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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2023年09月

ガボンのクーデタ、その後

2023/09/30/Sat

29日、ガボン検察は、前大統領夫人のシルヴィアについて、資金洗浄、隠匿、その他の疑いで取り調べを始めた(29日付Radio France Internationale)。シルヴィアは、クーデタ以来、所在不明のまま軟禁状態に置かれていた。  8月30日のクーデタで政権を握った軍部は、シルヴィア夫人とその息子ヌレディンを主たる標的に据えている。ヌレディンはクーデタ当日に逮捕され、政治警察(DGCISM)本部に連行された後、9月19日にはリーブルヴィルの監獄に移された。DGCISMの中庭で、ヌレディンと側近の官房長イアン=ジスラン・ングルが、横領したとされる現金で溢れたスーツケース十数個の前に座っている映像がTV放送で流された(28日付ルモンド)。  シルヴィアは、1963年にフランス人の両親の下に生まれた。ガボンには家族とともに1974年にやってきた。父親は保険会社Ogarvieのトップで、ガボンで最も重要な仏系企業を率いていた。シルヴィアはフランスで経営学を学び、ガボンで不動産業を始めた。1988年にアリ・ボンゴと出会い、2年後に結婚。イスラームに改宗してNedjmaの名を得た(28日付ルモンド)。  軍部は、一方で、政治参加を広げる姿勢を見せている。7日には、新首相にシマ(Raymond Ndong Sima)が任命された。シマは68歳で、2012-2014年に首相を務めた経験がある。首相就任後アリ・ボンゴと仲違いし、反体制派に転じた。2016年、2023年の大統領選挙に出馬している。また、クーデタ直後に、拘束されていた労働組合指導者ヤマ(Jean-Rémy Yama)を釈放した(8日付ルモンド)。  シマ新首相の下で9日に成立した新内閣には、アリ・ボンゴ時代の反体制派や市民社会からも人材が登用された。シマ首相はAFPとのインタビューで、「軍からは、反体制派も多数派もなく、あらゆるところから人材を集めるよう言われている」と述べた(10日付ルモンド)。  クーデタを主導したオリギ=ンゲマは、「自分たちのしたことはクーデタではない。自由の一撃(クー)だ。流血を出さずにガボン人を解放する」と述べている(16日付ルモンド)。  前政権下で汚職や腐敗がひどかったことは間違いない。オリギ=ンゲマの行動に期待する声は高い。とはいえ、移行期間の長さやどのように民政移管を進めるかは、依然として発表されていない。シマ新首相でさえ、「自分にどのくらい自由があるか、現時点ではわからない」と述べている(10日付ルモンド)。今後の推移を慎重に観察する必要がある。 (武内進一)

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スーダン内戦とウクライナ戦争

2023/09/27/Wed

 9月23日、ウクライナのゼレンスキー大統領がスーダンのブルハン議長と会談した。場所はアイルランド、シャノン空港の貴賓室であった。この会談は、ウクライナによるスーダン内戦への関与の可能性を強く示唆している(25日付けルモンド)。  4月から続くスーダン内戦は、依然として出口が見えていない。ブルハン率いるスーダン国軍とヘメティ率いるRSFが衝突しているが、RSFに対するロシアのワグネルによる支援が指摘されている。先月にはチャド国境からトラック100台がRSF側の支配領域に入ったとの情報があり、中央アフリカ共和国北東部のワグネルの基地から武器弾薬が持ち込まれたようだ。  最近、RSFに対するドローンを使った自爆攻撃が目立つようになり、この戦術は2022年末以降ウクライナが戦場で用いてきたものであるため、その関与が囁かれてきた。ゼレンスキーとブルハンが会談した事実は、ウクライナによるスーダン内戦への関与の可能性が相当に高いことを示していよう。  この背景には、もとよりワグネルによるRSFへの支援がある。ウクライナとしては、ロシアによるアフリカへの浸透を阻止したい。また、ウクライナの情報総局(GUR)は、スーダン内戦勃発時に外国人民間人を手際よくエジプトに避難させ、高い評価を得た。ブルハンはRSFの進出を止める目的でウクライナの関与を求めたと見られる。  ロシアのアフリカ浸透はしばしば指摘されるが、ウクライナも対抗措置を強めている。また、スーダンのように内戦が発生している場合、一方にロシア(ワグネル)の支援があれば、他方がウクライナの関与を求めるのは自然な流れである。こうした形で紛争の国際化が進む。 (武内進一)

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マリ北部で高まる緊張

2023/09/13/Wed

 9月11日、北部の武装勢力連合CMA(アザワド運動連合)は、首都バマコの軍事政権と「戦争状態」にあると声明で発表した。同声明では、「アザワドの全住民に対して、祖国を守り、アザワド国の領域全体の制圧を再び獲得するために、戦争努力に貢献する」よう呼びかけた(12日付ルモンド)。  マリでは、2011年にリビアのカダフィ政権が崩壊して以降、同政権が傭兵としていたトゥアレグ人などの武装勢力が帰国して北部で反乱を起こした。当時のトゥーレ政権はこの反乱鎮圧に失敗し、不満を持った軍内勢力がクーデタを起こした(2012年3月)。バマコが混乱しているうちに、トゥアレグ人を中心とするこの武装勢力は、アルカイダ系のイスラム急進主義勢力(ジハディスト)と融合する形でマリ北部を制圧した。  その後、むしろジハディストが主導権を握る形になり、首都バマコに向けて進軍する構えを見せた。これに危機感を募らせたフランスが2013年1月に軍事介入し、イスラム急進主義勢力の封じ込めに成功した。その後、2015年5月、イスラム急進主義勢力と切り離して、世俗主義武装勢力との間で和平合意(アルジェ合意)が結ばれた。CMAはこの和平合意の主要署名主体である。  マリ北部では、2021年6月のクーデタで成立したアシミ・ゴイタ政権の下でフランスとの関係が悪化し、2022年2月にフランス軍が撤収した。同政権は、国連PKO(Minusuma)に対しても撤収を要求し、現在その作業が進められている。これに伴って、北部情勢が緊張の度合いを増している。  8月上旬以降、北部の重要都市トンブクトゥが武装勢力に包囲され、食料などの調達が困難になっている。その他にも、トゥンブクトゥからガオにかけてのニジェール川沿いで、8月以降、武装勢力の攻撃が頻繁に報道されている。9月7日には、ニジェール川を航行する船舶への攻撃と、ガオ地方の軍拠点への攻撃で、64人(民間人49人、兵士15人)が死亡した(9月8日付ルモンド)。  CMAは、アルジェ合意署名後も具体的な進展が見られないことに、以前から不満を募らせていた。国連が間に入る形で紛争が回避されてきたのだが、その撤収によって緊張が顕在化した。特に、Minusma撤収に伴って、利用されてきた軍事施設がマリ軍に引き渡されることに、CMAなどが反発を強めている(8月15日付ルモンド)。  フランス軍やMinusmaの撤収に伴い、マリ北部の治安悪化が予想されていたが、現実になりつつある。マリ軍とそれに協力するワグネル、CMAなど世俗主義勢力、そしてイスラム急進主義勢力という、三つ巴で緊張が高まっており、先行きが懸念される。 (武内進一)

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頻発するクーデタをどう捉えるか

2023/09/07/Thu

 ガボン、ニジェール、マリ、ブルキナファソなど、仏語圏アフリカでクーデタが続き、その意味を問う議論が起こっている。ドヴィルパン元仏首相は、仏語圏アフリカにおけるクーデタの頻発を、フランスの凋落だと捉えて懸念を示した(9月4日付ファイナンシャルタイムズ)。  一方、フランス政府は、こうした見解を否定する。コロナ外相は、インタビューで、サヘルだけがアフリカではないし、マクロン政権のフランスは仏語圏アフリカ以外との関係強化に努めている。「フランサフリック」はとうの昔に死んでいる、と述べた(3日付ルモンド)。  確かに、仏語圏アフリカでクーデタが続いたからといって、アフリカにおけるフランスの影響力が全般的に後退しているという議論は乱暴に過ぎる。フランスの植民地支配や独立以降の政策に多くの問題があったことは疑いないが、それで今日の政情不安やクーデタをすべて説明できるわけでもない。そもそも、近年クーデタや紛争が起きているのは、仏語圏アフリカに限らない。スーダンやエチオピアもそうである。  むしろ現状は、サハラ砂漠を取り巻く地域が脆弱化していると捉える方が正確ではないだろうか。このように見ると、ガボンは例外になる。ガボンやギニアは無血クーデタであり、国内で激しい暴力は起きていない。これに対して、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、チャド、スーダン、エチオピアでは、国内で、急進イスラム主義勢力であれ、世俗の反政府勢力であれ、大規模な暴力が展開されている。フランスとアフリカの関係だけにフォーカスすると、現状の問題を捉え損なう恐れがある。  アフリカ諸国は総じて、2010年代半ば以降、経済的に厳しい状態に置かれてきた。資源価格の低下や中国経済の減速が、その背景にある。それに最近のコロナ禍やウクライナ戦争による世界経済の混乱が、追い打ちをかけた。加えて、サハラ砂漠周辺地域は、気候変動の影響を顕著に受けており、旱魃や洪水の被害が毎年のように報告されている。人口増加と土地不足から、農耕民と牧畜民の衝突も激化している。クーデタや紛争は、こうした状況下での暴力激化の一形態として捉えるべきではないだろうか。 (武内進一)

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ニジェールとガボン

2023/09/02/Sat

 ニジェールに続いてガボンでクーデタが起きたが、両者は国際社会から大きく異なる受け止めをされている。31日、スペインのトレドでニジェールへの対応をめぐってEUの会合が開かれたが、ボレルEU外相は、「ニジェールでは、民主的に選出された大統領が転覆された。ガボンでは、民主的性格がきわめて問題含みの選挙の後で大統領が転覆された」と述べて、両者を明確に区別した。  ニジェールに関しては、ECOWASが軍事介入も辞さない構えを見せ、フランスがECOWASの姿勢を支持している。しかし、トレドでの会議では慎重論が中心を占め、フランスは孤立したと報じられている(31日付ルモンド)。また、アルジェリアが軍事介入反対の世論形成に熱心で、6ヶ月の移行期間の後に民政復帰することを提案し、同国外務省関係者がニジェールを訪問している。軍事介入をぶち上げたナイジェリアのボラ・ティヌブ大統領(ECOWAS議長)も、31日には、9ヶ月の移行期間ならあり得ると述べた(1日付ルモンド)。軍事介入の可能性は低くなりつつあるが、バズーム大統領の解放など、国際社会が関心を注いでいる。  一方、ガボンに関しては、AUが資格停止処分とし、主要諸国も批判や懸念を表明したものの、アリ・ボンゴ政権を復帰させよ、という声は聞こえてこない。そもそも選挙が不透明で信頼性を欠くものだったし、父親の代から半世紀以上続くボンゴ一族支配の継続をあえて要求するまでもないということだろう。  アリの父オマール・ボンゴの時代、ガボンはフランスとの結びつきが強く、「フランサフリック」の代表格であった。よく引用されるオマール・ボンゴの言葉に、「フランスなきガボンは運転手のいない車だ。ガボンなきフランスはガソリンのない自動車だ」というものがある。この言葉に象徴されるような緊密な相互関係が両国を結びつけていた。  しかし、1日付ルモンドの特集記事によれば、アリ・ボンゴの代になってこうした関係は弱まった。今回のクーデタ直後、自宅軟禁に置かれたアリ・ボンゴがカメラに向かって「頼む。騒ぎを起こしてくれ」と述べる画像が拡散したが、アリはフランス語ではなく英語で"Make noise"と述べていた。その姿は弱々しく、クーデタを起こされたことを見る者に納得させるものだった。  大統領選挙でアリ・ボンゴの対抗馬であったアルベール・オンド=オサは、今回のクーデタは宮廷クーデタであり、ボンゴ一族の誰かが背後にいる、と述べている(1日付ルモンド)。軍事政権トップのオリギ=ンゲマは4日に移行期大統領への宣誓式を行うと報じられているが、その後に新政権の性格が見えてくるだろう。 (武内進一)

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