20日、チャド軍スポークスマンは、デビィ(Idriss Déby Itno)大統領が北部前線を訪問中に負傷し、同日死亡したと発表した。デビィは68歳で、1990年に内戦に勝利して政権を獲得し、それ以降チャド大統領の座にあった。4月11日の大統領選挙にも出馬し、19日に六選が確定したと発表があったばかりだった。
軍は、移行軍事評議会(Conseil militaire de transition: CMT)としてデビィの死を発表し、同時にその息子のマハマト(Mahamat Idriss Déby Itno)が同評議会議長に選出されたと発表した。マハマトは37歳で、これまで大統領警護隊のトップであった。議長に選出されたマハマトは、政府、議会を解散し、18か月後に選挙を実施すると発表した。
20日付のラジオ・フランス・インターナショナルによれば、デビィの死後、国会議長が暫定的な国家元首に就任することを固辞したため、CMTが政権を握る事態になったとのことである。しかし、これは憲法に定められた政権移行措置ではない。マハマト以外のCMT構成員14名はいずれも有力な軍指導者であり、事実上軍が政権を乗っ取った形になっている。市民社会はもとより、軍内部からもこうした対応への批判の声が上がっている。
今回デビィは、北部の反乱勢力「チャド変革統合戦線」(Front pour l'alternance et la concorde au Tchad: FACT)との戦闘を視察に行き、致命傷を受けたと見られる。FACTとその活動については謎が多い。この反政府武装勢力は2016年にリビア南部で結成され、その後ハフタル将軍が率いるリビア国民軍(LNA)と関係を持っていたとされている。その過程で、LNAやそれを支援してきたロシアの民間軍事会社ワグネル(Wagner)から武器を供与されたようである。皮肉なことに、ハフタルはデビィと深い親交を結んでいる。アナリストは、最近、FACTとLNAとの関係が悪化し、結果としてFACTがリビア深南部からチャド領内に移動して、ハフタルの影響下から脱したのではないかと分析している(20日付ルモンド)。
デビィの死は、チャドだけでなく、サヘル地域全体に大きな影響を与えるだろう。デビィは、マリやナイジェリア北部などサヘル地域で拡大するイスラーム急進主義勢力を封じ込めるフランスや米国にとって、最も重要な同盟者であった。特にフランスは、サヘル地域での軍事作戦において、デビィとチャド軍に大きく依存してきた。フランスとサヘル諸国の共同軍事作戦であるG5-Sahelにおいて、アフリカ諸国のなかで自国外に兵力を展開してきたのは、チャドだけである。また、マリの国連PKOにおいても、チャドは重要な兵員提供国であった。そうした活動のためにデビィは米仏から強い支持を受け、2008年や2019年などチャドで反政府武装勢力の活動が活発化した際には、フランスは軍事的に政権を支えてきた。重要な同盟者を失ったことにより、フランス、米国をはじめとする西側諸国は、サヘル地域の安全保障政策の練り直しを迫られることになるだろう。