学内競漕大会、100回の歴史
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東京外国語大学の学内競漕大会(通称、ボート大会)は、今から110年前、1902(明治35)年の秋にはじまりました。当時の名称は、外國語學校秋季瑞艇競漕大會。場所は、隅田川の吾妻橋の近くで、現在のアサヒビール本社前から言問の帝大艇庫前までの1,100メートルで競われました。第一回大会は、いまのような専攻語ごとの対抗レースではなく、東洋組(清・韓)と西洋組(英・仏・独・露・西・伊)とに分かれ、メインレースが行われていました。このとき、互いの艇が接触しレースは中断。著しく興奮したクルーたちは、艇の上で立ち上がり大喧嘩をはじめたともいわれています。
1904年からは、東京外国語学校の英語表記(Foreign Languages School)の頭文字をとって、F(英・仏・独)L(露・西・伊)S(清・韓)の三組に分かれ競われました。
第一回の参加者だった宮越健太郎氏は、学内ボート大会黎明期を次のように振り返ります。
「校内レースは俗に財曩(ざいのう)競漕と呼んだ。(……)教会で礼拝者にまわす献金袋のようなもの(……)をレース観戦の来賓や学校関係者にまわして、なにがしかの寄付金を集め、レースの費用とし、終わってからの飲み代のタシにした。飲み会はたいてい浅草の《常盤》などの牛鍋屋で安く盛大にやった」(「外語ボート100年」より)
古き良き時代でした。
1922(大正11)年にはすでに一年生による専攻語ごとの対抗戦が、覇業レースとして行われ、大会の華となりつつありました。
昭和に入ってますます隆盛をきわめた学内競漕大会でしたが、戦争の激化によって1943(昭和18)年5月23日の第41回大会を最後に中断してしまいます。
それまでの間に学内競漕大会が中止になったのは、明治天皇が崩御した1912(明治45)年と、関東大震災の影響によって開催できなかった1923(大正12)年秋季大会のみでした。
1951(昭和26)年6月24日には、新制大学の学内競漕大会として8年ぶりに復活しましたが、本格的な再開はこの二年後の1953年のことです。
このとき、東京外国語学校以来の通算回数を受け継ぎ、第42回東京外国語大学学内競漕大会が、開催されました。
その後は1度だけ、学園紛争の影響により1969(昭和44)年大会が中止となりました。しかし1年以上の空白をへて、翌年秋には無事再開されました。
三十年の月日が過ぎ、1902年を起源とする東京外国語大学の学内競漕大会は、20世紀最後の年に開催回数87回目を迎えました。この大会には108クルーがレースに出漕し、水上で熱い闘いを繰り広げていました。
両岸では1,000名を超える学生たちの華やかな応援合戦が行われていました。
注目の覇業レースでは、男子が英語専攻、女子はフランス語専攻が優勝しました。この年、キャンパスは、北区の西ヶ原から府中へと移転しました。
そして、府中にキャンパスが移って10年。戸田は若干遠くなりましたが、毎年5月には、いまもあのときと変わらない熱い学内競漕大会が開催されています。
110年の歴史をもつ東京外国語大学伝統の学内競漕大会は今年5月29日、第100回を迎えます。
写真提供:東京外国語大学文書館