TUFS Today
TUFS Today
特集
東京外大教員
の本
TUFS Today
について

ポルトガル語教育を始めて100年!

TUFS Featured

本学におけるポルトガル語教育は、1916年に始められました。本年で100周年を迎えます。これはつまり、日本の高等教育機関でポルトガル語教育を始めて100年となります。
この機会に、簡単に本学ポルトガル語教育の歴史をたどります。

1983年上演 ポルトガル語劇

Contents

  1. 年表:時代の動きとポルトガル語教育の歴史
  2. 日本とポルトガル(語)のはじまり
  3. 西洋文化の摂取
  4. ブラジル移民の増加とポルトガル語教育
  5. 設立当時
  6. 新制東京外国語大学後
  7. ポルトガル語圏大使館との教育・研究ネットワーク:Mundus Latinus in Japan
  8. TUFSポルトガル語教育100周年!

年表:時代の動きとポルトガル語教育の歴史

【 】内は時代の動き、それ以外は本学ポルトガル語教育などの歴史

1895年 【日本とブラジルの間に国交樹立】
1897年 高等商業学校付属外国語学校創設
1899年 東京外国語学校独立
1908年 【移民船笠戸丸サントス港到着】
通訳五人組(本学スペイン語速成科)がサントス港で笠戸丸を出迎え、本学とブラジルの関係始まる
1913年 【移民船若狭丸サントス港到着】
渡辺孝(本学スペイン語1907年)が金鉱山で働く青年を引率して若狭丸でブラジルに渡る。長谷川武(同1913年卒)も同船でブラジルへ渡る
1915年 通訳五人男の一人、平野運平がプレジデンテ・ペンナに平野植民地を設立
1916年 本学ポルトガル語学科新設
山口鐵二郎が初代教師として就任
1917年 外国人教師としてアブランシェス・ピントがポルトガルより着任
1918年 専修科(夜間2年)4名が卒業
1919年 ポルトガル語部に改称。本科に第1回生入学(14名)。文科・貿易科・拓殖科に分かれる
1921年 ポルトガル語部、語劇祭に初参加。「エガス・モニス」を上演
1922年 本科第1回卒業生(9名、星誠、岡本良知ら)。星誠が本学助教授に就任。ほか通信省1名・外務省1名・正金銀行2名・教員1名・著述業1名・輸入業1名
1923年 【関東大震災。野口英世、黄熱病研究のためブラジル・バイア州オズワルド・クルス研究所へ赴任、アメリカで排日移民法成立】
長谷川武(本学スペイン語1913年卒)が海外興行会社社員として再度ブラジルへ渡り、連邦・州政府との渉外責任者として活躍
1924年 安藤潔(本学ポルトガル語1924年卒)がブラジルへ渡り、アンドウ・ゼンバチのペンネームで文筆で身を立てる。翻訳、移民社会研究、ポルトガル語文法、ブラジル史の執筆とその業績は広い。
1925年 【アメリカの排日移民法により日本政府はブラジル移民に力を入れるべしと「国策移民」を開始。船賃の支給に踏切る】
1927年 修業年限が3年から4年に延長
1933年 【日本移民のブラジル渡航最盛期(1933年25,000人)】
1934年
〜1940年
本学関係者よりポルトガル語・ブラジル関係の書籍が次々出版される。星教授『ポルトガル語4週間』(大学書林)、岡本良知『16世紀日欧交渉史の研究』(弘文荘)、友田金三(本学ポ語1925年卒)『標準ブラジル葡語』(カニヤ書店)、アンドウゼンパチ著『葡文典接続法解説』、友田金三『日伯会話』(カニヤ書店)、アンドウゼンパチ著『ブラジル史』など
1942年 【ブラジル政府、日本に対し国交断絶を通告。敵性日資産凍結令発令。日本政府代表国外退去】
1944年 東京外事専門学校と改称。修業年限を3年とし、本科を第1部と第2部に分け、ポルトガル科はイスパニア科と共に第1部に置かれる
1945年 【日本降伏】
戦災により校舎全焼。仮校舎でポルトガル科授業再開
1949年 西ケ原に新校舎建設。東京外国語大学設立。学科制が敷かれポルトガル学科となる(定員20名)。学長には元ブラジル大使の沢田節蔵が就任。
1952年 【日伯国交正常化に伴い、対ブラジル移民再開】
1954年 ポルトガル学科に初めて女子学生2名が入学
1966年 大学院を設置
1970年 星誠教授が殿三等瑞宝章を受章
1979年 日伯青年交流協会によるブラジル研修留学開始
2012年 学部改編を行い、これまでの外国語学部から、言語文化学部と国際社会学部に分かれ、それぞれポルトガル語/西南ヨーロッパ地域/ラテンアメリカに専攻を分けポルトガル語の教育を実施。

日本とポルトガル(語)のはじまり

ポルトガル語は日本が直接接触した最初のヨーロッパ語です。記録に残っている限りでは、1549年に来日したイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが通訳として連れてきた弥次郎が最初にポルトガル語を習得した日本人であると言われています。弥次郎はインドのゴアにあったセミナリオでポルトガル語を学んだとされています。

その後、長崎の出島にオランダ商館が置かれ、日本とヨーロッパと結ぶ唯一の窓口となりました。われわれ日本人はポルトガル人を通じてヨーロッパを知り、蘭学が江戸時代における洋学のすべてでした。ところが不幸にして、日本とポルトガルの関係は、1639年の鎖国によって途絶えます。

西洋文化の摂取

明治に入って、300年の鎖国を開いた日本は、文明開化という名の下に積極的に西洋文化の摂取に努め、諸外国語の習得に取り組みました。本学の前身である「高等商業学校附属外国語学校」が1897年に創設され、英独仏露西清韓語の7語科が発足します。2年後には高等商業学校から独立して「東京外国語学校」となり伊語科が加えられましたが、近代化に大きく遅れをとったポルトガルはもはや日本の見習うべき模範とはなり得ず、ポルトガル語はしばらく本学で教授されることはありませんでした。

ブラジル移民の増加とポルトガル語教育

本学にポルトガル語学科が設置され、日本でポルトガル語教育が始まったのは、第一次世界大戦のさなか1916年です。旧外国語学校が創設された1897年から数えて19年後のことでした。設立の理由は、20世紀初頭から始まったブラジル移民の増加によるといわれています。1908年、笠戸丸に乗った791名の移民がブラジルに上陸しました。通訳を務めた五人組は本学スペイン語速成科の学生です。本学とブラジルの関係はこうして始まり、移民を通じて日本とブラジルの関係は次第に緊密になっていきました。

設立当時

ポルトガル語学科設立当時、東京外国語学校は神田区錦町にありました。学科は新設されましたが、本科入学者はおらず、同時に設立された専修科生(夜間二年課程)として4名の生徒が入学するのみでした。1917年4月、お雇い外国人教師としてジョアン・ダマラル・アブランシャス・ピント先生が着任し、山口鐵次郎先生とふたりでポルトガル語の授業を担当しました。1922年3月、ようやく本科第1回生9名が本学を卒業しました。

岩田邦郎氏(1947年卒)のアルバムより ピント教授と星教授

新制東京外国語大学後

1985 ブラジル研究会 身障者のスポーツの集いでのデモンストレーション

1949年、国立学校設置法により、東京外国語大学が設立されました。ポルトガル語学科という名称がそのまま引き継がれますが、その後、次のように変遷され名称が変わります。

  • 1949年 ポルトガル語学科
  • 1951年 第五部第二類
  • 1961年 ポルトガル・ブラジル学科
  • 1964年 ポルトガル・ブラジル語学科
  • 1995年 欧米第二課程ポルトガル語
  • 2012年 言語文化学部ポルトガル語、国際社会学部西南ヨーロッパ地域/ラテンアメリカ地域
1983 金七ゼミ ポルトガル・ブラジル事情
1983 濱口乃二雄先生
1984 池上ゼミ
1985 金七ゼミ
1985 池上ゼミ

ポルトガル語圏大使館との教育・研究ネットワーク:Mundus Latinus in Japan

1980年代の高度成長によって多くの日系ブラジル人が居住するようになりました。サンバ、ボサノヴァの流行やJリーグにおけるブラジル人サッカー選手の活躍などにより、ポルトガル語は私たちの日常生活にも徐々に浸透するようになりました。

2012年、本学は言語文化学部と国際社会学部の2学部に改編し、言語文化学部でポルトガル語を専攻する学生、国際社会学部で西南ヨーロッパ第2地域あるいはラテンアメリカ地域を専攻してポルトガル語を学ぶ学生がいます。

100年の長きに亘りポルトガル語の教育研究をおこなってきた本学は、ポルトガル語圏に関する教育・研究で日本をリードし核となってきました。2015年5月には、スペイン語圏・ポルトガル語圏の24国大使館および3つの関連機関と教育・研究ネットワーク「Mundus Latinus in Japan」を創設させました。これらの国々や地域を横につなぎ、連携して多様な視点から再考察するためのネットワークです。ポルトガル語圏の諸外国との連携により、さらなる人材育成が期待されます。

24カ国大使らによるスペイン・ポルトガル語圏教育・研究ネットワークMundus Latinus in Japan宣言、2015年5月東京外国語大学にて

TUFSポルトガル語教育100周年!

この長きにわたって、日々の教育活動を推進することができたのは、ひとえに本学を応援してくださっている方々の温かいご指導とご支援の賜物であると心より感謝しています。感謝を込めて、ポルトガル語教育100周年記念イベントを開催します。

日時:2016年9月30日(金)15:30~18:15、10月1日(土)13:30~17:00(のち懇親会)
会場:東京外国語大学 府中キャンパス アゴラ・グローバル プロメテウス・ホール

以下、イベント企画を紹介します!

記念講演「現代文学とポルトガル語」

マルコ・アメリコ・ルケッズィ氏(ブラジル文学アカデミー会員)
9月30日(金)15:50~(通訳あり)

記念コンサート「サウダージの風」

ピアノ 徳江 陽子 氏
9月30日(金)17:00~

基調講演「東京外国語大学とポルトガル語教育―100年をふりかえる―」

金七 紀男 先生(東京外国語大学名誉教授)
10月1日(土)13:05~

卒業アルバムより 1986年 金七ゼミ

パネル・セッション「ポルトガル語とグローバリゼーション」

10月1日(土)13:40~

「イエズス会とポルトガル語教育」
 マリア・デ・デウス・マンソ(エヴォラ大学)

発表要旨:
ポルトガルにおけるイエズス会の成長は目覚ましく、215年間に神学校30校とエボラ大学を建設している。イエズス会士は、ポルトガルにおける教育や、東洋、アメリカ、アフリカそしてポルトガルの宣教活動の中心であった。ポルトガルの教会権力への貢献から、世界的なレベルでポルトガル語の普及と教育の主たる担い手であり、その影響は今日でも見て取ることが出来る。この発表では、イエズス会の役割、特に初期の宣教時代の活動を通じて、ポルトガル語を欧州の外へ、とりわけ日本に普及し、定着させたメカニズムを分析する。

「21世紀のポルトガル語-未来に向けて」
 ジゼフ・A・レヴィ(ワシントン大学)

発表要旨:
東京外国語大学におけるポルトガル語教育百周年を踏み台に、この発表では、この日本の高等教育機関が、この100年の間に、カモンイスの言語とその文化を普及するうえで果たした基本的な重要性を強調したい。この間、この機関で学んだ何世代にもわたる学生たちが、仕事の手段として、あるいは民族と国家の間の相互理解を促進し、日出る国とルゾフォニア、つまりポルトガル語圏諸国の関係を身近なものにした。 100周年を祝うことで、労働市場が高度に競争的でかつ個人の能力が一種の余剰価値である、現代世界において、過去と将来を熟考する契機としたい。かくして、目的はちがっていたとしても、100年前と同じように、東京外国語大学はポルトガル語の潜在力に賭け、ポルトガル語世界を提案する。

「日本におけるポルトガル語・文化」
 林田雅至(大阪大学教授、ポルトガル科学アカデミー会員、本学卒業生)

発表要旨:
日本におけるポルトガル語教育を4時期に分けてコメントする。第1期は、アジアでの「カトリック・ミッション」におけるキリスト教の普及という意味で、日本とポルトガルの接触の期間である。第2期は、1908年ブラジルへの移民開始と1925年移民を国家政策とした日本政府の決断によって、1916年東京外国語大学に新たに「ポルトガル・ブラジル語学科」が開設された時期である。第3期は、1990年以降入管法改正とともに、1990年に始まり、2008年リーマン・ショックまで続く時期である。それ以降が第4期で、現在、ISO(国際標準化機構)は、グローバリゼーション(国際人流)を考慮に入れて、「欧州言語共通参照枠」のB2(中上級)以上の「双方向言語運用能力」を備えた、通訳者・翻訳者としての人材の国際標準化の提案を行なっている。こうした趨勢はポルトガル語教育にも無縁ではない。

パネル・ディスカッション「東京外国語大学のポルトガル語教育を論ず!」

10月1日(土)15:50-
パネリスト 本学卒業生・元教員

同時開催~ペドロ・メデイロス写真展~「Carta ao Futuro 未来への手紙」

場所:東京外国語大学府中キャンパス アゴラ・グローバル ホワイエ

日時 2016年9月30日(金)~10月1日(土)
場所 東京外国語大学 府中キャンパス アゴラ・グローバル プロメテウス・ホール
プログラム 9月30日(金)【記念講演会・コンサート】
15:00 開場
15:30 開会
学長挨拶
ポルトガル語圏大使祝辞
15:50 記念講演「現代文学とポルトガル語」(通訳あり)
マルコ・アメリコ・ルケッズィ(ブラジル文学アカデミー会員)
16:30 コーヒーブレイク
17:00 記念コンサート「サウダージの風」
ピアノ 徳江陽子
閉会 ポルトガル語ユニット挨拶
(終了予定18:15)
10月1日(土)【基調講演・パネルセッション】
12:30 開場
13:00 開会のご挨拶
第一部
13:05
基調講演「東京外国語大学とポルトガル語教育―100年をふりかえる―」
金七紀男(東京外国語大学名誉教授)
(休憩)
13:40 パネル・セッション「ポルトガル語とグローバリゼーション」
マリア・デ・デウス・マンソ(エヴォラ大学)
「イエズス会とポルトガル語教育」
ジゼフ・A・レヴィ(ワシントン大学)
「21世紀のポルトガル語-未来に向けて」
レオノール・セアブラ(マカオ大学)
「世界に広がるポルトガル語」
林田雅至(大阪大学教授、ポルトガル科学アカデミー会員、本学卒業生)
「日本におけるポルトガル語・文化」
質疑応答
(休憩)
第二部
15:50 パネル・ディスカッション
「東京外国語大学のポルトガル語教育を論ず!」
パネリスト 本学卒業生・元教員
懇親会(17:30~19:30) 於 アゴラ・グローバル 会費:4000円
備考 会場の準備の都合上、①イベント9月30日、②イベント10月1日、③懇親会のご出欠を、poruka100[at]tufs.ac.jpまでお知らせいただければ幸いです。※[at]を@にかえて送信してください。
なおイベントにつきましては、予約がなくとも当日そのままいらしていただくこともできます。
主催:東京外国語大学、ルジタニア会後援:グルベンキャン財団、ポルトガル科学技術財団、在日ポルトガル大使館、在日ブラジル大使館
お問合せ:東京外国語大学・研究協力課
TEL: 042-330-5592
Email: poruka100[at]tufs.ac.jp([at]を@に変えて送信ください)

ポルトガル語専攻教員イベント報告

9月30日(金)、10月1日(土)の2日間にわたり、ポルトガル語の教育が本学で開始されてから100年を祝う記念イベントが開催された。

初日は午後3時30分から、遠く1543年のポルトガル人来航に始まり、1916(大正5)年の本学(当時の東京外国語学校)のポルトガル語科新設、そして府中キャンパスで現在の二学部制までの流れが日本語とポルトガル語で概略されたのち、立石博高学長のあいさつで始まった。立石学長は、そのポルトガル語でのスピーチの中で、100年間のポルトガル語教育の歴史に踏まえ、現代世界におけるポルトガル語の立ち位置や外語大生にとって言葉を学ぶことの意義などに触れながら、日本人とポルトガル語にとって忘れることのできない歴史上の人物である16世紀の弥次郎や明治の大武和三郎などを引き合いにグローバル化した現代における外語大の使命を熱く語った。その後、フランシスコ・エステヴェス駐日ポルトガル大使、アンドレ・コヘーア・ド・ラーゴ駐日ブラジル大使からの挨拶、列席した各国大使の紹介に続いて、ブラジルアカデミー会員で作家のマルコ・アメリコ・ルケッズィ氏の記念講演「現代文学とポルトガル語」が行われた。講演は、イタリア系移民であった自分の子供の頃の日本との思い出から始まり、歴史家のトインビーを引用しながら、ブラジル、日本、イタリアという三極と、著名なブラジルの社会学者のジルベルト・フレイレから「未来への郷愁」というポルトガル的な概念を取り、ジョルジュ・デ・リーマやルイ・バルボーザ、マヌエル・バンデイラ、ジョアキン・カルドーゾなどの詩人や作家の世界を汽車にたとえ、ブラジルと世界を語った文学の旅と言える内容であった。その後コーヒーブレイクをはさみ、徳江洋子さんのピアノコンサート「サウダージの風」で幕を閉じた。

2日目は、金七紀男本学名誉教授の基調講演「東京外国語大学とポルトガル語教育―100年をふりかえる―」と2つのパネルセッションから構成された。基調講演で金七名誉教授は、外語大のポルトガル語100年と現在の学生が直面している課題を見事に展望した。それに続く、「ポルトガル語とグローバリゼーション」と題されたセッションでは、言語とその文化に関わる教育について、イエズス会の宣教活動の歴史の中での位置づけ(エボラ大学のマンソ教授)や、この100年という時代の幅の中でポルトガル語が世界で占めた役割(ジョージ・ワシントン大学のレヴィ教授)、さらに日本におけるポルトガル語教育の歴史を4期に分け、その文脈や特徴(大阪大学の林田教授)などについての発表があった。セッションの第2部「東京外国語大学のポルトガル語教育を論ず!」には、世代の異なる本学ポルトガル語卒業生5名がそれぞれの経験からポルトガル語と人生について語った。いずれのパネルも本学の鈴木茂教授がコーディネィトした。最後に懇親会を行い、100名近くが参加し盛会のうちに終幕した。同時に、京都在住のポルトガル人写真家ペドロ・メディロス氏の「Carta ao Futuro 未来への手紙」と題された写真展を駐日ポルトガル大使館の後援によりアゴラ・グローバル・ホワイエにて開催した。

PAGE TOP