28日、ナミビアは、ドイツ植民地期に虐殺された推定7万5千人の犠牲者を追悼する、初の「ジェノサイド追悼の日」を迎えた。この日は今年から国民の祝日となり、首都ウィントフックの国会議事堂前の庭園で追悼式典がとりおこなわれた。
ナミビアにおけるジェノサイドとは、1904年から1908年にかけてドイツ軍が先住民のヘレロとナマの人びとを組織的に絶滅させようとしたことを指す。当時のヘレロの約8割(約6万5千人)、ナマの約半数(約1万人)が亡くなったとされる。この出来事は、ホロコーストに先立つ20世紀最初のジェノサイドとして知られる。
ドイツは2021年にこれらの残虐行為を「ジェノサイド」として正式に認め、ナミビアに対し30年間にわたり11億ユーロを開発資金として支払うことに同意した。しかしこの資金提供は「和解」の意思表示であり、補償や賠償ではないと述べた。その後、被害者の子孫らなどからの反発を受け、ナミビア政府はジェノサイドに対するさらなる資金と正式な賠償を求め交渉を続けてきた。昨年12月には、この交渉が終了することが宣言され、再交渉後の資金額などが提示されたが、被害者の子孫らなどからさらなる批判を受けていた。(「今日のアフリカ」、2021年5月29日、2021年6月10日、2024年12月31日、2025年1月31日、2025年3月26日)
当時ドイツ領だった南西アフリカ(現在のナミビア)には、複数の強制収容所が建設され、人びとは拷問され、殺害された。5月28日が追悼の日に選ばれたのは、この日が、ドイツが強制収容所の閉鎖命令を最終的に決定した日だったためである。この日は、2016年に野党の南西アフリカ国民連合(SWANU)の党首であり国会議員だったウストゥアイエ・マアンベルア氏が提出した動議に関する協議の結果、選ばれ決定された。
28日の追悼式典には、野党の人民民主運動(PDM)の党首、ナミビア駐在ドイツ大使、ヘレロとナマの首長らや子孫らなどを含む約千人が出席した。ナミビアの大統領ネトゥンボ・ナンディ=ンダイトゥア氏は演説において、マアンベルア氏をはじめヘレロの政治家らが尽力し、この日を迎えることができたことを強調した。とくに、2006年にジェノサイドに関する動議を国会に初めて提出した、最高首長でもあった故クアイマ・リルアコ氏、ナミビアの初代特使でありドイツ政府との交渉を主導してきた故ゼデキア・ンガビルエ氏の功績について触れている。
しかし、すべての被害者の子孫らがこの追悼の日を認めているわけではない。ヘレロとナマの首長らの一部は、ジェノサイドを直接経験していないオヴァンボらが多くを占める与党の南西アフリカ人民機構(SWAPO)が主導する国家間交渉を批判し、追悼の日についても別の日にするよう求めていた。そのため、追悼式典への出席をボイコットすることを表明していた。
大統領はこうした意見の相違についても演説で触れており、「団結すべき時に、不要な分裂を引き起こすべきではありません。[・・・]私たちはドイツの植民地支配と(南アフリカによる)アパルトヘイト占領下で異なる歴史を経験してきました。しかし、1990年3月(の独立)以来、私たちは平和、安定、団結の基盤となる共有されたナミビアの歴史を有していることを強調しなければなりません」と述べている。
混乱をきわめるジェノサイド交渉がどのような結末を迎えるのか、課題は山積みだが、これまでナミビア国内においても無視され続けてきたドイツ植民地期のジェノサイドについて、国家として追悼する日を迎えたことは、今後の展開において新たな幕開けとなることはたしかであろう。(宮本佳和)
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