現在もフランスで暮らしていると指摘した。この人物(Callixte Mbarushimana)は元UNDPの職員で、国際刑事裁判所から訴追されたが、証拠不十分で取り下げられた経緯がある。現在フランス検察から訴追されている。  第2に、フランスのマクロン大統領のビデオメッセージである。記念式典直前の4日、マクロンはX(旧ツイッター)に、「フランスは他の国々とともに1994年のジェノサイドを止めることができたかもしれなかったが、その意思がなかった」と投稿した。これは、2021年5月にルワンダを訪問した際よりも踏み込んだ内容で、評価の声がルワンダ側から上がった。しかし、ビデオメッセージでマクロンは、フランスの責任を認めた上で、「2021年の発言に付け加えることは全くない」と強調した。  記念式典を契機に、欧米など国際社会とルワンダとの間の認識のズレが生じているように思える。その背景にはコンゴ東部情勢がある。ルワンダのジェノサイドが人類史に記録されるべき、繰り返してはならない犯罪であることは自明である。一方、記念式典と同じタイミングで、コンゴ東部ではM23の攻勢が激化し、膨大な避難民を生んでいる。国連によれば、この攻勢にルワンダ軍が関与している(8日付ルモンド)。  最近ルワンダは自軍のコンゴでの活動を明示的に否定せず、その一方でFDLR(旧ハビャリマナ政権残党グループ)の存在を強調している。FDLRがいるので、コンゴ東部への軍事的進出はやむを得ないと言わんばかりである。この状況から、ガザに対するイスラエル軍の攻撃を想起するのは、私だけではないだろう。 (武内進一)

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チセケディが「国際社会」を批判

2024/04/01/Mon

 30日付けルモンド紙は、コンゴ民主共和国大統領チセケディへのインタビュー記事を掲載した。チセケディはそこで、国際社会への苛立ちを表明している。M23を支援するルワンダを非難する一方で、「国際社会は共犯者だ」と述べている。  インタビューで、コンゴ軍が「ワザレンドゥ」(愛国者)と呼ばれる親政府民兵組織を利用し、そのなかに子ども兵が含まれていることを問われたチセケディは、概略次のように反論している。 西側中心の眼差しで、アフリカ人を苛立たせるのは止めてください。子ども兵になるような人々も我々と同じ人間で、親を殺されるなど過酷な経験をしているんです。私は最初のうち善隣外交政策をとり、ルワンダと協調していましたが、その間ワザレンドゥたちからは裏切り者だと見なされました。この政策はルワンダのせいで立ちゆかなくなり、私はラジカリズムへと政策を大きく転換したのです。  チセケディの国際社会への不満は、結局のところ、ルワンダへの対応に行き着く。 国際社会はルワンダの共犯者です。カガメは、コンゴの天然資源を略奪し、それらを外国に持ち出して加工したことを認めていました。ルワンダ経由でコンゴ産の鉱物資源を受け取ったことを隠匿した国があるのです。  国際社会はルワンダを非難しているが、それでは不十分か、と問われたチセケディは、次のように答えた。 ロシアにどれだけの数の制裁が科されているか、知っていますか?ルワンダには何一つ制裁が科されていないんです。これはダブルスタンダードと言わざるを得ないでしょう。  さらに、チセケディは、ロシアへの接近をほのめかす。 3月27日にプーチンと電話会談しました。コンゴの法律を守るなら、ロシアと関係を持つことはありえます。ただ、我々はロシアのウクライナ侵攻を非難した数少ないアフリカ諸国のひとつだということを忘れないでください。6月にロシア・アフリカサミットがあれば、自分は行くつもりです。  インタビューの最後で、チセケディは西側のダブルスタンダードを再度批判した。 EUは、モザンビーク北部でジハディスト掃討に参加するルワンダ軍に2000万ユーロ提供しています。さらにEUは、ルワンダと鉱物取引協定を締結するとのことです。ルワンダから輸出される鉱物は、コンゴから来たものです。こうした協定は、コンゴ国民にとって理解できないことなのです。  このインタビューはチセケディの政策変化を理解する上で興味深い。チセケディがカガメと善隣外交政策をとっていた時期、彼の国内政権基盤は弱く、カビラ前大統領が依然として強い影響力を保持していた。チセケディにとっては、国際社会の支援が国内政治におけるレバレッジ(梃子)として非常に重要だった。しかしその後、国内政治においてチセケディはカビラ派を一掃し、自らの権力基盤を強めた。そうした状況下で、対外的に強硬な姿勢を取るようになったのである。 (武内進一)

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アンチ・システム候補がセネガル新大統領に

2024/03/26/Tue

 25日、与党候補のアマドゥ・バ、そして現職大統領のマッキー・サルは相次いで、24日の大統領選挙でのバシル・ジョマイ=ファイの勝利を認め、祝福した。セネガルに44歳の新大統領が誕生する。  ウスマン・ソンコの右腕として政界に登場したジョマイ=ファイは、訴追されて立候補資格を失ったソンコに代わって大統領選挙に立候補した。ソンコは既存の政治システムのアウトサイダーとして若者を中心に人気を集め、マッキー・サルに警戒されて厳しい弾圧を受けた。ソンコもジョマイ=ファイも投獄され、彼らの政党PASTEFは解党を命じられた。こうした抑圧がかえって支持者を結束させた。  ソンコらの陣営ではこれまで、フランスとの関係を見直すといった発言があった。また、宗教に厳格でサラフィスト的側面があるとの指摘もある。新政権がどのような政策を打ち出すのか、非常に注目される。  ジョマイ=ファイに対して選挙前に行われたインタビューでのやりとりは、比較的抑制されたものだった。「自分は信仰を個人に押しつけない。国家がそうしてはいけない。セネガルは民主的な世俗国家であり続けるべきだ。宗教でセネガルが分断することはない」、「セネガルは長年フランスと素晴らしい関係を築いてきた。それが新植民地主義になったり、従属関係が続くようではいけない。自分たちのパートナーはフランス、EU、米国だが、協力一般ではどの国も排除しない」、といった回答をしている(3月20日付ルモンド)。 (武内進一)

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クーデタ政権への制裁解除の動き

2024/03/23/Sat

 クーデタで成立したアフリカ諸国の軍事政権に対して、地域機構が制裁を解除する動きが広がっている。  2月24日、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)はナイジェリアのアブジャで臨時会合を開き、ニジェールに対する制裁解除を決めた。25日には、マリとギニアへの制裁解除を発表した。また、中部アフリカ諸国経済共同体(CEEAC)は、3月9日、赤道ギニアのマレボで第24回定例サミットを開催し、ガボンに対する制裁解除を決めた。  昨年7月ニジェールで軍事政権が誕生した際、ECOWASは軍事介入を示唆するなど強硬な対応を取った。半年以上が過ぎ、バズーム大統領の解放もなされないなかで、手詰まり感が広がっていた。ECOWAS議長国のナイジェリアは、ニジェールと長い国境線を共有しており、経済活動の影響を最も顕著に被る立場にある。事態が動かない以上、対応を変えるより仕方ないとの判断があったのだろう。  ガボンについては、少し事情が異なる。8月に誕生したオリギ=ンゲマ軍事政権は、それ以来活発に近隣諸国を訪問し、自国の立場を説明していた。クーデタで倒されたアリ・ボンゴ前政権の評判が悪かったため、周辺国も関係改善に動いたと思われる。隣国コンゴ共和国(首都ブラザヴィル)は典型的な例である。  同国のサス=ンゲソ大統領は、娘のエディットをアリ・ボンゴの父オマールに嫁がせた。エディットは病気で2009年に亡くなり、同じ年にオマールも死去した。その後、遺産相続も絡んで、アリ・ボンゴとサス=ンゲソの関係が悪化していた。オリギ=ンゲマは、報道されているだけでも昨年10月、今年3月にコンゴ共和国を訪問し、エディットの墓参りをした。サス=ンゲソとしても、ガボンの新政権との関係改善を望んでいたのである。 (武内進一)

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ニジェール、米国との軍事協定破棄

2024/03/17/Sun

 16日、ニジェール軍事政権は、2012年に米国との間で結んだ軍事協力協定を「即時」破棄すると発表した。軍事政権側は、この協定は「単なる覚書(note verbale)によって」米国から「一方的に押しつけられた」ものであり、米軍の存在は「違法」だと主張している(17日付ルモンド)。  この決定は、米国使節団の訪問直後に発表された。12~14日、フィー(Molly Phee)アフリカ担当国務次官補を団長とし、ワランダー(Celeste Wallander)国防長官補佐、ラングレー(Michael Langley)米国アフリカ司令部(Africom)司令官を含む一行が、ニアメを訪問し、首相と会談していた。15日付ルモンドによれば、この訪問において、米国側は、ニジェールがロシア軍と協力せず、ロシア兵を招き入れないなら、軍事協力を再開するとの条件を示したが、ニジェール側は受け入れなかったという。  ニジェール移行政権顧問は、「どんな国の兵士を呼んでくるかを決めるのは自分たちだ」と主張し、米国の要求に苛立ちを隠さなかったという。16日の協定破棄の発表の際にも、米国使節団の訪問が、到着日と使節団構成員を一方的に知らせてくるだけで「外交手続きを尊重したものではなかった」とし、フィー団長の「尊大な態度」を批判した(17日付ルモンド)。  フランス軍に続いて、米軍もニジェールから撤収を迫られることになりそうだ。米軍は中部アガデスに1000人規模の部隊を駐留させており、この基地がなければAfricomの能力は大幅な制約を受ける。サヘル地域のイスラム急進主義勢力抑止の観点では、大きな打撃と言えよう。  一方、この間ニジェールは急速にロシアとの関係を強化している。昨年12月4日には、ロシア国防次官のユヌス=ベク・エフクロフがニジェールを訪問し、チアニ将軍と会談した。今年1月半ばには、ラミヌ・ゼイヌ(Lamine Zeine)首相を団長とする使節団がモスクワを訪れ、ロシア国防省のエフクロフ、フォミン国防次官と協議し、防衛協力強化宣言が打ち出された。  昨年7月末のクーデタの後、米国はフランスと比べてソフトな対応を取ってきた。7月末の事態を「クーデタ」と認めて援助を取り消したのも、10月に入ってからだった。こうした慎重な対応は、アガデスの軍事基地維持が米国にとって非常に重要だからである。ニジェールから撤退という事態になれば、米軍のアフリカ地域戦略にも大きな影響が避けられない。  一方、今回軍事政権側が、米国の「尊大さ」を繰り返し非難していることに留意すべきであろう。ニジェールに限らずこの地域には、フランスや米国に「軽んじられてきた」、「いいように利用されてきた」という感情が国民に広く存在し、強い動員力を持っているように思える。 (武内進一)

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セネガルの民主主義

2024/03/16/Sat

 マッキー・サル現大統領の後任を選ぶ大統領選挙を、いつ、どのように実施するのか。この点をめぐってセネガルは、ここ1ヶ月あまり大揺れに揺れた。今のところ、3月24日の大統領選挙実施が確実になりつつある。この間の動きは、セネガルの民主主義をめぐる評価も二転三転させるものだった。  事態が急展開するのは、1月20日に憲法評議会(Conseil constitutionnel)が当初2月24日に予定されていた大統領選挙立候補者の資格審査結果を発表してからである。この資格審査では、ウスマヌ・ソンコやカリム・ワッドらが立候補資格を認められなかった。これに反発したカリム・ワッド陣営が、憲法評議会構成員に汚職疑惑があるとして、資格審査のやり直しを求めた。これを受けてマッキー・サル大統領が、2月3日、選挙の延期を宣言したのである。  自身の後継者であるバ(Amadou Ba)首相が不人気で、ソンコの支持を受けたバシル・ジョマイ=ファイ(Bassirou Diomaye Faye)に勝てないと見たマッキー・サルが、時間稼ぎのために選挙を延期したと推測されている(2月6日付ルモンド)。  これに対して、憲法評議会は2月15日、大統領選挙の延期は違法で無効だとの判断を下す一方、2月24日に予定どおり選挙を実施することは現実的でないとして、「適切な時期」に選挙を実施するよう求めた。この頃から政権側は、野党側を軟化させるため、収監されていた野党勢力の恩赦と解放を進めていった。  この段階では、マッキー・サルの任期が切れる4月2日以前の選挙実施を主張するソンコ派らの野党勢力と、4月2日にこだわらず資格審査から選挙プロセスをやり直すべきだと主張するカリム・ワッドや大統領陣営とが対立した。2月26-27日に実施された「国民対話」では、ワッド派ら一部野党しか出席しなかったものの、6月2日の選挙実施を決めた。  しかし、3月6日、憲法評議会は、大統領任期満了以降に選挙を実施することは違法だとの判断を下し、結局3月24日選挙実施案が承認された。また、議会で承認された恩赦法によって、14日には収監されていたソンコやジョマイ=ファイが釈放された。  選挙日程をコントロールしようとしたマッキー・サル大統領は、司法判断によってその意図を挫かれ、投票日まで残り9日というタイミングで最も有力な野党候補者を釈放することになった。当然ながら、ソンコ、ジョマイ=ファイの陣営は大変な盛り上がりで、このまま投票に突入すれば、大勝する可能性が高い。  サルが選挙日程延期を発表し、抗議デモに厳しい態度で臨んだときには、セネガルの民主主義に対する懸念が広がったが、その後の展開を見ると、民主主義は思いのほかレジリエントである。司法(憲法評議会)の判断が、強い決定力を保持している。  西アフリカの複数国にクーデタが広がるなか、もしセネガルが政治混乱に陥れば、甚大な負の影響をもたらしかねない。胸をなで下ろしている人も多いことだろう。 (武内進一)

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FGMをめぐるガンビアの動き

2024/03/09/Sat

 3月8日の「国際女性の日」を前に、UNICEF(国連児童基金)は7日、FGM(女性性器切除)に関する報告を発表した。FGMとは女性の外部生殖器を部分的、または全体に切除する行為である。報告によれば、FGMを受けた女性の数は全世界で2億3000万人に上る。うちアフリカは1億4400万人で、アジア(8000万人)、中東(600万人)よりずっと多い。  施術者数は、シエラレオネ、エチオピア、ブルキナファソ、ケニアなどで大きく減少しているが、ソマリアのように15~49歳の女性の99%にFGMを経験している国もある。他にも、ギニア(95%)、ジブチ(90%)、マリ(89%)といった国で比率が高い。報告では、懸念すべき傾向として、施術の低年齢化が挙げられている。5歳以下で施術されることが増え、外部から関与する可能性を低めている。  FGMは単に文化慣習の問題ではなく、複雑な様相を呈している。3月4日、ガンビア議会は、FGMを禁止した2015年法を再検討する審議を開始した(5日付ルモンド)。この背景には、FGMの禁止解除を求める世論がある。4日も議会内外で、「女子割礼」は深く根付いた伝統であり、その禁止は慣習を実践する権利を制約する、と訴えるデモがあった。一方で、複数の市民団体は、法による禁止継続を訴えている。  この法律は、1996年から2017年までガンビアを支配したジャメー前大統領の下で制定された。2015年、ジャメーはFGMはイスラームの教えにないとして禁止する政令を発布し、その後議会が同じ内容の法律を制定した。同法では、FGMに対して懲役3年以下の刑罰が規定されている。  2023年、3人の女性がFGMに関連して訴えられ、その罰金を宗教指導者が支払うという事件があった。その後、ガンビアの宗教組織「最高イスラーム評議会」は、「女子割礼」はイスラームの観点から合法だとの判断(ファトワ)を下し、政府に禁止解除を求めた。議会の審議は、それを受けたものである。  ガンビアの事例からは、この問題が文化だけでなく、政治とも深く関連していることがうかがえる。独裁者ジャメーの下で制定された法律であるだけに、その後彼が放逐され、民主化したガンビアで多様な意見が表出されるようになると、見直しへの機運が高まったということであろう。  FGMはSDGsでも取り上げられるグローバルな課題だが、他の開発課題と同様に単純ではない。文化をめぐる問題は、必ずと言っていいほど政治と関わっている。 (武内進一)

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チャドの民政移管に向けた動き

2024/03/04/Mon

 2日、チャド軍事政権トップのマハマト・イドリス・デビィ・イトノ将軍は、5月6日に実施予定の大統領選挙に立候補を表明した。この選挙が実施されれば、チャドは移行期を終えて民政移管される。チャドでは、2021年4月にマハマトの父、イドリス・デビィ・イトノが反乱軍との戦闘前線視察中に死亡し、直後に軍が当時37歳のマハマトを担いで政権を掌握した。  移行過程は紆余曲折を辿ってきた。2022年10月には、野党勢力のデモが暴力的に鎮圧され、100人以上の犠牲者を出す事件が起こった。軍事政権は国際社会から厳しい非難を受け、鎮圧の対象となった野党勢力の指導者マスラ(Succès Masra)は亡命した。その後、2023年に入ってからコンゴ民主共和国のチセケディ大統領の仲介で関係改善が進み、マスラは2023年11月に帰国した。  12月には憲法レファレンダムが実施され、39歳のマハマトに立候補資格を与える憲法が採択された。今年1月1日には、マスラが移行政権の首相に任命された。移行期終了後の政権では、マスラとマハマトがコンビを組むことが確実視される。1月13日には、与党MPSの候補に指名され、大統領選挙立候補への準備が整った。  マハマトの立候補宣言の直前に、大きな事件が起こった。野党勢力指導者のディロ(Yaya Dillo)の殺害である。2月28日、治安部隊がディロの野党(PSF)本部を襲撃し、そのなかでディロが殺害された。PSF側は処刑されたと主張し、政権側はそれを否定している。  ディロは、マハマトの父である故イドリス・デビィのオイで、マハマトのイトコである。イドリス・デビィが政権を軍事力で掌握して以来、この国の政権中枢をザガワ人が占めてきたことはよく知られている。ザガワ出身のディロはインナーサークルの人物であり、その意味でマハマトにとっては真の脅威であった。その脅威を選挙前に除去したことになる。  ルモンド紙の報道によれば、マハマトは父親が構築した治安システムを改変しようとしており、父親に近い立場の軍高官を数名更迭している(2月29日付ルモンド)。ディロの死は権力内部の粛正とも受け取れるが、今後の不安定要因になるかもしれない。 (武内進一)

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国際社会のルワンダ非難高まる

2024/02/23/Fri

 コンゴ東部でM23の攻撃が激しさを増し、東部の主要都市ゴマに迫る勢いを見せている。これに伴って、欧米各国からルワンダへの非難が高まっている。17日、米国は「ルワンダによって支援されたM23の行動による暴力の悪化」を強く非難。ルワンダに対して、コンゴ東部から、ルワンダ軍兵力と地対空ミサイルシステムを即時撤去するよう求めた。20日、フランスも、コンゴ東部の状況に懸念を表明し、「ルワンダの支援によるM23の攻撃が続いていることを非難」した。ルワンダに対する国際的な批判がこれほど強まったのは、近年にないことである。  M23の攻撃をめぐっては、様々な方法で解決が模索されてきた。しかし、コンゴのチセケディ大統領とルワンダのカガメ大統領が歩み寄れず、和平への展望は開けていない。16日、AUサミットに合わせて両者の会談がセットされ、アンゴラのロウレンソ大統領がファシリテーターとなって南アフリカのラマポサ大統領、ケニアのルト大統領も参加したが、失敗に終わった(20日付ルモンド)。  チセケディは、ルワンダがコンゴ東部の鉱物資源を搾取するために戦争を続けているとして、ルワンダは「地域の悪」だと主張した。M23はルワンダによって創設され、操作されるテロリスト集団だとして、「M23と決して交渉しない」とチセケディは繰り返している。  一方、カガメに言わせれば、コンゴ東部で紛争が30年以上も続くのは、コンゴ政府がルワンダ系住民(特にトゥチ人)の権利と生命の保護に継続的に失敗してきたからだ。M23はコンゴ人の組織であり、トゥチ人コミュニティの防衛のために創設された。したがって、コンゴ人自身がM23の問題を政治的に解決するしかないとの立場である。  両者の主張はまったく噛み合わず、翌17日に予定されていた会合はキャンセルになった。  コンゴ東部の反乱勢力にルワンダが支援を続けてきたことは疑いない。最近の国連専門家報告書でも、ルワンダの支援が指摘されている。しかし、その支援は以前に比べればずっと少なくなっている。仮に、ルワンダが全面的に手を引いたとしても、それでM23が活動を停止するかはわからない。ルワンダが主張するように、コンゴ国内では、ルワンダ系住民への差別や煽動が激しさを増しているからである。  この問題に政治的解決以外の道はなく、コンゴ人自身がそれに真剣に取り組む必要がある。それは、ルワンダがこれまでの介入政策を反省し、真の意味で和平にコミットすることと同様に、必要なことである。 (武内進一)

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アフリカの債務危機、一段落か?

2024/02/16/Fri

 2024年に入って、アフリカ諸国による外貨建て国債の発行が続いている。ルモンド紙は、アフリカ諸国が国際資本市場に戻ってきたと報じている(13日)。  2024年1月末にはコートジボワールが26億ドルを調達し、その直後にベナンが7億5000万ドルを調達した。両国の国債は市場で高い人気を集めた。2月13日には、ケニアが15億ドルの国債募集を開始した。5億ドル規模のサムライ債(円建て債)も発行する。  ゴールドマンサックスの予測では、サブサハラアフリカ諸国の国債発行額は、今年総計で45億ドルに達する見込みである。アフリカ諸国がユーロ債を全く発行できなかった2022~23年と比べて、状況は大きく変わりつつある。この理由としてアナリストは、FRBの利下げが近いと見込まれ投資家が再び新興国市場へ関心を持ち始めたこと、そしてアフリカ諸国の経済再建が進んできたことを挙げている。  最近までの債務危機のなかで、多くのアフリカ諸国がIMFの勧告に従い、経済改革を行って融資を得るようになった。2020~2022年の間、IMFはアフリカ諸国に500億ドルを貸し付けた。これによって財政改革が進み、マクロ経済指標が改善した。  2023年には、アフリカの半分以上の国が世界銀行から過重債務かその危険があると見なされ、債務危機が取り沙汰されていた。しかし、国債資本市場が門戸を開放したことでそのリスクは遠のいたとアナリストは見ている。  楽観的な報道だが、どの程度楽観的になれるかはよくわからない。例えば、2020年にデフォルトに陥ったザンビアの債務再編は、まだ決着していない。今回の変化にしても、米国利子率の動きが大きく影響している。外部要因によって、状況はまた変わるかもしれない。 (武内進一)

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