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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2022年06月

ルムンバの遺物返還

2022/06/25/Sat

 6月20日、ベルギーがコンゴ民主共和国に対して、同国の初代首相ルムンバの遺物(歯)を返還した。遺物の返還は2020年に約束されていたが、コロナ禍の影響もあって公式式典が延期されてきた。この日、まず「プライベート」な式典が行われ、ベルギー連邦検察官がルムンバの歯が入った小箱を遺族(子供たち)に手渡した。その後、この青色の小箱は棺に納められ、ブリュッセルのエグモン宮で公式式典が開催された。  コンゴ初代首相のルムンバの暗殺(1961年1月)には、当時のベルギー当局が関与していた。ルムンバはコンゴ東部のカタンガで暗殺され、遺体はバラバラに切断された上に硫酸で溶解された。現場に居合わせたベルギー人警察官が歯を持ち帰り、私的に保存していた。2000年代になってベルギーは、議会が調査委員会を設置するなどしてルムンバ暗殺に関する調査を進め、責任を認めていた。こうした経緯のうえに、今回の返還式典が行われたのである。  式典でデ・クロー(Alexander De Croo)首相は、ルムンバ暗殺に対するベルギー政府の責任について新たに謝罪した。「私はご家族の前で、当時のベルギー政府が独立したコンゴの首相の命を奪う決定をした責任について、この機会に私から、ベルギー政府の謝罪を表明したいと思います。」(Je souhaite, en présence de sa famille, présenter à mon tour les excuses de gouvernement belge pour la manière dont, à l'époque, il a pesé sur la décision de mettre fin aux jours du premier ministre du Congo indépendent....)という明確な謝罪であり、遺物返還が「遅すぎた」と認めた。  式典の後、ルムンバの遺物はブリュッセルのコンゴ大使館に向かい、アフリカ人コミュニティに公開された。そして、21日夜にコンゴの首都キンシャサに向かった。コンゴでは、生まれ故郷のサンクル(Sankuru)州オナルア(Onaloua)をはじめ、ルブンバシやキサンガニなど各地を巡回したのち、6月30日の独立記念日にあわせて埋葬が行われる予定である。  ルムンバの遺物返還はベルギー・コンゴ二国間関係で画期的な意味を持つが、ルワンダとの間で緊張が高まっている今日的文脈において、人々のナショナリズムを刺激することになろう。

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M23と東アフリカ軍派遣構想

2022/06/19/Sun

 コンゴ民主共和国東部の反乱勢力M23の活動活発化と、コンゴ・ルワンダ関係の悪化が続いている。13日、ウガンダ国境の町ブナガナ(Bunagana)がM23によって制圧された。15日、ケニアのケニヤッタ大統領は、東アフリカ共同体(EAC)地域機構軍をコンゴ東部に派遣すべきだとの考えを表明した。19日には、この問題でEACの会合が開催される予定である。コンゴからM23への支援を非難されているルワンダは、それを一貫して否定する一方、地域機構軍への参加に前向きな姿勢を示している(18日付New Times)。  17日付ルモンド紙は、この問題についてJason Stearnsのインタビューを掲載している。スターンズは、コンゴ東部紛争に関する第一人者であり、最近もThe War That Doesn't Say Its Name: The Unending Conflict in the Congo (Princeton University Press, 2021)を刊行している。インタビューの要点は次の通りである。 ルワンダがM23を支援している明白な証拠はないが、その可能性は極めて高い。1000人程度の兵士しかいないM23が長期にわたって活動を続け、13万人の兵力を擁するFARDCをブナガナから駆逐するという事態は、ロジスティック面の供給がなければ考えにくい。 ウガンダとルワンダの関係の緊張がM23の活動再開に関係しているとの見方は妥当だ。両国はいずれもコンゴ東部に重大な利害関係を有しており、30年近くコンゴ東部で競合してきた。2021年末、カンパラでADFの攻撃が相次いだことを受けて、ウガンダがキンシャサにコンゴ東部での活動を提案し、チセケディが受け入れた。ルワンダは、この決定を経済面のみならず安全保障面でも脅威だと感じたであろう。M23の活動は、同じ時期に活発化している。 M23は、ルワンダ、ウガンダの両国から支援を得ている。M23がブナガナを攻略したときには、ウガンダ領内を通っている。 2022年初め以来、ルワンダ、ウガンダ間の関係改善が報じられた。ムセヴェニ大統領の息子カイネルガバ(Muhoozi Kainerugaba)がキガリを訪ね、彼の誕生日にはカガメ大統領らがカンパラを訪問した。こうした関係がいつまで続くかはわからない。ウガンダ軍内には、ルワンダへの根深い不信感がある。 東部の治安状況がいっこうに改善しない中でムセヴェニの申し出を受け入れたチセケディの対応は、理解できなくはない。しかし、本来まずやるべきは軍の改革だ。仮にウガンダ軍がADFを壊滅させても、まだ100以上の武装集団がコンゴ東部に存在しており、治安改善にはほど遠い。 ケニヤッタ大統領が呼びかけている東アフリカ地域軍の実効性は疑問だ。東アフリカ各国の軍隊は、すでにDRCに派遣されている。ケニア、タンザニアは国連平和維持軍MONUSCOの構成部隊だし、ウガンダ、ブルンジは独自に軍を派遣している。ルワンダだけが公式には展開していない。こうした部隊が現場の状況を変えるとは思えない。コンゴ東部でウガンダ軍が行っているのは、自国とコンゴとの間に安全地帯を設けることで、ADFと直接戦っているわけではない。外国軍の派遣は問題の本質を変えない。  コンゴ東部の問題は、近隣諸国(ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ)との関係、コンゴ軍組織、コンゴの中央・地方関係など、複数の要素が複雑に結びついており、事態を一挙に解決する「魔法の杖」は存在しない。ケニヤッタの呼びかけは期待できないというスターンズの見解は、その意味で説得的である。

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チュニジアでゼネスト

2022/06/18/Sat

 チュニジアの労働組合ナショナルセンターである「チュニジア総労働組合」(UGTT)は、16日、公的セクターに24時間のゼネストを指令した。指令は広く遵守され、航空会社や鉄道・運輸など多くの機関が全面的に麻痺した。チュニジア政府はIMFから新規融資を得る条件として経済改革を迫られており、ストライキはこの改革に反対して実施された。ウクライナ危機の影響を受け、チュニジアではインフレが昂進するなど生活が厳しくなっており、UGTTは改革に反対の姿勢を強めている。  ストライキは、サイエド大統領の置かれた厳しい立場を示している。前大統領の死去に伴い2019年に選出されたサイエドは、昨年7月に議会活動を凍結し、首相を解任する挙に出た。政党対立が続き、議会での審議が進まないことに国民が苛立ち、議会解散を求める中で、大統領に政治的権限を集中させる動きであった。議会側からはクーデタだと批判されたが、抗争に明け暮れる既存政党に嫌気がさしていた国民の多くは、この動きを支持した。  昨年12月には、議会凍結を2022年12月まで延長すること、2022年7月25日に憲法改正の国民投票を行うことを発表した。大統領権限の強化を含む新たな政治体制を支える憲法を国民に承認してもらい、その後議会選挙に臨むという考えであった。  しかし、当初サイエドの行動を支持していた国民は、その強権化の動きに対して次第に反発を強めている。顕著なのはUGTTの動きである。このナショナルセンターは、チュニジアで大きな影響力を持つ。2015年には「アラブの春」に果たした役割を評価され、国内の人権団体などとともにノーベル平和賞を受賞している。UGTTは当初サイエドの動きに好意的だったが、次第に距離を置くようになり、最近では、憲法レファレンダムに向けた「国民対話」への参加を拒否している。  今回のゼネストは経済問題を前面に掲げるもので、サイエドの政治のあり方が直接の争点になっているわけではない。しかし、IMFとの交渉の行方が一ヶ月後に迫ったレファレンダムに影響を与えることは必至である。政府の対応によっては、政治的混乱が深まることになろう。 

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マッキー・サルAU議長(セネガル大統領)のインタビュー

2022/06/11/Sat

 アフリカ連合(AU)議長国であるセネガルのマッキー・サル大統領は、3日、AU委員会委員長のムーサ・ファキ・マハマト(元チャド外相)とともに、黒海沿岸のソチでロシアのプーチン大統領と会談した。会談では、ウクライナ戦争のために黒海経由でロシア産、ウクライナ産の食糧や肥料が流通せず、アフリカ経済が危機的な状況に直面していることが説明された。プーチンは、「ウクライナ側がオデーサ港の機雷を除去すれば、穀物等の輸出は問題ない」と述べ、会談後サルは「安心した」と述べた。 10日付けルモンド紙には、サル大統領との単独インタビューが掲載されている。プーチンとの会談の趣旨などについて抜粋して紹介する。  プーチンとの会談後に「安心した」と述べたが、その意図は何か? 「アフリカの立場をじっくり説明できたことは良かった。」 問題は西側の対ロ制裁なのか、それともロシアのウクライナ侵攻なのか? 「アフリカ諸国は、二つの問題から重大な影響を受けている。ウクライナ戦争そのもののの帰結、そして対ロ制裁である。後者については、特にロシアがSwiftから排除されたことで、アフリカ諸国はロシア産品へのアクセスが非常に困難になった。これが食糧や肥料価格の高騰につながり、深刻な影響を生んでいる。」 ウクライナのゼレンスキー大統領とビデオ会談するとのことだが?AUとして何らかの解決策を提示するのか? 「AUは紛争当事者ではなく、戦争を止めてくれと言っている。まずは戦争を止めて、話し合ってくれということだ。我々は、誰が間違っているとか、誰が正しいとかいう議論をしてはいない。穀物と肥料へのアクセスがほしいだけだ。我々は戦争と制裁の間に挟まれている。」 国連での対ロ非難決議で、セネガルは棄権票を投じた。投票前に圧力があったと述べているが? 「投票前にEUやUSなどパートナー諸国から、投票行動に関する要請があった。他の多くの国も投票について同様の『友好的な圧力』を受けたと聞いている。結果として、アフリカ諸国の投票行動は多様であり、同一のポジションではない。決議に賛成しなかったからといって、戦争を始めた国に反対していないとか、親ロシアだということではない。...コロナ危機以来、アフリカがきわめて深刻な問題に直面していることを世界に理解してほしい。我々はEUなどに働きかけ、アフリカに資金を回すよう国際社会に訴えている。しかし、例えばIMFの特別引き出し権の配分に際して、アフリカに回されたのは全体のわずか5%だった。こうしたなかで、ウクライナ戦争が起こったのだ。」 非難決議に棄権を投じたことがフランスとの軋轢を招かないか? 「この紛争や投票行動が、フランス、ヨーロッパ、アメリカとの関係を悪くすることになってはいけない。しかし、『北』の国々にはアフリカの投票行動の動機を理解してほしい。我々は我々の利益を守る。他の国々と同じように。」  2010年代半ば以降、アフリカ諸国の経済は総じて悪化に転じ、Covid-19がそれに拍車をかけた。その文脈でウクライナ戦争が起こったため、アフリカ諸国は自国の安定を優先せざるを得ない。したがって、ロシアとの関係を断ち切ることはできない、という説明である。非同盟諸国運動のイデオロギーを持ち出す南アフリカの説明とは対照的だが、アフリカ諸国の投票行動の背景には複数の要因が関連していると理解すべきなのだろう。

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DRC・ルワンダ間の緊張再燃からみえるもの

2022/06/05/Sun

 5月28日、コンゴ民主共和国(DRC)政府スポークスマンのムヤヤ(Patrick Muyaya)は、東部で活動を活発化させている反政府武装勢力M23に関して、ルワンダからの支援を受けていることは明らかだとして、ルワンダ政府を公式に非難した。そして、同国内へのルワンダ航空の乗り入れを停止するとともに、キンシャサに駐在しているルワンダ大使を呼び、抗議の意を伝えた。また、コンゴ領内で活動していたルワンダ兵2名を拘束したと発表した(29日付Radio France Internationale)。  ルワンダ側は、ルワンダがM23を支援しているとの非難を全面的に否定し、この問題はコンゴの国内問題だと主張している。2名の兵士についても、国境付近を警備していたところを誘拐されたと述べている。ビルタ(Vincent Biruta)外相は、ルワンダ領土内に砲撃が加えられ、市民が負傷したこと、コンゴ軍がFDLRと協力して戦っていることを指摘し、「コンゴ側からの挑発が続けば、傍観できない」と述べた(31日付New Times)。FDLRとは、コンゴ東部で活動するルワンダ系武装集団で、もともとは1994年のジェノサイドに加担した勢力によって結成された組織である。  DRCとルワンダとの関係悪化は既に伝えられているが、ルワンダ兵の拘束をきっかけに、緊張が急速に激化したわけである。両国の緊張の高まりに対して、AU議長のマッキー・サルセネガル大統領は、アンゴラのロウレンソ大統領に両国の仲介を依頼。求めに応じてロウレンソ大統領は、1日にDRCのチセケディ大統領と面会して、ルワンダ兵2名の釈放にこぎ着けた。  AUの時宜を得た関与によって緊張がいったん沈静化ことは喜ばしいが、状況に本質的な変化はない。M23は自分たちをコンゴ国軍に統合するよう要求し、これが満たされないとして蜂起を繰り返している。コンゴ内戦の処理の過程で多くの武装集団が国軍に統合され、M23もこれを望んでいるのだが、DDRの名の下で行われた軍の統合に対しては、今日否定的な評価がなされている。統合は武装勢力が犯した罪を問わずに「アメ」を与えることを意味するし、統合しても長続きしないことが多い。  M23のスポークスマンは、「自分たちは外国人と見なされ、統合を拒絶された」と述べている。彼らの中心はコンゴに居住するルワンダ系住民で、その出自は様々であるものの、19世紀からコンゴに居住してきた系譜を持つ人々もいる。植民地化以降、ルワンダ系住民は植民地当局から「外国人」と見なされ、市民権を与えられなかった。それがコンゴ東部紛争の基層のひとつをなしている。この問題を処理しない限り、同様の事態が繰り返されるだろう。

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