今日のアフリカ
2025年05月
ナミビア、初の「ジェノサイド追悼の日」を迎える
2025/05/31/Sat
28日、ナミビアは、ドイツ植民地期に虐殺された推定7万5千人の犠牲者を追悼する、初の「ジェノサイド追悼の日」を迎えた。この日は今年から国民の祝日となり、首都ウィントフックの国会議事堂前の庭園で追悼式典がとりおこなわれた。
ナミビアにおけるジェノサイドとは、1904年から1908年にかけてドイツ軍が先住民のヘレロとナマの人びとを組織的に絶滅させようとしたことを指す。当時のヘレロの約8割(約6万5千人)、ナマの約半数(約1万人)が亡くなったとされる。この出来事は、ホロコーストに先立つ20世紀最初のジェノサイドとして知られる。
ドイツは2021年にこれらの残虐行為を「ジェノサイド」として正式に認め、ナミビアに対し30年間にわたり11億ユーロを開発資金として支払うことに同意した。しかしこの資金提供は「和解」の意思表示であり、補償や賠償ではないと述べた。その後、被害者の子孫らなどからの反発を受け、ナミビア政府はジェノサイドに対するさらなる資金と正式な賠償を求め交渉を続けてきた。昨年12月には、この交渉が終了することが宣言され、再交渉後の資金額などが提示されたが、被害者の子孫らなどからさらなる批判を受けていた。(「今日のアフリカ」、2021年5月29日、2021年6月10日、2024年12月31日、2025年1月31日、2025年3月26日)
当時ドイツ領だった南西アフリカ(現在のナミビア)には、複数の強制収容所が建設され、人びとは拷問され、殺害された。5月28日が追悼の日に選ばれたのは、この日が、ドイツが強制収容所の閉鎖命令を最終的に決定した日だったためである。この日は、2016年に野党の南西アフリカ国民連合(SWANU)の党首であり国会議員だったウストゥアイエ・マアンベルア氏が提出した動議に関する協議の結果、選ばれ決定された。
28日の追悼式典には、野党の人民民主運動(PDM)の党首、ナミビア駐在ドイツ大使、ヘレロとナマの首長らや子孫らなどを含む約千人が出席した。ナミビアの大統領ネトゥンボ・ナンディ=ンダイトゥア氏は演説において、マアンベルア氏をはじめヘレロの政治家らが尽力し、この日を迎えることができたことを強調した。とくに、2006年にジェノサイドに関する動議を国会に初めて提出した、最高首長でもあった故クアイマ・リルアコ氏、ナミビアの初代特使でありドイツ政府との交渉を主導してきた故ゼデキア・ンガビルエ氏の功績について触れている。
しかし、すべての被害者の子孫らがこの追悼の日を認めているわけではない。ヘレロとナマの首長らの一部は、ジェノサイドを直接経験していないオヴァンボらが多くを占める与党の南西アフリカ人民機構(SWAPO)が主導する国家間交渉を批判し、追悼の日についても別の日にするよう求めていた。そのため、追悼式典への出席をボイコットすることを表明していた。
大統領はこうした意見の相違についても演説で触れており、「団結すべき時に、不要な分裂を引き起こすべきではありません。[・・・]私たちはドイツの植民地支配と(南アフリカによる)アパルトヘイト占領下で異なる歴史を経験してきました。しかし、1990年3月(の独立)以来、私たちは平和、安定、団結の基盤となる共有されたナミビアの歴史を有していることを強調しなければなりません」と述べている。
混乱をきわめるジェノサイド交渉がどのような結末を迎えるのか、課題は山積みだが、これまでナミビア国内においても無視され続けてきたドイツ植民地期のジェノサイドについて、国家として追悼する日を迎えたことは、今後の展開において新たな幕開けとなることはたしかであろう。(宮本佳和)
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ナミビアのジェンダーに基づく暴力への抗議運動
2025/05/31/Sat
ナミビアでは今年に入り3名の少女が続けて殺害された事件を受けて、ジェンダーに基づく暴力(GBV)への抗議運動が活発におこなわれている。
オチョゾンデュパ州の都市オカハンジャでは、今年3月末から4月末にかけて立て続けに少女3名が行方不明になり殺害された。3月20日には5歳の少女の遺体が橋の下で発見され、4月25日には通う学校の近くで6歳の少女の遺体が発見された。翌日26日には15歳の少女の遺体が郊外の地区で発見された。いずれの少女もレイプされていた。犯人は見つかっておらず、警察は逮捕につながる情報提供者には、12万ナミビア・ドルの報奨金を支払うことを発表している。
この事件を受け、4月末には女性と子どもの安全を求め、GBVへの抗議活動が各地でおこなわれた。少女らの遺体が見つかったオカハンジャでは、住民だけでなく、教育省の副大臣ディノ・バロティ氏、南西アフリカ人民機構(SWAPO)のフェニー・トゥチャヴィ氏、土地なし人民運動(LPM)のウタアラ・モオトゥ氏も参加した。政府関係者らは抗議活動参加者と連帯し、少女たちを守るための緊急の行動を求めた。バロティ氏は、省を代表して嘆願書を受け取った。同市の高校でも、生徒たちが児童保護法の強化を求め街頭で抗議をおこなった。西部カバンゴ州でも、教育省の呼びかけを受け、西部カバンゴ州議会と共同で学生らが児童暴力に反対する大規模なデモ行進をおこなった。
5月11日には、大統領のネトゥンボ・ナンディ=ンダイトゥア氏が、オハングウェナ州で開催された文化祭での演説において、伝統的指導者らに女性と子どもへの暴力とたたかうために政府と協力するように呼びかけている。
5月23日には、若者らが直面するさまざまな課題について話し合い、対処するための活動団体「#BeeFree」運動が、首都ウィントフックでGBVを減らすためのキャンペーンをおこなった。
ナミビアの国連事務所も声明を出しており、その中で、少女に対する暴力は容認できず、法の力で対処しなければならないと述べている。
ナミビア警察の統計によると、2024年1月1日から6月30日の間に、666件のレイプ事件が報告された。オシコト州で最も多く、次いでオムサティ州が続いた。オチョゾンデュパ州では、事件のあった同時期に50件が報告されている。
一方、少女らの殺害の理由について、犯人らが呪医に少女らの身体の一部を売るために殺害したのではないかとささやかれているが、真相は明らかではない。(宮本佳和)
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AGOAの今後
2025/05/25/Sun
今年9月に更新時期を迎えるAGOA(アフリカ成長機会法)については、トランプ政権の下で、そのまま延長されることはないだろうという見方が一般的である。21日付ルモンド紙は、米国国務省の担当官フィトレル(Troy Fitrell)の発言を紹介している。そこからトランプ政権の考え方がうかがえる。
フィトレルは次のように述べている。
「もしAGOAが更新されるなら、それは近代世界の取引を反映したものになる」「もっと相互性が明確に反映されたものになる」「私がAGOAの更新のために何をするか尋ねる人がいたら、私はこう尋ねる。あなたは何をしたか?」
フィトレルはまた、「多くのアフリカ諸国が米国との自由貿易協定の可能性を打診している。これはワシントンにとっても好ましいことだ」と述べている。
以上から見えてくるのは、米国が一方的に関税を免除することはせず、米国が関税を免除するなら、アフリカ側も関税を免除すべきだという考え方だ。USAIDの解体が示すように、トランプ政権は、米国が他国に奉仕するような関係性を拒否し、必ず目に見える見返りを要求する。
この行動には、そうする余裕がないという経済的理由だけでなく、相手が誰であれ一方的な優遇措置は与えないという思想的な理由も大きいと思われる。AGOAだけでなく、開発援助そのものを否定する論理である。私たちの前に、どのような世界が広がっているのだろうか?(武内進一)
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コンゴ東部からルワンダへの帰還作戦
2025/05/24/Sat
コンゴ民主共和国東部から、大量のルワンダ人が本国に移送されている。21日付ルモンド紙によれば、5月10日以来、ルワンダ政府は大規模な帰還作戦を行い、その数は2000人を超えた。このオペレーションは、UNHCRと反政府武装勢力のAFC/M23とが協力して行い、ルワンダ政府が支援している。
M23は、コンゴ東部に「不法に滞在しているルワンダ人」を本国に帰還させていると主張している。帰還の対象になっているのは、コンゴ東部で活動するルワンダの反政府武装勢力FLDR関係者と目された人々で、フトゥ人である。FDLRの源流は、1994年にルワンダ内戦で敗れた旧ハビャリマナ政権支持者で、ジェノサイドに加担した人々も含まれる。
AFC/M23は、人々が自発的にルワンダに戻っていると主張する。帰還に際して、同意書に署名しているようだ。しかし、UNHCRの地域スポークスマンは、「帰還は完全に自発的というわけではない」と認めている。
この帰還作戦は、ルワンダ政府の明確な意図に基づくとみられる。同政府は、機会あるごとに、コンゴ東部における「FDLRの脅威」を強調してきた。M23がゴマ、ブカヴをはじめとする東部を支配したタイミングで、FDLRの弱体化を狙って、関係があると見られる人々を送還しているのであろう。UNHCR職員は、「帰還のスピード、ルワンダのトランジットセンターに運ばれるやり方」に懸念を示したと報じられているが(21日付ルモンド)、帰還した人々はイデオロギー教育の対象となる。
この帰還作戦もまた、東部コンゴの勢力図が塗りかわり、M23、AFC、そしてルワンダ政府の影響力が支配的になったことを示している。(武内進一)
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コンゴ東部紛争のブルンジへの影響
2025/05/23/Fri
コンゴ東部紛争において、ブルンジはコンゴ政府側に立ってM23などの反政府武装勢力と戦った。今年1月以降、M23がゴマ、ブカヴなど東部の主要都市を制圧し、支配的な立場を維持している。M23とAFC(コンゴ川同盟)そしてそれを支持するルワンダが東部コンゴで勢力圏を確立し、コンゴ政府とブルンジを含む同盟勢力は戦闘に敗れた状態にある。
3月以降、和平をめぐる動きがあった。3月18日に、コンゴのチセケディ大統領とルワンダのカガメ大統領がカタールで直接対話し、4月25日には米国のワシントンで両国外相が会談した。5月5日には、米国のブロス大湖地域特使が、両国から和平協定原案を受け取ったと発表した。ルワンダの外相は、6月にカガメ、チセケディの間で和平協定が署名されるとの見通しを示している(5月6日付ルモンド)。
和平プロセスが進展したように見えるが、M23とルワンダ側が、東部コンゴに勢力圏を確立した状況は変わっていない。
こうしたなかで、5月19日付ルモンド紙は、この紛争がブルンジに与えた影響について報じている。この記事によれば、コンゴ紛争が、ブルンジの政治体制をいっそう独裁的、抑圧的に変えているという。
ブルンジはもともと、2021年初めにコンゴに派兵した。この時は、コンゴ東部で活動するブルンジの反政府武装勢力Red-Tabaraの掃討作戦実施を理由としていた。二国間軍事協定が結ばれたが、2023年8月になって両国は、この協定をM23との戦闘に対応するよう拡大した。しかし、この情報は一般に公開されなかった。
昨年来の戦闘で、コンゴ東部では多数のブルンジ兵が戦死している。コンゴに送られたブルンジ兵の大部分は新兵で、3ヶ月程度の訓練後に装備も不十分なまま前線に送られた。ゴマがM23の手に落ちる前、2024年12月のングング(Ngungu)の戦いでは、数百人のブルンジ兵が戦死したという。
ブルンジ政府は、こうした状況について一切公表していない。同国内では埋葬が続いているが、家族にも知らされず、こっそりと行われているという。
コンゴ紛争の激化は、ブルンジの人権状況に影響を与えている。ブルンジ市民社会の報告書は、コンゴ紛争が反体制派や市民社会の監視、抑圧、逮捕の口実として使われている、と述べている。多くのブルンジ兵が戦死したとWhatsAppに投稿した者や、M23に好意的な書き込みをした者が国内で逮捕されているという。
ここ数年、ブルンジとルワンダの関係は非常に悪化しており、国境も封鎖されたままである。両国は互いに、相手国が反政府武装勢力を支援しているとの非難を繰り返し、ブルンジによるコンゴ紛争への介入の背景になっている。
カタールや米国でコンゴとルワンダの首脳や外相が会談し、和平が進展したかのような印象を与えているが、このまますんなり和平プロセスが進展するとは到底思えない。(武内進一)
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マリで反軍事政権デモ
2025/05/10/Sat
5月2日、3日、マリの首都バマコで大規模な反政府デモが起こった。数百人のデモ隊は、軍事政権を非難し、憲政への復帰を要求した。2000年8月18日のクーデタ以降、今回のように公然と反軍事政権のスローガンが叫ばれたのは初めてである。数百人のマリ人が拳を突き上げ、国旗を掲げて軍事政権に挑戦した(8日付ルモンド)。
反政府デモのきっかけは、軍事政権が政権に居座る姿勢を明確にしたことである。4月29日、開催されていた国民協議(concertation nationale)が結果を発表し、アシミ・ゴイタ(現軍事政権トップ)が選挙を経ずに2025年から5年間の任期で共和国大統領となること、また全ての政党を解散することを勧告した。マリの政党は、ほぼこの協議をボイコットしていた。
大規模な反政府デモは、これを受けて起こった。軍事政権側は方針を変えず、5月7日、軍事政権が政党及び政治的団体の活動を無期限停止する政令を発表した。
これまでマリでは、軍事政権の下で制約はありつつも、政党活動の余地が残されていた。今回、それを完全に禁止し、軍部主導の政治体制を確立しようとしたところで、民衆の反発を招いたのである。
背景には、軍事政権の成果に対する国民の不満がある。物価高騰、失業、電力不足といった経済問題を軍は解決できず、ジハディストの活動も抑制できていない。2023年11月にキダルを制圧するなどの勝利はあったものの、マリではアルカーイダ系のGSIM、イスラム国系のISIS-GSが活動領域を広げ、特にGSIMは2024年9月に首都バマコの軍施設を攻撃し、多数のマリ国軍兵士を殺害した。
今回のデモがどの程度軍事政権を揺さぶるかはまだわからないが、国民に不満が蓄積されていることは間違いない。(武内進一)
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