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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2021年04月

デビィの葬儀とフランスの対サヘル政策

2021/04/25/Sun

4月23日、チャドの前大統領イドリス・デビィの葬儀がンジャメナで挙行された。葬儀には、マクロン仏大統領やサヘル諸国首脳のみならず、コンゴ民主共和国のチセケディ大統領など多くのアフリカ首脳が参列した。マクロンは、チャドとともにG-5サヘルを構成するモーリタニア、マリ、ブルキナファソ、ニジェール首脳と会談したほか、デビィ政権を継承すると発表された息子のマハマトとも、葬儀前日に話をしたと報じられている(23日付ルモンド)。弔辞の中で彼は、チャドの「安定、包摂、対話、民主的な移行」を支えていくと言明し、事実上マハマト新政権を支える姿勢を明確に示した。  フランス軍はサヘル地域に「テロとの戦い」のために約5,000人の部隊を派遣し(「バルカンヌ作戦」)、その本拠地をチャドに置いている。マクロンは、変わらず作戦を遂行する姿勢を明らかにしたとも言える。  ただし、2013年から続くフランスの介入にもかかわらず、この地域の政治情勢は悪化を続けており、介入政策に対する批判はデビィの死の以前から高まっていた。22日に発表されたフランス会計検査院の報告書は、おそらくデビィの死とは関係なく準備されたものだが、介入政策の問題点を鋭く指摘した内容となっている。  23日付ルモンドの記事を要約すれば、次のようになる。検査院の報告書によれば、フランスのサヘル地域に対する戦略は効果を上げていない。この地域に対する外交において、フランス政府は繰り返し、開発の重要性を説いてきた。G5-サヘル諸国に対するフランスの支出額は、2012年から19年の間に、5億8400万ユーロから11億7000万ユーロに拡大したが、増えているのは軍事支出であり、安定化や開発支援については、同じ時期、4億3100万ユーロから3億2500万ユーロとむしろ減少している。サヘル地域に投入されるフランスの予算は、その6割が軍事作戦向けになっている。サヘル地域の開発を重視するというフランス政府の言明は、実現されていない。ODAの支出でみても、フランスの対アフリカODA総額に占めるマリの割合は2018年に2.5%で、2013年と変わっていない。フランスもEUも、支援をもっと経済が発展した国や安定した国に振り向ける傾向がある。2012年以来フランスは軍事支出を1億5300万ユーロから10億ユーロ以上へと増額させているが、結果はそれに見合ったものではない。  ここには、非常に難しい問題が示されている。ジハディストの活動が活発化する背景に貧困があり、軍事的対応だけでなく開発政策が必要だという指摘がしばしばなされる。その主張は間違っていないが、問題は、どのような開発プロジェクトをそうした地域に持ち込み、成果を上げるのかという点にある。軍事作戦の予算執行ばかりが増え、開発支援の予算執行が滞るのは、まさにそうした状況を示している。紛争国の平和構築に関わる、世界が知恵を絞るべき課題である。

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チャド大統領戦闘で死亡

2021/04/21/Wed

 20日、チャド軍スポークスマンは、デビィ(Idriss Déby Itno)大統領が北部前線を訪問中に負傷し、同日死亡したと発表した。デビィは68歳で、1990年に内戦に勝利して政権を獲得し、それ以降チャド大統領の座にあった。4月11日の大統領選挙にも出馬し、19日に六選が確定したと発表があったばかりだった。  軍は、移行軍事評議会(Conseil militaire de transition: CMT)としてデビィの死を発表し、同時にその息子のマハマト(Mahamat Idriss Déby Itno)が同評議会議長に選出されたと発表した。マハマトは37歳で、これまで大統領警護隊のトップであった。議長に選出されたマハマトは、政府、議会を解散し、18か月後に選挙を実施すると発表した。  20日付のラジオ・フランス・インターナショナルによれば、デビィの死後、国会議長が暫定的な国家元首に就任することを固辞したため、CMTが政権を握る事態になったとのことである。しかし、これは憲法に定められた政権移行措置ではない。マハマト以外のCMT構成員14名はいずれも有力な軍指導者であり、事実上軍が政権を乗っ取った形になっている。市民社会はもとより、軍内部からもこうした対応への批判の声が上がっている。  今回デビィは、北部の反乱勢力「チャド変革統合戦線」(Front pour l'alternance et la concorde au Tchad: FACT)との戦闘を視察に行き、致命傷を受けたと見られる。FACTとその活動については謎が多い。この反政府武装勢力は2016年にリビア南部で結成され、その後ハフタル将軍が率いるリビア国民軍(LNA)と関係を持っていたとされている。その過程で、LNAやそれを支援してきたロシアの民間軍事会社ワグネル(Wagner)から武器を供与されたようである。皮肉なことに、ハフタルはデビィと深い親交を結んでいる。アナリストは、最近、FACTとLNAとの関係が悪化し、結果としてFACTがリビア深南部からチャド領内に移動して、ハフタルの影響下から脱したのではないかと分析している(20日付ルモンド)。  デビィの死は、チャドだけでなく、サヘル地域全体に大きな影響を与えるだろう。デビィは、マリやナイジェリア北部などサヘル地域で拡大するイスラーム急進主義勢力を封じ込めるフランスや米国にとって、最も重要な同盟者であった。特にフランスは、サヘル地域での軍事作戦において、デビィとチャド軍に大きく依存してきた。フランスとサヘル諸国の共同軍事作戦であるG5-Sahelにおいて、アフリカ諸国のなかで自国外に兵力を展開してきたのは、チャドだけである。また、マリの国連PKOにおいても、チャドは重要な兵員提供国であった。そうした活動のためにデビィは米仏から強い支持を受け、2008年や2019年などチャドで反政府武装勢力の活動が活発化した際には、フランスは軍事的に政権を支えてきた。重要な同盟者を失ったことにより、フランス、米国をはじめとする西側諸国は、サヘル地域の安全保障政策の練り直しを迫られることになるだろう。

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コンゴ民主共和国で新内閣発足

2021/04/17/Sat

 4月12日、コンゴ民主共和国で新しい内閣が発足した。総勢56人の大臣、副大臣は全員チセケディ派で、うち14人が女性である。新内閣発足は、チセケディ大統領の権力掌握を内外に示すものである。  昨年末にカビラ前大統領との同盟解消を明確にして以来、チセケディ陣営はカビラ派の切り崩しと多数派工作を行い、権力確立を進めてきた。この過程で、1月27日にイルンガ・イルカンバ前首相に不信任決議を突きつけ、辞任に追い込むなど、カビラ派の両院議長や首相を排除した。2月5日にンボソ(Christophe Mboso)新下院議長、2月15日にサマ・ルクンド(Jean-Michel Sama Lukonde)新首相が任命された。今回、その新首相の下で、新内閣が発足したわけである。  新内閣では、大物の野党政治家カトゥンビとベンバの側近がポストを得た。ベンバの政党「コンゴ解放運動」(MLC)事務局長のEve Bazaibaが環境相兼副首相に任命され、カトゥンビ派のChristophe Lutundulaが外相に指名された。一方で、国防相のGilbert Kabanda、内務相のDaniel Aselo Okitoなど、最も重要なポストはチセケディの側近で固めた。  昨年末以降の急速な展開によって、チセケディは内閣や議会におけるカビラ派の影響力をそぎ、自らの権力基盤を確立した。この動きは、米国やヨーロッパ連合がチセケディを支持する立場を取るなかで進められた。大統領は、カビラの影響力を気にかけることなく自らの政策を進める権力を得た。逆に言えば、失政をカビラのせいにできなくなったわけであり、今後はチセケディの真価が問われることになる。

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YouTubeがナイジェリアのテレビ伝道師のアカウントを停止

2021/04/17/Sat

アフリカで最も影響力のあるテレビ伝道者の1人であるTB ジョシュア氏のYouTubeのアカウントが、同性愛を「治す」映像の問題を受けて停止されたことが報じられている(BBC 4月16日)。彼のYouTubeアカウントには180万人のチャンネル登録者がいたとされる。YouTubeによるこの決定はイギリスの政治サイトopen Democracyによる訴えを受けたことによる。映像は、TBジョシュア氏が大規模集会の中で「女性の霊」にとり憑かれているとしてある女性の頭を叩き、悪霊祓いするものだった。その後「女性の霊」が祓われた女性が、男性に愛情を持つように変化したことを証言する姿が映しだされた。 このアカウントは「同性愛の悪霊」を追い出すことにより同性愛を「治す」ことを示す同様の映像が少なくとも7本アップされていたとされる(open Democracy 4月16日)。YouTubeは性的指向を病気、或いは劣っていると主張するようなコンテンツをガイドラインで禁止しているとして、アカウントを休止した。 TB ジョシュア氏は「シナゴーグ、全て国々の教会」の設立者であり、アフリカの有力な政治家からも多数の支持がある。彼の教会は、HIV /エイズを含むあらゆる種類の病気を癒すと公言し、世界中から人々を惹きつけてきた。アフリカで1990年代から特に存在感を増したテレビ伝道者は、各国内でテレビ局を持つことが多いが、近年においてはインターネットでの配信にも力を入れ影響をよりグローバルに広げている。今回の件は、その結果生じた価値の摩擦とみることもできるだろう。アフリカでは同性愛間の性交渉が法律による処罰になる国も多く、ナイジェリアでも違法とされている。メディアを介して宗教がグローバル化することによって、国内では争点とならない問題に対して外部の価値的な介入が可能となった例とも捉えられる。

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アフリカ美術品の返還

2021/04/13/Tue

 最近、かつて植民地征服の際にアフリカからヨーロッパに持ち去られた美術品を返還する動きが目立つようになった。2018年11月、マクロン仏大統領はアフリカ諸国への美術品返還について演説で言及し、その後セネガルなどに少しずつ返還が始まった。ドイツも、ベルリン民族学博物館の所有品も含めて、ベナン王国(現ナイジェリア)のブロンズ像の返還を決めた(3月27日付ファイナンシャルタイムズ)。スコットランドのアバディーン大学もまた、ベニン王国のオバのブロンズ像を返還すると決定した。これらは1897年にヨーロッパに持ち込まれ、同大学が1957年に市場購入したものだが、大学側は「非常に非道徳的なやり方で購入した」と認めている(3月29日付ルモンド)。  アフリカ諸国による美術品返還要求は以前からなされてきた。1973年、ザイールのモブツ大統領は国連総会で植民地期にベルギーによって持ち去られた美術品の返還を要請し、結果として、美術品の返還を求める国連総会決議3187(1973年12月18日)が採択された。これに伴って、200程度の美術品が返還されたものの、返還された美術品が中古市場に出回る事態となって、返還は中断された。その後、アフリカ諸国による美術品返還の要求は繰り返されたものの、アフリカには保管条件を満たした美術館がないといった理由でその要求が真剣に検討されることはなかった。  最近の返還の動きの背景として重要なのは、ブラック・ライブズ・マター運動の世界的広がりである。これによって、植民地主義が改めて問い直され、ヨーロッパ側に美術品返還を検討させる動力となった。  また、近年、アフリカ諸国で美術館、博物館が充実してきたことも大きい。ベナンのコトヌ、セネガルのダカール、コンゴ民主共和国のキンシャサ、ナイジェリアのエドなどで、先端的な展示機能を持つ博物館が開設され、また開設が予定されている。このうち、ダカールの黒人文明博物館は中国、キンシャサの国立博物館は韓国の支援で建設されたことから、ルモンド紙では、東アジアの国々が地政学的な理由でアフリカの美術品管理を支援する措置に出たと論じている(4月8日付ルモンド)。  原則から言えば、美術品は、正式な手続きを経たうえで、アフリカ側に戻されるべきだろう。ファイナンシャルタイムズ紙は、美術品にもともと神聖な意味が込められていたことに加えて、ナイジェリアの若者たちに本物を見せることの意味が大きいというナイジェリア人美術家の言葉を引いている(3月27日付)。

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権威主義体制下の大統領選挙

2021/04/11/Sun

 今年に入り、アフリカの幾つかの国で大統領選挙が実施されたが、しばしばその権威主義的性格が露わになっている。1月14日のウガンダ大統領選挙ではムセヴェニが当選したが、対立候補のボビー・ワインに対する露骨な抑圧によって世界的な批判を浴びた。ボビー・ワインは、大統領選挙活動中に、11回逮捕拘留され、4回銃撃されたという(1月12日付FT)。ムセヴェニは、1986年に内戦で政権を獲得して以来ウガンダ国家元首の地位にあり、在任期間は35年になる。  3月21日にはコンゴ共和国で大統領選挙があり、現職のサスー=ンゲソが当選した。サス―は、1992年から97年を除いて、1979年以来大統領職にある。彼もまた、対抗候補を徹底的に抑圧して権力を維持してきた。4月9日には、ジブチで大統領選挙が実施され、現職のゲレーが97%の得票率で5選を果たした。ゲレーは、1999年に、1977年の独立以来元首の座にあったオジを引き継いで1999年に大統領に就任した経緯があり、ジブチは独立以来40年以上にわたって一族の支配が続いていることになる。  4月11日は、チャドとベナンで大統領選挙が実施される。チャドもまた、現職のデビィが1991年以来大統領の座にあり、6期目の当選が確実である。野党に対する弾圧のため、主要な候補は選挙をボイコットした。4月7日にはアムネスティ・インターナショナルが治安部隊による過度な弾圧を批判する報告書を刊行している。  ベナンでは、2016年に当選したタロン現大統領の下で、権威主義化が進んだ。ベナンは1991年に民主化した後、政治的自由度が高い国として知られてきたが、タロン政権下では有力な野党政治家が、不正資金疑惑や選挙違反などの名目で次々に失脚させられた。野党のボイコットのために、議会は与党がすべての議席を握っている。タロンは「開発」をスローガンに支持を呼び掛けているが、タロンの政治手法を支持する有権者もいる。4月10日付ルモンドは、「民主主義はベナンの弱さだった。野党にカネが流れただけだ」という声を紹介している。  アフリカでは、1990年代に民主化が急速に進展したが、2000年代半ば以降はその退潮が顕著になっている。憲法を改正して任期制限を撤廃するケースも多く、ウガンダ、チャド、ジブチ、コンゴ共和国などはいずれもその例である。一方、ベナンのように最近になって権威主義的傾向を強めている国もある。民主主義の危機は世界的な水準で語られるが、アフリカもまたその例に漏れない。

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AUによるワクチン調達計画

2021/04/09/Fri

 9日付ファイナンシャルタイムズ紙の報道によれば、AUの公衆衛生機関であるアフリカ疾病対策予防センター(Africa-CDC)は、インドのSerum Institute経由でのアストラゼネカ社製ワクチンの調達を中止すると発表した。代替策として、ジョンソンエンドジョンソン社のワクチンにより追加供給分を確保する。  Africa-CDCのンケンガソン局長によれば、これは同社製ワクチンの副作用で血栓ができるという問題とは関係がない。Africa CDCは、アストラゼネカ社製ワクチンの接種を奨励している。  アストラゼネカ社製ワクチンの調達を中止してジョンソンエンドジョンソン社に発注する決定は、ワクチンの調達先を重複させないための措置である。AUは、アフリカ総人口の60%にワクチン接種することを目標としているが、主要な調達ルートとして、Covaxの枠組みを利用したWHOからの供給分がある。この枠組みでは、インドのSerum Instituteで製造されたアストラゼネカ社製ワクチンが提供される。AUは、Covaxの枠組みで総人口の20%分のワクチンを調達する計画である。そのため、それ以外の40%分に関しては、アストラゼネカ社製以外のワクチンを発注し、調達先が重複しないよう配慮したとのことである。  Covaxによるワクチン供給が思うように進まない中で、各国がその確保に苦心している。こうした状況下、AUという地域機構が前面に出てワクチン確保を主導しているのも、アフリカの特徴と言えよう。

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主要先進国がエチオピア北部の情勢に懸念を表明

2021/04/04/Sun

4月2日付のBBC Newsによれば、主要先進7か国(G7)がエチオピア北部、ティグライ地域における人権侵害に関する最近の報告に関連し、強い懸念を表明した。 2020年11月29日の「今日のアフリカ」で述べたように、ティグライ紛争は、昨年11月末にエチオピア政府軍が州都メケレを制圧した際に、アビィ首相が軍事作戦の終了を宣言した。しかし、ティグレ人民解放戦線(TPLF)の指導者たちは依然として捕まっておらず、紛争が完全に終結しているかどうかは不透明である。 2021年3月5日に発表されたヒューマン・ライツ・ウォッチの報告は、ティグライでは、昨年11月のエチオピア軍による軍事作戦の際、エリトリア軍が国境を越えて北から同地域に侵入し、北部の町アクスム(Axum)で市民を無差別に虐殺したと伝えている。また、2021年3月には、エチオピア軍がティグライ市民を虐殺したとみられる映像がソーシャルメディア上に流れた。そのため、ティグライにおいて、エリトリア軍とエチオピア軍双方が、市民に対する深刻な人権侵害を犯している疑いが強まった。また、国連の援助活動家が、エリトリア難民を受け入れのためティグライに設立されていた2つの難民キャンプを訪れたところ、どちらも完全に破壊され、すべての支援物資が掠奪されていた、と報告されている。 こうした報告を受けて、G7は、「我々は、文民の殺害、性的及びジェンダーに基づく暴力、無差別の砲撃並びにティグライの住民及びエリトリア難民の強制的な移動を非難する。全ての当事者は、最大限自制し、文民が保護されることを確保し、人権及び国際法を尊重しなければならない。」という文書を発出した。一方、エチオピアのアビィ首相による「エリトリアがティグライからの軍の撤退に同意した」という発表を歓迎し、撤退のプロセスは、迅速、無条件かつ検証可能でなければならない、としている。 ティグライ地域では、エチオピア政府による内戦終結宣言の後も混乱が続いており、とくに、同地域にエリトリア軍が駐留していることが物議をかもしている。ティグライからのエリトリア軍の撤退が長引けば、エチオピアに対する先進国の対応も厳しくなることが予想される。

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ルワンダのジェノサイド:旧宗主国ベルギーの対応

2021/04/03/Sat

3月26日に発表されたルワンダ・ジェノサイドでのフランスの役割に関する報告書(デュクレール報告書)は、大きな反響を呼んでいる。4月2日付ルモンド紙は、これに関連して、ベルギーがルワンダ・ジェノサイドにどう対応してきたかをまとめている。  デュクレール報告書に対して、ベルギーは公式のコメントをしていない。同国はもっと早くからルワンダ問題に対処してきた経緯がある。1997年には議会が調査委員会を立ち上げて調査を行い、その結果を踏まえて当時のフェルホフスタット首相がルワンダ危機に際して多くの問題があったことを認めた。そして、2000年に同首相はルワンダを訪問し、「我が国、わが国民の名において、許しを請う」(Au nom de mon pays, au nom de mon people, je vous demende pardon.)、「私は我が国の名において責任を引き受ける」と述べた。  3年後には、ミッシェル(Louis Michel)外相が訪問先のキガリで、「我々は我々の困惑(gêne)をどこまでも引き受けねばならない」、と述べている。ルワンダのカガメ大統領は、2010年に外交団を前にして、「これこそフランスがやるべきことだ」、とコメントした。  一連の対応によって、ルワンダ・ベルギー関係は今日まで比較的安定してきた。とはいえ、常に良好というわけではない。ベルギーの専門家は、「現在は良好だとしても、ブリュッセル―キガリ関係は、パリ―アルジェ関係、ベルリン―テルアビブ関係と同じく、脆弱だ」と認めている。  ベルギーは、昨年6月30日のコンゴ民主共和国独立記念日に際して、過去の統治について、国王が謝罪声明を出した。植民地経験は、かつて支配した側、された側の双方に深い傷を負わせる。良好な関係を構築するには、過去に対する勇気ある決断とともに、不断の努力が必要になる。旧宗主国はどこであれ、現在もなおこの問題の対応に苦しんでいると言えよう。

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